手を繋いで 29
よほど衝撃的な事実だったのか、カカシは口を開けたまま、こちらを見上げている。
恋の駆け引きにおいて、私がカカシよりも優位に立てる唯一のカードなだけに今まで隠していたが、ここが使い時というやつだろう。
くわっと目を見開き、私は息を吸う。
さぁ、今こそ、明かす時! 今まで火影さまにしか話した事がなかった、うみのイルカとガイ先生の愛の閨房術の成り立ちを!!
「聞きたくない」
声を発する直前、びたんという音と共に口の周りがひりひりした。
出鼻をくじかれたばかりか、そのまま口を覆う、大きな手の平に、私は憤慨する。
「っっ、むーんむむ!!」
口封じをしてくるカカシの手を掴んで遠ざけようとするが、カカシの掌はぴたりとも動かない。そればかりか、小刻みに笑いながら、死んだ魚のような目で私を見下ろした。
「た、たかが閨房術でショ。そ、そんなの、たかが閨房術じゃない。別に何とも思いませんよ。たかが閨房術だもの。そう、単なる任務。単なる閨房術。誰とでもやるようなことだもの。そんな衝撃受ける訳ないじゃない」
そうよ、そうなのよはははははと、棒読みで呟き始めた時点で、カカシの精神崩壊具合に動揺が走る。
恋の敵役とはいえ、言ってはならないことだったのだろうか。
いやいや、敵に情けをかけるな、イルカ!
昔の武将は敵に塩を送ったかもしれないが、今は現代! そんなことしたら、こっちの首が危うくなるだけなのだから!!
恋に情けは無用!!
くわっと目を見開き、ゴールドフィンガーをカカシの鼻の穴にお見舞いする寸前、カカシの手が離れた。
ようやく分かったかと、はりきって喋ろうとした次の瞬間、とんでもなく柔らかいものが唇に張り付き、目の前にはぼやけた輪郭が映り込む。
「ん、んんんん??!!」
瞬間、呆けてしまったが、続けて口の中に入り込んだ軟体物に正気に返る。
何故、カカシの唇が私の唇に押しつけられているのか意味不明だ。
どうした、気でも触れたか?! つぅか、貴様。私がガイ先生と晴れて結ばれた日のために、大事に取っておいたものを何故今ここでお前が奪う?!
「うー、うううう! んん!」
髪を引っぱったり、肩を叩いたり、思いつく限りの抵抗をしてみるが、がっちりと抱きすくめられ、抵抗を封じられてしまう。
ならばと、顔を振って顔を避けようとしたが、後頭部に添えられた手がそれを許さない。こちらの意を解さず、横暴なまでに咥内を好き勝手に這い回る舌に、血の気が引くと同時に、それだけではない熱を感じて戸惑った。
思うように息が吸えないせいか、頭がじんわりと霞がかってくる。
「っ、ぁ」
一瞬ずらしたカカシの唇の合間から聞こえてきた己の声に度肝を抜かれた。
鼻にかかるような甘えた声。一体、誰が出してんだと現実逃避を試みるが、ここにはカカシと私しかいない訳で。私が息を吐いた瞬間出たものだと頭は理解している訳で。
うああぁぁぁぁぁぁぁ、こんの陰険サド男め! さては私とガイ先生の愛のメモリーを聞きたくないがための暴挙及び、私の弱みを握って牽制するつもりかぁぁぁッッ!!
『イルカ先生って、俺とキスしたことあるんだーよ。……ガイ、悪いことは言わない。あんな貞操観念薄い女より、お前のことを一番分かっているオレと……』
『カ、カカシ…』
夕日が沈む海をバックに、カカシがガイ先生の手を握り、お互いに情熱的な視線を向けている。
そして、ガイ先生は……。
「んむんむむっむむんんん!!!」
認められっかぁぁぁぁ!!!
脳裏に流れた、まるでドラマのワンシーンのように重なり合う二人の影に、脳内血管がぶち切れた。
閉じかけそうになった瞼を見開けば、瞼を閉じたカカシの顔がなんとか認識できる。
はっ、がら空きだぜ、色男ッ! くらえ、我が怒りの噛み切り歯!!
「ッッた!!」
容赦なく噛んでやれば、口を押さえてカカシが寝台の上に飛び退いた。
「し、信じらんないっ。普通、あそこで噛む?!」
驚きの顔を晒し、私を見上げる男に、私はポーチの中からお札とクナイを手にとり、はっと鼻で笑った。
乙女の接吻を奪っておきながら、ライバルの誼で舌を噛みちぎらず、端の端っこだけに止めた私の優しさが分からないというのか。
だが、それよりも。
「な、なによ…」
寝台の上に乗ったカカシを追うように、私も寝台の上にあがり、四つん這いでカカシに迫った。
もう確認云々などまどろっこしい。早々に仕上げてやる。
「全力でやらせていただきますからね…。もう勘弁してって言っても、許しませんからね」
カカシの胸を押し、寝台に背をつけたカカシの体にまたがる。
最初こそ、おろおろと左右に視線を飛ばせていたが、私がカカシの腰に座ると同時に、カカシは眉根を潜ませ、次の瞬間、小生意気にも鼻で笑いやがった。
「その台詞、そっくりそのまま返してあげるーよ、イルカせんせ。ガイとのことなんて忘れさせてあげる」
挑発的な笑みを向けられ、私はあえて否定せずに手に持った札を天幕の壁へ張り付ける。
「それじゃ、音封じのお札貼っときますね。それと、私が信用ならないようなら、このクナイで私を殺しても構いません。この任務中の間は、私の命はあなたのものです」
言いきった直後、カカシの表情が固まる。
反らされない視線を受け止めながら、寝台の脇にある机にクナイを置いた。
「……は?」
遅れて、カカシが顔を歪めた。問い詰められる気配を感じ、それより早くカカシの手のひらに自分の手のひらを重ねる。
「アンタ、何言ってーー」
怒気すら感じさせる低い声が、胸をざわめかせる。それに気づかない振りをして、にやりと笑ってやった。
「言っておきますけど、お札はカカシ先生のためのものですから」
意地悪げに言った私の言葉に、きょとんと無防備な顔を晒すカカシをほくそ笑み、右手で練り上げていたチャクラを一気にカカシへと流し込んだ。
「っっ、あ、あああああああああああ??!!」
******
「……いい加減、泣き止んでくださいよ。私の閨房術受けたら、あれくらいの声、皆さん出してますから、気にすることないですって」
寝台の中で蓑虫になったカカシに視線を向けながら、バケツの中に手を突っ込んで、水をかき回し、私は慰めの言葉をかける。。
閨房術をし終え、失神するかのように眠り込んだカカシを尻目に川に水を汲みに行って帰ってくれば、カカシは寝台の上で毛布にくるまって、しくしく泣いていた。
思わず指を指して笑ってしまったが、そのことはちゃんと謝ったし、何度も何度も大丈夫、問題ないと声をかけているのに、かれこれ一時間近くずっとめそめそ泣いている。いい加減、付き合うのも疲れたというのが、本音だ。
はぁとため息をつけば、私の心情を代弁していたことがばれたのか、カカシは前にも増して、うぇうぇっと泣き始めてしまった。
一体、どうしろって言うんだ。大抵、私の閨房術を受けた方々は、始めこそ戸惑うものの、終わった直後は晴れやかな笑みを浮かべて、「最高だった!」と握手や、時にはがっしりと抱きついてくるのに。
もしかして、カカシは気に入らなかったのかなと、初めて閨房術が通じない人物に出会ったことに、密かな挫折を覚えていると、毛布からごにょごにょと何かつぶやく声が聞こえてきた。
小さすぎる声に、バケツと一緒に寝台へと近づけば、何とも聞き辛い小さな声でカカシは言った。
「……どエロ、変態、強姦魔」
あぁん?と、私が抗議の声をあげるよりも早く、カカシは涙で塗れた声で私をねちねち詰ってきた。
「あんなこと初めてだーよ。何なの、あれ。何よ、あれ。気づいた時には、アンタのチャクラが体に回ってて、こっちは初めての感覚でついていけないっていうのに、アンタってばぐいぐいぐいぐいお構いもなしに、オレの体に入り込んで、もう止めてって何度も言ったのに、黙ったままでオレの言葉なんて何一つ聞かないし、ぜんぜん止めてくんないし、頭から足の爪先まで、全部、アンタのでいっぱいになって、いっぱい、いっぱいで、それなのに、まだアンタはどんどん責め立てて、オレ、オレ、もうっっ」
ひくっと大げさに息を吸った直後、
「お婿にいけない体にされたぁぁぁっぁあ」
わぁぁぁぁぁと、力一杯泣き叫ばれた。
おまえ、婿志望だったのか?
いやいやいや、それよりもだ。
あまりの言いように、かちんと頭にきてしまった。バケツから手を抜き、毛布を掴んで思い切り力を入れる。
「ちょっと、人聞きの悪いこと言わないでくださいよ! だいたい私は最初に言いましたよね。全力でいきます。勘弁してって言っても許さないって、ちゃんと言いましたからねっ」
人のことを、初心な町娘を蹂躙した悪代官のように言いやがってと、怒りのまま毛布をはぎ取ろうとすれば、カカシは毛布を抱き込み、悲鳴をあげた。
「うるさい、うるさい! アンタがあんな陰険なエロいチャクラしてるからいけないんです! オレはあんなの認めませんからねっ。アンタのより、普通の閨房術の方がよっぽど健全なんだからっ」
「はぁぁぁ?! ふざけるんじゃないですよっ! 元はといえば、カカシ先生が、ためすぎているのが悪いんです! 食生活は気をつけているみたいですけど、ちゃんとストレス解消してるんですか?!」
「なんでここでストレス云々が関係するのよッ。アンタがエロいの悪いんでショ! 論点のすり替えは感心しないね、エロ教師!!」
「はぁ?! エロ? エロ教師?! その言葉そっくりそのままお返し致しますよ。あられもない声であんあんあんあん喜んで、ちょっとチャクラの放出緩めたら物足りない顔して。カカシ先生、目で私のこと誘ってましたよ。もっと、もっと欲しいって、そりゃこっちが赤面しそうなくらいの色香出してたんですからねッ。閨房術の任務やってて、カカシ先生以上にエロい反応した人いませんからッッ」
「い、言わせておけばっっ!!」
ばっと毛布が宙に浮き上がったかと思った次の瞬間、目と目の下を真っ赤にしたカカシが私につかみかかってきた。
なろぅ、やる気か!!
「カカシ先生ほど、私の閨房術に骨抜きの有様になった人はいませんー! 間違いもない事実です、真実です、真理ですーッッ」
「だ、黙りなさいよ、この破廉恥教師!!」
「それもそっくりそのまま返します〜。ドエロで破廉恥なカカシせ、むが、あにへんふかー!」
頬を摘んできた指のせいで、発音が変になる。負けじとこちらもカカシの頬を両横に思い切り引っ張れば、カカシの手も力が入り始めた。
「ほっひほほ、ほのへをはなひなはいよ!」
「ひにゃ! ひにゃいやないへふか、ほのひんけんはど!」
「ほれはほっひのへりふへす!!」
上を下に転げ回って、お互いの頬を引っ張り合っていた、そのとき。
うおっほんと、出入り口から重々しい咳払いが聞こえた。
お互い揃って振り返れば、厳めしい顔をした副隊長殿が腰を折り、カカシに伝えた。
「撤収準備整いました。皆、隊長の号令をお待ちです」
副隊長の言葉に、カカシの気配が硬質的なものへと変わる。
近寄り難い雰囲気をまとい始めたカカシから手を退ければ、カカシは口布を上げると小さく頷き、寝台から降りた。
「わかった、すぐ行く。待たせて、すまない」
脱ぎ捨てていた装備をつけながら、準備を整えていく。途中で邪魔が入ったというか、決着を持ち越された気分に陥りつつも、私も装備を調えようと寝台から起きあがる。
その最中、副隊長殿は何故かその場にとどまり、何とも言いにくそうな表情でカカシを見ていた。
身支度をしているカカシがその視線に気づき、どうしたと声をかければ、副隊長殿はひどく恐縮した表情で切り出した。
「…その、言うべきか言わないべきか迷ったのですが…。一応、お耳に入れとくべきかと……」
そう言って、カカシの耳元になにやら囁いた。すると、見る間にカカシの顔色が変わっていく。
青くなったと思った次の瞬間には真っ赤に色づき、目には涙が浮かび、仕舞にはふるふると体が震え始めた。そして、
「イルカ先生のばかぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
一声叫んで、カカシは白い煙をまき散らし姿を消した。
あまりの成り行きに呆然としていると、副隊長殿は目元を押さえ、私に天幕の片づけを命じ、外に出ていった。
首をひねりながら、命令通り、天幕を片付けている時、張り付けたままの札を回収して、私はカカシが突然姿を消した理由を知った。
私が書いた音封じの札。
その札の、真言の一文字の点が一つ抜けていた。
そして、私は知る。
天幕を畳もうと外に出たとき、撤収準備を終えた部隊が目と鼻の先で待機していたことを。
続々と帰途につく隊を見つめ、カカシの代わりに指揮をとる副隊長の姿を認めながら、私は思う。
カカシに乙女の大事なものを奪われたが、私もカカシの大事なものを奪ってしまったんだな、と。
戻る/
30へ
------------------------------------------
ここから先、どシリアスになる予定…。うーん。試練だ。