幕間 1
ぎらつく太陽と、どこまでも続く広大な砂地。
行けども行けども果てはなく、上下から照りつける日差しが目を眩ます。
喉の渇きを覚え、目の前を通り過ぎる、曖昧とした柔らかいものに縋っても、潤うどころかますます渇きを覚えた。
体中の水分が干上がる。
それでも歩みは止められず、砂に埋もれる足を踏み出し、渇きを抱えたまま一人砂地を行く。
どうして歩いているのか。
どこに向かっているのか。
何を思っているのか。
己の感情が見えない。
茫洋とした砂の地平線に視線を定め、歩く己は何をしているのか。
時折、掠める懐かしい面影に、疲弊した体は前へと進む。
汗は流れ、砂へと吸い込まれる。
その汗に群がるように湧き出る蟻を睥睨しながら、歩みを進めた。
いつ終わるか分からぬ、道ですらない砂を踏みしめ、ただ歩く。
しばらく進んでいくと、砂しかなかった先に緑が見えた。
機械的に近づけば、そこに現れたのは、若々しい苗木だった。
広大な砂地の上に三本頼りなく立つその苗木は、誰かの庇護なくしては、あっという間に砂に埋もれることは想像に難くない。
黄色しか見えなかった己の視界に入った、生命力溢れたその色に、少し心が動いた。
今まで歩き続けていた足を止め、その苗木に寄り添う。
照りつける太陽から守るように、水さえないこの地の代わりに己から出る汗を若い苗木に注いだ。
亀の歩みより遅く、だが、目に見えるほどに苗木は徐々に成長している。
幹から生える枝ぶりも大きくなり、その先に葉を付け始めた。
必死に生きるその苗木が愛おしくもこそばゆい。
力強く成長し続ける苗木に、不意に己の役割を知る。
「――これで、オレも楽になれる」
左目に手を当て、誰になくとも呟いた声は、柔らかく吹いてきた風に流される。
いつも乾いた空気しか運ばない風に、常にない穏やかさを感じ、振り仰げば、太陽の日差しが和らいだことをその身で知る。
場の空気が変わった。
その変化に戸惑いを覚える間もなく、陽炎が立つ砂地に、一人の女がこちらに向かって歩いてきた。
黒い髪に、強い意志が宿る黒い瞳のその顔には、真横に横切る大きな傷があった。
女はこちらを見向きもせずに、苗木の側まで近付くと腰を折り、懐から筒を取り出すと、水を注いだ。
注いでも注いでも砂は水を溜めず、苗木は水を吸えないでいる。そこにあるものが吸えない苦しさに、苗木は喘いでいるようだった。
そうこうしている内に、女が傾けていた筒も空っぽになった。女は空になった筒を逆さに振ったが、水は一滴も出てこない。
筒の穴をしばらく未練がましく覗き込んでいた女は、やがて立ち上がると、どこかへ行ってしまった。
女の後姿を茫然と見送った。
突然の女の登場に驚きはしたが、苗木が無事ならそれでいい。
近寄り、丁寧に苗木の葉の様子を見つめていれば、女は再びやってきた。
その手にバケツ一杯の水を持って。
「何をする」と言う間もなく、女はオレの存在すら気に掛けず、苗木目掛けてバケツの水をぶち当てた。
若い苗木の幹が、横なぶりに降りかかる水の勢いに押されて激しくたわむ。
滴り落ちる水が頬を伝うのを感じながら、怒りで頭が真っ白くなった。
今は大切に育てる時期だ。
土ではない、砂に根を張ることがどれほど大変で大切なことか、女は全く分かっていない。
暴挙に出た女を到底許すことはできなかった。
「二度と近づくな」と殺気さえ飛ばして睨めば、女はようやく初めてオレの存在に気付いたと目を丸くした後、生意気にも真正面から拒絶してきた。
ふざけるなと女の首を締めれば、女に逆襲された。
男の大事なところをかすめた痛みに悶絶しているオレを見下ろし、女は高らかに笑う。
「今後、舐めたこと抜かしやがったら、今度こそ、その玉ぶち抜くッ」
女のあまりな台詞に色々な衝撃が襲う。
だが、これは譲れない。
この苗木の成長はオレの最後の仕事だ。
痛みに痙攣する体を押さえ、振り仰いだ拍子に初めて女の視線と噛みあった。
黒い瞳。
漆黒の、墨で塗りつぶしたような瞳が、わずかに痙攣した。
そうして、女は初めてここが何処かを知る。
目は逸らされぬまま、全身でここがどういう場所かを理解していく女に、笑みを浮かべた。
知らないだろう、と。
お前はこの地獄を見たことも感じたこともないのだろうと。
真っ青な顔で震えだした女に、奇妙な愉悦を覚えていれば、それは突然姿を現した。
目の前に現れた、金色の巨大な化け物。
太く凶悪な鉤爪が並ぶ四本足で広大な砂地を跨ぎ、天を覆うように九本の尾が広がる。
化け物にとって、この地ですら子供が遊ぶ砂場ですらしかないのか、焼け付く太陽をもろともせず、水さえない乾いた空気の中、長く吼えた。
音の衝撃で体が吹き飛ばれそうだ。
瘴気が混じるその声音に、数えきれないほどの仲間たちが絶命した。
狂ったように振り下ろされる尾に貫かれ、消し飛ばされ、その巨大な鉤爪に蹴散らされ、踏みつぶされ、仲間たちは虫けらのように死んでいった。
時折、啄ばむように降ってきた牙に咀嚼され、生きたまま食われた仲間もいた。
大地は仲間たちの血で赤く染まり、誰とも知れぬ体の一部がそこら中にぶちまけられていた。
悪夢のような化け物の再来。
せめて苗木たちを守ろうと体を動かそうとして、初めて気づく。
女の瞳から目が離せない。
一歩も動きだせない。
喘ぐように息をする女の顔は恐怖に引きつっている。
その後ろで化け物は長く吼える。
過去のトラウマのせいか、左目がやけに熱い。
直後、風景が変わった。
薄闇の向こうに、満月が見える。
周囲は白い花が一面に咲き誇り、時折吹く風に、薄花びらが舞う。
その下、できそこないの死体で築かれた小高い山の上、化け物が立っていた。
頭上の満月の白い光を受け、黄金色の毛並みが輝く。
金色の瞳は彼方を映し、何ものをも圧倒する巨大な体躯は堂々とそびえ立つ。
邪悪な忌み嫌われるものとして恐れられ、畏怖されてきた化け物は、目眩がするほど美しく見えた。
物も言えず、固まるオレに、九尾の獣は目を向けた。
禍々しい赤。
人の生き血を凝固して作られた呪われた瞳に魅入られ、オレは瞬きすらできない。
そして―――。
九尾が笑った。
「っ」
悪夢から覚めるように、体が戦慄いた。
周囲を見回し、いつもの砂が広がる地にいることを確認する。
あの化け物はおらず、ここにいるのはオレという存在。
穏やかな風に吹かれ、そよぐ緑の苗木に目を止め、ようやく安堵の息が吐けた。
体中、嫌な汗でびっしょりと濡れている。
あれは何だったのかと袖口で顔を拭った視界に、蹲る女の姿を捕えた。
しゃがみ込み、膝を抱えて、何かから怯えるように体を小さく折り込んでいる。
その体は小刻みに震え、時折、湿った声が漏れ出ていた。
さきほどまでいた傍若無人な女とは思えぬ姿に、戸惑った。
知らず伸ばしていた手を、慌てて引っ込め、蹲る女を見る。
何もない世界でようやく現れた苗木と共に、闖入してきた女。
土足で踏み込み、自分の為すべきことを掻き回す、命知らずな女。
その癖、今の女は何かに怯え、幼子のように小さくなって泣いている。
その存在自体が出鱈目だ。
けれど、女に引っかかりを覚える自分がいるのに気付く。
女の中には、闇がある。
自分と同等か、それともそれ以上の、深く濃い闇が。
自分と女との距離が測れず、蹲り泣く女をただ眺めていれば、空がにわかに曇り始め、やがて雨粒を落としてきた。
恵みの雨。
あの日を境に、一度も降らなかった恵みを仰ぎ見る。
始めはぽつぽつと、直に雨脚が強くなるそれを体中で浴びながら、目を閉じる。
この雨は恵みとなるのか、それとも災いに転じるのか。
左目が、疼く。
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カカシ先生、独白。心象風景だと思ってください……。文才がほしいっ…。