手を繋いで 28
侮っていた。
奴の実力は本物なのだと、今日ほど思い知らされたことはない。
緊急召集がかけられたのは、篝火が立ち始める夕暮れ時だった。
私の視線の先には、明日撤退する旨を告げる、隊長としてのカカシがいた。
撤退の理由は、至極簡単。
水面下で進行していた、鋼の末娘と森の国の時期国王の婚姻が今日めでたく結ばれ、両国は同盟国となった、という話だ。
寝耳に水のこの状況。
長期間、前線についていた忍びたちでさえ知らなかった、極秘裏に進められていた話に、場は大いにざわめいた。
ざわめく忍びたちを宥めながら、事後処理の指示を出すカカシが、一瞬私に向かって、視線を向けたのは見間違いではなかろう。
この結婚の一件。絶対にカカシが何か絡んでいる。
昼間に言われた言葉が脳裏を駆け巡る。
実力がある奴っていうのは、こういう時、厄介だと思う瞬間だ。
解散を告げられ、明日の撤退の準備にかかる忍びたちの中で、私は一人ぽつねんとその場に残っていた。
何故かって?
集合がかけられる前に、カカシに耳打ちされたからだ。
『アンタは残っていなさい』と。
人影がまばらになった頃を見計らい、カカシはいつもの猫背で私に歩み寄る。
無言で近づかれると、変質者のようで不気味だ。
どことなく身構えて待っていれば、カカシは私を通り過ぎ、そのまま歩みを進めた。
「…オレの天幕に行くよ」
ついてこいと、背中を向けたまま言われ、私は「はい」と下っ端らしく返事する。
歩いている時も、カカシは終始無言で、前を行く背中でもオレに話しかけんじゃねぇオーラを発しまくっていた。
カカシは何故かすこぶる機嫌が悪いようだ。
しばらく歩いていると、一際大きな天幕が見えてきた。あれが、カカシ専用の天幕なのだろうか。
見ている側で、カカシは迷わずその中に入っていく。カカシが入るとき、入れとも言われなかったが、ついてこいと言われた身なので、素直に天幕へと足を踏み入れた。
「失礼します」
滅多に立ち入れない、隊長クラスの天幕はどのようになっているのだろうか。
物珍しくて、きょろきょろと視線を動かしていれば、入ってすぐ横のところにいたカカシに、突然、腕を捕まえられた。
あ、と思う暇もない。
カカシは私の腕を強引に掴み、歩みを進めた。そして、たたらを踏む私を力任せに、寝台へと投げ飛ばした。
がつんではなく、ぽふんと背中を包んだ寝台に、ありえねぇと心の中で叫ぶ。
里の私の寝台と良い勝負の質感を伝えてくる、隊長クラスの寝台の存在に衝撃が隠せない。
中忍に用意された簡易寝台は、地面ですかというほど固い。
さすが隊長。さすがは隊のトップ。
自分の生徒たちにも、ぜひともこういうVIP待遇を勝ち得てもらいたいものだ。
戦場での寝食はいいに越したことはない。
しみじみとその柔らかさを全身で味わっていれば、不機嫌な声が上から降ってきた。
「それじゃ、やってもらおうじゃない」
額宛と口布を取り払い、素顔を晒したカカシが、覆いかぶさる。
ぎしりとカカシの体重を受けて軋む寝台と、性急なカカシに私は唖然としてしまう。
「ちょ、ちょっと待ってください。やるといっても準備があります。それにこの体勢だと無理です」
取り囲うように圧し掛かってきたカカシの肩を掴み、突っぱねる。すると、カカシは眉根を跳ね、鼻で笑ってきた。
「オレに意見できる立場だと思ってんの? これは慰安でショ。アンタは、黙って従えばいいのよ。そうしたら、今まで経験したことないこと味合わせてあげーる」
他の奴らとしたことなんて忘れちゃうよと、自信ありげに言うカカシに、眉根が寄る。
こいつは一体、何を言っているのだろう。
「……はたけ上忍、それはこちらの台詞です。予約を入れた覚えはないですけど、隊長命令で仕方なく、しかたなーく、私はここにいるんです。……はたけ上忍には、責任を取ってもらいますからね」
きゅぴーんと、鋭い眼差しを向け、私は手首を慣らす。
慰安任務に向けて、はりきって自主トレを重ねてきた努力が惜しくて仕方ない。
こうなれば、カカシに私の持てる技、全てをぶつけてやる。
「言うねー。いいでショ。アンタの実力とやら、しっかりと見せてもらおうじゃない。森の国でも、慰安任務引き受けたんだって? 未だアンタにご執心の様子だったけど、オレはあんなヘボ国王とは経験が違うからーね」
静かに闘志を燃やす私に、カカシは水を差してくる。
そればかりか、物腰が低く、いつも微笑みを絶やさず、一介の忍びにまで気を配ってくださり、『疲れた時には甘い物がいいですよ』と、国王さまの三時のお茶請けに出た羊羹を、自ずから二つに割って、『一緒に食べましょう』と言ってくださった、人格者な森の国王さまをヘボ呼ばわりしやがった!!
「…はたけ上忍。依頼主でかつ、木の葉に友好的、しかも大口顧客で多大な貢献をしてくださっている森の国王さまを侮辱するのは、どうかと思いますが?」
ひくりとこめかみを引くつかせれば、カカシも頬をひきつらせた。
「へぇー、アンタ、ジジ専って奴? 火影さまともずいぶん仲がいいみたいですし、あのつるっぱげ国王とも懇ろな関係だったわけですかぁ」
色違いの瞳が嫌な感じで撓む。
腹の奥底から、むかつきが沸いてきた。
「あはっはははははは、はたけ上忍、冗談も休み休みにしてくださいね。あの高潔な森の国王さまのつるっぱげはイカすつるっぱげです。どこの誰かは申しませんが、将来、天辺禿げがきそうな髪薄、軟弱な毛根の、性格も軟派な男よりは、男らしくてとても素敵だと思いますけどー」
「言っとくけど、オレの家系、禿げいないから。っていうより、アンタの家はどうなのよ。先祖代々、禿げてるよーね? しかも前方後退禿げ。もしかしてアンタがいっつもその髪型なのって、将来禿げた時の言い訳? それとも、隠すより晒した方がダメージ少ないって考えてるの?」
ど、どうしてそれを?!!
まさか、まさかのうみの家の秘密を暴かれるとは思っておらず、衝撃が走り抜ける。
うみの家にあったご先祖様の写真は、老いると誰もかれもが前方後退の被害に遭っていた。
幼い時、不思議に思って父ちゃんにその訳を聞けば、父ちゃんはどこか悟りきった頬笑みを浮かべ、私にこう言った。
『イルカ。髪を伸ばすなら、父ちゃんのように結びなさい。隠すより晒した方が違和感は少ないんだよ』
ぽんぽんと両肩を叩く父ちゃんの後ろに、他家から嫁に来た母ちゃんは顔を背け、ぷるぷると震えていた。
うみの家は、男性が禿げるばかりでなく女性も禿げる家系だった。
「な、何を言ってるんですか?! そんな根も葉もなく、言いがかり的なことを言われては、対応に困ると言うか、お話しにならないというか、ふざけんじゃないこんちきしょーって、ばかぁぁぁぁぁ!!!」
子供心に悟った、「あぁ、将来、私もあの写真のように禿げちゃうんだ」という、物悲しい記憶を思い出してしまい、思わず顔を覆ってしまう。
「……え? や、そうやって本当に傷つかれると、こっちも困るというか……」
「傷ついてません!! これは武者震いですッッ。今から、はたけ上忍に味わせる、数々の絶技を思って、武者震いしているだけです!!」
くっそ、余計なことを思い出せやがって、こんの毛髪ボーボー男がぁぁぁ! お前なんか、突発遺伝子でその髪まるごとツルッパゲになっちまえばいいんだッッ。
きぃぃと怨嗟と羨望の眼差しをもって睨めば、カカシは身を起こすなり、私から視線を逸らせ、頬を掻いている。
余裕か。それは余裕の態度だな?
こうなりゃ、全力など手温いわっ! 私の魂全部、こいつに注ぎこんで、口封じしてやる!!
「やりますよ、はたけ上忍」
カカシの体をすり抜け、私は寝台の横へと立つ。
カカシはどこか気まずげな表情を一瞬浮かべたが、小さく息を吐くと、口端を歪めて私を見上げた。
「どーぞ。それじゃ、お手並み拝見と参りましょうか。言っとくけど、オレからは一切何もしなーいよ。アンタが勝手に動いて、勝手にやってよ」
カカシは言うなり、寝台に腰かけ、両手を後ろにつき、足を広げている。
一切、何もしないと公言するカカシに、眉根が寄る。カカシにしてもらうことはほとんどないが、二つあるのだ。
眉根を寄せたことに気付いたのか、カカシは小さく笑った。
「なーによ、できないって? なら、お願いしてよ。そうしたら、動いてあげてもいいーよ」
横柄に言ってきたカカシに、内心むかっ腹が立ったが、任務中、そういう態度の輩もいたので、まぁ、想定内といえば想定内だ。
一つ息を吐き、お仕事、お仕事と胸の内で呟く。そして、深く腰を折った。
「お願いします。任務遂行のためにも、ご協力をぜひともお願いします」
突然、腰を折った私にびっくりしたのか、カカシの気配が揺れた。
いつも思うことだが、『お願いしてみな』と言われたから、お願いしているのに、どうして皆、一様に驚くのだろうか。
顔だけ上げて、カカシに言外に尋ねる。
お願いしたんだから、協力しますよね?
「っ、ったく、なーによ。言ってみればいいじゃない」
視線を逸らし、頭を掻き混ぜるカカシに、協力は取り付けたとみて、私はカカシに立つよう促す。
言われるがまま立ったカカシの前に立ち、私はベストを脇に置き、その上に額当てを落とし、両手を真横に広げ、言った。
「はたけ上忍の気の済むまで、身体検査してください」
始め、カカシは突っ立ったままだった。
やけに動く素振りを見せないので、もしかして立ったまま寝たかとベタなことを考えていれば、突然、カカシは体をびくつかせ、口元を手で覆うなり、顔を真っ赤に染まらせた。
「……はたけ上忍?」
様子がとにかくおかしいことが気にかかり、覗きこむように窺えば、カカシは一歩後ずさり、「は、破廉恥なっ」と声を震わせた。
ハレンチ? 破廉恥ー?
一体何だと眉根を寄せる私の前で、カカシは大いに葛藤していた。「これはかの有名なイチャパラ、ゆきちゃんのお願いフレーズっ」「なんだこれは、オレは今、夢を見ているのか、夢の中にいるのか!」だりなんだり、口走っていて、とても気色が悪い。
「……はたけ上忍。いい加減、腕上げているの疲れるんですが、とっととやってもらえませんか?」
やる気ないなら帰るぞと口から出そうとした直前、カカシはうおっほんと大きく咳払いを払うなり、非常に畏まった顔をして、背を伸ばした。
「…や、やりますよ」
「はい、どうぞ」
気軽に頷けば、ごくりと生唾を飲む音が聞こえた。
ぷるぷると震えてこちらに向かってくる両手が不可解で仕方ない。検査如きで何を緊張しているのだと、慎重なカカシに呆れ返った。
「…いつも、こういうことさせるの?」
手の平が肩に置かれる。
確かめるように手を這わせるカカシに、勿論と頷けば、カカシの顔が痛みを覚えたように小さく歪んだ。
何でそんな顔をするのだろうと、不思議に思った直後、
「――これも、アンタの手管って訳ですか」
忌々しいと舌打ちを打った瞬間、カカシが抱きついてきた。
身体検査で普通抱きつくかと、疑問符を飛ばしていると、カカシは私の背を撫でさすり、徐々に手を下へと移動させていく。
「むかつく」
ぽつりと耳元に落ちた声には、苦悶の響きが混じっていた。だが、そのことを問おうとした私の声は、息を飲む声に取って代わられる。
「は、はたけ上忍?!」
何故か、カカシの両手が尻を掴んでいる。軽いタッチではなく、ぐわしっと効果音がつきそうなほどの力の入れようだ。
そんなところに暗器が入っている訳ないだろうとびびる私に、カカシは首筋に顔を埋め、「本当にむかつく」と小さく悪態をついた。
一体、何がカカシをむかつかせているのだと、焦る私を置き去りにし、カカシは手を腰元に移動させるや、脇腹を撫で上げ、胸元に辿り着いた直後、ぐいっと下から上に持ち上げた。
……はい?
そしてそのまま胸を包むように揉み始め、尻にあった手も内へと移動し始めたではないか。
放心したのは一瞬。だが、次の瞬間、口よりも先に手が動いた。
「ッ、このど変態がぁぁぁぁ!!!!」
言い終わるより早く、カカシの頭へ拳が埋まる。
声もなく蹲るカカシから距離を取り、両手で肩を抱いて、全身で叫んだ。
「カカシ先生は捕虜を身体検査する時、こういうことしちゃう輩だったんですか?! うわ、どん引きッ。マジで軽蔑するッッ」
うぞぞぞぞぞと背筋に悪寒を感じ、肩を何度も摩っていれば、カカシは体をふらつかせながらこっちに噛みついてきた。
「何言ってんのよっ! 捕虜にあんなことする訳ないでショ。危機管理以前の問題…って、違う!」
何が違うんだと胡乱な目で見詰めれば、カカシは指を差して非難した。
「だいたい慰安任務で『身体検査』なんて言われたら、普通するでしょー?!」
「する訳ないじゃないですか!! 一体、何を見たらそんな発想が……」
しゃがむみこむカシの腰元のポーチへと目が引き寄せられる。わずかに膨らむそこには、ナルトたちが常々口に出していた悪書が収められている。
「……イチャパラですか…。訂正します。カカシ先生はど変態ではなく、キモオタだったんですね…」
現実と本の中の世界を区別できなくなった残念な男に、私は同情の眼差しを注いだ。可哀想に…。なんて可哀想な男……。
すんと鼻を啜れば、カカシは顔を真っ赤にして食ってかかる。
「キモオタじゃなくて、ファン! それにね、残念ですけど現実と本の世界の区別くらいちゃんとつきますよ。というより、アンタ、慰安の意味、分かってんの?」
惚けたことを聞いてくるカカシに、私はこれ以上もなく深いため息を吐いてやる。
やれやれ、この御仁は全く分かっていないようだ。
「カカシ先生。私が何故、前線で指名率No1の座についていたのか。それは、従来の慰安ではない、真の慰安の術を身につけているからです」
「……真の慰安?」
訝しげに繰り返すカカシを鼻で笑い、私はここぞとばかりにとっておきの切り札を出した。
「そう! そしてその真の慰安で行われる閨房術は、ガイ先生の指導の元で完成したのですッッ」
ずばーんと言い切った私に、カカシの口がぱっくり開く。そして、その口から声が迸った。
「はぁぁぁぁぁぁぁ?!」
戻る/
29へ
---------------------------------------
カカシ先生は何気にイルカ先生の周辺を嗅ぎまわっています設定。
万歳、捏造。
そして、慰安任務編は、もう少し続きます…。うーん。収まりきらなかったか…。