手を繋いで 31
異変に気付いたのは、誰の悲鳴だったか。
誘導に従って集まる子供たちを避難場所に移動させながら、胸騒ぎが収まらなかった。
どうして、こんなことに――。
里の中心街へと視線を向ければ、大音声と共に粉塵が噴き上がる。
住み慣れた町が破壊される。
爆発の音がする度、子供たちは体をびくつかせ、悲鳴をあげた。
「大丈夫。君たちは先生たちが必ず守るから、進んで!」
竦むように足を止める子供たちに声を掛けた。
先導する先生も、励ますように絶えず声を掛けている。遅れた子がいないか、後方を確認していると、息せききって掛けてくる子供を見つけた。
迎えるようにこちらも駆ければ、私の生徒だった。
「ヨシノ!」
名を呼べば、俯いている顔が上がり、私の名を呼んだ。
「イルカ先生っ」
濡れた声で突進してきたヨシノの体を受け止める。爆風の近くを走ってきたのか、頭は木屑だらけだった。
屑を取り払いながら、先を急ぐように急かした矢先、ヨシノが悲鳴をあげた。
「アユとはぐれたんだ! 一緒に走ってたけど、目の前が白くなって、何も見えなくなって、気づいたら、アユがいなくて、僕、僕――! 先生、どうしよう、アユ、いなくなっちゃった! 僕、置いていったかもしれなっ」
泣きながら服をつかんできたヨシノに、息を飲んだ。
私と同様に後方確認にきた先生と目配せをし、ヨシノを預ける。
「ヨシノ、心配しないで。先生が必ず、アユを連れてくるから、あんたは先に行って!」
「イルカ先生っ」
足掻くように手を伸ばすヨシノに大丈夫と笑う。
「先生が今まで嘘言った事ある? 今は、ヨシノは自分の身を考えること。いいね?」
息を吸って、うんと大きく頷いた顔を見届け、ヨシノの肩に手を置く先生へと頭を下げた。
「ヨシノのこと、よろしくお願いします」
「イルカ先生、お気をつけて」
言葉を交わした後、同時に逆方向へ駆け出す。
里の中心部へ近付く度に振動は大きくなり、物騒な音があちらこちらから聞こえてくる。
「……ナルト」
心の中にある不安が声になって零れ出た。
わずかに得た情報では、中忍試験を隠れ蓑に、他里が木の葉へ奇襲をかけたということだった。
試験会場には、上忍師の先生方も、審判員として参加している優れた忍びも集まっている。火影さまも、他里の長の方々もいる関係で、暗部が警護に回っているから、考えようによっては会場の方が安全だと考えられる。それに、あっちにはカカシが――。
元はと言えば、あの男がナルトたちを中忍試験に推したせいだ。こんな非常事態になるならば、断固反対したものを。忌々しい男め。
「…違う!」
首を振って考えを取り去る。
あの一件で、カカシとは意見が割れたが、最終的にはカカシの正しさを証明することとなった。ナルトは、あの子たちは、確実に実力をつけ、高みへと上ろうとしている。それを私が止める権利はない。
それに、カカシも言い過ぎたと謝ってくれた。
中忍試験で忙しいだろうに、空いた時間を使ってわざわざ私に会いに来てくれた。
子供たちを信じてと、そして、自分のこともほんの少しくらい信じてと、言った。
私は、カカシを信じたい。いいや、私はカカシを信じて。
良い子ぶるな、偽善者め。お前はあの男に何を期待しているのだ。期待するだけ無駄だ。お前は、あの男などこれっぽちも信じていないではないか。
「違う!」
浮き上がる感情の声に悲鳴をあげる。
違う、違う違う! 私はそんなこと思っていない! 私は、私は――!!
一歩足を踏みこんだ瞬間、横から幼い声が聞こえた。
向いた先に、他里の額当てをつけた忍びが、アユを前に刀を振り上げていた。
感情の声は途絶える。そのことに安堵を覚えながら、他里の忍びへと仕込み小刀を投げる。
アユに振り下ろそうとした刀で、小刀を上に弾いた。忍びの目がこちらを向く。
それを確認し、これ見よがしに札を掲げて、印を切り、忍びへ飛ばした。それと同時に、突っ込む。
後ろへと飛ぶより早く、忍びの前で札は弾け、煙幕が立つ。
小さな舌打ちを耳にするのと、アユの手を掴んだのは同時だった。
真っ白な視界の中、空気の揺れを感じ、アユを胸元へと抱き抱えて、前へと飛び込んだ。すぐ後ろで削ぐ空気を感じて、参ったなと内心ぼやく。
冷静な対応、速さ、共に手練のものだ。
一回転して、すぐさまクナイを右手に構える。
目の前には煙幕が歪みながらも残っている。だが、そこにはいない。
何処だと視線を左右に回して、ある予感を覚えて見上げた。
曇る空に人影が見える。
上段に構えた刀は勢いがついている。クナイ、しかも私の力で受け止め切れるものではない。ならば。
胸にしがみつくアユの体を左手で抱え、クナイを真上に掲げた。一瞬のタイミングを見極めるために、一点に集中する。
「死ねッ」
気迫と共に振り下ろされた刀がクナイに触れる、その一瞬。
真上から来る衝撃に抵抗せず、沿うようにクナイを傾け、刃の方向をわずかに変える。それと同時に体を反転させた。
初手は避けきれた。だが。
地面へ刃が突き立つこともなく、刀は宙で止まり、がら空きになった脇腹に向かって刃先が走る。
来るべき衝撃に身を縮め、チャクラを練る。せめてアユが無事であればいい。
自分の肋骨が刃を受け止めることを願いながら、目を閉じ、歯を食いしばった、直後。
けたたましい金属音に混じってくぐもった声が聞こえた。そして、遅れて鈍い衝撃音が耳に届く。
何が起こったか分からず、ただ自分の身が無傷なことを知って、不意に名前が零れ出た。
「カカシ?」
目を開け、自分の目前にいる背中を見た。
白と黒の独特な衣装。
長い黒髪が風を受け、広がる。
地面に突き立つ槍へ寄り添うように佇む人は、暗部のウサちゃんだった。
「…ウサ、ちゃん?」
小さく名を呼べば、ウサちゃんは面の下から息を吐いた。
「カカシ先輩じゃなくて、ごめんね、イルちゃん。でも、先輩に頼まれたから、あながち間違ってもないわよ」
いつもの通り、平坦な調子でウサちゃんは語る。
一瞬、試合会場の様子を聞きたい衝動に駆られたが、土煙が立つ壁から人影が起き上がった。
身構える私に、ウサちゃんはちっとも困っていない声音で、困ったわと呟いた。
「頑丈ねぇ。私の蹴りってえげつないって部内で評判なのに。ここは頑張るとして、イルちゃん、あなたはその胸の中の子供と一緒に逃げて」
ウサちゃんの言葉に動揺が走る。
さっきの衝撃音で、気配がこちらに向かってきている。敵か味方かは分からないが、周辺の荒れ具合からして、敵の可能性が高い。
「ウサちゃん、でも!!」
置いて行けないと叫ぶ私に、ウサちゃんは背中を向けたまま、淡々と告げる。
「イルちゃん。ここでイルちゃんを逃がすことが、私のお仕事。それで、イルちゃんはその子供を無事に避難所まで連れていくことがお仕事。分かってるでしょ?」
出掛けた言葉が止まる。
ウサちゃんの言っていることは、正しい。
ウサちゃんは土に埋もれた槍を引き抜くと、自分の身長とほぼ同じ長さの槍を腕の外でくるりと回し、身構えた。
「さぁ、行って。早くしないと囲まれちゃうわよ。その子を避難させた後なら、文句は言わないわ」
行ってとウサちゃんは静かに告げる。
奥歯を噛みしめる。私の腕の中にはがたがたと震えたまま、固まっているアユがいる。
アユの頭を撫で、決めた。
「分かった。アユを避難させたら戻る。ウサちゃん、それまで持ち堪えて!!」
ウサちゃんの言葉を待たずに駆けた。
道を覆う瓦礫を飛び、時折飛んでくる暗器をかわし、全速力で駆ける。
早く、早くと。
後ろで生じる爆発音に振り返りそうになりながら、避難所を目指した。
「ウサちゃん! ウサちゃん?!」
アユを避難所に届けた後、止める先生たちを振り切って引き返した。
自分の本来の役割は子供たちを守ることだ。だが、自分を助けるために現れてくれたウサちゃんを見捨てることなんてできなかった。
それに、ウサちゃんなら何か情報を掴んでいると思った。もっと詳しい情報を。
この木の葉に何が起きたのか、そして、試合会場は、ナルトはどうなったのか。
荒れる息を零しながら、周囲を見回す。
静かだ。
点在するようにいた、猛々しい気配が消えている。
数十分前に通った場所だというのに、違う場所へ来たのかと錯覚してしまいそうだ。
戦いは終わったのか。小休止しているだけなのか。それとも、何かを待っているのか。
判断がつかない。だが、先に進む。
道は崩れた建物で塞がれ、あちらこちらに戦いの跡が残っている。
ウサちゃんと別れた場所で、引っ掻くように地面へ残された戦いの跡を頼りに、足を進めた。
瓦礫の山を上り、道なき道を進む。途中、木の葉の額当てをしている忍びや、他里の忍びの屍に遭遇した。胸の内で黙とうし、進んだ先で、円状に大きく地面を抉られた跡に遭遇した。
半径にして100m。
外側の円から徐々に地面を削られ、中心部分は覗きこまなければ見えないほどに深い。
土遁か、それとも風遁か。
中心部分を起点にして発動された、大規模な術に戦闘の激しさを感じていれば、中心部で何かが動いた。
目を凝らす。
白い、甲冑?
「ウサちゃん!!」
土の中に半分埋もれるように倒れているうさちゃんを見つけ、穴の中へ入った。
斜面を滑り落ちるように下り、ウサちゃんの側に辿り着くなり、埋もれた体を掘り起こす。
土を被っただけのようで、柔らかいそれに少し安堵しながら、ウサちゃんを引きずり出した。
斜面になっている土へと体をもたれかけさせ、怪我を確認する。
白い甲冑はひび割れ、砕かれ、全身傷だらけだ。視線を胸から下へと移して、息を飲んだ。
致命傷だ。
腹の真ん中には大きな穴が開き、大量の血を吐き出している。
無駄だと分かっていながら、ポーチから包帯を取り出し、腹をきつく縛った。
「…ウサちゃん」
鋭利な爪を持つ手を浚い握った。
ありがとうと、子供は無事に届けられたと念じるように思っていれば、ぴくりと指が動いた。
「ウサちゃん!」
声を掛ければ、ひっと小さく息を吸った後、むせるように咳を繰り返した。
顔は見ないように、でも呼吸しやすいようにと、ウサちゃんの仮面を上にずらして口を出させる。
仰向けは苦しそうに思えて、肩に顔を乗せて真正面から抱き合うように支えた。背中に手を当て、チャクラを流す。
気道が通るようにゆっくりと、むせないように優しく。
ウサちゃんはされるがままに私へ身を任せていた。
「……イルちゃん」
咳が止まった頃、ウサちゃんが私の名を呼んだ。
「うん」と小さく頷いて、肩口に持たれるウサちゃんの横顔を見詰める。
白かった仮面は土と血に汚れ、その下にあるウサちゃんの唇には朱が零れている。
ポーチに手を伸ばしてハンカチを取り出し、ウサちゃんの口元を軽く拭った。
「……来て、くれたんだ…。…期待してなかったんだけどな。あーぁ、イルちゃんには聞いてもらいたくなっちゃった…」
掠れる声でウサちゃんは息を吐いた。泣き事なんだけどね、と前置きをして、ウサちゃんは平坦な声で告げる。
「私の好きだった人、死んだの。私を置いて、死んじゃった…」
ウサちゃんの言葉に何も返せなかった。
うさちゃんも言葉は望んでいないようで、小さく息を吸って言葉を続ける。
「あっけなかったわ。彼、試験会場で警備してたの。敵に一太刀も当てられないうちに、彼、動かなくなってた。一瞬の出来事だった。……だから、私もそのとき死んだの。彼が死んだ瞬間、私も死んだの」
「イルちゃん」とウサちゃんは唇に笑みを浮かべる。
「ここにいる私は、カカシ先輩の命令を聞き終えた木偶なの。生きることを放棄した抜け殻なの。だから、私が死んでも、気に病まないで…」
嘘つきと思う。
ウサちゃんは嘘つきだと思う。
ウサちゃんは何度も息を吸って、言葉を吐くために力を振り絞る。
「イルちゃんって私寄りの人だと思ってた。特定のものしか興味なくて、興味持てなくて、全てが凍っている。でも、それは私の思い違いかもしれない…」
か細く、もたれかかる体がだんだんと重くなっていく中、私は奥歯を噛みしめ、必死にウサちゃんの言葉を聞く。
「イルちゃんは、足掻いている。もがき苦しんでる。……でも、私はしなかった。今になってちょっと思ったの。もう少し足掻けばよかったって。もう少し望むことを求めればよかったって……」
ずり落ちそうになるウサちゃんの体を抱く。しっかりと背中に腕を回して抱いた。
「そうしたら、彼の手も掴めていたと思うの。私の目の前で、死ぬこともなかったんじゃないかって……」
ウサちゃんの声が震えた。
熱のある、生きた声音で誰かの名を小さく呼んだ。
唇を噛み、私は明るい声を出す。場違いなほど明るい声を出して、ウサちゃんに尋ねた。
「バカね、ウサちゃん。今からだって望めるでしょ? 言ってよ、ウサちゃん。私と何がしたいか、言って?」
決して望みは叶えられない。でも、望むこと自体を欲したウサちゃんの気持ちはきっと救われる。
ウサちゃんはちょっと驚くように息を飲んで、くぐもった声で笑った。
それじゃぁねと、仕事帰りにどこへ行こうかと提案するように、ウサちゃんは気安く声を掛けた。
「イルカと、甘甘屋に、ぜんざい食べに行きたい」
うんと、頷く。
行こうと声を掛ける。
私のお勧めも教えるから食べてね、それでちょっとウサちゃんのもちょうだいねって、二人で食べ合いっこしようと、声を掛けた。
ね、と、返事を求めるように一度抱きしめた。促すように、ウサちゃんの肩に額を擦りつける。
でも、ウサちゃんの体は動かない。
ウサちゃんの黒髪が、淡い栗色に変わったことをぼやける視界に収め、詰めていた息を吐いた。
意味のない声を上げて、上げて。
ウサちゃんだったものを抱きしめ、泣いた。
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