手を繋いで 17
顔を上げるなり、パックンの目を見詰めた。
垂れ下がった瞼から覗く瞳は、つぶらでとてもキュートv なんだけども、愛でるのは後回しにして、私は真摯に語りかけた。
「初めまして、先輩。わたくし、この度、縁あってはたけカカシ上忍の傘下に入りました、うみのイルカと申します。これからご指導ご鞭撻のほどどうぞよッ」
背中を蹴られ、言葉が途切れる。突っ込んだ顔を上げようともがけば、背中にずしりと重みが加わり、顎を捕まれた。
「いーつ、アンタがオレの傘下に入ったって? 冗談もほどほどにしないと切れるよ?」
そのまま真後ろへ、エビ反りに反らされる。背骨と首に嫌な痛みを感じるに至って、夢中で腕をタップした。
ぎぶ、ギブギブギブギブギブギブッッ!!!
「パックン、今の言葉は完璧無視していいから。この女、ちょっと頭がイカレちゃってんのーよねー」
必死にタップする私を無視して、会話に入る男の根性が信じられない。
「ちょ、い、いだいッ、ぜんばいだずげッッ」
目前にちょこんと座っているだろう先輩に手を伸ばせば、カカシは「まだ言うか」とより角度を狭めてきた。折れる、このままでは折れてしまう…!
「ふむ、ならばカカシの嫁か?」
必死こいてタップを繰り返していれば、幻聴が聞こえてきた。
『は?』
揃って顔を向ければ、しわくちゃの顔を心持ち緩ませ、パックン先輩は小さな尻尾を左右に振っていた。
「ようやくカカシの面倒を見てくれるものが現れたか。これで拙者たちの荷が下りるというものだ」
「めでたい」とますます尻尾を振るパックン先輩の言葉を訂正しようとすれば、それより先にカカシが叫んだ。
「冗談じゃなーいヨッッ!! なんで、この女がオレの嫁なんてなんのさッッ」
「パックン、目、腐ってんじゃない」とパックン先輩に詰め寄ったおかげで、私はようやく苦しみから解放された。
くそッ…、カカシと関わるといつもこんなんばっか!!
痛む喉と背中を撫でさすっている間に、カカシはご立腹した様子で、パックン先輩が持ってきた袋を手に台所へと去っていった。
残されたパックン先輩と私。
ーーチャンス、到来……!!
将を射んとすれば、まず馬を射よってなッ。これからの食生活がかかっている大一番、見逃す手はねぇッ。
ウハウハ忍犬ライフはすぐそこだと気合いを入れる。
「せんぱー」
私って役に立ちますよと、揉み手で売り込み口上を述べるより先に、パックン先輩が口を開いた。
「何、気にするな。ああは言うが、カカシの奴、お前のことをよほど気に入っとる。あの言葉も照れとるだけじゃろ」
ふふふと、くぐもったような笑い声をあげ、パックン先輩は私を見上げた。
この勘違い。つい最近、いや数時間前に遭遇した。「イールちゃーん」と、うさちゃんが手を振った気がして、私はそのイメージを首を振って追い払う。
「…パックン先輩、お言葉ですけど、それは間違いですから。本当に間違いですよ。私とはたけ上忍の間に熱いライバル心はあろうとも、そこに通い合うのは所詮敵対心のみ。まかり間違って…、まぁ、万に一つもないでしょうが、友情は芽生えようともそこに愛だなんてープッ」
あり得ないとたまらず吹き出せば、パックン先輩はしわに隠れたつぶらな瞳をにやりと細めた。
「揃いも揃って照れるとは。よほど気が合うとみえる」
「なッ、だから違うって言ってるじゃないですかッッ」
一歩踏み込めば、パックン先輩は5歩後退した。その動きはさすが忍犬といえる鮮やかな手並みだ。だが…。
「……パックン先輩、どうして逃げるんですか?」
言いつつ一歩踏み込めば、パックン先輩は軽やかなステップを交えて、3メートルの距離を開けてきた。
「…ちょっとな」
居間の敷居を隔て寝室にいるパックン先輩と、自分との距離が胸に堪える。そんなまさか、いや、そんなことって。
「逃げてますよね?」
「……そうか?」
じりじりと距離を詰めようとすれば、パックン先輩もじりじりと後退する。ジャンプして一息に距離を縮めれば、パックン先輩は音速の速さで畳の上を駆け、居間へと移動した。
「やっぱり逃げてるじゃないですか!!」
寝台へ着地し、避けられているこの身の切なさを、布団にぶつける。
「ひどいです、先輩!! 私はいずれはたけカカシの傘下に入る、いわば後輩ですよ?! その後輩を蔑にするなんて、どういうことですかッッ」
乙女座りで先輩を詰れば、パックン先輩の尻尾が下がった。
「う、うむ。拙者とて、未来の嫁に辛く当たる訳ではないんじゃが、いかんせん、臭うのでな……」
しわくちゃの顔をもっと顰めさせ、パックン先輩は両手で鼻を器用に覆った。……臭う? 誰が、私が……?!
くんくんと腕を嗅いでみるが、自分の体臭はいかんせん分かり辛い。
本当に臭うんですかと涙目で訴えれば、パックン先輩は鼻を抑えたまま、申し訳なさそうに言葉を吐いた。
「拙者は忍犬だ。普通の犬より嗅覚は鋭い。すまんがこれ以上近寄らんでくれ」
パックン先輩が片手を突き出す。
キープアウトの文字が、私とパックン先輩の間に横たわっていた。
うっ、何だかとっても胸が痛い…! こんなんじゃ、綺麗好きなガイ先生にも嫌われてしまうっ。
親指と小指を突き立て、涙にくれる私。
でも、くじけている場合ではない!!
「パックン先輩、私、お風呂に入ってきますッ! その後、じっくり話し合いましょうね」
ぐっと親指を突き立て、パックン先輩と行き違いに居間へと行き、箪笥からタオルと着替えを取りだす。
「嫁、拙者が臭いというのは、そうい」
愛らしくもブサ可愛い先輩の口から「臭い」と言う言葉が聞くに堪えず、私は先輩の声を振り切り台所へと逃げ込んだ。私だって、傷つく時は傷つくんだからッ。
傷つき疲れ果てた胸にそっと手を添え、台所に踏み込めば、カカシがエプロンをつけて料理をしていた。
どこから出したのか、コンロにはフライパンや鍋が並ぶ。つま先立ちに覗けば、フライパンには溶き卵が見え、鍋からは味噌のイイ匂いが漂ってくる。おぉ、魚焼き器でも何かを焼いている。
ほうほう、献立は卵焼きに、お浸しに、ナスの味噌汁、焼き魚。おぉ、ご飯は鍋で炊いているんですか!!
何かやってると思ったけど、ご飯作ってくれてたんだーv
「ご主人さま、やっるー! 早速、私の忍犬ライフ歓迎手料理を振る舞ってくださるなんて、このうみのイルカ、ご主人さまに尽くしますから、期待してくださいねッ」
「ただし、恋は別ですから」と釘を差し、脱衣所兼風呂場兼、洗面所へと入った。
安普請なアパートの風呂といえば、通路と風呂が戸一枚で仕切られている狭い空間だ。
戸を横に滑らせるなり、「はぁー?! ちょ、アンタ、何言って、って、何、なにアンタ! すぐ側に男がいるのに、普通風呂入る?! なに、ちょっと、何ぃぃ?!」と、わめきだす。
……一緒の布団に入った仲じゃん。一緒に風呂に入る訳でもないのに、何故、驚く?
カカシの種馬ライフ上、女と一緒に風呂入るくらいなんて腐るほど経験しているだろうに。
服を脱ぎ捨てながら、まだ何やらわめいているカカシの不可解な純情ぶりに首を傾げた。
こうやってわざわざ騒ぎ立てるということは……、もしかしてお約束のアレをしてもらいたいのか?
カカシはイチャパラなる18禁本をこよなく愛しているとナルトたちから聞き及んでいる。ならば、その可能性もないとはいえないだろう。
持ってきたバスタオルを全裸の体に巻き、少しでもグラマラスになるよう胸を寄せ、谷間を作っていざ出陣。
「ちょっとアンタ、聞いてんの?! こんなこと他の奴らの前でもしていたんじゃ」
大声でわめくカカシに構わず、風呂場の戸を少し開け、私はバスタオルの胸元を握りしめ、言った。
「ご主人さま、覗いちゃ駄目で―」
ビタンという音と共に、髪を吹き上げた風圧に言葉が途切れる。
戸を開けた瞬間、開いたと同じ早さ、いやそれ以上の早さで戸が閉まった。
「ちょ、なんですか! なんですか、ご主人さま!! 私の頑張りようは無視ですかッッ」
開けろと引っ張るが、戸はびくともしなかった。
「何を頑張ってんですか!! いらないことしないでいいから、アンタは風呂でも何でも入りなさいヨッ。ちなみに、ボケかまして下着姿で出るなんてことしたら、もう一回地獄の苦しみを味あわせるからネッッ。それと『ご主人さま』禁止ッッ」
カカシの鋭い突っ込みにちぃっと舌打ちをした。
さすがは里の色師。女の行動などお見通しということかッッ。
「カカシ、何か臭うぞ?」
戸を隔ててパックン先輩の痛烈な声が耳に届いた。まだ臭う?!
カカシなんぞに付き合っている暇じゃねぇとばかりに、バスタオルを剥ぎ取り、シャワーのコックを開く。
一瞬冷たい水が全身を打ちつけるが、そのうち熱い湯が体を包み込む。断然、風呂派な私だが、パックン先輩との話し合いが控えているため、涙をのんで手っ取り早いシャワーを選んだ。
全身を隈なく洗い、髪もついでに洗う。ここらでゆったりと風呂に入れたら極楽だろうが、我慢我慢と言い聞かせた。
タオルで体を拭き、新しい下着と服に着替える。
一応確認で腕を嗅ぐ。うん、石鹸の匂いしかしない。よっし、これで大丈夫っ。
上がったぞとばかりに戸を開け放ち、首にタオルを引っかけ、腰に両手を当てて登場すれば、そこには朝ごはんの準備を終え、卓袱台に運ぶパックン先輩とカカシの姿あった。
「…ア、アンタ、やけに早いけど、ちゃんと体洗ったの?」
疑り深い目で見るカカシに失敬なと空中で突っ込みを入れ、私もお手伝いするため駆け寄った。
「洗いましたとも、そらーもー全身隈なくありとあらゆる場所を徹底的に洗い清めましたとも…!!」
卓袱台におかずを乗せるカカシに、親指を突き立て、台所に置かれていた茶碗を運んだ。
いやー、しかし、よく食器の場所が分かったな。私ですらこの茶碗を見るのは、一年半ぶりだ。
懐かしい顔ぶれに久しぶりと心の中で声を掛ける。懐かしき再会に喜ぶ私へ、カカシはしゃもじを手に、「味噌汁よそってきなさいよ」と命令した。
「はい、ごしゅ」
「食らわすよ?」
敬礼して言いかけた言葉が途切れる。カカシは手に持つしゃもじまでパチパチと火花を散らせ、それ以上言うなと威嚇した。
強情な男め。いい加減諦めるなりして、私を忍犬として雇えばいいものをっ。
ちっと小さく舌打ちして、カカシの言う通り味噌汁をよそう。
味噌汁の具は豆腐にナスに、青ネギだ。ナスを味噌汁に入れるなんて変わっている。
だぼだぼと汁椀に味噌汁を注げば、味噌のふくよかな匂いが鼻をくすぐり、お腹を鳴らせる。そういや、昨日の夜はまともなご飯食べていなかったんだっけ。だけど、今朝は和食の大盤振る舞い…v
カカシの忍犬になれば、こんな夢のような食生活が毎日食べられるのだと、胸がいっぱいになった。
「ちょっと、アンタ! 味噌汁よそうくらいで、なんでそんなに時間食ってんのよッ。早くしないと遅刻するよ? アンタ、今日はアカデミーの会議じゃないの?」
焦れたのか、こちらにやって来たカカシの言葉に、我に帰る。あれ? そういや、今、何時?
何となく嫌な予感を覚えながら、居間にかかる壁時計に視線を走らせた。
…7時25分。
朝の会議が、7時30分からあるから………。
あ、そっかー残り時間は5分かー。
秒針が悪夢のように進むのを見詰めつつ、私はカカシと向き合った。
カカシは腕を組み、どうなんだと私を見詰めている。
うん、どうなんだ? って? それはね。
「遅刻だぁぁぁぁぁ!!!!!」
ぎゃあぁと叫んで、ひっつかんだお玉を近付け、直接飲もうと試みた。だが、それは真後ろに控えるカカシに阻止される。ちぃぃっ、このくそ忙しい時間帯に邪魔をするなんてッッ。
後ろから両腕を掴まれ、あと数センチの距離で届くというのに、味噌汁の入ったお玉に口がつけられないでいる。
「離してください、はたけ上忍!! この忙しい時になに邪魔してんですか! こんなことをしている間にも時間が経っているんですよ?!」
「それはこっちの台詞です!! アンタ、何、悠長に味噌汁飲もうとしてんですかッ。アンタがしなくちゃいけないことは、その濡れたざんばら髪をどうにかして、化粧して、教材持って、アカデミーに行くことでショ?!」
カカシの悪魔的な呪いの言葉に、私はショックを隠しきれない。
「冗談言いっこなしですよっ?! 今、この瞬間において優先されるべき事柄は、このナスの入ったもの珍しくも、空腹を呼び起こす幸せなお味噌汁を飲むことですッ。これを逃したら、私は一生後悔します、ええ、後悔しますとも! 火影岩から思わず飛び込んじゃうほどの後悔と絶望に見まわれること間違いないんですッッ」
だから、この手を離せと、渾身の力を込める。あと少しの距離なんだ。あとちょっと、ほんのちょっとで至福の一杯が……!!
火事場の馬鹿力のおかげか、じょじょにお玉が口に近づいてくる。うーと口を突き出し、あと少しで魅惑の味噌汁を堪能できる間際。
風景が変わった。
おまけに手に持っていたはずのお玉もどこかへ消えた。
「お、おはようございます」
「ッッ、お、おはよござ…!!」
いつも見ている出勤風景。
子供たちよりも早く出勤する教師たちが行きかう、アカデミー前の大通り。
アカデミーの同僚や先輩たちは、視線を私に一瞬向けるもすぐに視線を逸らし、もごもごと挨拶らしき言葉を吐き、そそくさとアカデミーの中へ入っていく。
「はぁ…。遅刻せずにすんだーね。ほら、教材持って」
お玉を持っていた形の格好で動けなくなっている私を尻目に、カカシは教材の入ったバッグを腕にかけ、何処から取り出したか知れぬドライヤーで私の髪を手早く乾かすなり、カリスマ美容師びっくりな早技で髪を結いあげると、どこにあったか知れぬ椅子に私を座らせ、脚絆を巻いて、靴をはかせてくれた。
確かに遅刻はせずにすみました。教師にあるまじき、遅刻はせずにすみましたよ……?
「呪うっ。私はこの全世界の全てを今、呪うッッ」
地面に崩れ落ち、私は嘆き悲しんだ。
「……アンタ、頭、大丈夫?」
ぎゅるるるるーと切なく鳴る腹を抱える私の心情を分からないカカシにも、呪いの念を込める。
呪われてしまえッ、これから先、麺類を食べに行ったら、おいちゃんの親指が入ってて「イイ出汁出てっぞ」と言われてしまえッッ。
「ご飯…、私の朝ご飯……。土鍋のご飯に、焼き魚、魅惑の味噌汁に、黄金色の卵焼き、緑の新鮮お浸し……」
ぎゅきゅきゅーと、私の腹の虫も切なく訴える。ほとほとと地面に落ちる涙を見つめていれば、予鈴が響いた。
鐘の音に混じって、カカシのため息が聞こえてくる。もう何をしても私のあの至福の時は帰ってこないのだ……。
なけなしの根性で涙をぬぐい取り、お世話になりましたと頭を下げる。そして、肩を落としてアカデミーの校門へと向かう私の背に、カカシがぶっきらぼうに言った。
「おにぎりで、いい?」
「……あい?」
ぐしゅぐしゅと鼻をすすり振り返れば、カカシは口布と額宛をつけた、いつもの格好で、顔を横に向け、もう一度言った。
「だから、おにぎりでいいのかって言ってんの。…味噌汁も持ってきてあげるから、情けない顔してないでちゃんと真面目に会議出なさいよ。…会議終わった後に食べればいいんだから」
額宛で隠している顔を向け、カカシは言う。顔色さえ伺うことができない状態だが、その言葉に、夢を見ているのかと思ってしまった。
カカシ、なんていい奴だッ!!!
思わず口を両手で押さえ、ぷるぷると震えてしまった。胸がきゅきゅきゅーんと切ない音色で喜びの声をあげている。
ここは熱い抱擁でもかましたいところだが、あいにく時間が許してくれそうにない。
「ほら、さっさと行く! 教師たるもの、子供たちの手本になってこそ、でショ」
カカシの後押しもあって、ここは会議を優先させることにした。
「はい、了解ですッ」
びっと敬礼して、笑う。
色々な諸問題はうやむやになったけど、今は、カカシがいい奴だってことが分かっただけでも大収穫だッ。
さすがは私の恋のライバル兼、ご主人様候補。
うふふと微笑みを絶やさず見つめていれば、カカシは指を指し怒鳴った。
「ほら、行くッ!!」
「はーいっ」
きゃっきゃと笑って、スキップ交じりに校門をくぐる。
弾むような足取りで進む中、小さく聞こえた言葉に、もっと心が弾んだ。
「行ってらっしゃい…」
小さかったけど、確かに聞こえたカカシの見送りの言葉。
走りながら振り返り、手を大きく振る。
「はたけ上忍ー! いってきまーすっっ」
轟けとばかりにバカでかい声を出す。すると、カカシはぎょっとした後、背を向き足早に去っていった。
無視したようには見えるけど、わずかに見える肌の色が真っ赤だってことは、私はお見通しなのだ。
始めて会ったときは、いけ好かない不気味男で、とんだ野郎だと毛嫌いしてたけど、今は関わることができてよかったなと思う自分がいる。
カカシと私。
パックン先輩には万が一と言ったけど、案外、友情が芽生えちゃったりするかもしれないなと、これから先のカカシとの関わり合いに希望を見いだしていた。
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女イルカ先生、攻略法は餌付けだと信じてます…!! ようやく仲良くなる兆しがっ。