手を繋いで 27

「アンタ、一体何してんですかぁぁぁぁ!!!!」



顔を合わせるなり、鼓膜を突き破らんばかりの声を放たれ、とっさに両耳を塞ぐ。
だが、それが気に入らなかったらしく、手首を掴みあげるなり、眦を上げて私を睨んできた。



「なーに、突然、いなくなってんのよ?! 受付に聞いて、驚いたんだーよ。アカデミーが夏休みに入ったから里外任務に行ったって、アンタ仮にも受付要員でショ? 内外に違いはあれど、任務は任務。アンタのすべきことをしっかりしないでどうすんのよッ。……まぁ、それは百歩譲ったとして、アンタ」
言葉を区切り、唯一出ている瞳が険しくなる。
第二波がくると第六感が察し、耳を塞ごうと腕に力を込めるが、容赦なしに掴んでいるものだから、一向に動く気配がない。
おのれっっ、私にもう少し力があれば……!!
タイムリミットはもうすぐそこだと焦ったが、私の努力は報われなかった。



「なんで、慰安任務なんて引き受けてんのよ?! それでもアカデミー教師な訳ッッ?!?」
ずっがーんと予感に違わず、鼓膜に直撃した音量に、頭が揺れる。
未だ手首は握ったまま離されず、カカシはフーフーとやけにご立腹の息を吐き出しながら、私に視線を向けていた。






ここは、鋼と森の国境地帯。
木の葉の里から、忍びの足で三日程度でつくそこは、鋼と森の国の戦場でもあった。
鋼にはおぼろの里の忍び、森の国には木の葉の里の忍びがつき、数年前から二国は争っていた。
初めの頃は激戦区だったが、最近になって和平交渉の動きが出始め、今は緊張状態を保ちながらも落ち着いていた。
しかし、落ち着いているとはいえ、戦は戦だ。直に収束するだろうといわれてはいるが、小競り合いは続いている。
長期間任務に属する戦は慰安任務が適用される。この度、慰安任務の応募がなされ、私は自ら志願したのだった。



「…これは、はたけ上忍。お久しぶりです。ただ今、任務中ですので、また後程お話を致しませんか?」
がっちりと両手首を捕まれた手を見つめ、離せと眼差しに力を込める。
私の足下には、今朝、隊から集めた繕いものの服が散らばっている。今朝方、通り雨が降ったものだから、服は泥まみれだ。
繕うだけで良かったのに、カカシのせいで洗濯からやり直さなければならない。
舌打ちをつきたくなるのを抑え、カカシを改めて見れば全体的にくたびれている。
売れっ子は大変だと生ぬるい眼差しを注いでいれば、カカシはわずかに露出している肌を真っ赤に染めて、再び怒鳴ってきた。
「後程?! 冗談じゃなーいよッ。アンタ、そんなこと言って、また逃げ出すつもりでショッ! あんな別れ方して、オレがどれだけアンタを探したか分かってんの?! それにねッ、慰安任務引き受けたのがアンタ一人だけって一体何なのっっ」
ガンガンと真上から降り注ぐ怒鳴り声は耳が痛いくらいだ。
その声は周囲に響き、何事だとテントから出てくる気配を感じる。いずれ野次馬どもに囲まれることは、想像に難くない。
面倒だが、ここはカカシの疑問にきっちり答えた方が無難だろう。
早朝に新しい隊長がやってくると知らせが入ってきたが、十中八九、その隊長がカカシのようだし、度々顔を合わせることになりそうだ。
鼻から息を吐いて、口を開いた。
「……カカシ先生、ここじゃ目立ちますので、場所移動しませんか? …と、その前に、今、お時間ありますか?」
一瞬、カカシの目が見開く。
何も言わず頷くのを見て取り、まだ手首をつかんでいるカカシと一緒に地面へ腰を下ろすと、耳元に囁いた。
「洗濯物拾った後、そのまま川べりまで瞬身します」
告げた後、カカシの腕に勝手に泥だらけの衣服を押しつけ、瞬身の印を組んだ。
ちょっとと文句を言いつつも、未だ私の手首から手が離れないのが不快だった。



「…で、一体何ですか? 何か私に聞きたいことがあるなら、今聞いてくださいね」
川べりに到着した後、ようやく手を離してくれたカカシから衣服を奪い取り、洗濯を開始する。
先ほど怒鳴ったときとは別人のように、カカシは口を閉ざしていた。
視線を後ろに向ければ、後頭部を掻きながら居心地悪そうにしている。
一体何を考えているのか、さっぱりだ。人前で怒鳴れる癖して二人っきりになった途端、だんまりとは変な奴。
鼻を鳴らし、知らず止まっていた手を動かす。泥だけがついている物がほとんどだから、洗い流すだけで十分だろう。
黙々と手を動かしていると、隣にカカシが来た。そのまま座り込んで、頼んでもいないのに洗い始める。
それは私の仕事ですと言うより早く、カカシが口を開いた。



「何かしてた方が話しやすいから、……手伝わせて」
驚くほど弱々しい声音に、出かかった文句の言葉が掻き消える。
カカシは私の右に座っているから、額宛に隠れて表情を見ることができない。
煮え切らない奴だと思いつつ、仕事が早く済む分には有り難いので申し出を受けた。
「…それは助かります。で、カカシ先生は私に何をお聞きになりたいんですか?」
衣服を掴んで、川の水に突っ込む。流れる水は冷たくて気持ちいい。
ここら辺の川は、砂ではなく石が敷き詰められているから、有り難い。砂場だったら、衣服に砂がまとわりついて、取るのに苦労するのだ。
今、昼過ぎ頃だから、これから干せばすぐに乾くだろう。それから繕えば、夜の慰安任務には十分間に合う。
カカシに迷惑料と称して、干すのも手伝わせてやろうかと考えていると、ぽつりとカカシが問うてきた。



「……オレから、どうして逃げたの?」
手が止まる。
カカシの問いかけが馬鹿らしくて、笑い出しそうになった。
「何言ってるんですか? 私がどうしてカカシ先生から逃げ出さなきゃいけないんですか」
訳が分からないと、肩を竦める。
「……そう? アンタ、あれから自分の家にも帰らなかったじゃない。オレ、アンタのこと待ってたのに」
責める口振りに、神経を逆撫でられる。
だからだ。だから、私は家に帰らなかった。お前がいるせいで、私は帰れなかったんだ。
飛び出そうになる罵声を歯を食いしばってやり過ごす。無言でいれば、カカシは「ま、いいけど」と小さく呟いた。
「短期の任務を繰り返し引き受けていたみたいだし……。それで、今回はなーんで慰安任務なんか引き受けてる訳? アカデミー教師の癖に。今時、慰安任務を志願する奴なんていないよ?」
カカシの視線がここに来て、ようやくこちらに向く。それを真っ向から見返して、私は眉根を寄せた。
「……カカシ先生には全く関係ないことでしょう?」
その一言に、カカシの目が大きく見開いた。
なんでそんなに驚いた顔をするのか意味不明だ。しかも、どことなく傷ついた感じの気配を滲み出すカカシに、嫌気が差す。
私とカカシは無関係だと、もう一度言おうとすれば、ぷるぷる震えだしたカカシが金切り声をあげた。



「ア、アンタ、よくも抜け抜けとそういうことが言えたもんだーねッ! 勝手にオレの忍犬になりたい、『ご主人様』って散々っぱら言ってた癖にッッ」
うっっと思わず息を飲む。痛いところを突かれた。
言葉に詰まる私に畳みかけるように、カカシは言葉を続ける。
「オレの手料理散々っぱら食ってた癖にッ! きったないゴミ部屋を、誰が毎日掃除してたと思ってんの?! そのキューティクルが剥げかかった髪の手入れだって、吹き出物が出ていた肌の改善ならびに、体調の管理だって、完璧にこなしてたのは、一体誰?!」
そういえばと、カカシと一緒にいた時を思い出す。
よくよく考えれば、何故か私の部屋にカカシはいた。まるで同居しているかのように、カカシは私の部屋に帰り、一緒にご飯を食べ、寝て、アカデミーなり任務先なりに行っていた。
あまりにも普通に私の部屋に帰ってくるので、何とも思っていなかった。
一体、どうした自分と己を罵倒していれば、カカシは右目に涙を滲ませ、詰ってきた。


「いっつも一緒にいた人がいなくなったら心配するの、当たり前じゃない。……オレがどれだけ心配したか、分かる?」
静かに伝えてきた言葉に、思わず視線を逸らした。
本当に心配したのだと伝えてくる眼差しに晒されて、居心地が悪くなる。
語る言葉がなくて、唇を噛みしめて黙っていれば、不意に痛いほどの視線が外れた。
「……もう、帰りなよ。アンタの居場所はココじゃない。木の葉の里の、あの部屋だ」
本気でそう思っている言葉に、泣き出しそうになった。
だから、嫌だった。
カカシといると泣きたくなる。期待してしまう。すがりついてしまいそうになる。
その先に未来はないのに、そこに幸せなんてものはないのに。



「カカシ先生が、口出しすることじゃ、ない……」
傷つけるために出した声は、聞いていられないほど弱々しくて、失敗したと唇を噛んだ。
衣服を川底の石に押しつけたまま、俯く。
流れる川を見つめる。
衣服に付いた泥は流れに乗って去っていくのに、私の爪にはまだこぎりついて残っている。
「……イルカ」
名を呼ばれた。
それに答えずに俯いたままでいれば、カカシの手が肩にかかる。
水に濡れたしっとりとした感触が肩に乗る。そのまま引き寄せられるように体を開かされた。
眉根を寄せたまま、下げていた視線を上げれば、優しい眼差しをしたカカシの目とぶつかった。
灰青色の瞳。
カカシ本来の色。
里の至宝と呼ばれる赤い瞳よりも、私は灰青色の瞳の方が好きだった。
煙るような色の中に、家族で一度見に行った大きな海が見えるようで、懐かしさを覚えるから。
その瞳に、泣きそうな顔をした自分を見て、嫌になった。
映し出された私は泣きそうではいても、悪感情を浮かべていない。それどころか柔らかい感情を抱く自分に嫌悪を覚えた。



「イルカ…」
甘く呼ぶ声は、私の名を呼ぶ。
それが優しくて温かいほど、胸が痛い。
瞳に映る私の目から涙がこぼれ出た。流れ落ちる涙は止みそうにない。
カカシは私の名をもう一度呼びながら、口布に手をかけーー



「お、イルカー! 今晩、よろしく頼むぞっ。この長いだけの任務に就いた甲斐があったってマジで思っ……、あ、あれ?」
突然、放たれた声に、我に返る。
ぐいっとこぼれ出た涙を袖で拭い、今晩の慰安任務の相手であるホムラ上忍に向き直った。
「あ、ホムラ上忍。ちょうど良かったです。確認ですが、今晩7時でよろしいですか? その後にも何件か入っているもので……」
立ち上がって、ホムラ上忍の元へと駆け寄る。バックパックに入れていたメモ帳を取り出し、変更がないか確認する。
ホムラ上忍は、階級に関係なく話しかけてくれる、数少ない気さくな上忍だ。そして、常連さんの一人でもある。
まぁ、気さくというより、階級に応じて態度を変えるのが面倒臭いとあっけらかんと笑うような人で、任務先で一緒になると、度々お世話になったりしたりしている間柄だ。
「え、えっと、あれ? そ、その変更はな、ないんだけど……。お、おれ、今回は止めとくわ……」
「え?!」
突然、辞退を申し出た、ホムラ上忍には仰天した。
慰安任務で来ていない時だって、頼む頼むと土下座する勢いでお願いしてくるほどなのに、一体どうしたことだろう。
「ど、どうしたんですか、ホムラ上忍!! 私が専属で慰安任務するなんて、これから先あるかないか分かりませんよ?!」
今回は火影さまの了承を得られた、数少ない正式な慰安任務だ。その了承だって、『本当はいかんと言いたいところを任務先で直訴が多かったから仕方なく了承したんじゃ。期間は三日間。それ以上は認めん』と気炎をあげんばかりだった。
いいんですかと、詰め寄れば、ホムラ上忍は私に情けない顔を晒した後、背後の何かを見つめて、顔色を青ざめさせた。
「……いや、いい。……お、おれは、まだ! 死にたくないんだー!!」
「ホムラ上忍ーー!!」
くっと口を覆って、ホムラ上忍は乙女走りで、脇の小道へと走り去ってしまった。



一体どうしたんだと、引き留める暇もなく上げた手を下ろしていれば、横から手が伸びた。
「ふーん。これはこれは、お忙しいスケジュールなことで。3日間みっちり慰安任務入っているとはねー。しかも、19時から3時まで? 1人1時間で、へぇ〜、3日間で24人の相手……」
「ちょ、何ですか! 勝手に人の物見ないでくださいッッ」
飛び上がって取り返そうとするが、カカシは頭上よりも上に掲げており、全く手が届かない。
ぴょんぴょん、カカシの周りを飛び跳ねていれば、カカシは決めたとぽつりと呟いた。


「アンタに、慰安任務はさせません。どうしてもやりたいなら、オレを相手にしなさい」
突然の爆弾発言に、開いた口が塞がらない。
「はぁ? 一体何を言ってるんですか! そんなの無理ですッ。みなさんと約束しましたし、そもそもこれは任務ですよ、任務!!」
何を寝ぼけたことを言っていると、詰る直前、カカシは私のメモ帳を握りしめ、口布の上からでもわかるほどの残忍な笑みを口元に浮かべた。
「大元の任務が終われば、アンタの任務は用済みになるでショ?」
カカシの言葉の意味が、そのときの私はこれっぽっちも理解できていなかった。







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『ちっ、いいところで』編。
すこーしずつ話が進みます。