手を繋いで 21
前触れもなく目が開いた。
白い床。白い壁。白い寝台。
カーテンの隙間から薄い光が射して、頭上を照らしている。
「……何だっけ?」
珍しくうつ伏せに寝ていた自分に問いかける。
よく分からない。
うつ伏せから起きあがって、寝台の上に座る。そのとき病院服に着替えている自分に気付いた。
自分の両手を見つめながら、ぐっと握りしめる。それと同時にチャクラも動かせば、滞りなく全身に行き渡る。
己の体の具合に思わず口笛がでた。驚くほど心身共に充実している。
だが、それにしても…。
「………なんで病院?」
独り言が口をついて出る。
人が起き出すにはまだ早い時間帯。
病室は静まり返り、窓の外からは雀のさえずりしか聞こえなかった。
寝台から床へと足をつけたそのとき、廊下から足音が聞こえた。
何となくその足音を追っていれば、私の病室の前で止まる。そして、扉が開いた。
「あ、起きられたんですね。おはようございます。ちょうど良かった。うみのさんの付き添いの方が迎えにこられましたよ」
恰幅のいい年配の女性看護師が挨拶して、部屋に入ってきた。そのまま窓際まで一直線に歩くと、カーテンを開ける。
太陽はまだ昇っていないが、空は青白い明るさを見せていた。
「お、おはようございます…」
言っている言葉がよく分からず、ともかく挨拶を返す。
看護師さんは、こちらににっこりと笑顔を向けると、寝台の横に置かれてあった小さな引き出し戸から袋を取り出し、私に手渡した。
「はい、着替え。今日から勤務なんですって? ーー仲がいいのはいいことだけど、嫌なことは嫌って今度から断りなさいね。また入院するのは嫌でしょう?」
若いってのは良いことだけどねぇと、しみじみという看護師さんの言葉が意味不明だ。
訳も分からず、袋に入っていた新品の支給服に腕を通す。「あなたの荷物はこれだけよ」と、着替えが入っていた袋を持たされ、病室を追い出された。
「あ、あの」
途中まで一緒しましょうと共に歩きだした看護師さんの後をついていく。道すがら、どうしてもこの状況が分からず、訪ねようとした私に、看護師さんは、小さく笑うと、それは嬉しそうに小声で私の耳へと囁いた。
「本当はこんな朝早くに退院だなんてダメなのよ。でも入院の理由が理由だし、相手があの有名なお方だからねぇ。もぅ、本当にほどほどにしなさいよ」
うふと言葉尻に笑われ、「若いっていいわー!」と背中をしこたま叩かれた。
痛い!
前につんのめりながら、その意味するところは何だと聞こうとすれば、前から腕を捕まれた。
「……遅い。もう治ってんだから、さっさと出るよ。本当にのろいんだから」
覆面姿のカカシが呆れた目で私を見下ろしてくる。
「え、え、え?」
お世話になりましたと、カカシが看護師さんに頭を下げ、それに対して看護師さんは満面の笑みで「ほどほどにしなさいよ」とカカシにまで言う。
その言葉を愛想良く受け、カカシは有無を言わせぬ足取りで私を引きずり、病院から出た。
「あ、あの!!」
病院から出たのを機に、思い切って声を掛ける。
するとカカシは一つ息を吐き、振り返った。
「気づいてなかったんでしょうけど、あんたの怪我ひどかったの。オレが痛み止めあげちゃったのも悪かったらしくて、化膿しかけてたんだって。オレに責任がない訳じゃないし、今まで面倒みてたの」
覆面から出ている右目がさまよって、空を見上げる。つられて見上げれば、雲一つない、快晴日よりだ。
「………怪我ってもしかして…」
「こんな時間帯に言わせる気?」
清々しい空の下、爽やかな朝の空気に満たされたこの場を台無しにしたくなくて、私は首を振った。
「いえ、いいです」
「ん」
手首を掴まれたまま、カカシはずんずん歩く。私も特に何も言い出せずに、されるがまま歩いていけば、私のアパートに到着した。
「はい、鍵」
「あ、はい」
扉の前で手を出すカカシに、思わず鍵を渡しそうになった。が、渡す直前で我に返り、慌てて鍵を引き戻した。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! なんではたけ上忍が私の部屋に来る必要があるんですか?! 色々と面倒みてくださったことは、心からお礼申し上げますが、ここまでで結構ですッ」
朝早くカカシを連れ込んだりしたら、また外野が何を言ってくるか分からない。
私の記憶は受付所の休憩室で倒れてから以後、今朝目覚めるまで一切ない。
何日経ったか定かではないが、賭はまだ続行されているに違いないのだ。
私の思い人は、ガイ先生だっちゅーのッッ! よりにもよって、何故カカシが私の恋人候補にあがるのだ。世の中って、どうしてこうも理不尽なのだ?!
賭に群がっていた、てんで見る目のない金の亡者どもに、怒りを再燃していると、カカシはやれやれとこれみよがしにため息を吐きながら、私のアパートの扉を開けた。
「朝っぱらから、うるさい女だーね。ほら、近所迷惑でしょ。さっさと中に入るよ」
「え、え? なに?!」
確かに鍵を握っていた手元を見ると、そこには適当にちぎられた草があった。
なにげにニラの臭いを放つ草だったために、私の手はニラ臭が漂っていた。
こ、この陰険サド男がッ、私にはニラ臭がお似合いだとでも言いたいのかっ。
腹ただしくもあり、アパートの外に投げ捨てれば、カカシが妙に真剣な目でこちらを見つめていた。
「な、なんですか?」
その眼光があまりにも鋭かったため、思わず後ずさる。カカシは「べーつに」と言葉とは裏腹にぎすぎすした調子で勝手に私の部屋の中へ押し入った。
「ちょ、ちょっと、家主が先に入るもんですよ、そこ!!」
カカシを押し、出入り口に無理矢理体をねじ込む。人一人が入ってちょうどよいぐらいの広さなもんだから、二人の体で出入り口が塞がってしまう。
家主に先を譲ればいいものを、カカシの奴は身動きもせず、ぬぼーっと突っ立っていた。
おのれ!! 嫌がらせか? これは嫌がらせなのか?!
ふんふん言いながら、ようやく小さな靴置き場に転がり出た。狭い場所を無理矢理通過したため、うっすら汗が滲む。
何故、自分の部屋に入るために、ここまでの労力を使わねばならんのだ。
己の苦労を思い息を吐こうとして、真後ろから重いため息が聞こえた。
それを吐くことが許されるのは私だと振り返れば、カカシは後頭部をがりがり掻きつつ、ダメ押しにもう一度息を吐いた。
「……アンタ。何、特別扱いされてるわけ? ここの結界って、三代目直々に施されたものでしょ。どうりで、アンタの部屋が見つからないわけだ…」
唐突の発言に、吐き出そうとした怒りの声が急速に萎む。
じっと見詰める眼差しから顔を逸らし、靴を脱いで、そそくさと上がり込む。
「あー、はたけ上忍、せっかくですからお茶でも……」
流し台の隣に置いてある長細い棚から、あるかも分からぬお茶っぱを探していると、続けてカカシはひどく不機嫌な声で言った。
「それにさ、病院ではさんざっぱら人のこと気安く呼んでた癖に、今更『はたけ上忍』って、何それ」
マジっすか?!
ばっと今まで逸らしていたカカシの顔へと視線を注げば、口布を外したカカシが口を少し曲げて恨めしそうな視線をこちらに向けている。
だらだらと嫌な汗が全身を流れる。
くそ、思わぬ失態だ。記憶のない間に私は何を口走ったんだ。
ここはどうする? 「かかたん」とでも呼んで場を和ませるか? それとも「はたけカカシ上忍様」と下手に出た方が吉なのか?
いくら考えても出てきそうにない答えに、カカシを見つめたままフリーズしていると、カカシは不意に視線を逸らした。
「べ、別に嬉しかったとか、距離が縮まったとか全然思ってないからねッ! ま、別にそれで呼んでも構わないって思っただけだし、これも目上の度量の深さってやつだから、そこんとこ勘違いしないでよッ」
徐々に顔を赤らめていくカカシが、未知の生物に見えた。
「は、はぁ。わかりました、……はたけ上忍」
あのとき何と呼んだか分からないので、無難にいつもの呼び方をすれば、カカシは眦を釣り上げ「違う」と一声叫んだ。
「だーかーら!! 特別に呼ばせてやるって言ってるでショ?! なんで分かんないのよッ」
じんわりと目元を潤ませるカカシの姿に、うっと息が詰まる。
まずい、カカシがまた変な魅力を振りまいている。
「黙ってないで、呼びなさいって言ってるでショ! バカッ、にぶちんっ」
肩をいからせて、顎を引いてこちらを睨む姿は、思い通りにいかなくて拗ねている子供にしか見えない。
お花が飛んでいるような効果背景を背負うカカシは卑怯だと心底思う。
頬がゆるみそうになるのを必死に耐えながら、私は「はいはい」と頷いた。そして、おもむろに息を吸い、己の出せる最高の笑顔を浮かべて呼んだ。
「わかりましたよ、かかたん」
おまけににっこりとだめ押しに笑えば、カカシは目を見開き、直後にさらけ出している色白の肌を全て真っ赤にさせた。
いやん、かわEーーーッッ。
思わず口を両手で押さえ、心の叫びを封じ込める。
私の言動で顔を真っ赤にさせるカカシがたまらなくツボに入った。
「か、かかた…」とぷるぷると小動物のように震えながら、私が呼んだ名前を最後まで言えずに硬直させている姿も非常に胸をときめさせた。
これは絶対、不敬罪に相当する。里の誉れに向かって「かかたんv」だなんて、恋人同士じゃないと許されない呼称だろう。
あぁでも何だろう、この胸の高鳴りは。カカシのこの動揺を見て、もっと呼んでやりたいと思うこの欲求は!!
心なし、鼻息が荒くなっているような気もしないでもないので、私は危うい趣味に目覚める前に引き返すべく、あっはっははと脳天気な笑い声をあげる。
「驚きました〜? 冗談ですって、カカシ先生」
かかたん欲求を封じ、カカシから背を向けて、冷蔵庫へと手を伸ばす。
お茶っぱは見つからなかったが、確かペットボトルのお茶があったはずだ。
目当ての物を取り出し、ガラスコップを出す。前回来たときにカカシが整理してくれたおかげで、とても使いやすい。
ボトルの蓋を取ろうとして、ふわんと異臭がした。ニラ臭がついた手だったことを思いだし、手を洗うことにする。
「……ま、まぁ、それでもいいけど…」
水音に混じって、カカシのどこか納得のいかない声が聞こえ、ひとまずほっと息を吐く。
不敬罪のお咎めなし。よかった、よかった。
「ちょっと待ちなさいよ。お茶っぱならこっちにあるの。オレが淹れるから、アンタはちゃぶ台拭いてなさい」
洗い終わった手に布巾を握らされた。文句を言うはずもなく、大人しくカカシの言うとおり、ちゃぶ台を拭きにいく。
何となく鼻歌を歌いながら、ちゃぶ台を拭く。ちらりと上を見上げれば、時計の針は五時を示していた。
ところで今日は何日なのだろうと、ぼーと時計を見つめていれば、急須一式をお盆に捧げ持ったカカシがやってきた。
「はい、座布団。そこ、座って」
ちゃぶ台にお盆を置くなり、我が家のように取り仕切るカカシは、お母さんのようだ。
カカシママと胸の内で呟き、アカデミーで有名な教育ママとカカシの姿をだぶらせ、一人吹き出す。
お茶を淹れているカカシが一瞬、訝しげな顔を見せたが、スルーしてくれた。危ない、危ない。この妄想絵をカカシに看破されたら、烈火の如く怒り狂うだろう。
深呼吸を繰り返し、ザマスなカカシの妄想を吹き飛ばす。
ようやく落ち着いたところで、目の前にお茶が差し出された。
それに頭を下げて礼を言う。続けて、何処にあったのか知らないが、甘栗屋の芋けんぴをお茶受けに出してくれた!
やっぱりカカシの忍犬という位置は捨てがたい……!! この食糧事情は魅力的すぎるッ。
芋けんぴに手を伸ばし、カリカリと無心にかじる。その合間に、お茶に手を伸ばし、ふくよかなお茶の香りと、ほろ苦さを味わい、至福と吐息を漏らす。
あぁ、幸せ……v
もう一本と新たな至福に手を伸ばしたところで、芋けんぴの皿を遠ざけられた。
なッ!!
驚愕の眼差しを向ける私に、カカシはにやりと実に陰険な笑みを浮かべた。こわい、この男、何考えているの?!
碌でもない予感を覚えて、体を震わせていれば、カカシは芋けんぴを一つ手に取り、右に左に揺らした。
「はい、良い子だから、オレの質問に答えようねー。答えられたら、甘栗屋特性の手作り芋けんぴをあげるからねー」
棒読みで言われた言葉すらうわの空で、左右に動く芋けんぴをひたすら目で追う。
言う、言うから、早くその至福をくれッッ。
こくこくと頷く私を認め、カカシは芋けんぴの動きを止め、口を開いた。
「まず一つ。さっきも聞いたけど、ここの結界って三代目のー」
「そうです、そうですっ。三代目が張ってくれました! 私はいらないと言ったんですけど、周りに迷惑がかかるからと言われて、仕方なく張ってもらうことにしました!!」
ビシっと敬礼して答えれば、カカシは非常に難しい顔をした。
「……アンタ、里外任務受けるんじゃないよ?」
里の名折れだとため息をつかれ、何故だと叫びたかったが、ぽいと空中に芋けんぴを投げられ、そっちに飛びついた。
口でキャッチしてぽりぽりと芋の甘みを堪能する。これって一度食べたら、なかなか止まらないんだよねー。
お口の幸せが無くなる頃合いを見計らって、カカシが質問を投げかける。それに逐一答えながら、芋けんぴをむさぼり食らった。
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たらったたー♪
カカシは女心理解度が-10あがった。ツンデレ度が5あがった! かしこさが4あがった! 好感度が0あがった!
イルカは思いやりが-10あがった。鈍感度が5あがった! おばかさん度が2あがった!
カカシ先生は、イルカてんてーに花(イルカ先生曰く『草』。設定ニラバナ。季節間違っているかもです…)をプレゼントしたつもりでした…。どかん!