幕間 6
彼女を泣かせた。
涙が痛いものだと初めて知った。
彼女の小さな肩を抱きしめながら、ぼんやりと思う。
もしも彼女が泣くならば、その涙を拭うのは自分でありたいと。
「……それは、わしの言葉のせいか?」
言葉少なに問いかける翁へ、静かに首を振る。
切っ掛けは確かに翁の言葉だった。
けれど、今、彼女の元へと赴くことは、オレ自身が望んでいる。
望み。
自分で思った言葉がおかしかった。
とうに失くしたものだと思っていた、それ。
何も言わないオレに、翁は煙管を咥えた唇を微かに上向かせた。
「これを持って行け」
差し出されたのは、上等の酒。
「今日はあやつの誕生日じゃ。二人で飲むといい」
編み傘の翁は背を向けた。
彼女の誕生日を共に迎えることは、翁の役目だったのかもしれない。
出された酒を手に取り、一礼して翁の元から去った。
彼女の元を訪ねれば、彼女は性別を変えていた。
漆黒の髪、漆黒の瞳。
体格は違えど、彼女が彼女たるゆえんのその存在は、何一つ変わらない。
翁からの酒を一緒に飲みながら、温泉に浸かる。
妙な成り行きになったと内心、戸惑った。
女の身だったならば、無防備なその姿を詰って手を出していただろう。
けれど、男の身だとしても関係ないと囁く己がいることには驚いた。
側に寄りたがる彼女から視線を逸らし、必死に欲望を押さえ込んでいれば、彼女が一歩踏み込んだ。
彼女は笑う。
オレと一緒にいることが嬉しいと。
向き合わないオレを詰りながら、寂しいと拗ねた。
彼女は気付いているのだろうか。
オレが無防備な背を預けている意味を。
警戒心の強い彼女が、黙ってオレに背を向ける意味を。
彼女の背を洗う間、斜めに大きく走る傷を見ていた。
ほんの少し深く、あと少し抉る向きが変わっていたら、彼女は今こうしてここにはいない。
彼女は大したことはないと笑ったが、脳裏に浮かんだ、仮定の想像はオレを臆病にさせた。
残る傷痕は痛々しいものだが、後遺症もなかったことに感謝した。
彼女にこれ以上傷が増えぬように願った行為は、彼女の何かを掠めたらしい。
奥深くに住む、凪いだ時を過ごす彼女と遭遇した。
激しく拒絶を繰り返す彼女を抱きしめ、彼女の血臭を嗅ぎながら、胸が苦しくなるのと同時に、糸口を見つけた気がした。
里長が語った言葉。
彼女が囚われたもの。
彼女の望みを知り得た瞬間だった。
馬鹿な彼女。
可哀そうな彼女。
誰よりも幸せを望んでいる癖に、幸せから遠い願いを望む彼女。
でも、だからこそ、今を必死に生きようと、もがき苦しむ彼女を美しいと、愛おしいと思う。
手を伸ばす。
すり抜ける彼女の心を繋ぎとめるように深く抱きしめた。
彼女を引きとめるのはオレだと、分からせるように。
オレと彼女。
二人が一緒にいるためには、彼女自身、自覚してもらわなければならない。
まずは一歩。
そう思い紡いだ言葉を最後にして、彼女は忽然と姿を消した。
全てはこれからだと決意したオレの手をすり抜け、彼女は消えた。
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淡々とお話は進んでいきます…。ここのカカシは外と内面のギャップが激しい…。