手を繋いで 20

「…起きた?」
不機嫌な声を聞き付け、目を開けた。
白い空間に、白い寝台。傍らの椅子に座り、本を広げてこちらを見下ろしているのは。



「……カカシ?」
銀色の髪が灯りを反射して目を打つ。
じんわりと浮かんできた涙に、目を瞬かせた。
室内の灯りがやけに眩しい。
間近で息を飲む音が聞こえたが、逆光でカカシの顔は見えなかった。
目がおかしい。
薄い膜が張っているような視界の悪さに違和感を覚え、瞬きをしていれば、カカシが顔を近づけた。
「大人しくしときなさいよ。アンタ、熱出てんだから」
うつ伏せに寝ている自分に、そのときようやく気付く。
………熱?



「……どこ?」
どうも頭の回転が悪い。
見えるもの全てが曖昧で、現実感がない。
ぼんやりと見るとはなしに眺めていれば、カカシは一つため息を吐いて、頭に手を置いてきた。
「病院。アンタ、ぶっ倒れたんだよ。まったくどんだけ中忍ってのは鈍いのよ。患部が裂傷してんなら、ちゃんと言いなさいよね。ほんと、手間のかかる……」
憎まれ口を叩きながらも、頭に置かれた手は優しかった。迷った末に動いた手は柔らかく頭を撫でてくれる。
ゆったりと動く手つきがあまりにも優しくて、何となしに張っていた気が緩む。


「……何、笑ってんの…」
止まった手が惜しくて、目を開ければ、カカシの顔は赤く染まっているような気がした。
「気持ち、よかった…だけ」
カカシの問いにつっかえつつ答える。
もっと撫でてと頭に置かれた手に擦りよれば、びくりと一瞬手が跳ねた後、ぎこちなく撫でてくれた。
「やさ、し……ね」
遠い記憶を思い出して、泣きたくなる。でも泣いてしまったら、悲しみが強くなりそうで、口端を引き上げた。
「ば、馬鹿じゃない…! 寝なさいよ。アンタに必要なのは休養! 事情はオレが話しておいたから、アカデミーも受付も大丈夫。もう一日寝たら、退院できるから」
至れり尽くせりの言葉に笑いが出た。
カカシが素直に優しい。
ただの中忍教師の怪我を気遣って、はたけカカシ自ら手を回してくれるなんて、夢みたいだ。



「あ、夢…か」
どうりで現実味がないはずだと、目を閉じた。
体が重い。息苦しい中、自分の短く荒い呼吸音が他人事のように聞こえてくる。
「…ま、その方が都合がいいよネ」
小さく聞こえたカカシの独り言が不思議だった。
不意に手が離れる。今まであった感触がなくなるのが寂しくて、目を開けてカカシを窺えば、椅子を引き寄せて頭近くへと座った。
よほど頼りない目をしていたのか、カカシが私を見て苦笑する。
「そんな目で見ないの。ここにいるから、アンタはゆっくり寝なさい」
ぽんぽんと宥めるように頭を叩かれた。
夢のカカシは現実のカカシと違って、すごく気安い。カカシの本来の性格がそのまま表れている。
だからかもしれない。


「………手、握って?」
素面じゃとても言えない言葉が零れ出た。
現実味がない世界はとても心細い。
自分はたった一人だと思い知らされそうで怖かった。


縋るように見上げれば、カカシは「あー」と顔を覆って呻いている。
断られる気配を感じて、とても悲しくなってきた。
寂しい。怖い。私は一人だ。


でも、カカシはここにいてくれると言った。
その言葉を頼りに、軋む関節を動かしてカカシの服の裾を握り締める。
これだけは許してと、裾を掴む手に力を込める。けれど、力を込めようとしても、入れる間際から抜けていった。
払われたらすぐに振り解けそうな掴み方が嫌で、指先に力を込める。それなのに、カカシは私の指先を裾から振り解いた。
ひどい。
夢の中のカカシぐらい気まぐれでいいから、その優しさをちょっとちょうだいよと虫のいいことを思う。
一人ぼっちの私を、今ぐらい憐れんでよと、顔を歪めさせれば、カカシの穏やかな笑い声が降ってきた。



「馬鹿だーね、アンタは。ここにいるって言ったでショ。手、握っててあげるから、寝なさい。余計な力入れると治るものも治らないよ」
寝台の上に手を運ばれ、そこで力強く握ってくれた。その力強さに救われて、安堵の息が零れ出た。
「…ずっと、いて…くれる?」
このままずっといてくれたらいいのに。そうしたら、怖い夢も見ないのに。
願いも込めて言った言葉は、苦笑交じりの声に否定された。
「それは無理でショ。オレも忙しい身だからね。頑張って、あんたが眠るまでくらいかーね」
言い切るカカシはつれない奴だ。
「…けち」
「しょーがないでショ。忍びなんだから、上の命令には逆らえません」
優等生な模範回答をするカカシは嫌いだ。
「……大ケチ」
「なーに、駄々っ子みたいなこと言ってんのよ」
くすくすと笑って、空いている手で頭を撫でられた。願い事は叶えてくれないけど、カカシが撫でてくれる手つきは十分すぎるほど優しいから、我慢してやるか。
「…むかつくけど、気持ちい、からゆる、す」
「気持ちいいと、許してくれんの?」
面白そうに尋ねてきた言葉に、小さく頷く。
「カカシの手、やさし、し。あったかいか、ら」
ぴくりと止まる手。
しばらく黙っていた後、カカシは短い問いを投げかけた。
たった三文字の音だけなのに、その声は震えていた。
「――どこが?」



泣きそうな声に、カカシは馬鹿だなとぼんやりと思う。
震える声も、揺れる眼差しも、戸惑う手も、わずかに漏れる苛立ちも、その全てにカカシの優しさが溢れているというのに。
その優しさを他者へと躊躇うことなく真っすぐ向けているのは、他ならぬカカシ本人だというのに、全く気付いていない。


見返りを求めず、ただただ優しさを注ぐ姿は、愛と呼んでも相違ない。
それなのに、カカシは己の姿はこの世で一番醜いと、この身に巣食うのは死ばかりだと、頑なに思いこんでいる。
囚われている訳でもないのに、自分でしがみ付いているだけなのに。



「カカシはばかだ、ね」
馬鹿なカカシ。
可哀想なカカシ。
あんたが幸せにならなければ、誰が幸せになるのだと、胸倉を掴みあげて罵ってしまいたい。
あんたの心持ち一つで世界は変わるだろう。
暗く深い場所に、いつまでもいていい人じゃない。



「幸せになりなよ」
瞼が重い。
瞬きの回数が多く、そしてその間隔が短くなるのを感じながら、情けない面でこちらを見下ろすカカシの目を見た。



「カカシがならなきゃ、誰もなれない。――あんたはきれ、いだ」
くしゃりと顔が歪む。
灰青色の瞳から零れ落ちた雫は、それこそため息が出るほどに尊く美しい。
きっとどれだけの汚泥に塗れようとも、彼の魂は穢れないのだろう。
誰よりも後悔し、誰よりも懺悔し、誰よりも己を戒める。
彼の在り方は清廉な月の光にも似て、私には眩し過ぎる。



「――いきなよ」
綺麗なカカシ。
強いカカシ。
誰よりも優しく、愛を知っている男。



私が欲しかったものを全て持つ男。






あぁ、ひどく妬ましい。









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