翠玉 9

月のものが来た時、私は女になった。
それはクノイチとしてようやくスタートラインに立ったことを意味しており、知識だけのものだったクノイチ本来の任務を遂行できることに他ならない。
同い年の誰もがすでにクノイチとして第一線で動いている姿は、私にとって無性に羨ましいもので、もしやこのまま一生女にはなれないのではないかと悩んだこともあった。
けれど、それが杞憂に終わったことを喜び勇んで、友人たちに報告すれば、おめでとうと祝いの言葉をもらった。
「イルカもようやくこれからね」と言われ、嬉しかったのを覚えている。
当時の私の夢は、父ちゃんのようなクィーンになることだった。そして、母ちゃんのようなお婿さんをもらい、自分の生家で暮らすこと。
それを胸に、クノイチとして頑張ろうとした矢先。



クノイチの初任務をもらうために訪れた受付所で、私は火影さま直々に任務を受け取ることとなった。
困惑しながら訪ねた火影室で、用件を聞くよりも早く、火影さまは一人の暗部と私を会わせた。
暗部との面会はこれが初めてで、強烈に残っているだろう記憶なのに、今の私にはその暗部の姿を思い出すことが出来ない。全てを秘す存在であるがために、記憶を操作されたのかもしれない。
隣に佇む暗部を気にしながら、火影さまに向かい合えば、火影さまは一言言った。



「特別指名任務を、言い渡す」



特別指名任務。通称、暗部の女。
死亡率の高く、困難な任務へ向かう優秀な暗部にだけ与えられた権利。
己が死ぬまで、木の葉の者を一人、生殺与奪を含めて拘束できるそれは、裏を返せば、優秀な人材流出を防ぐための里の枷とも言えた。
指名された者は拒否権は認められず、今後、自分を選んだ暗部の者にだけに心身を差しだすことを決定付けられた、人身御供ともいえる任務。
他里と比べ、人道的な木の葉において、この任務を指名されたものは稀で、都市伝説とさえ言われていた。



私はそれに選ばれてしまった。



突然のことで、混乱する私がようやく声を出せたのは、随分時間が経った後のことだったと思う。
「謹んで、拝命、いたします」
みっともなく震える声で了承した私に、火影さまは一言言ってくれた。
「すまぬ」と。
里長の心底辛そうな声に救われた気がして、顔を上げたところで、暗部の人に手を掴まれ、火影室を出た。
「……! いいか、無茶はするなッ。大事にす――」
火影室から出る間際、悲鳴のように零れた里長の声に、堪えていた涙が零れ出た。
暗部の人はずっと黙ったままで、やがて瞬身の印を組むと、私は見知らぬ平屋の家に連れて行かれた。



そして、私は抱かれた。



最中のことはあまり記憶にない。
言葉もなく始まったそれは、痛みと恥ずかしさに塗れていて、まるで嵐の中で翻弄される木の葉になった心持ちだった。
地獄だと思ってもいい時間だったのに、そのことは私の中で不思議と温かい記憶として残っている。
それはたぶん、暗部の人が、私に対した接し方のせいだと思う。
最後まで口を開かなかった暗部の人の手は、ずっと震えていて、私に触れる寸前、一瞬躊躇いを感じさせた。それでも触れる手は温かくて、時々勢い余って肌を抉ることもあったけど、それが私には、一途で不器用な愛の告白をしているように感じた。
取り繕う暇もなく、ただ一心に私へ思いを伝えている。
その姿がいいなと思った。そして、そんな暗部さんを好きだなと思ってしまった。
父ちゃんのようになって、母ちゃんみたいなお婿さんをもらう夢は消えてしまったけれど、不器用な暗部さんのお嫁さんになることで、この暗部さんがまたこの里に戻ってこようと思えるならば、私は幸せかもしれないと思った。
何一つ言葉を交わさなくて痛いばっかりだったけれど、私はこの暗部さんのお嫁さんになろうと、そのとき決心した。



今現在も任務解除の達しはない。
会ったのは、あのときのたった一度だったけれど、私の旦那さんは今もどこかで生きている。
そして、私はそれを嬉しいと思っている。



「……ちょ、ちょっとイルカー!! あーんた、なんでそんな重大なことを今までずっと黙っていたのーーッッ」
懐かしい回想に耽っていたら、隣からマキが絶叫した。
今更なことを言うマキの方が私には驚きだ。
「マキだって知ってたじゃない。というか、ここにいる皆知ってたでしょ? 任務の都合上、隠すより大っぴらに伝えた方が色々と効力あるし」
周りを見回せば、同僚たちは頭を抱えたり、上下に頭を振ったり、小難しい顔で眉根を寄せていた。
「や。た、確かに知ってたぞ。あのとき、イルカが一週間の監禁の果てに、一ヶ月の入院を知った時の恐怖と言ったら!! 一時期、その話題で持ちきりだったしな」
「そうそう。それで、火影さまの物言いがついて、イルカの任務が異例の解除になりかけたのに、イルカ自身がそれを断っちゃってさー。あの一週間にどんな恋が生まれたのかしらって、盛り上がったわよね。それで、それを題材にした小説も出たりなんかして」
「そうそう! 私、すっごいあれ好きだったのーv」
「暗闇の中、肌を合わせる二人」
「孤独な男の不器用な愛の言葉」
「拒絶するもその哀しい心に惹かれる女」
「縮まる距離。けれど、タイムリミットはすぐそこ」
「去る男は最後に素顔を見せて、必ず戻ると永遠の愛を女に伝える」
「その際見せた、暗部さまの美形な姿といったら、あぁぁぁぁぁぁあvv」
きゃーと一斉に湧き立つ黄色い声に、男たちは荒んだ顔を見せた。
「どこが可愛いお嫁さんが夢だよ」「所詮、顔かよ」「いやいや、そこは暗部っていう地位に目が眩んだんだよ」と、こそこそ顔を寄せ合い、愚痴る男の後ろ姿を見ながら、私は分かったかとマキに顔を向けた。



「……た、確かに。あの当時のお祭り騒ぎは忘れられるものじゃないけれど……! でも、あんたにも非があるでしょうがッ。れっきとした旦那がいるのに、なーにガイ先生、ガイ先生って尻尾振って後を追いまわしていたのよッ」
『はッ!』
皆、そうだ、それで騙されたとマキの言葉に激しく頷く。
私は皆の態度が不思議でならなかった。
「? どうして駄目なの?」
首を傾げれば、マキは二度机を強く叩いた。
「あーんた、何言っちゃってんの?! あんたのしていることは、任務違反よ、任務違反!! まだあんたの旦那の死亡届が出されていないのに、何、自由恋愛しようとしてんのよッ。火影さま直々の任務を何だと心得ているのっ」
ヒートするマキの言葉は理解できる。でも、それとこれとは話が違う気がするのだ。
うーんと腕を組む私に、マキは目を見開いた。
「でもね。今、一番私が言いたいことはッ! お嫁さんはすでになっているから、旦那にならないとダメなんていう子供のわがままめいた言い分が通る訳ないってことよッ」
さすがに、マキの言葉にムッとする。要するにマキは、旦那さんがいる私は、はたけ上忍から手を引けと言っているのだ。
冗談じゃないと私は声を張り上げた。
「そんなことないよ! 暗部さんが旦那さんで、私ははたけ上忍の旦那になったらうまくいくんだからッッ」
「はぁー?! あんた自分の言っている意味分かってるのっ。まんま子供の言い分よッ。子供! 火影さまにおっしゃってごらんなさいよ。あんた、首はねられるわよッ」
噛みつくマキにムカっぱらが立った。マキは知らないからそんなこと言うんだ。
「子供の言い分でもない! だって、暗部さんだって、ガイ先生だって、はたけ上忍だって良いって言ってるんだからッ」
「はぁ? 誰がよッッ! 旦那である暗部があんたにオッケー出したって言うの?! 嘘こいてんじゃないわよッ。あれから一度も会ったことない癖にっ」
パンと無防備な頬に張り手されたような言葉に、カッと頭に血が上る。
嘘なんかじゃない、だってそれはーー。
言い返そうとして声が途切れる。
頭では自分の言い分が正しいことが分かっている。紛れもない事実だと言っているのに、どうして言葉が続かない?



口を開いたまま、唇を震わせる私に、マキは深いため息をついた。
「ほら、ごらんなさいよ。何も言い返せないじゃないの。……イルカ。あんたがいらない怪我する前に、はたけ上忍から手を」
「というより、口を引っ込めた方が身のためだーよ、いとの中忍」
声と同時に、大きな背中が割って入った。
ひっと周囲から息を飲む声が聞こえる。
大きな背中で前方は見えないが、マキの気配がひどく怯えているのを感じて、とっさに目の前の背中へ抱きついた。
「ま、待ってください! はたけ上忍ッッ」
抱きついて、横から顔を出せば、はたけ上忍が抜き身のクナイの切っ先をマキの喉元に突き付けていた。
顔面蒼白のマキに、心が痛む。
「はたけ上忍!!」
縋るように見上げれば、はたけ上忍は冷たい眼差しをマキに送っているのに、あやすような優しい声音を私へ向けた。
「うーん、イルカさんの頼みでも、ねぇ。こういう察しのイイ奴ってーのは、後々面倒事の種になるんだーよね。俺、言ったよねぇ? 『余計な真似はするな』って」
クナイを握った手に力がこもる。
「ねぇ、いとの中忍」とはたけ上忍の腕に力が入ったのを見てとり、ぞっとした。
本気だ、はたけ上忍は本気でマキに危害を加えるつもりだ。



「はたけ上忍っ!!」
形振り構っていられず、思いっきり飛び上がってはたけ上忍の背中へ張り付いた。
首に両腕を回して、身を乗り出して耳元へ頬を擦りつける。
「お願いです、はたけ上忍。マキにひどいことしないでください。そんなことされたら、……私、はたけ上忍のこと嫌いになっちゃいそうです」
大好きな人が大好きな友人を傷つける姿なんか見たくなくて、涙腺が緩くなる。
どうしたら止めてもらえるのか分からなくて、お願いですと何度も口に出した。
首に回した腕に力を入れて、何度も頬を押し付けていたら、お尻を支えてくれる手が現れた。
断然楽になった姿勢に顔を上げれば、マキに突き付けられていたクナイはなくなり、怖い顔をしたはたけ上忍は私を優しく見詰めていた。
「…もぉ、ホントにイルカさんはおねだり上手なんだから……。ま、いいでショ。イルカさんに免じて今日のところは見逃してあげるーよ」
ホルダーにクナイを収め、本格的に私を背負ったはたけ上忍は、嬉しそうに笑った。
「ほらー、イルカさん。全然ご飯食べてないじゃなーいの。寂しくて箸が止まっちゃった?」
職員室を一周するように歩きながら、はたけ上忍が私に尋ねる。
確かにはたけ上忍がいなくなったのは寂しかったけれど、でも、ご飯どころじゃなくて、それに……。
「……私、どうしてあんなことを思ったんでしょうか…?」
心に芽生えた疑問が口から滑り出る。
「え?」
振り返るはたけ上忍の顔が、どうしてか遠く感じる。
夢見るような曖昧な感覚の中、一度芽生えた疑問がひどく気にかかった。
「マキの言っていることは、正しい、です…。私は暗部の女としての務めがある。でもそれは任務というよりは、私の意志という意味合いが強いのに。それなのに、私はガイ先生を?」
そして――。



振り返ったはたけ上忍を視界に収めて、何故か涙が溢れ出た。
「どうして、私ははたけ上忍に心惹かれたりしたんでしょうか?」
はっと息を飲む音が聞こえた。
目の前のはたけ上忍の目が厳しい眼差しに変わっていく。
怖い顔だった。マキに向けたような鋭い眼差しが私を射る。でも、止まらない。一度口を開けば、次々と言葉が溢れ出てきた。
「私、私には夫がいるんです。たった一度しか結ばれなかったし、あの時以来会えていません。でも、私、あの人を待とうって、ずっと待つって決めていたのに。どうして? なんで? 私、どうしてこんなこと思ったんだろう。あの人、絶対悲しむのに、今の私を見たらあの人泣いちゃ――」
はたけ上忍から離れるために手を離す。その途端、体を引き寄せられ、腕の中に閉じ込められた。
花の匂いが香る。
懐かしくて優しい香り。



――でも、これは裏切りだ。



離してともがけば、抵抗できないほど強く抱きしめられた。
「駄目です! イルカさんは俺を選ぶんですッ。暗部の女なんて、そんな最低な任務は降りなさい。あなたがあいつを選ぶなら、俺はあいつを殺します。二度とあなたが思い出せないよう、永遠にその存在を葬ってやります」
痛いほど後頭部を抱きこまれ、その言葉に息を飲む。



涙が零れる。
嫌だと思う。でも、同時にその言葉を受け入れてしまいたくなるのはどうしてだ。
自分を抱きしめてくれる両腕があの人の腕であればいいのにと願うのと同時に、はたけ上忍であることが堪らなく嬉しい。
自分の気持ちが分からなくて、気持ちが悪くなる。
頭が割れそうに痛い。
変に泣くからか、鼻の付け根や鼻まで痛くなった。
訳が分からなくなって、私はわめく。
意味不明な言葉の羅列。
分からない、分からない。分からない、分からない、分からない、分からない、分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない。



だって、分からなくさせられた。



「イルカさん!!」
「イルカ?!」



意識が遠くなる間際、声が聞こえた。



『イルカ。イイ男ってのは、父ちゃんみたいな男を言うのよ。間違っても、あーんな見栄っ張りで本心を見せない、物や命令だけでどうにかできると思っている糞ガキを相手にするんじゃないわよ、いい?』



懐かしい、母ちゃんの声だった。






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順調に話が進んでいます!!
そしてカカシ先生はナチュラルにセクハラ万歳です…!