手を繋いで 3
上忍の中で、人格者かつ実力者である者が上忍師として選ばれるわけだが、それは表向きの可愛らしい戯れ言だ。
実際は、上忍の中で実力者で、ほんの少し里に通じるまっとうな常識をわずかなりにも持っている数少ない稀少な上忍がその任に就く。
最初に生徒を受け渡した年は、勘弁してくれと泣きが入るほど、上忍師に苦しめられた。
平和な里内で、何故に腕が吹き飛ぶようなトラップに日夜悩まされることになるのか。
私の周りに平穏という文字は消え、里にいながらにして最前線のトラップをこの身で味わうこととなった。
当時のことは、何故だか記憶があまりない。
ただ一ついえるのは、それをきっかけにトラップに関しての知識と技術が飛躍的に伸びたのは確かだ。
…あの上忍師、和解した後も、えげつないトラップを私の生活圏内に仕掛けていたな…。私が解除する度に、嬉しそうに次の新作トラップ仕掛けたからと絶えず言ってきたくらいだから、実は単なるトラップ狂なのかもしれない。
それなのに、私だけを正確に狙い、他の人に全く迷惑をかけていないことが、その人を上忍師たらしめていたことは、私にとって悪夢だった。
受け持った生徒に、新しい上忍師が付く度に雪だるま式に私の生活は荒んでいったが、順応力には定評がある私だ。
並みいる変人と名高い上忍との付き合い方にコツを覚え、誤解を解く術を見いだした。
コツさえ分かれば、あとはこっちのもので、年ごとに対処していく内、いつしか周りも状況を理解し、慣れていき、ついにはそれが恒例行事となった節がある。
そして、非常に厄介なことに、それを楽しむ輩も現れた。
「……みたらし特別上忍、今年は特に偏見がひどかったんですが、それも相手がご高名な方だからですか?」
声をかけた途端、天井から気配もなく、みたらしアンコ特別上忍が降りてきた。
「いや〜、分かる? もぉねぇ、相手がカカシだっていうから、周りがやたらと盛り上がっちゃってねぇ。倍率高いのよ〜。もぉー、やっぱアンタ最高! 一人勝ちさせてもらったわよ、イルカ〜」
口に団子の串をくわえたまま、器用に喋り出すみたらし特別上忍に、額の血管がひくひくと引きつる。
「賭事を黙認する代わりに、約束しましたよね。あまりにも悪い噂流して、もし上忍師の方から卒業させた生徒たちと会うのを禁止されたら、その時点で誤解を解くようにするって……」
受付所内で悲喜こもごもと騒ぐ一団に、ぎらりと視線を向ける。
一団は賭事に関わった、上忍、特別上忍たちだ。
その一団はとっさに目を反らし、私の顔を見ようともしなかった。
「それと、あまりに私に不利なこの状況下に配慮して、受付所の同僚の皆様方は、私の味方をするという取り決めがあったわよね?」
頭を押さえるアサリに加え、受付所の皆が私の視線から目を逸らした。
言い訳ができるなら言ってみろや、こらとなおも見続けていた私に、他の同僚に小突かれ、前に押し出されたアサリが人差し指をいじくりながら、上目遣いに見つめてくる。
「だ、だって…」
「だって?」
疚しさの表れか。
床の上に正座しているアサリを見下ろし、先を促す。アサリは何故か照れたように頭をかきだすと、一気にまくし立てた。
「だって、あのはたけカカシ上忍だぞ?! 噂じゃ、すごい男前で度量も広くて、情け深くて、優しいって言うじゃないか! そんなはたけ上忍の本音ってどうなんだろう、隠された一面ってどんなだろうって、やっぱり気になるのが人情ってもんじゃないかッ」
ぴきりと血管が凍り付いた。
後一押しすれば、絶対この血管は切れるに違いない。
「――そっか。そうだよね、あのはたけカカシ上忍だもんね。常に噂になり、任務も完璧、人心を掴むのもうまい、言うなれば里の有名人、生きた伝説のゴシップ記事なんてすごい興味あるよね?」
「だろう! イルカ、そうなんだよ!! あのはたけ上忍の人となりは言うに及ばず、知られざる本音なんてもんが生で聞けるんだぞ。それを逃す手はないよなッッ」
きらきらとした目で肯定され、私はにこやかに笑う。
「それで、私は危うくその生きた伝説に、可愛い元生徒と会うことを禁止されることになったのよね。おまけに、そんな里の超有名人で影響力もばりばりある人から、私が生徒に手を出す、卑劣な色魔教師だって思いこまれた訳よね」
私の笑い顔につられて笑っていたアサリの顔が凍る。
「冗談じゃないよね。その男の発言力を考慮しないやら、私の生き甲斐踏みにじるばかりか、身に覚えもない嘘で私の大切なものを傷つけるわ、本当、もぉー血管ぶち切れちゃった」
「ま、待て、イルカ…、は、早まるなッ。おれはなにもそんなつもりで」
こつこつと足音を立てアサリに近づき、ごきごきと指を鳴らす。
がたがたと震えだしたアサリを前に、笑顔を一転させ、真顔で拳を握りしめ見下ろした。
「その身で味わえ」
「きゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」
妙に甲高い声で悲鳴をあげるアサリに渾身の蹴りを放つ。完璧に怒った蹴りは、狙いのものを潰さんとばかりに襲いかかった。
と、そのとき。
「っ!!」
アサリに当たる瞬間、何かが割り込み、蹴りが弾かれた。
誰一人として防ぐことができなかった過去を前に、初めて阻まれたショックが身を襲う。
それに飲み込まれまいと、前を見据えれば、そこには奴がいた。
アサリを背に庇い、私の蹴りを左手で一蹴させた男。
「…はたけ、カカシ…上忍…」
奥歯を噛みしめ名を呼べば、アサリの感極まった声が続いた。
「は、はたけ上忍!!」
はたけ上忍は私に注意を払いつつ、アサリへ微かに顔を向けた。
その顔は未だに私の蹴りの影響が残っているのか、微かに青い。だが、
「オレの目の前で、里の仲間は傷つけさせやしなーいよ」
唯一覗く瞳が弓なりに曲がり、男は笑った。
『きぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ、カカシさまぁぁっっv』
『うおぉぉぉぉぉぉぉ、はたけ上忍っっっっっっvvv』
その一言に周囲が沸き立つ。
「抱いてー!」「結婚してぇ」「抱いてくれぇぇ!」「兄貴と呼ばせてくれぇ」などと、どさくさに紛れて、空恐ろしいことまで言い出す始末だ。
男も女も、この場にいる全ての者が目の前の男に対して、ハートが乱舞している。ただ一人、私を除いて。
男はしゃがみ込んでいた腰を上げ、私へ真っ直ぐ視線を向けた。
「…アンタの性根はよく分かった。アカデミー教師を任せられるだけあって、忍びとしては優秀。だがーー」
男は一つ息を吸い、目を開いた次の瞬間、私に指を突きつけ言った。
「アンタはクズだ」
ピシャーンと稲妻が落ちたような感覚が身を襲う。
真っ直ぐに言い放たれたその言葉に、絶句した。
人を色狂い教師と呼んだあとには、クズ呼ばわり?!
衝撃から立ち直れずにいる私を前に、奴は静かに宣言した。
「オレの名にかけて、あいつらとは今後一切会わせやしなーいよ」
おぉおぉおと周囲がどよめく。
上忍が名をかけて宣言したとなれば、その上忍の誇りにかけて果たしにかかる、逃れられない未来だ。
身を拘束していた衝撃はぶっ飛び、血管は総切れ、おまけに耐えに耐えていた堪忍袋の尾が切れた音がした。
ぶっちん
「あ、あはははははは、あーはははははっははははは!!!!!」
突如、笑いだした私に、周囲が騒ぎ始める。
とうとうイルカちゃん、壊れちゃったよ。あぁーぁ、だからやりすぎって言ったじゃん。しょうがないでしょ、ここまで大きくなったら。などと、実に暢気な会話が聞こえてくる。
ふざけるなと怒鳴る気力さえ沸いてこない。代わりに体中を満たすのは、奴に対する憤怒だけだ。
「おもしろい…」
顔を覆っていた手を退け、私は口端を引き上げる。
「そのふざけた公言、叩き潰してやる」
おぉぉぉぉと、再び周囲からどよめきがあがった。
だが、奴は私の挑戦を鼻で笑い、意に介さない。
エリート上忍とやらのご大層な鼻っ柱を折ってやると、心の中で息巻いていると、奴は私の心を見透かすように肩を竦めた。
「無理だと思うーよ。所詮、あんたは中忍。実力から情報源から、すべてにおいて上忍の足下にも及ばないでショ」
当然のように言われた言葉に、額の脈が波打った。
「そうとも言えないんじゃないですかねぇ。里に流布する馬鹿げた噂を鵜呑みにして、善良な教師から元教え子の交流を壊すくらいの力量しかないんですから」
てめーの情報網よりかは、私の方が勝っていると、暗に言い含ませれば、奴の顔がひきつったのが見えた。
「決して鵜呑みにした訳じゃなーいよ。これでも事前調査は独自でしたーよ。自分のことを善良だなんて言い切るなんて、面の皮がどれだけ厚いんだろーね」
「へ〜、独自の調査。独自の、ですか。どうせ、行きずり女との情事の最中に聞いた里の噂とかだったんでしょ。外面はいいようですけど、はたけ上忍、実は友達少ないでしょう? あなたの噂はよく聞きますけど、任務が主で、私生活は女方面ばかりですし。寂しい交友関係結んでいらっしゃるんですねぇ。ご愁傷様です」
「中忍の情報って杜撰なばかりじゃなくて、でたらめもいいところなんだーね。確証もない噂信じてるあんたの方がご愁傷様だーよ。これじゃ、あんたに教わる子供が可哀想だ」
聞き捨てならない最後の言葉に、ひくりと頬の筋肉がつった。
「今、なんとおっしゃいました?」
もう一度言うようなら、絶対その玉潰すと気配に出せば、奴は鼻で笑った。
「あんたに教わる子供たちは可哀想だと、言ったんだーよ。情報の価値基準すら分からない教師に、なにを学べばいいのやら。おまけに、粗暴だわ、口は悪い、態度がでかい、礼儀もなっていない、ダメダメ尽くしだからーね。こんな調子であいつらに会わせていたら、どんな悪影響を及ぼすやら、おっと」
内角にえぐり込むように出した拳が、手のひらに押さえ込まれる。
ぎりぎりと力を込めれば、顔をのぞき込まれた。唯一見える灰青色の瞳が間近でたわむ。
「付け加えて、直情的で、すぐにカッとして状況判断を見誤る。さっきは優秀って言っちゃったけど、訂正しなくちゃならないーね。あんた下忍以下だ。アカデミーからやり直してきなさいよ」
くすりと小さな笑い声が聞こえた瞬間、蹴りを繰り出せば、はたけカカシは消えていた。
後ろ首がちりっと焼ける感触に、前に飛び込み、迎え打つ体勢を取れば、私がいた背後に現れていた。
ポケットに手を突っ込み、はたけカカシは口布の上からでも分かるほど、小馬鹿にした笑みを浮かべている。
「二度目は、通用しない」
『きゃぁぁぁあぁ、かっこいいいぃぃぃっっっっvv』
野太い声が混じった、黄色い声があがる。
それに振り向き、手を振るはたけカカシに、身が焼けきるかと思うほどの屈辱が襲う。
こうなりゃ、手加減しねーし、なりふり構うものかっ。
にこやかに声援に応える、はたけカカシを視線に納め、私はふっと笑った。
「―甘い。甘すぎるわ、はたけカカシッッ!!!」
叫ぶなり、私ははたけカカシへと突っ込む。余裕の顔していられるのも、今のうちだ!
「何度やっても無駄なのにーね〜」
ため息混じりに私に向き直ったはたけカカシに肉薄する寸前、手前で飛び上がり、はたけカカシの斜め後ろで黄色い声を出していた特別上忍の股ぐらを思い切り蹴り飛ばしてやった。
「ぐ、ぁ……ッ…」
「なに?!」
真っ青な顔をして床に倒れた男と、はたけカカシが驚愕の声をあげたのはほぼ同時だった。
口から泡を吹く男を一瞥し、はたけカカシと対する。
「き、さま……何を…!!」
憤るはたけカカシを鼻で笑った。
「攻撃が効かないなら、効くような攻撃をするまで。あんたは自分が傷つくより、他人が傷つく方が堪えるんじゃない?」
動揺見せ始めたはたけカカシに切り込めば、周囲からブーイングがわき起こった。
「卑怯だ! 卑怯だぞ、イルカちゃん!!」
「最低ッ! 里の仲間になんてことすんのよッ」
「悪役だ、それ、完璧に悪役の台詞だぞ、イルカッッ」
腕を組み、ブーイングにこくこくと頷くはたけカカシにも、本気でむかつく。
「じゃかぁしい!! 『約束破ったら、制裁は無抵抗で受け入れます』って火の意志にかけて誓っただろうがッ。今更、玉の一つや二つ、我慢しろッ」
「えー、そんなこと誓ったけ?」「夢でも見たんじゃない?」「イルカちゃんったら、お下品」と、すっとぼけたことを抜かす奴らに本気で頭にきた。
こうなりゃ、賭に参加した奴ら、全員地獄に送ってやる。
「種なしにしてやるッッ」
宣言して、床を蹴れば、蜘蛛の子を散らすように、特別上忍と上忍たちが一斉に逃げた。
「いっやぁぁっぁぁ!! イルカちゃんが本気で怒ったぞー!」
「ゆるしてー! ほんの出来心だったんだってっ」
逃げ惑う男たちの言葉に、「問答無用」と言い放ち、受付内を疾走する。
「ちょ、ちょっとたんま。たんま! なんで、男限定なんだよッ。あいつらにも制裁しろよ」
一人の特別上忍が端っこで傍観しているクノイチたちを指さし、叫ぶ。「そうだ、そうだ」と同意する男たちに向けて、言った。
「うみの家、家訓13番『女には手を上げない』」
「ずっりぃいぃぃ!! てめ、あんこ! おまえ、知ってたなッッ」
悲鳴をあげる上忍に向けて、みたらし特別上忍とその周りにいるクノイチは艶やかな笑みを浮かべて応えた。
ばいばいと手を振るみたらし特別上忍を目の端に捕らえながら、本日の第二の犠牲者に狙いをすました。
「二人目、もらったぁぁぁ!!」
「ひぃぃっ!!」
射程範囲に入った若い上忍が振り返る。青い顔で恐怖に目を見開いた顔を眺めながら、左足を振り上げ、
「させるかッ」
声と同時に足を貫いた衝撃に臍を噛む。さすがはたけカカシ。あの距離を一瞬で…!!
「貴様に、好き勝手はさせない」
私の前に立ち塞がり、手を振り下ろし牽制するはたけカカシ。
その後ろでは、心強い味方の登場に、歓喜の雄叫びがあがっていた。
「はっ、笑わせる。たった一人でそれだけの人数を守れるとでも思ってるの?」
はたけカカシの守備範囲外にいる、上忍たちに狙いを定めていれば、はたけカカシは姿勢を低くし、確かな声で静かに呟いた。
「守ってみせる」
静かに闘志を燃やす男に、負けん気に火がつく。
「…おもしろい。その言葉、その身で証明してみせるがいいわッ」
「受けて立つッ」
二つの影が同時に床を蹴る。時間にして一瞬。
瞬きするほどの刹那に、互いを捕らえて交差した瞬間、
「何をやっとる、この戯け者ども」
ガン、ゴンと二つ音が鳴ったと同時に、ひどい痛みが脳天を襲った。
声もなく頭を押さえて呻いていれば、間近ではたけカカシも頭を押さえて唸っていた。
振り仰げば、火の字を冠した笠を被った老人が、ため息混じりに凶器になったであろう煙管を口にくわえた。
「じーほ、火影さま…!」
「…今年も随分とまた派手にやったもんじゃのぅ。恒例とはいえ、今年はちぃとばかりやりすぎたようじゃの、イルカ」
好々爺の顔をして、優しく見下ろす火影さま。けれど、その表情とは裏腹に、火影さまは容赦がなかった。
一つ頷き、出来ることなら見たくもない部隊を呼び出すと、私の両脇を固めさせ、無慈悲に言った。
「規定違反にあたる、上忍、および特別上忍に対する私闘、及び、任務遂行の妨害、自身の放棄、不敬罪により、中忍、うみのイルカを地下牢に拘束する。連れて行け」
言葉も出なかった。
お面を被った黒い陰気なマントで身を覆った、暗いお仕事を主にする忍びに連れられて、私は強制的に宙へとかき消える。
同僚たちや、ほかの者たちの唖然とした顔が視界を掠める。
風景が入れ替わる一瞬、最後に見たはたけカカシの、肩すかしを喰らったような間抜け面に、こうなる前に一発お見舞いしたかったと心底悔やんだ。
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みんなで遊んでます…。ほのぼの木の葉、希望。
カカシ先生、ノリがいいといいなぁ。