翠玉 11

「解呪は無理だね。一つだけでもややこしいのに、それが七つも掛かって、複雑極まりないものになってる。今までよく無事でいられたね~」
眼鏡をかけた男性が、手に込めたチャクラを解き、ふんわりと笑った。
「ーーちょっと。私が聞きたいのは、気の塞ぐような答えじゃなくて、建設的な助言な訳よ。何のために、私がアンタみたいな頭しか取り柄のない三十路男の食事の面倒をみてると思ってんの?! ここで活躍しないでいつ活躍するっていうの!」
私の肩口から顔を出し、マキは眼鏡の男性に食ってかかる。
男性はマキが作ってくれた焼きめしを口に運び、拗ねたように口を曲げた。
「何だよー。毎日一緒に風呂入って、一緒の布団で寝た仲だろ? そんなつれないこと言うなよ~」
「うっさい! 人聞きの悪いこと抜かすな。そんなの子供の時の話でしょ。あーぁ。全く、肝心なときに役にも立ちゃしないんだから」
ふーと重い息を吐いたマキに、苦笑いがこぼれ出る。ありがとと、マキに言った後、深々と頭を下げた。
「見てくださって、ありがとうございました。ーーそう簡単に解呪できるものじゃないって、薄々分かっていましたから。あのかにちゃんの術に加えて、母ちゃんと父ちゃんの術も掛かってますし」
術を掛けられた鼻傷を自嘲的になぞれば、マキの顔が悲しそうに歪んだ。



マキには、全て話した。
私とかにちゃん、はたけ上忍は昔からの幼なじみだったこと。
母ちゃんがかにちゃんのことを毛嫌いしてたこと。
かにちゃんが暗部に入ると同時に、かにちゃんに関する記憶を封じられたこと。それに加え、母ちゃんと父ちゃんも術をかけたこと。
そして、暗部の女を私に指名したのは、はたけカカシ上忍で、私の旦那さんであること。でも、また記憶を封じられたこと。
私が分かる範囲、覚えている範囲のことはマキに全て話した。



今は父ちゃんの術が発動して、封じられた記憶が思い出せる状態にあるけど、カカシ先生と接触すると吐き気に襲われる。たぶん、父ちゃんの術の反動だと話せば、マキは解術できるかもしれないと、知り合いの元へ連れていくと言ってくれた。
マキと私の休みが重なった今日、会う相手が極度の低血圧だということで、お昼からお邪魔させてもらっている。



「マキー、お茶ー」
「うっさい、役立たず。自分で入れろ」
「えー」と、眉根を寄せる男性は、マキの幼なじみで、特別上忍のはたのオリさんだ。
オリさんは、解術のスペシャリストで、普段は情報部に所属しているらしい。
今し方起きたものだから、寝癖がつきまくった頭で、はんてんと上下ジャージという、だらしのない格好だったけど、物腰は柔らかで何となく信頼していい人に思えた。
「けちー」と、ぶつくさ言いながら、台所に立つオリさんをうろんな眼差しで見送り、マキはため息を吐きながら、散らかっている巻物をまとめ、紙屑をゴミ箱へと放っている。
マキの様子に、定期的にこの部屋にやってきては掃除なりの世話をしていることが窺えた。
「仲いいんだね」
何だかんだ言って、世話女房のように面倒を見るマキが微笑ましい。
見たままの感想を言ったのだが、マキはそうは思わなかったようだ。
「勘弁してよ…。あいつと私は単なる腐れ縁のご近所さんに過ぎないわ。赤の他人だから、赤の他人」
「うっわー。マキは相変わらずきついなぁ」
おじさんちょっと傷ついたと、オリさんは三人分のお茶をちゃぶ台に置いた。
「はー? あろうことなき事実でしょ、事実」
「って言いながら、マキはオレの面倒見てくれる訳ですよ。そこに何か感じると思いません、イルカさん」
オリさんが持ってきたお茶を、マキが手渡してくれる。それに礼を言いつつ、私は曖昧に笑った。
「ちょっと、イルカに話振るんじゃないの! ほら、お茶菓子も持ってきて。甘党のあんたのことだから、何か隠し持ってるんでしょ」
マキは行った行ったと手を振り追い立てる。オリさんは、はいはいと軽い足運びで再び台所へ向かった。



二人のやりとりを見て、いいなと思う。
何だかんだ言いつつも、二人は同じ時間を過ごし、場を共有し、確かな絆を作り上げている。
もし、かにちゃんが暗部に入らなかったら、私たちもマキとオリさんみたいになれただろうか。
少し想像して、苦笑した。
叶わない現実を思い描いてもどうにもならない。私とかにちゃんの関係は、今あるものが全てだ。



私が記憶を取り戻してから、かにちゃんとは会っていない。記憶のない時には側にいてくれて、戻った途端に離れていく。
かにちゃんの真意が見えない。
それが、ひどく苦しい。私の知っているかにちゃんではない人に見えて、とても怖い。
でも……。



「マキの好きな衛門屋のどら焼きだぞ~」
きつね色よりも深い色のどら焼きを卓袱台に置き、オリさんはマキに笑顔を向ける。
マキは一瞬喜色を浮かべ、その後にばつの悪い顔をして咳払いをした。
「…オリにしては、気が利くじゃない」
「それはもう、マキさんの喜ぶ顔が見たいですから」
「棒読みすんな!!」
マキに叩かれて、笑顔を見せるオリさん。
幸せそうな二人に歯を食いしばる。
やっぱり、諦められない。
私も二人のように笑い合いたい。一緒にいたい。側にいたい。
小さいときは、かにちゃんの存在の大きさが分からなかった。いつも一緒にいてくれることが当たり前になっていたから、ずっとこのまま側にいてくれるんだと理由もなく信じていたから。
でも、記憶を戻した今、昔から私はずっと何かを待っていたのだと思う。
両親がいなくなり、引き取り手のない孤児の私が、管理できもしない生家にずっと執着し続けていた。
身よりのない私の当座の資金に、家を売ることになっても、必ず後から買い戻すと胸に誓った。
下忍になってわずかな収入を得られるようになって、家を売った大家さんに、毎月必ずお金を入れた。分割でお願いしますと土下座して、頼み込んだ。
それは全部ーー。



「すいません。私、寄るところがありますので、ここで失礼させていただきます。今日は、本当にありがとうございました。また、お礼に伺います」
どら焼きを頬張っている二人に頭を下げ、立ち上がる。
「っ、ちょ、ちょっとイルカ!」
玄関へと向かう私の後を、マキが慌てて付いてくる。
「マキ、今日は本当にありがとう。今度、マキにもお礼するね。マキはオリさんと一緒にお茶楽しんで」
靴を履き、立ち上がれば、マキも靴を履いている。どうしたんだと視線を向ければ、マキは苦虫をかんだような顔をした。
「あのねー。そんな悲壮感いっぱいの顔したあんたを一人で行かせられる訳ないでしょ」
ほら、どこ行くのと玄関戸を開いたマキに、不覚にも泣きそうになる。
「マキぃ」
本当に私はいい友を持ったと抱きつこうとして、がくんと後ろへと引き留められる。何だと振り返れば、そこには少し眉根を寄せたオリさんが、私の後ろ襟を持っていた。
「うーん。大人げないけど、オレの前でそれは止してほしいんだよね。妬けちゃうから」
平然と言うオリさんに反応する間もなく、マキが声を荒げた。
「へ、変なこと言うな、あほオリ!!」
「真剣に言っているんだけどなぁ」とぼやきつつ、オリさんは私の襟首から手を離し、私の名を呼んだ。
「イルカさん。イルカさんに掛けられた術に関して、とても悪い情報をオレは持っている。その情報、聞きたい?」
出し抜けに言われた言葉に目が開く。
「ちょ、ちょっと、オリ! 何であんたはそういう情報を隠すの…!」
「だって、マキが建設的な助言を言えっていったし。でも、オレとしてはこれは聞いていた方がいいかなーって思ったんだよね」
「……そうやって、あんたはいつも私に全てを押しつけて……。だいたいね、あんたという奴は!」
マキとオリさんの声を聞きながら、鼻傷に触れる。
悪い情報。
嫌な感じに鼓動が早くなるが、それは、今更なことだと頭の中で冷静な自分が呟いた。
幼くして暗部に入ったかにちゃんの術だけでも厄介なものなのに、術でも力技が多い母ちゃんと、緻密な正確さと、トリッキーな性質を持った術式を得意とする父ちゃんの術が、ここに掛けられているのだ。
しかも、今は父ちゃんの術が発動している最中だ。
反動があると分かっていながら、一つの術だけを父ちゃんが施すだろうか。



鼻傷をなぞり終え、小さく鼻から息を吐く。
大丈夫。今の段階で、恐れるものは数少ない。



「オリさん、教えてください」
マキの罵倒をにこやかに聞いているオリさんへ、私は向き直った。



******



「ごめんください」
オリさんの家を出てから向かったのは、私の生家を買い取ってくれた大家さんの事務所だ。
事務所の戸を滑らせれば、私の顔を見て大家さんはいつものように苦虫を噛んだような顔をした。
「あー、イルカちゃん。何度も言ってるようだけど、いくらお金を積まれても、無理なんだよ」
心底困った顔で私に言う言葉も、いつも通りのものだ。
「? イルカ?」
オリさんの家から出てずっと黙っていたマキが、始めて口を開いた。
どういうことだと説明を求められたが、今は黙っていてくれと目配せをし、私は大家さんに切り込む。
「いえ、今日はお金を渡しにきたんじゃありません。今日は、確かめに参りました。私を生家の中に入らせてください」
私の言葉に大家さんが息を飲む。
しばらく目を合わせていたが、大家さんは根負けしたかのように大きくため息を吐いた。
「あー。一体誰が口割っちゃったんだ。絶対に教えるなって先方に言われていたのに、参ったなぁ」
薄い頭を掻きつつ、大家さんは眉根を寄せる。
「どこまで知っているか分からないけど、正直、このまま秘密にしとくのも心苦しかったんだ。何せ、イルカちゃんがこーんな小さいときから、分割払いでお願いしますってお金持ってきてたからね。イルカちゃんのお金は全部大事に取ってあるから」
にっと歯を見せて笑う大家さんの心遣いが、胸に痛い。
「ーーおじちゃん、ごめんなさい。私、なにも知らなくて…」
売れない理由も、それに対して何かを言うこともできなかった大家のおじちゃんの気持ちを考えると、申し訳なくて仕方ない。
おじちゃんの前で泣けば、もっとおじちゃんを苦しめると分かったから、歯を食いしばって涙を堪える。
「いいんだよ、イルカちゃん。先方さんとも知らない仲じゃないし、何たってイルカちゃんはおれにとって、子供みたいなもんだ。迷惑かけられたなんて思っちゃいないよ」
おじちゃんの言葉に、鼻が痛くなる。
九尾の事件で、おじちゃんは妻と子供を亡くした。辛うじて店は残ったものの、食べるものもろくに調達できなかった時、おじちゃんは、顔見知りの私の生活資金のために、破格の値段で生家を買い取ってくれた。そればかりか、分割払いで家を買い取ると言った、11歳の子供の話を馬鹿にせずに聞いてくれた。
お金を持っていった時も、それとなくお菓子をくれたり、もっと肉付けろとご飯を出してくれたり、おじちゃんは私を気にしてくれた。



「おじちゃん、ごめんなさい。ありがとう、ありがとう、おじちゃん」
おじちゃんと過ごした時間が脳裏に蘇って、我慢できずに涙がこぼれでた。見せるのが嫌で、顔を覆って何度も礼を言えば、おじちゃんは鼻を啜って、大きく笑った。
「もう何だい、イルカちゃん。娘を嫁に出すみたいじゃねぇか。しみったれた空気なんか性にあわねーよ。さ、鍵は渡すから、見ておいで。あれは、昔からずっとイルカちゃんの家だ」
泣きじゃくる私の代わりに、マキがおじちゃんから鍵を受け取ってくれた。
「行った行った」と顔を背けて、追い立てるおじちゃんの言葉に押され、マキと一緒に事務所を出る。
「イルカちゃん、今度は茶を飲みにおいで。いつでも、好きな時にな」
出る直前、おじちゃんが言ってくれた言葉に、なお泣けた。



ビービー泣きながら道順を言う私の手を引っ張り、マキは私の生家に連れてきてくれた。
「ほら、鼻出てる。これで拭きなさい」
マキからハンカチを受け取り、「ありがとう」と涙と鼻水を拭いた。いつもならばっちぃと嫌な顔をするのに、今日のマキは優しくて調子狂う。
「マギ、やざじずぎる…」
ぶびーっと鼻をかめば、さすがにマキの顔が歪んだ。だが、すぐさま諦めたようにため息を吐いた。
「まぁ、状況が状況だからね。……あんたがいっつも極貧な理由を今日知るとは思ってなかったわ。この家を買い戻すために、ほとんどの稼ぎをつぎ込んでいたの?」
目の前にある、懐かしい自分の生家を見て、頷く。
父ちゃんの術が発動して、記憶が蘇った私は、ある一つの不自然さに気づいた。
買い取ろうと思っていた家なのに、行こうと思えば行けたのに、足を運ぶことを一度もしなかった。そして、大家のおじちゃんに家について尋ねることもしなかった。
その不自然さと、その理由は、おじちゃんと話したことでおおよその見当はついた。



私が生家に執着し続けた理由。
そして、かにちゃんが私を生家に近づけたくなかった理由。



「たぶん、見れば、マキも分かる」
数十年放っていたというのに、生家の庭はきれいに整えられ、窓にも軒下にも蜘蛛の巣一つない。
明らかに誰かが手入れをしている家の雰囲気に、唇を噛みしめる。
古びた木の枠がついた玄関戸に鍵を差し込み、持ち上げるように回す。
かちりと小さな音を立てて開いた戸を滑らせれば、思った通りの光景が広がっていた。


「はぁぁぁぁっっ?!」
驚愕の声を上げるマキ。
「ちょ、ちょ、はぁぁ?! 何これ、嘘、私、夢見てんの?!」
背後の光を受けて、緑の光が波を打ったように怪しく煌めいた。
目に入る床という床に、緑色の石が敷き詰められた私の生家。



その石の名は、エメラルド。又の名を、翠玉という。
目を凝らせば、その一つ一つがきれいに研がれていることが分かる。
その中、玄関の土間の地肌が覗く場所が、一カ所だけあった。
かにちゃんは私との約束を果たそうとしてくれている。
だったら、私がやるべきことは一つだ。



「……マキ、私、決めた。この術、絶対かにちゃんに解いてもらう」
目を白黒させて屋内を見つめるマキへ、決意表明とばかりに言い切った。







戻る/ 12




----------------------------------------

これまた、底の浅い事実が目白押し…orz
と、とにもかくにも、あと少しだぁぁ!!