手を繋いで 5
「――ガイ先生!」
颯爽と現れた、頼もしすぎる背中に思わず涙混じりの声が出る。
ガイ先生はこちらに少し振り返るなり、親指を上げ、白く光る歯を見せてくれた。や、やだ、かっこいい!
「よぉ、イルカ。相変わらずのパッション。青春しているなっ」
きらりと弾けんばかりの笑顔を見せられ、脈拍は急上昇するばかりだ。
「は、はい!」と全く捻りもない返事をした私に、ガイ先生は清々しく笑ってくれた。
「ハッハッハ、三日間の独房暮らしでも元気だな、イルカ!」
「は、はい、元気です!! ガイ先生もお変わりないようで、安心いたー」
ガイ先生の側頭部に影がよぎる。それが男の足なのだと気づいて、声なき悲鳴をあげれば、ガイ先生は片手でそれを受け止めた。
「おいおい、マイ・ライヴァール。そう急くな、勝負のゴングはまだ鳴り響いていないぞ?」
ガイ先生の手から足を取り返し、男は不機嫌なまま言葉を継ぐ。
「邪魔。退いてくんない、ガイ。この女、一度痛い目見ないと分からないらしいから、ね」
感情の凪いだ瞳に射抜かれ、とっさに後ずさる。
私の怯えを察したのか、男が鼻で笑う。
男の纏う気配におぞけがよった。これは、一体何。これは一体何なの。
ぶるりと大きく体を震わせれば、視界を覆うようにガイ先生の背中が広がった。その途端、今まで襲っていた寒気とおぞけが綺麗に消え失せる。
「なっとらんなぁ、カカシ。女性に対して、その陰険な態度はいかんぞ。イルカは、オレも認めるほどの熱い教師魂を持つナイスな忍びだぞッ」
ガ、ガイ先生ッッ!!
ぐっと親指を突き出す姿を後ろから見て、そのお言葉を真正面から私だけに向けていただきたかったと、臍を噛むと同時に、動悸、目眩、息切れに襲われ、歓喜が迸る体を押さえ込むために、鉄格子に頭を打ちつけた。
あぁ、ガイ先生、サイコー! かっこよすぎるぅ、きゃぁあぁああぁ!!
「…イルカ…、怖いからそれ止めて…」
身悶えながら、鉄格子を鳴らせていれば、か細い声が聞こえた気がしたけど、それは幸せが見せる幻聴ね。だって、私、今、幸せ最高峰だものッ!!
「イルカよ。お前も、ここはオレの顔を立てて、カカシの無礼を許してはもらえないか」
振り返ったガイ先生に見つめられ、私の心臓は最高潮に燃え上がる。
びたりと動きを止め、ガイ先生のお言葉を聞き逃すまいと熱い視線を向ければ、ガイ先生はめぼしい光源がない中でもキラリと光る歯を見せた。
「こいつはちょっとばかり天の邪鬼でなぁ。シャイで初なとこを隠そうとして、人から誤解される。根は良い奴だとオレが保証するから、ここは一つ、これからも仲良くしてやってくれんか」
にかっと太陽すら越えた男らしい熱い笑みに、私は一も二もなく、頭を上下に振る。
「も、もちろんです!! ガイ先生がおっしゃることなら間違いないですッ。はたけ上忍、前言撤回いたします。この度の無礼な数々、申し訳ありませんでしたッッ」
本当なら私を見つめてくれるガイ先生とずっと目を合わせていたかったが、他ならぬガイ先生のお願いごとに、泣く泣く視線を外し、はたけカカシの顔を視界に入れた瞬間、頭を深く下げた。
舞い上がるあまり、鉄格子に頭を打ちつけたが、そんなのどってことない!! ガイ先生の言葉が私を強くするの…!
「カカシ、イルカはきちんと謝ったぞ。その熱い心を受け止めてやらんで、何が男か、上忍かッッ! 青春だなぁッ」
パンパンとガイ先生がはたけカカシを叩く音が聞こえる。それに混じって、男泣きに泣いているガイ先生の声に、その顔を見たいと猛烈な欲求が生まれるが、拳を握りしめ耐えた。
謝ったんだから、さっさと許せよなと、何も反応を返してこないはたけカカシにイライラが募る頃、ようやく気配が動いた。
「…つき合ってらんない」
呆れたというより興味すら無くした声で発言したはたけカカシに、思わず顔を上げる。
その瞬間、ぶつかった視線に、ひくりと喉が蠢いた。そして、そのまま囚われた。
私が奴に怯えた理由。
灰青色の瞳の奥は、死んでいた。
意志や心は見えず、淀んだ死がそこに巣くっている。
里の誉れと誉め讃えられた忍びの深淵をのぞき込んでしまった気がして、体が震え出す。
どれだけの修羅と地獄を見れば、あれほどの虚無感を抱えることができるのだろう。だが、それより恐ろしいのは、引きずられてしまうことだ。
かふっと小さく咳がこぼれでた。同時に、あるはずのない血の固まりを胸にこぼした気がして、濡らした錯覚を覚えた服を掴む。
「…るな」
小さく悲鳴があがる。
「イルカ?」
「どうしたのだ、イルカ」
声が聞こえた。決して遠くはない。耳に覚えののある声。
けれど、確かめる術がない。視線は固定されたまま、男の目から逃れられない。死が蔓延している場所から抜け出せられない。
「み、ない、で」
咳が出る。硝煙が立ちこめる中、走ってきたせいだ。
違う。そうじゃない。
いや、そうだ。正確に言えば、煙だけじゃない。全てが生臭くて、ひどい臭いが充満していて、ろくに息もできない中、それでも走ってきたせいだ。
違う、そういうことじゃない。あれは終わったこと。あれは過ぎたこと、私はもう乗り越えた。
青灰色と赤い色の奥に映った、二人の私が同時にワラった。
『本当にそう思っているの?』
遠い暗闇に満月がかかる天が広がる。それを背景に白く浮き上がる花弁が見えた。
仄かな月明かりに照らされて、白く灯る小さな花弁が、頭上を覆うように咲き誇る。
時折、揺れる枝振りから、雪のように花弁が舞う。
静謐な夜にそれだけを眺めるならば、それはとても美しい景色。
けれどー。
その下には、数えきれない、無数の屍が覆う。
寸断された頭、誰とも知れぬ足、腕、黒炭化した死体が、積み重なり、折り重なっていた。そして舐めるように、それらを燃やしていく。
生きているものには発火しない、狐火。
肌を焼く臭いはするのに、熱くはない、魔性の火。
消す手段はなく、ちろちろと這う火は青白く、上空から落ちてくる月明かりと、地面から発光するように燃え上がる火に照らされ、全てが浮き上がるように光を放っていた。
そして、それはそこにいた。
周囲の光を一身に受け、光輝く金色の獣。
赤黒く染まった大地と己と、周囲とはかけ離れ、それはそこに立っていた。
傲慢なほどの強さと、邪悪さを湛え、汚れた大地の上、それだけは残酷なまでに美しく、孤高に存在した。
誰かの声と、誰かの手に守られた体は、辛うじて息をしながら、ただそれを見つめていた。
赤い瞳を、光よりも鋭い黄金の毛並みを――、そして、私は……。
「あぁああああああああああああああああああああ!!!!」
目を見開き、頭を抱える。脳裏の映像に重なって、目の前にいる男の目が大きく見開いた。額宛に隠されていたはずの、三つ巴の文様が私を見つめている。
がたがたと震える足から力が抜ける。体重が支えられなくなる直前、呪いを吐くように男へ視線を飛ばした。
写、輪眼…。
男は虚無の中に、わずかな感情を浮かび上がらせ、傾ぐ私に視線を向けていた。
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……ちょっと暗いです。