手を繋いで 14
「ま、どーでもいいけど……。……限界だーね…。勝手に休ませてもらうヨ」
目を擦りながら、カカシはのそのそとベッドに入り込む。
「ちょ、家主をさしおいてベッドで休もうという以前に、初めて訪れた女性の部屋で寝るなんて、何、考えているんですかッッ」
とんだ非常識男に私は牙を剥きだし噛みついた。
嫉妬に駆られて、怒りは倍増だ。
半泣きでわめく私の言い分に、カカシは私から背を向け、掛け布団にくるまるなり、ふぃーと寝る準備に入る。おいおいおい!!
風呂にも入らず、おまけに任務直後の服でそのままレディのベッドに入り込むたぁ、なんて輩だッッ。やっぱりアンタは綺麗好きで常識溢れるガイ先生にふさわしくないッッ。
自分の家に帰れと叫ぶ寸前、カカシの口から言葉がこぼれ出た。
「……悪かったーヨ。勘違いしたとはいえ、写輪眼を里の仲間に向けるべきじゃなかった…。ごめーんね」
出かかった声を思わず飲み込む。
もしかしなくても、今、カカシが謝った??
予想外の言動に言葉を無くしていると、カカシはこちらに背を向けたまま、言いまくし立てた。
「せ、せっかく席用意してやったってのに、アンタってば一人で来てないし、酔ってるし、雰囲気ぶち壊す奴連れてくるし、もー開いた口が塞がらなかったーヨ。本題に入ろうとしても、アレが絡むし、アンタ気絶するし、席めちゃめちゃだし、おまけに立てなくなっちゃってるし、そんなこんなで余計な体力使わせるし……。ったく、ロクでもない…。こんなはずじゃなかったのに…」
うじうじ言ってはいるが、要は、お詫びのつもりで酒の席を用意したが、ガイ先生がいて恥ずかしくて本題に入れず、謝れなかったということだろうか。
こちらに背中を向けるカカシの表情は分からないが、布団から覗く耳は赤いようにも見える。
前にカカシの頭を撫でた時も真っ赤になっていたことを思い出し、すとんとカカシの謝罪が胸の内に入った。
……なんだ、案外イイ奴じゃん。
悪いことは悪いと認め、自分から頭を下げられる人は嫌いではない。
ガイ先生に恋するだけのことはあるかと、ちょっぴり奴を見直した。
「……そういう訳だから、後からぐじぐじ言わないでよね」
居心地が悪いのか、カカシは布団を頭まで被り、素直じゃない言葉を吐く。
「はい、了解です」
こみ上げる笑いを我慢し、敬礼した。けれど、震える声は筒抜けだったようで、カカシは「笑うな」と小さい声で咎めてきた。
その声が何だかとっても可愛くて、我慢できずに吹き出してしまう。
「ブッ」
「ーア、アンタねー!!」
ぐるりと回転して、口布を外したカカシの顔は真っ赤だ。想像違わぬ赤さに、ますます笑ってしまった。
「ひー、はははははッ、い、いたっ、も。痛ッッあはははははは!!」
笑えば笑うほど、痛みが走る。でも笑いはなかなか止まってくれない。
おもしろいやら痛いやら、ある種、拷問のような状態が続く。お腹と腰を押さえて、ひくひく震えていれば、カカシはぶすくれた声をあげた。
「……もーいいよ、勝手に笑ってれば。後のことは後輩呼んだから、世話になんなよ。じゃ、おやすみ」
勝手におやすみ宣言をかますカカシに待てと言いたい。
後輩って誰や、後輩って、もしや……!!
「先輩、呼びましたか」
キターーーーーー!!!!!
背後に現れた、最近お馴染みのアレに、毛穴という毛穴から一気に冷や汗が吹き出る。
この展開、あのときの入院生活の序章を思い出させる。
何かの間違いであってほしいと、おそるおそる振り返った私の背後に、見間違えようのない、ウサギの面を被った暗い方面の方が突っ立っていた。
ひぃぃぃぃぃ、余計なことをッッ。
一瞬見直したカカシの株が、一気に急降下する。
どうしようとパニックに陥る私に、カカシは「あ、そうそう」と半分眠りかかった声で付け加えた。
「寝ている時、俺に近づかないでーね。寝ぼけて殺しちゃうかもだから」
ひらひらと手を振り、くーすかーと寝息を立てる男の言に拳を埋め込みたくなった。
人の家のベッド占領しておきながら、近づいたら殺しちゃうってどういう教育されたんですか?! つか、私はどこで寝ればいいのだ?!
「…驚き。先輩がよそ様のお宅で眠るなんて、初めて見た」
淡々と感想を漏らす暗部な方に、返す言葉がない。
驚いたというなら、そういう調子で言ってくれないだろうか。
声からして、入院中何かと世話を見てくれたウサギの女性だとは思うが、それがラッキーなのかアンラッキーなのか判断つかない。
一応、顔見知り。だが、できるならば二度と会いたくなかった人。
心の中で滂沱の涙を流しつつ、ひとまずコンタクトを取ってみる。
「お、おひさしぶりで」
「あら、あなた、濡れてるじゃない。風邪でも引いたら事だわ」
出鼻をくじかれた。
暗部なウサギの方は居間のタンスに向かうなり、上から三段目を開き、的確にタオルを取り出す。
やっぱり仕置き人説は正しいんじゃないかッッ?!
あくまで否定したカカシを詰りつつ、ウサギのされるがまま大人しく身を任せた。
入院中、体を拭いてあげると皮を削いだ怪力の持ち主だ。今宵も因幡の黒ウサギと相成り果てる己を想像し、あまりに可哀想すぎる自分を慰めた。
私の髪紐を解くなり、タオルを頭に乗せ、手を置く。身を固まらせていれば、頭皮がこそげる痛みはついぞやってこなかった。
さわさわと揉むように拭いてくれる優しい手つきが信じられない。
「……もうしないわ。無体なことはあれきりよ。どうやら考え違いをしてたの」
淡々と述べるウサギさんが、底知れぬ何かを隠していそうでやっぱり恐い。
「か、考え違いとは…?」
油断させておいて首を絞めるつもりじゃないかと、警戒しつつ質問してみる。するとウサギさんは、くすりと笑った。
「あなたがカカシ先輩に盾つく害虫だと思ったの」
一瞬漏れた殺気というには粘着質なそれに、うなじがちりちりと痛む。
凍り付く私を気にせず、ウサギさんは頭を拭いてくれながら、言葉を続けた。
「カカシ先輩は人としても忍としても尊敬できる人なの。あの人がいてくれたから、今の私たちがある。私たちにとって、先輩はかけがえのない方。幸せになってもらいたい方なの」
感情の欠片も見つからない声音で、尊敬する人を語る方に初めてお会いした。勘ぐりそうになるのは、私だけなのだろうか。
「だから、先輩に危害を加えたであろうあなたに、暗部一同で脅しをかけたの。腕の一、ニ本もぎとる案もあったのだけど、場所が場所だし、先輩が看病っていう名目だったからあまり手出しできなかったわ」
心底残念そうに言うウサギさんが恐い。
しがない中忍には、暗部の皆様方の看病を語った脅しは効果抜群でしたよ。
食事の介助で拷問されたり、衣服の着替え補助で天井に吊されちゃったり、体を拭くといって赤身が見えるほどこそげ取ってくれたり、思い出すだけでも胃が痛くなるようなことばかり。
このままでは殺される。このままでは介護の名の下に、リンチ殺人されてしまうと、日に日に増える生傷を見つめ、脱走計画を立てたがとっつかまり、手枷に鎖と監禁生活となったことが、恵まれていたことを知るなんて、人生って分からないものだ。
腕、もがれなくて良かった…。
人知れず涙を流す私に、ウサギさんは「終わった」と声をかける。そして、ミジンコほど感じさせない気配で立つと、てきぱきと私の予備の寝間着を持ってきて、するすると衣服を脱がせ始めた。
「え、あ、あの、ここまでしていただかなくとも……!!」
振動を与えず脱がせる手腕に、暗部の凄さを感じる。
「先輩からあなたの世話を直接頼まれたの。完璧にしてみせるわ」
静かなやる気をみせるウサギさんだった。
生乾きの忍服をはぎ取られ、下着になった私はちょっと身の置き所がない。
気恥ずかしくてもじもじとしていたら、ウサギさんは淡々と言った。
「傷だらけね。背中と数カ所の傷は戦闘によるものだけど、残りのものは抵抗した跡がない。……あなた、里の人間に恨まれてるの?」
傷跡で誰がやったか分かる暗部の能力が恐ろしい。
口を閉ざす私に、ウサギさんは黙って寝間着を着せてくれる。
「…ありがとうございました」
礼を言えば、「いいのよ」と返ってきた。
しばらく無言が続く。
こちらから言うことはないし、ウサギさんとて詮索するつもりはないようだ。
けれど、何とも微妙な空気に包まれている。
もう帰って頂こうかと声をかけようとした時、ウサギさんは小さく笑った。
「カカシ先輩が積極的に人とかかわり合うことは珍しいことなの。ーー私たちは謝らなくちゃいけないわ」
ウサギさんは前触れもなく私の目の前に正座すると、姿勢を正し、深々と畳に頭をつけた。
「えっ!! ちょ、そ、その!!」
度肝を抜かれるその光景に慌てていれば、ウサギさんは静かに口を開いた。
「先日の非礼はお詫びします。ーー今後とも、カカシ先輩をお願いいたします」
ウサギさんの突飛な言葉が理解できない。
何故、カカシをお願いされねばならないのだろう。奴とは雌雄を決する戦いが控えている身なのに。
言いあぐねる私に、ウサギさんは顔を上げた。
「あなたなら、先輩を幸せにできると思うの。今まで先輩の周りにいた女性の中に、あなたのような人はいなかった。私は、あなたを応援するわ」
がんばってちょうだいと肩に手を乗せられ、瞬間、気が遠くなりそうになる。
「ちょ、ちょっと待ってください、ウサギさん!!」
ウサギさんの手を掴み、待ったをかける。冗談ではない。私がいつカカシの奴のいい人、いや情婦になったのだ……!!
ウサギさんは何故か、まぁと空いた手で口を押さえると、ふるふると震え始めた。
「ーウサギさん?」
あ、まずった…! 面がウサギだからって安易なネーミングに走って、機嫌を損ねたか…!!
現役暗部の鉄拳制裁を受けて、果たして生き残れるのか。
ひぃやぁぁとこの先に待つ惨劇に思わず目を瞑る。だが、ウサギさんは初めて声に感情を乗せて呟いた。
「……嬉しい」
「…は?」
目を開けば、桃色チャクラがそこら辺を漂っている。
呆然とする私の目の前で、ウサギさんは面の口元に手を置き、流れる黒い髪をそのままに横座りした。
「私、初めてファンシーな呼び方されたわ。鮮血兎とか、氷白の月兎とか、厳めしい通り名ばっかりで嫌気が差していたの……。私、不思議のアイリス大好きなのに……」
現役暗部の突如始まったお悩み相談室に、どう対処していいか分からない。
「暗部の面は各自で選べるんだけど、私は不思議のアイリス的なウサギを思って選んだのに、あいつらったら精力絶大願ってのウサギか、仕事熱心もほどほどにしとけよって言うの。ひどいと思わない? ウサギと言ったら、ファンシーで可愛いのが常識なのに、あいつらにとっちゃ、ウサギは絶倫のシンボルだなんて言うのよっ」
「………大変ですね」
ウサギを選んだだけで、そう勘ぐられるのはいただけない。
「そうなの、大変なの」とあまり大変そうには聞こえない棒読みの台詞だったが、彼女の言葉の端々に微かに感情が乗っていることからして激昂しているのだろうと、見当つける。
「あなた、うみのイルカって言うんでしょ?」
己の名を言い当てられ、寒気が走る。否定したい。激しく否定したい!! が…。
「……はい」
下手な嘘吐いて、バレた後が恐すぎるため、大人しく頷いた。
ウサギさんは私の手を両手できゅっと握ると、面の下できっと良い笑み浮かべてんだろうなと思わせる様子で、語りかけた。
「これから、イルちゃんって呼んでいい? これからも私のことウサギさんって、いいえ、ウサちゃんって呼んで」
目前に迫るウサギの面が恐ろしい。
チャクラは桃色だが、迫り来るウサギ面は陰影が入り、凄みがある。
「は、はい。う、ウサちゃん」
妙な成り行きになったと、泣く泣く頷けば、ウサギさんことウサちゃんは、私の胸下と腿に腕を突っ込むなり、体を持ち上げた。
そして、何故か寝台へと歩みを進めている。
「え、う、ウサちゃん!? 何処いくつもりですか? 何処に向かっているのデスカ?!」
私にウサちゃんと呼ばれることがよほど嬉しいのか、語尾をほんの少し弾ませ、ウサちゃんは含み笑いを漏らした。
「イルちゃんってば、今更恥ずかしがらなくてもいいのよ。先輩が人の家で眠るなんて、よっぽど先輩に好かれているってことだから、自信持って。私はイルちゃんの味方だから」
いやいやいや!! 奴がこの家に来たのは初めてだし、あなたが来た時に「寝ている時、俺に近づかないでーね。寝ぼけて殺しちゃうかもだから」って私に向けて言ってたの知ってますよね?!
「こ、ころころコロサレちゃいますよッッ」
死ぬのはイヤだと足掻いていれば、ウサちゃんは綺麗な笑みを浮かべていそうな声音で言った。
「先輩は、恥ずかしがり屋なだけ。私がいる手前の言葉に決まってるわ」
その自信は何処から?!
「ウ、ウサちゃんは勘違いしてるんです! 私ははたけ上忍とは恋のライバル関係でそれ以上でもそれ以下でもないんです!」
「やだ、イルちゃんってば、それノロケ? 恋人同士で恋のライバルって、どれだけ相手のことを思っているか勝負してるってことでしょ。もー、私に牽制しなくても大丈夫よ。私もお付き合いしている人いるから」
淡々とした声音できゃっきゃと語るウサちゃんと、意志疎通ができない。
どうすればいいのだと混乱する私を、ウサちゃんはカカシの背中めがけて投げた。
何故、投げる?
スローモーションの中、ウサちゃんへと手を伸ばす私に、バイバイとウサちゃんは暢気に手を振っている。
オメー、この直後、私が微塵切りに刻まれたら、どう責任取ってくれるんだと心の中で罵るが、体は勢いを止めてはくれない。
濃厚な殺気がカカシから漏れる。
うわ、マジで死ぬ……?!
いやだーと自分では叫んでいるつもりだが、声までスローになったようで、後から聞こえてくる。
寝台に体が触れ、カカシと接近した瞬間。
ぼすんと、ウサちゃんの的確な投げにより、寝台の布団へと私の体はうつ伏せのまま入った。
さすがに入ったときの衝撃は消せずに、のたうち回ることになったが、恐れていたカカシからの攻撃はやってこなかった。
肌が切れるかと思うほどの殺気も消えている。
お尻の痛みに呻きながらも、命だけは助かったと安堵していれば、ウサちゃんが笑った。
「言ったでしょ。先輩はイルちゃんのことが大好きなのよ。これからもずっと側にいてあげてね」
そう言うと、ウサちゃんはバイバイともう一度私に手を振り、消えた。
しばらくウサちゃんがいた場所を呆然と眺めた。
「………何と言うか……。はずい…」
一人呟き、寝台に突っ伏す。
ウサちゃんの臆面もなく言った言葉がこそばゆくて仕方ない。
カカシが私のこと大好き? そんなことある訳ないじゃないカッ!
「……でも、ライバルとしては認めてくれてるって、ことかな…」
こちらに背を向けたまま、寝入っているカカシを見た。
一流の忍のカカシが、赤の他人に無防備な背を向けることは考え辛い。
そのカカシが私に心を許すという理由。
「…正々堂々と勝負っていうことですよね」
カカシの態度で示してきたメッセージに、俄然、やる気が出てくる。
中忍だとか上忍だとか、男女に関係なく、ガイ先生に対する思いは対等だと認めてくれている。
カカシの態度は、余裕とも取れるけれど、私にはすごく嬉しいことだった。
「負けませんからね…!!」
小さくカカシの背に向けて言えば、カカシはうーと小さく唸り、寝返りを打った。
仰向きになった拍子に、目の前に落ちてきた左手がわきわきと動いている。
これは勝負の始まりの握手を求めているのだなと察し、同じく左手を乗せた。すると、カカシはぎゅっと手を握りしめてきた。
これからの戦いに負けないという力強い握手に、私も負けじと力を込める。
「カカシ、明日からが本番だからなッッ」
こうして、私とカカシの恋の戦いの火蓋は切って落とされたのだった。
戻る/
15へ
-----------------------------------------
…捏造万歳!!