手を繋いで 30

「あー、かったるい…。こんな調子で、里に帰れんのかなぁ…」
重い体を引きずるように、足を進ませる。
行きよりも幾分軽いはずの荷物が重くて仕方ない。一歩一歩踏み出す足も、亀の歩みのようで我ながら情けなってくる。
前方にわずかに見えていた隊は、今では影も形も見えない。完璧に遅れた。
閨房術を施した後はいつも絶不調に襲われるから、覚悟していたつもりだったが、たった一人施しただけで、この体たらく。
これも、全部。
「……カカシ先生、どんだけ溜めてんの。本だけじゃ我慢できないなら、とっとと郭なり処理してくりゃいいものを…。まさか、本に傾倒するあまり、二次元にしか反応できなくなったとか?!」
「ちょっとぉぉぉ! 人聞きの悪いこと言わないでくれるッ!?」
まじめな顔で憶測すれば、背後に気配が生まれると同時に叫ばれた。ったく、出るなら早く出てこいっつぅの。
絶不調の私が隊から遅れ始めた頃から、こちらを気にする気配がずっとついてきていた。
始めは、どこぞの山賊かと思ったが、副隊長殿から直々に、後からゆっくり来いと見捨て、いや、お言葉を掛けてもらった時点で、その可能性は消えた。



「……カカシ先生。かよわい乙女が歩くのにも難儀している姿を見て、何とも思わないんですか? もう少し早く出てきてくださっても罰は当たりませんよ?」
遅れている部下を隊長自ら気遣う心がけは立派だが、それなら早く助けて欲しいものだ。しかも、私はかよわい女の身だというのに。
カカシの女の扱い方の駄目さ加減に、首を振り振り嘆けば、カカシは右目の肌をかっと赤らめた。
「あーのね! オレの気持ちも少しは考えなさいよ! 部下たちにあんな、あんな……!!」
音が出そうなほど、露出させている肌が真っ赤に染まる。言葉にならない様子のカカシに、あぁとぽんと手を打つ。
「大丈夫です、大丈夫です。一応、声をあげさせてしまった身として、カカシ先生がどう思われたか、簡単にアンケート取りましたら、概ね好評でしたよっ。中にはいいもの聞けたって喜んでいる方々もいましたし」
男女共に、頬を赤らめ「ありだと思います」と言っていたことを伝えれば、カカシは顔を覆い天を仰いだ。
「なんで、そんなこと聞くのよ! しかも、なんでそれをオレに言うわけーーッッ! しんじらんない、この女ッッ」
無神経女ぁぁあと大絶叫され、私は面倒くさい男だなぁとしみじみ思う。
好評だったなら、別にいいじゃないか。



顔を覆ったまま、ぐちぐちと私へ文句を言い出したカカシに、適当に言葉を返す。
「へー」とか「あー」とか「うー」を繰り返していたけれど、相づち打つのにも体力が必要だという事を思い知った私は、途中から無言を貫き通した。
けれど、カカシは顔を覆ったまま、私への恨み言を絶え間なく言い続けている。くそぅ、何て粘着質な男だ!
この一件で、信頼できるし尊敬できるけど近寄り難いはたけ上忍から、案外お茶目なはたけ上忍、翻弄される姿も素敵という、世の男どもが逆立ちしたって得られない好感度を得たのに! 特に一部の女性たちには鰻登りに!
全くなんてわがままな奴だと、内心で毒づいていると。



「っ」
カクンと膝が突っ張るような感覚を覚えると同時に、地面が間近に迫っていた。
ぶつかると目を閉じた瞬間、体が何かにぶつかる。
硬いことは硬いが地面の固さではない。
極わずかだが、鼻をかすった匂いにその正体を知る。
「ーーアンタ、どうしたの?」
ぐるんと反転させられ、背中に腕が回る。のぞき込むように影が差し込むのを感じ、やっぱりなと思う。
眩む目を開ければ、右の眉を少し逆立てているカカシが見えた。
「……すいません。禊ぎ、させてくれませんか…」
「みそぎ?」
疑問の声をあげた後、カカシは何かに気づいたのか、息を飲み込むなり、私の体を持ち上げ走り出す。
途端に、体の内部が爆ぜるような熱を感じた。血管の中を蠢き、びりびりとした痛みが絶え間なく続く。
桶一杯の水じゃ全然足りなかったか。
「…っ」
痛みが心臓に走り、耐えていた声が漏れ出てしまう。
「後少しだから、こらえて!」
珍しくカカシの息があがっている。
痛みの中、そんなことを思いながら、全身を丸め痛みに耐える。
「ついた!」
ばさばさと何かを突き破る音と声が同時に聞こえた。
直後に、落ちる。



全身を打った水の流れと冷たさに、反射的に息を吐いた。深く、自分の肺にあった空気を出すように、それと共に両腕を突きだし、チャクラを流し、押し出す。
川の流れに乗るように身を任せて、深く深く吐き出すように放出する。
息を吐き出した後も、なおも放出することに専念していれば、背後から引き上げられた。
「バカ! アンタ、死にたいの?!」
突然肺が膨らみ、それと同時に飲んでいた水を吐き出す。むせるように息をする。だが、まだだ。まだ、吐き出されていない。
後ろから首を捕まれ、岸辺に向かって泳ぎ出すカカシとは反対に、前にいこうと水を掻いたが、浅い面を掠るだけでちっとも進めなかった。
足先が川底を掠る。その場に止まるように踏ん張ったが、カカシの歩みは止まらない。
「ま、待って」
川の水が顔を打つ。
カカシから逃れるようにもがけば、カカシは感情的な声をあげた。
「分かってる! もう少し浅瀬に行くだけだから、大人しくしなさい」
陸に上がるわけではないのだと知り、力を抜いた。
熱はまだ引かない。
移動する間も苦痛だとばかりに、息を吸い、全身のチャクラへ働きかける。
もっと早く、もっと深く。
体を打つ水の流れに集中して、深く息を吐く。川の流れと同調するように、全てを明け渡し、己の存在もその流れの一部となるように。
深く、深く、静かに、息を吐く。



「…か、……ルカ! イルカ!!」
はっと息を吸うと同時に目を見開いた。
見下ろしているのは口布を下げたカカシで、髪の毛から雫を滴らせ、顔を歪ませていた。
「…、カカシ、先生」
荒れる息の合間、めちゃくちゃな速度で鳴る鼓動の音を聞きながら、名を呼んだ。
カカシは一つ息を吸うと、私の体を抱きしめ、小さく詰ってきた。
「アンタ、何なの…。気付いたら、呼吸止まってて、顔真っ青で…!! 死んだかと思ったっ」
カカシの言葉に、あぁと己の状態がやばかったことに気付く。
川と同調しすぎて、息をすることを忘れたらしい。
「すいません…。ちょっと、焦りすぎたみたいです」
はぁと大きく息を吐けば、肩口に顔を埋めていたカカシが顔を起こす。
「……アンタの閨房術。体の負担が大きいでしょ」
ずばりと核心を突かれて、まいったなと顔に笑みが浮かぶ。
三代目にバレただけでも厄介だというのに、お優しいカカシにバレたら、それこそ目くじらを立てられそうだ。
誤魔化そうと口を開いたけれど、それよりも先にカカシは難しい顔をして、私を見た。
「オレの状態。過去あり得ないくらいに調子がいい。チャクラの流れも、疲労も、精神状態も、それに加えて全身の感覚が鋭敏すぎるほど研ぎすまされてる。……アンタ、他人の毒素を自分の体に受け入れてるね?」
一度経験しただけだというのに、私が何をしたかを理解するカカシの勘の鋭さに苦笑が出る。
あーぁ、こりゃ、私の指名率No1の特技も今日までかな。



「バレたくなかったなぁ」と呟いて、そうですよと肯定した。
ガイ先生と編み出したこの閨房術は、他人の体に自分のチャクラを流し、自分の体を濾過装置代わりにして、澱や汚れ、疲労物質などの負にあたるものを取り除き、綺麗にして他人の体に返すものだ。
他人のチャクラの流れに完全に同調することと、施術する側とされる側の信頼がなくては不可能な術だ。
そして、自分の中に取り込んだ負のものは、意識的に外へ出すことは難しい。
日々の生活の中で徐々に抜けていくそれは、時間と共に吐き出されるものだが、ある方法を使えば、ある程度は吐き出すことができる。
私が先ほどやったように、水の中で自分のチャクラと一緒に負のものを吐き出す方法だ。
チャクラを吐き出すことは、消費することに近い。この度は、カカシのものが大きすぎて止むなくやったが、チャクラ切れ必然のこの方法はあまりやりたくなかった。



「…だから。カカシ先生、どんだけ溜めてんですかって、話になるんですよ……」
種明かしをして、カカシを詰るように見上げた。
カカシは依然、厳しい顔を保ったままでいる。
ちっとも動けなくなった体は、チャクラ切れを私に伝えてきて、笑いが出た。里外でこんな状態になったのは初めてだ。
張り切りすぎたなぁとため息を吐けば、何かがこすれる音が聞こえた。
「……アンタ、バカですか?」
そんなに怒らないでくださいよと軽い調子で言葉を返そうとして、見上げたカカシの真剣さに声を失う。
「今までそうやって、何人もの他人の体の毒素を受け入れてきた? 自分の体を犠牲にして、他人の体を?!」
言葉尻と一緒に、肩を捕まれた。
食い込むように埋まった五指に、顔が歪む。
「こんな危険極まりない術を!! アンタは、何度も!! 何度も、その身をッ」
カカシの顔が近づく。
歯を食いしばり、怒りの形相で迫ってくる顔をただ見つめた。
左目が揺れる。
それと一緒に、怒りの形相は頼りない表情に変わり、勢いを無くした。
「……このことは、火影さまに報告する。アンタに二度とさせない」
顔を伏せ、静かに告げられた言葉に、だろうなぁと思った。
三代目も、私のこの術の本質に気付いた時、烈火のごとく怒った。二度とするなと声を荒げた。
効果は過分にある。だが、術者の危険が伴う術。
けれど、その頃には私の術を受けた人は多くいて、支持されていた。
その声に押されて度々慰安任務は行われたが、三代目は日数と人数を決め、私にそれを厳守させた。
別にいいのにと、思った。
私の身がどうなろうと、三代目には関係のない、いや、気を悩ます種が一つ消えるだろうにと思った。
そう告げた私に、三代目はひどく憤った。そして、悲しそうな顔をした。
『二度と、言うでない』
そう告げて、三代目は私に一振りの懐刀をくれた。
陰陽対となった、引き合う質を持つ懐刀の片割れを。そしてーー。
『わしが逝く、そのときは』
「…帰りますよ」
耳を打った言葉に、夢想から立ち返る。腕を引っ張られ、背に負われた。
二人、無言で里へ帰る道を行く。
カカシはビンゴブックに載るような超有名人だから、他里の刺客に狙われる恐れがある。
そのことについて揶揄ってやろうかと思ったけど、カカシは物思いに耽ったように無言で歩みを進めるから、何となく言い出す機会を失った。



もうじき日が昇る。
森の木々からは鳥のさえずる音がひっきりなしに聞こえて、結構騒がしい。
カカシと二人、全身びしょぬれのままだが、夏の匂いが近い季節柄で良かったと心底思う。二人そろって風邪引いたら、バカみたいだ。
森の影が濃く、地面へと写り込む。
徐々に日が昇る中、うつらうつらと眠気に襲われた。本当に、今回の私はがんばっちゃったんだなと改めて思いつつ、上司の背中で眠る不届きなことはせまいと気を張る。
「……寝て、いいよ」
不意に声を掛けられ、「そんな」と口の中で呟く。
「いいよ。もうじき里に着くし、アンタ一人背負ってるくらいで、オレがどっかの刺客にやられると思ってんの?」
私が言うまでもなく、カカシは気付いて、いや、常に考えていることなのだろう。
終始、命を狙われるということは、どういうものなのか、少し考える。
けれど、考えても、考えても答えは出そうにない。
だって、私の願いはーー。
「安心して眠りなよ。オレが、側にいるから」
カカシの声が、深く染み渡った。
瞼が落ちそうになる。カカシの歩く振動が、それを後押しする。
「……うん」
重ねて言ってくれたカカシの言葉に甘えることにした。
人の体温が気持ちいい。
人の背中に負われるなんて、いつ振りのことなのだろう。
ふぅと息を吐く。
それに応じるように、「うん」と、私の甘えを受け入れるように、カカシは一度頷いた。










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ちょっとずつ、暗くなります。