手を繋いで 2
「……アンタが、うみのイルカ?」
はたけカカシを今か今かと待ちつつ、受付業に打ち込んでいると、不意に声がかかった。
「おはようございます」と笑顔と共に顔を起こせば、そこには妙な風体をした男が立っていた。
「はい、私がうみのイルカですが」
受付スマイルを浮かべ返答を待つ間、男の様子を窺う。
ぼさぼさの銀髪に、左目を隠す額当て。口元を覆う布。気だるげに曲げられた背中。
生徒だったなら、もっとしゃっきりしろと背中を叩いてやるところだが、目の前の男には隙が一切見えなかった。
里内においても警戒を緩めない、というよりできなくなってしまったこの男は、上忍なのだろう。だが、受付任務に従事している自分には、見覚えがない。ということは、里内在住ではない、外回りの戦忍なのだろうか。
男の言葉を待ちながら、つらつらと考えていたが、自分が予想できることなどたかが知れている。
男の後ろに列が並び始めたのを機に、こちらから声をかける寸前、男はため息をつきながら、やる気なさげに後頭部を掻いた。
「あんた、子供たちに会わないでくれる」
「………………は?」
男の発言に、思わず素の声が出る。
一体、何を言ってるんだ、うら若き女性を捕まえて、子持ちの貫禄だとでも言いたいのか、この覆面野郎と見上げていれば、男はもう一度大きく息を吐き、目を細めた。
その視線は見るのも嫌だと明確な嫌悪を伝えてくる。
「あんたが受付勤務ってのが痛いけど、まぁ、それは俺が直接来るからいいとして、今後一切、子供らと接触しないでね。これ、上忍命令だと思ってくれてもいいから」
男の言葉にただ口を開けて聞いていれば、男は手の平を出してきた。
この手は何だろうと覆面と、戦忍らしい器用そうな手を交互に見ていれば、男は鼻で笑った。
「任務寄こせっていってんの。あんたそれでも受付? 間抜けな面晒してないで、さっさと寄こしなさいよ」
頭が追いついていかない。男に揶揄されても動けずにいれば、隣のアサリが慌てて立ち上がった。
「イルカ、何お待たせしてんだ。7班の今日の任務はこれだろう。すいません、はたけ上忍、こいつ、あなたに会えるって上がっちまって、自分で何が何だか分からなくな―」
アサリの一言に、頭が真っ白になった。
はたけ上忍? あの超美形のやり手な人徳者の、里の誉れの忍びが、目の前のコレ?
「…うそ、どんだけ噂先行よ…」
アサリと目の前の男のやり取りすら耳に入らず、思わず呟けば、男ーはたけカカシは唯一見える右目を不機嫌に細めさせ、私を見下ろした。
「この期に及んで、大した演技力だーね。子供たちを騙すことなんて、あんたにとっちゃ朝飯前でショーね。アカデミー教師って、いつから子供たちを誑し込むようになったんだか」
ざわめいていた室内が、静寂に包まれる。
ざわりと立ち上ったのは、殺気。
発生源はもちろん、私。
「あ?」
男を睨みつける。
売られた喧嘩は誰だろうが買うのが信条だ。
立ち上がった私に、アサリが横から縋り付いて来た。
「い、イルカ、おい、やめ、ィッ――」
情けない声で腕に縋りつくアサリを一睨みで黙らせ、真正面からはたけカカシと向き合った。タッパでは負けているが、気概だけは負けないと、睨む視線に力を込める。
はたけカカシは私の睨みなど意に介さず、涼しげな顔で笑った。
「へぇ〜、意外だーね、中忍。噂じゃ、影でくだらない策練っては、小汚い真似してるとか聞いてたんだけど、ご立派にも真正面から向かってくるんだ。実はこれもあんた流のパフォーマンスだったりするの? ま、こんな所で騒がれたら困るのはあんたの方じゃない? ここらで尻尾まくって逃げた方が賢明だーよ。元生徒を囲う色ボケ教師さん」
またもや飛び出してきた侮辱の言葉に、血管がぶち切れそうになる。
握り締めた拳をぎりぎりと軋ませながら、はたけカカシこと無礼千万男へ口を開いた。
「何を根拠におっしゃっているのか、理解しかねます。女なら誰でも一向に構わない、懐の深さを見せ付ける里一番の種馬上忍さま。今朝も一夜でポイ捨てされるなんて、さすが里の誉れは女性の扱い方が特殊ですね」
里に轟いているテメーの醜聞事実はどうなんだと、にっこりと笑ってやれば、ばちりと一瞬、空気が音を立てた。
受付に並んでいた忍びたちが、一斉に飛びのき、私とはたけカカシを中心に丸い空間が開いた。
取り残される形となったアサリは、私の腕にしがみついてガタガタと今にも失神しそうな顔色で震えている。
じわりと冷たい空気が室内を満たしていく。奴の痛いところでも突いたのか、一矢報えたことに胸の内を慰められた。
言葉もなく、二人でにらみ合うこと数分。
次に攻撃をしかけてきたのは、はたけカカシだった。
「へぇー、余裕だねぇ。じゃ、聞くけど、元生徒を使っての、上忍師漁り。あんた、今まで何度その手を使って男誑し込んだのヨ。次の獲物は俺なんだって? 三代目の気に入りか知らないけど、あんた図に乗りすぎだよ。そういう性悪女が俺の部下にまとわりつかれちゃ、目障りなんだーよね」
机に手を置き、前に身を乗り出してくる。ぐっと縮まった距離と、威嚇するように溢れ出る濃度の濃い空気に負けじと踏ん張りながらも、はたけカカシの言葉に、関心が向いた。
「今は俺の部下。あいつらを一人前にする義務があんのよ。ようやくチームらしくなってきたところに、あんたみたいな尻軽女の横槍が入ったら、うまくいくものもうまくいかないでショ。あんたはナルトにとっちゃ特別な存在だし、サスケだって元恩師なら無下にもできないでしょうし、サクラだって難しい年頃の女の子なんだから、いつ何時、あんたみたいな毒女の影響受けるかもしれないし、それに―」
延々と部下に対する心配事を語る目の前の男に、内心驚いた。いや、仰天した。びっくりたまげた。
はたけカカシに関してのナルトたちや周りの感想は確かにすこぶる良いものだったのだが、あくまでそれは他人の目を通してのことだ。実際見るまで分からない。
里の誉れとはいえど、初めて子供たちを受け持つこともあり、八割方、安心していても、残り二割はやっぱり不安だった。
――この人、子供たちを見てくれている。
ガンガンと容赦なしに襲ってくるプレッシャーは煩わしいことこの上ないけど、今まで胸にしこっていた塊がするりと解けてなくなっていく。
思わず出た安堵のため息に、緩んでしまう頬を抑え切れなかった。
「…なんだ」
「――あんた、俺の言ってること理解してんの?」
小さく零れ出た笑みが気に食わなかったのか、男の纏う空気がぐんと凶悪になった。
侮辱されたし、喧嘩も売られたけれど、一度確信してしまった根拠は、それを上回るほどの喜びを沸き起こさせる。
こうなりゃ笑ってやれと、開き直って零れ出る笑みを向けてやれば、胸倉を掴まれた。
周囲から息を飲む声が聞こえる。
男と十分距離のある回りですら、恐怖に陥れるくらいだ。当事者である私の苦痛たるや、何をいわんやである。
ぞくぞくと背中を刺激する居心地の悪い痺れと、引き上げられる喉の苦しさに、眉根が寄る。
「中忍、あんまり舐めた真似しないでくれる。その気になれば、あんたの一人や二人闇に葬ることだってできるんだからね。まだまだ人生楽しみたいでショ。大人しく俺の言うこと聞きなさいよ」
視線と同時に、力を入れられ、本気だということを仄めかしてきた。
里一番の忍びに言われるまでもないことだが、私と里の誉れの実力差なんて蚤か鯨ほどあるだろう。
この男なら指一本で、私の華奢な首はへし折られるに違いない。
「ねぇ、分かった? 分かったなら、ちゃんと返事なさいヨ」
妙なおネェ言葉で脅してきた男に、かちんとくる。
子供たちに対する真摯な態度は分かったが、だからといって、どうしてこの男に元生徒に会うための許可が必要になるのだ。
だれが返事なんかするものかと、消えかけていた闘志を燃え立たせ睨みつければ、鳥の首を絞めるように胸ぐらを絞めてきた。
この男…マジで殺す気か…!!
こうなりゃ死なばもろとも一発殴ってやると、拳を握り締めたところで、横から悲痛な叫び声がこだました。
「は、はたけ上忍、お願いです。お怒りをお鎮めくださいッ。はたけ上忍の言うとおりにするよう、おれが責任もってイルカに指導します。どうかお許しをッ」
机を避け、はたけカカシの真横に滑り込み、床に額をつけ土下座するアサリ。
緊迫感をぶち破る暴挙に出たアサリに、周囲がざわついた。上忍のすることにけちをつけた中忍は手打ちにされても文句は言えない。
土下座したまま微かに震えるアサリ。
固唾を見守る周囲の観客。
はたけカカシは私を睨みつけていた視線を不意に離し、アサリを一瞥した途端、目を和らげた。
その直後に、今まで重苦しく支配していた圧力が霧散する。
思いもしない成り行きに、アサリが顔を上げて、はたけカカシに視線を向ける。
それに応えるように、はたけカカシは目を弧にたわませた。と、同時に、胸倉から手を離した。
「あんた、いい奴だね。この女にもあんたみたいな真っ当さがあったら良かったのーにね」
「はたけ、上忍……」
げほげほと受付の机に蹲り、むせる私を差し置いて、はたけカカシは土下座していたアサリの元にしゃがみ込むなり、その肩に手を置いた。
「あんたの顔に免じて、ここは引き下がるよ。仲間を大切に思うその心、ずっと忘れないでーね」
「はたけ上忍……ッ」
感極まるアサリの声と、周囲から沸き立ったように起こった拍手と歓声に、世の理不尽さを思い知らされる。そして、直後の男の言葉に、私の脳内血管は音を立ててぶち切れた。
「あんた、こんないい友人持ってるのに、なんでそんなに歪んでるの。今日は引くけど次はないし、俺の部下には二度と会わせないから」
じゃ、ね。とアサリが手に持っていた任務書を受け取り、さっさと受付を後にする男。
今まで静かだった受付所は打って変わって、あの男の懐の深さを褒め称える場となった。
「いや〜、一時はどうなるかと思ったけど、やっぱりはたけ上忍ってかっこいいなぁ! もぉ、おれ、この忍び服洗えねーよ。家宝にして飾ろっかなぁッッ」
うきうきとした顔で舞い戻ってきたアサリを容赦なくぶん殴り、席を立つ。
女の胸ぐら掴んで、窒息死させようとする男のどこがかっこいい?!
周囲は里の誉れの話題で、誰一人として私の行動を見咎めるものはいない。
「はたけ上忍」
受付所の出入り口を出る寸前、呼び止めた私に、はたけカカシはこれみよがしにため息をついた。
「もうあんたに用はないよ。失せてくれる?」
振り向きもせずに投げつけられた言葉に、予想通りと内心笑う。きゅっと唇を噛み締め、弱々しい声音で言葉を続けた。
「……それでも、言わせてください。私、どうしても言わなくてはならないことがあるんです」
帰らせてなるものかと、あちらに構わず、頭を思い切り深く下げた。そして、震える声で大声で叫んだ。
「あの子達のことを、どうぞよろしくお願いいたします」
私の声に周囲の注意が再度集まる。
馬鹿馬鹿しいと聞く耳も持たず、歩き出そうとするはたけカカシに、私は嗚咽を漏らした。
「ナルトも、サクラも、サスケも…、私の自慢の生徒です…!! わた、しの存在が、あの子たちにとって害にしかならないのなら…、わたひ、わた……ッ」
恥も外聞もなく泣き喚く私に、さすがのはたけカカシも振り返る。その瞬間を狙い、顔をあげた。
「…ちょっと、あんた。いくらな―!」
絶句するはたけカカシ。動揺したのか、蔑む言葉さえ忘れ、私の顔から視線を外せないでいる。
そうだろう。そうだろう。今の私の顔は二目とも見れないほどの汚さだろう。涙と鼻水をだらだら流して、拭きもせずに歪んだ顔を晒しているのだから。
口布からでもぽかんと口を開いた様子が分かる。私はかまわず、はたけカカシに突進し、すがりついた。
「今までわたし何をやってきたのか…! 教師として情けないです、もう一度アカデミーからやり直して、顔あらってきたいですぅぅぅ」
おいおいと首を振って喚きたてれば、涙か鼻水だか涎だか知らない液体が周囲に巻き散る。はたけカカシは身を仰け反ってそれを避け、これ以上近づくなと、頭を鷲掴んだ。
「わ、分かったならいいから、来ないでよ、ちょ、汚なッ、あんた、汚いッッ」
頭から突っ込んでいけば、片手を両手にし、頭を押し返そうとしてくるはたけカカシ。
無防備に頭に置かれた両手をしっかりと握り締め、私はにやりと影で笑った。
「こんなわたひをゆるひてくださるんでふか?」
「許すも許さないも、子供たちに近づかなきゃいいって言ってるでショ。あぁ、もう早くそのばっちい顔どうにかしてよ。あんた、一応女でショーが!」
心底、嫌な顔をするも、皆の手前か、そうそう強くあしらえない里の誉れに同情する。有名になると、表立って手荒なことができなくなるんだよね。
布切れあったかなと、探す素振りさえ見せる、根はお人よしだろう男を眺め、私は言う。
「…はたけ上忍、私……」
「はいはい、あいつらに会わないんでショ。分かったから、いい加減、その手離しなさいよ。あいつら、待たせてんだから、あんたの相手してる暇は―」
そういや、ホルダーに包帯がと視線が反れた瞬間、容赦なく打ち出した。
うみの家に伝わる、黄金の左足を。
「っが……!」
殺気も気配もなく、予備動作なく放たれた蹴りに、呻きながら倒れるはたけカカシ。
だがそれも床に倒れる寸前で、丸太へと取って代わられる。
さすが里の誉れ。天才忍者と言わしめた男だが、私の蹴りから逃れる術はない。
「そこだッッ」
何が起きたのだと、目を白黒させる観衆の中、受付所出入り口付近の壁に千本を打ち投げれば、軽い音を立てて、投げた千本が落ちる。
その先には、前屈みに蹲るはたけカカシその人がいた。
「え、何?!」
「どうした、何が起きた?!」
ざわつく受付所内を悠々と歩き、蹲るはたけカカシの目前に立つ。
確かな手応えは返ってこなかったが、掠めた自信はある。
はたけカカシを見やれば、わずかに覗く肌は青ざめ、脂汗を滲ませている。ふるふると震えている様子からして、かなりの痛手を与えたようだ。
「ハッ、反省するわきゃないだろう。誰があんたみたいな抜け作の戯れ言をいちいち聞くかってんだッッ。一昨日来やがれ」
大嘘涙を袖で拭き取り、はたけカカシの眼前に仁王立ちしてやった。そして、青い顔してこちらを仰ぎ見る男へ、ずばりと宣言してやる。
「今後、生徒に関して舐めたこと抜かしやがったら、今度こそ、その玉ぶち抜くッ」
胸を張り、びしっと人差し指を指せば、回りから非難の声があがった。
「ひ、ひどすぎるよ、イルカちゃん!!」
「男の急所になんてことッッ」
「いやぁぁぁ、カカシさまが不能になるわッッ」
「里の重大な損失よッ! 何考えてんのよ、このブスッ」
ぎゃーぎゃーわめく周囲を射殺さんばかりに視線を向け、私は吼える。
「じゃかぁしぃッ! 毎度毎度、この時期になるとフザケタ噂ばっかり流しやがって、これで何度目だと思ってんだッ。恒例だからって、黙って見てんじゃねーぞ、このロクデナシどもがッッ」
くわっと目を見開き、身に渦巻く怨念を込めて睨む。その途端、だってとか、どうせとか言った言葉が続いて出てくる。
そうなのだ。私が念願のアカデミー教師となり、受付任務も兼任し始めた頃から、私についての性質の悪い噂が真しやかに流れ始めた。
毎夜校舎で乱交している淫乱だ、生徒を出汁にして男を落とす最低教師だとか、挙句の果てには元生徒の子供を身ごもって堕胎したなどという、頭が痛くなる噂まである。
流れ始めた当初はひどかった。生徒の家族からのバッシングに加え、上層部の耳に入り、アカデミーを首になりかけた。
けど、同僚の手助けと地道な草の根運動の末、最悪なことにはならずにすんだ。
けれども、噂は手を変え品を変え、常に私につきまとわり続けた。
その極めつけは、私が生徒の担任となった頃、生徒を送り出す時期に、明らかに上忍師に向けて、私の最低な噂が流れ始めたことだ。
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長いです。切りが悪くてすいません…。