手を繋いで 11

「ちょっとアンタ、起きなさいよ」
声と同時に揺さぶられた瞬間、激痛が走り、身悶えた。
「いッ……ぐぅぅ!!!」
何をすると目を開けば、アンダーを鼻先まで上げたカカシが見下ろしている。
さっきまでは素顔だったのにと、辺りを見回して、ここはまだ近江屋だということを確認する。けれど、卓に並べていた料理や酒は全て片づけられていた。



「………あの、お開きですか?」
ベストのジッパーを上げ、手甲をはめるカカシに尋ねる。
「そーです。……アンタ、一体何しに来たんだかね…」
小馬鹿にする視線を向けられ、カチンときたが、ここにいたはずの人物がいないことが気にかかり、そちらを優先させる。
「ガイ先生はどうされたんですか?」
額当てを斜めにつけながら、カカシは肩を竦めた。
「アンタにとっちゃ残念だろうけど、あいつは任務。アンタが倒れてからすぐ召集がかかってね、先に帰ったよ。アンタも身支度しな」
投げつけてきたベストを受け取り、起き上がろうとして止まる。
…………無理。今、起き上がれば、………死ぬ……!!!
「ほら、さっさと立ちなさいよ。ぐずぐずしてると、置いてくよ」
生まれたての小鹿よりも貧弱にふるふると震える私に、カカシが声をかける。
待つ素振りを見せるカカシに意外なものを感じるが、動きたくても動けないのだから仕方ない。
「………あの…。う、動けないんですが……」
恥を忍んで正直に言えば、は? と実に嫌な顔を見せてきた。
何だよっ、元はと言えば、アンタが破廉恥極まりない最低行為を私に仕掛けたからだろう……??!!
ばかーッと心の中で絶叫すれば、カカシは思ってもみないことを言った。
「……じゃ、ここ泊まる? 女将に言ってくるよ」
と、立ち去ろうとするではないか!!
「いやぁぁぁぁぁぁぁ、待って、待って、待ってくださいぃぃぃぃぃぃぃ!!!!」
障子を開け廊下に出ようとしたカカシを慌てて引き止めた。
思い切り声を張り上げたので、カカシは耳を押さえ、不機嫌な顔で振り返る。
「ちょっと、今、真夜中なの。声、落としなさいよ、非常識な」
「お、落としますから、落としますから、お願いですから、お泊まりは止めてくださいっっ」
どちらが常識か非常識かは、この際置いておき、手を合わせて懇願する。すると、カカシは思い切り重いため息を吐き、頭を掻いた。
「…あのねー。いくらなんでもアンタなんかに手は出しませんよ。女将に言ったら、俺は帰り―」
「そんなことじゃなくて、お金がないんです!!!」
言葉を遮り叫べば、カカシの動きが止まった。視線がついーと左右に動いた後、ワンテンポ遅れて、実に間の抜けた声をあげた。
「は?」
「だからですね、お金がないんです。きっと私の貯蓄を全部合わせても、ここの宿代にすらなりませんっっ」
切実に言った言葉に、カカシは何だと面倒臭そうに息を吐いた。
「………そんなの。こっちで持ちますヨ。だいたい、今日の飯代、誰が払ったと思ってんですか」
しれっと太っ腹のことを言うが、それとこれとは話が別だ。
「ご飯代は当たり前ですけど、宿代は話が違うんですっ!! というより、私のお金で払えないところに、私だけ泊まるということが駄目なんですッッ」
「………当たり前…」
ひくりとこめかみが浮いた気がするが、気にしてはいられない。
幼き頃より両親に教え込まれた、のっぴきならない事情を私は話しだした。
「はたけ上忍、いいですか? 人には分相応という言葉があり、それに反するととんでもないことが起きちゃうんです…!! これは幼き頃より耳タコのように言われ続け、そして現在に至るまで必ず私の身に起こってきたことだから間違いない事実なんですッ」
「……何、ソレ」
私の重々しい言葉を受け、衝撃を受けているのか、突っ立ったままでいるカカシに、私はこちらに来てくださいと手招きをする。
ここにどうぞと、真正面の畳を叩けば、カカシはしばらく視線を明後日に向け、頭を掻いていたが、障子を閉め、大人しく座ってくれた。



「一体、何ですか。その胡散臭い話は」
覗いた右目に何故か不信感が見える。
私は負けじと胸を張り、言った。
「胡散臭くないですよ。いいですか、これは私が花も恥じらう少女だった頃の話です。外見とは裏腹に、そのときの私は近所の男の子を引き連れ、そらーもぉー、ひどい悪戯をしていたんです。禿げ親父の大事な盆栽を、頭と同じようにつるつるにしてみたり、近所にいる飼い犬という飼い犬に眉毛書いたり鼻毛描いたり、近所に住むありとあらゆる猫の毛を斬新なカットでプロデュースしてみたり、かわいい女の子たちに毛虫やトカゲ、なめくじやらなんかを投げつけたり、火影さまや父ちゃんの秘蔵のエロ本に落書きしたり、壁や屋根、時には寝ている人の顔に心ない言葉を書いていたりしてました………」
「………アンタ、最低だね」
カカシの突っ込みをあえて無視し、私は語る。
「ある日のことです。私が前々から目をつけていた、人気のないお屋敷。ここは何かと曰くありつきの家で、近所の子供たちからは幽霊屋敷と称され、恐れられていました。けれど、その日、私は臆する男の子たちを笑い、一人で乗り込んでいったんです。狙うはその屋敷の中で一際目立つ、犬の銅像。いやー、今思い出しても立派な犬でしてねー。四本足で大きく立ち、耳と尻尾を立たせ威風堂々たる姿はまさに忍犬と呼ぶにふさわしい犬でした。私は思いました。ぜひともその犬に、前掛けとお花と眉毛に鼻水を装着させたい……と」
在りし日の希望に胸を膨らませていた頃を思い出し、握る拳に力が入る。
はぁぁぁと深いため息が真正面から吐かれたが、華麗にスルーだ。
「草が生い茂る庭に一人で乗り込み、意気揚々と犬の銅像の前に立ちました。派手な花のカチューシャ、前掛け、青と黒の油性マジック。そして、もうひとつおまけとばかりに、赤いマントを手に持ち、私は銅像の前に立ったんです」
「……それで?」
気のないカカシの相槌を相の手に、私はあのときに思いを馳せる。
「そう、立ったんです。その直後、私の記憶はありません……」
「………は?」
食い付きを見せたカカシへ、私はニヒルな笑みを浮かべた。
「気付いた時は、そのお屋敷前に倒れていました。そして、私が意気揚々と手に持っていた数々の品を着こんだ状態で………」
「ブッ」
吹き出すカカシに目をくれず、私は遠くを見やる。



想像して欲しい。
近所のガキ大将として君臨していた子供の失墜ともいえる現場を。



日ごろ、でかいことを言い、下僕のようにこき使っていた女の子が、派手な花のカチューシャを頭につけ、胸には赤ちゃん用の前掛けと、背中には馬鹿みたいにド派手な赤マント、極めつけに、額にはバカ犬、右頬には駄犬、左頬には負け犬、鼻の下には青鼻、顎には謎の絵文字が書きつけられ、倒れているのだ。
子供は残酷だ。
それ以降、私は幽霊屋敷に行って返り討ちにあったバカ犬と大将の座を奪われ、今まで子分だった奴らから総スカンを食らってしまった。



思い出すだけであのときの切ない子供心が蘇ってくる。
しかも超強力と謳われた油性マジックを持って行ったものだから、一週間は落書きつきの顔でアカデミーへ行った。
忍だった両親に泣きついたものの、「自業自得! 日ごろから言ってるでしょ。分不相応な行いはしない。自分に手に負えないものに手を出すからよ」と、取り合ってはくれなかった。



「それからです。私がちょっと背伸びして買ったミニのスカートをはいた時も、ちょっとお高いお茶を飲んだ時も、超高級と名高いラーメンを食べに行った時も、火影さまに内緒で地下の機密文書がある部屋へ忍び込んだ時も、全て、全てわが身に不幸な災いが降りかかったんですぅーーーーーーー!!!」
畳に突っ伏し、さめざめと泣けば、額を押さえたカカシが「たとえば?」と聞いてきた。
何がですかと鼻を啜り、視線を向ければ、カカシは眉根を寄せてこちらを見下ろす。
「例えば、スカート。ミニスカート買ったあんたに何が起きたの?」
よりによってスカートの話題を出すとはと、男の陰険さを詰りつつ、私は答える。
「それはいて町に出かけたら、裂けてたんです」
「……は?」
「裂けてたんです!! いつ裂けたか分からないけど、後ろが真っ二つに裂けて、ずっと私は下着を晒して街中を闊歩していたんです!!」
きぃぃとヒステリー気味に叫べば、次とカカシは言う。
「じゃ、お高いお茶は?」
「始めはおいしく飲んでいたんです。飲んでいる時にやけにぶつぶつ感があるなーって思いながら全部飲んだ後、それをくれた友人にお礼言ったら、顔を青くして『それ虫が湧いてる』って叫んだんですーーー!! あとの祭りですーーー!!!」
「その次の、ラーメンは!!」
「私が食べた日に限って、腐った食材使ってて、食中毒になりましたッ」
うっと言葉を詰まらせたカカシに、最後は聞かないのかと挑戦的な視線を向ける。すると、それはいいと脱力された。
何故だっっ!!!



「ともかく、本当なんです!! 分不相応な真似をしたら、とんでもない災いがどんどこ雨後の筍のように生えてくるんですっ。信じていただけましたか……!!」
脱力したカカシに魂の雄たけびをあげれば、んーとカカシは唸る。そして、はぁと大きくため息をついた。
「……あのですね。俺も今まで忘れていたんですけど、犬の銅像前でのアレ。…アレやったのオレです」
はい?
突然の告白に頭が追いついていかない。
首を傾げる私に、カカシはしぶしぶ口を開いた。
「だからですね…。子供たちが噂していた幽霊屋敷は、俺の生家。父と俺は専ら任務で家を空けがちだったから、人の気配が薄かったんですよ。あの日、任務を終えて帰ってみれば、いかにも悪戯好きそうなガキが庭にいたから、最近近所で噂になっている子供の悪戯予防という意味で、あんたに犠牲になってもらったんです」
重なる過去に、少し目眩を覚えた。
そもそもの発端は、アンタなのか!! いや、待て、ということは……、つまり!!



ハッと息を飲み、私は口を押さえる。
しまった。藪をつついて蛇を出した心境だ。
私は隠された真実を見つけてしまった………!!!



恐ろしい真実に体が震える。どうしよう、重要機密を垣間見てしまった。
「……どうしたの。顔真っ青にしちゃって、何?」
惚けた顔で聞いてくるカカシに、迷いが生じる。カカシも一時期、アレに入っていた。だが、今は出ている。ならば、アレに詳しいはずだ。
いくらアレでも、すぐに命まで取るまいと、私は一応試しに聞いてみる。
「はたけ上忍、今も暗い方面の火影さまの直属のアレと繋がりがあるんですか?」
「暗部のこと? ま、そりゃねー。結構長い間いたしね」
「………はたけ上忍に逆らえるアレはいるんですか?」
「うーーーん。みんな、後輩みたいなもんだからね。いないんじゃ……って、何、里の重要機密の話させてんのよ…!!」
えらいぺらぺらと喋るから規制ないかと思ったが、そうでもないらしい。
失態という文字を右目に貼り付け、覗いた目元を赤くさせるカカシに、私は一縷の光明を見た。
にっくき恋敵とはいえ、その超強力なパイプ、見逃す手はない。



「あのー、はたけ上忍にぃー、お願いがあるんですぅvv」
「…何ですか、藪から棒に…。ちなみにアンタ、その手のおねだりは止めた方がいいですよ。逆効果です」
チッ、お色気が通じねぇとはとんだ朴念仁だッ。
カカシの指摘にやさぐれるも、お願いごとを言う本人の言に従い、今度は品を変え、唯一見える瞳をじっと見つめ、私は真摯に言った。
「ぜひとも、暗部の皆様方には、うみのイルカの分不相応な行いは見逃してやれ、とお口添え下さい……!!」
「………はぁぁ?」
顔が歪むカカシに構わず、私は訴え続ける。
「私、分かっちゃったんです。暗部は木の葉の分不相応なことをした輩を影から戒める特殊任務も遂行している、木の葉の仕置き人なんですよね!! 私、はたけ上忍からの情報でぴんときましたから、間違いなくズバッと核心に迫りましたからッッ。お願いです、はたけ上忍!! 暗部の皆さまによーくよーくお話してやってくださいっ、私、改心したんです、マジで改心したんですってば!!!」
「アンタ、どっか頭がおかしいんじゃないの?!」
手を伸ばしてカカシに縋ろうとするが、カカシはそれよりも先に後ろへ飛び、私と距離を取った。
「そんな訳あるはずないでショ! 暗部が脳みそに花が咲いたようなお気楽な任務を受け持つ訳ありません。それに、俺の話からどうしてそういう話になるってのヨ!」
「だって、はたけ上忍、元暗部じゃないですかー! 暗部になる人は、小さい時から暗部が目を光らせて候補者絞ってるって聞いてるんですよっ。現役暗部の推薦で暗部入りが決まるって、私、知ってるんですからねッッ」
私の言葉に、カカシの気配が大きく揺れた。
「な、なんであんたが最高機密事項知ってんのよっっ!!」
「んー、たまに火影さまの秘書紛いのことしてるんですけど、時々、火影さまが独り言言うんですよね。それで」
けろっと言えば、カカシは体を震わせていた。「あんのクソジジィ」と何やら不穏なことを言っていたが、あえて聞こえない振りだ。
「と、ともかく! 暗部が木の葉全土に散らばって、人々の分不相応な行いを見張っているっていうのはあり得ない話でしょう?!」
吠えるカカシに、私は真っ向から反論する。
「そんなことありません! 現役暗部だけでなく、引退した暗部、その候補に選ばれた次期暗部をかき集めて散ばせたら、簡単にできるじゃないですかッッ。計算によると、暗部一人に対して、だいたい5〜10人。暗部の実力からして、できない数じゃありませんッッ」
ダンと畳を叩けば、うっとカカシは言葉を飲み込んだ。
そのまましばらく腕を組み考えていたが、息を吐くと同時に腰を下ろした。そして、疲れたとばかりに顔を覆い、胡坐を組んだ膝に手を置いた。
「……確かに。アンタの言う通り、可能なことではあります。けど、これだけは言えます。元暗部だろうが、暗部候補だろうが、人の生活態度に口出すような、所帯じみたケチ臭い任務は一切していませんッッ」
きっぱりと断言するものだから、ちょっと心が揺れた。
「………本当ですか? だったら、私の陰惨な災いは?」
「……運がないだけでショ」
身も蓋もない言葉に眉根が寄る。
納得できずに反論しようと口を開けば、手を向けられた。
「すとーぷ。もういいです。アンタとの不毛な会話にも疲れました。……アンタの言う通り、ここに泊まるのはナシでとっとと帰りますよ」
はぁとため息を吐き、腰を上げたカカシに不満を感じつつも、ここに泊まらなくてすむのなら我慢してやるかと、早速帰る準備をする。





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切りが悪くて、すいません……