手を繋いで 32

後に木の葉崩しと呼ばれる侵攻は、数多くの木の葉の忍びの命を奪い、三代目火影の命を持って、終結した。



戦いの傷跡が残る中、葬儀はしめやかに行われ、人々の悲しみを表すかのように、里は何日も雨に濡れた。
伝え聞いた話では、三代目火影の死に顔はとても安らかで、笑みさえ浮かべていたらしい。



里の広場に設けられた、告別場。
早朝よりも早い時間帯のせいか、その場にいたのは私一人だけだった。
霧雨で煙る視界の中、飾られた遺影を見上げる。
生前良く見た笑みを浮かべ、こちらを見下ろしている。
いつもと何ら変わりなく、そこにいるじっちゃんに「イルカ」と声を掛けられそうで、私はその場を離れられない。
「じっちゃん」
呼びかけられないから、代わりに呼びかける。
もう二度と声を聞くことはないと分かっているのに、言葉が口から突いて出る。
応えることのない呼びかけを、何度口ずさんだだろう。
不意に、自分の声を聞いて、笑いが出そうになった。
何に傷ついている? 何を悲しんでいる? お前にそんなものがあると思っているのか?



遺影から目をそらし、地面を見つめる。
剥き出しの地面は雨と混じり、濁った水となり、後ろへ流れていく。まるで己のようだと口端をあげた。
あの暗部の言った言葉が何の確証になる。あの子たちにいくら教師面したって、本質は何ら変わっていない癖に。飾り立てることが堂に入りすぎて、性根も変わったと思ったのか? 振りだけうまくなったって、お前の望みはたった一つだけじゃないか。
「……馬鹿馬鹿しい」
忌々しさを込め、吐き捨てる。
手の中には、形見分けと称して渡された、一振りの懐刀がある。
陽の性質を持つ業物のそれと、懐に入っている陰のそれは、引き合う力がある。だからこそ持たされたはずが、本来の役目を果たすことなく、二振りとも私が所有することとなった。
俯いていた顔をゆっくり上げた。
出迎えるのは、微笑んだまま、満足な死を迎えた三代目火影、その人。
結論を下せぬまま後片付けもせず、一人勝手に逃げた老い耄れ。
「嘘つき。――連れていくって言った癖に」



じりっと地面を踏みしめる音に、振り返った。そこにいた人物に内心舌打ちを打つ。
いつからここにいたのか気付きもしなかった。里の誉れは伊達じゃない。
「…盗み聞きとは、いいご趣味ですね。カカシ先生」
不愉快だと言葉に滲ませれば、カカシは肩を竦めた。
侵攻を受け、中忍試験は途中で止めざるを得なかった。それでも、試験に合格した者がいるようだが、具体的な話は聞いていない。
アカデミーは家を失くした者たちの一時避難所となり、そちらの世話をしていた私は家に帰っていない。
カカシと顔を合わせるのは葬儀以来のことだが、あのときはナルトたちがいた。カカシと余計な言葉を交わさずにすんだ。
二人っきりという状態に、苦虫を噛み潰す。
カカシは私の気持ちなぞ気付いていないようで、馴れ馴れしく声を掛けてきた。
「これくらい気付きなさいよね。と、いっても、ここに来たのはほんの少し前で、アンタと三代目の話は聞いちゃいなーいよ」
警戒心もなく、無造作に近寄る男に堪らない嫌悪を覚える。
こちらに向ける視線も不快で、背を向けようとすれば、肩を掴まれた。
触れる手の熱さに、息が干上がる。
壊れているならば、感覚も壊れていれば良かったものを。
「アンタ、いつからここ」


「触るなッッ」
乱暴に振り切った。
睨みつけ、二度と触れるなと威嚇する。
「……イルカ、先生?」
戸惑うように揺れた眼差しから目を逸らし、小さく笑った。
「もう止めてください。私に係わらないでください。忍犬になりたいと言ったことも取り消します。二度と、あなたの前には現れませんから、私の前にも現れないでください」
失礼しますと、横を通り過ぎようとして、前を阻まれた。私に触れないように、進路方向だけ塞いでくる。
私が言った言葉を律儀に守ろうとするカカシのお人よしさに、反吐が出る。
体が燃えるように熱い。
カカシが、里が、目に見えるもの全てが煩わしい。
「退いてください」
睨みつけた。
お前の存在自体が不愉快だと、告げるように。
聡いカカシは、私の気持ちを察し傷ついた瞳をした。私はそれを満足げに眺める。
カカシが傷つくよう言葉を選び、私は口を開く。
「退いてください。あなたと私は、子供たちを介して知り合っただけの、ただの顔見知りです。何の権利があって、あなたは私の邪魔をなさるんですか? あぁ、私が目障りなんですね? いいですよ。どうぞ、殴るなり、蹴るなりしてください。抵抗は致しません。私は中忍、あなたは上忍。上の者に従うことが、忍びの本分ですから」
両手を広げた。お好きなようにと、唇に笑みを刻めば、カカシの息を飲む音が聞こえた。
「止めてください!! 何を馬鹿なことをッ」
カカシの右目が潤む。それを無感動に眺めながら、首を傾げる。
「何が馬鹿なことなんですか? 私とあなたの関係は、それ以外あり得ない。気に入らないなら殴ればいい。目障りならば、殺せばいい」
どうぞと一歩踏み込む。後ずさるように、カカシは一歩退く。カカシへと一歩足を進める度に、カカシも一歩後ずさった。
踏み込んでいくのに、私とカカシの距離は変わらない。
そう。これが、私とカカシの関係だ。



足を止める。
カカシも止まる。
私はカカシを見つめ、縮まらない距離を認め、小さく笑った。
「お世話になりました、はたけ上忍。さようなら」
二度と会うことはないと告げた。
踵を返し、走り出そうとした瞬間、身動きが取れなくなった。
鼓動が跳ねる。
水のように、微かに香る匂いに、一瞬眩暈がした。
背中に押し当てられた熱に、胸が苦しくなる。
伸びた手が腹に回る。逃がさないと、しがみつくカカシの力に、心臓が悲鳴をあげた。
身じろぐ寸前、耳元でカカシが叫ぶ。
「絶対離さない。オレとアンタの関係は、そんなもんじゃない。勝手に終わりになんてさせない!」
言葉に、心を乱される。
どうして私にこだわると、勝手に震える喉を叱咤して、叫ぼうとした。
めちゃくちゃに暴れて、拘束を解こうと体を捩じった。
私の抵抗を抑え、カカシは告げる。
痛いほどに抱きしめて、カカシは一息に言った。



「アンタが、好きだ。だから、絶対に離さない」



ふっと息が零れ出た。
喉から出かかった罵言は跡形もなく消えていく。
代わりに出たのは、小さな疑問の声だった。
「え?」
身動きを止めた私の肩に、カカシが顔を埋める。
「好きだ。いつもアンタのこと考える。アンタが泣いていないか、気になる。一人で苦しんでいるんじゃないかと思うと、苦しくてたまらない。アンタには笑っていて欲しい。幸せでいて欲しい」
「イルカ」と名を呼ばれ、息が引きつった。
カカシは身動きしない私の顎を掴むと、ゆっくり引き寄せ、顔を見合わせる。
口布を下ろし、カカシは泣きそうな笑みを浮かべてもう一度囁いた。
「イルカ、好きだ。アンタのことが、例えようもなく好き」
ゆっくり近づいてきた顔をただ見つめていた。
カカシの目が閉じられる。長い銀色のまつ毛が微かに震える様を見つめながら、唇に触れた優しい感触に、体が震えた。



優しい、触れるだけの口づけ。
何度も何度も降るように落ちる、カカシの優しさに、悲鳴をあげた。



「ッッ」
己の唇を噛み切った。カカシが触れた箇所を削ぐように、深く。
「イルカ!」
カカシが弾けるように体を離す。その瞬間、全身でカカシの拘束から逃げた。
距離を開けて、震える体を両腕で抑え、唇を噛みしめる。
「イルカ」
「来るな! 私に触れるな関わるな!」
吐き気がする。
触れた唇の感触を取り除きたくて、何度も袖で擦った。でも、取れない。何度擦っても、あの一瞬が焼き付いている。
「イルカ…」
地面を踏みしめた音に顔を上げた。まっすぐ見つめ、全身で拒否した。
「私の名を呼ぶなッ。私はあんたなんか何も思ってない。私が、私が本当に必要としている人は、ガイ先生だ! 決して、あんたなんかじゃないッ」
荒れる息をこぼし、カカシと対峙する。
カカシは足を止めたまま、小さくうなずいた。
「知ってる。そんなの、前から知っている」
だったらと声を上げかけて、カカシの真剣な眼差しにぶつかって、勢いをなくした。
カカシは唇に朱をつけたまま、静かに言い切った。
「アンタがガイを求めようと、オレは諦めない。だって、アンタは――」



柔らかく笑みを浮かべたカカシの言葉は聞き取れなかった。
カカシの横に煙とともに現れた、パックンの言葉に掻き消されて、私の耳には届かなかった。



「カカシ、動き出したぞ!」
カカシの顔が動く。
柔らかく浮かんでいた笑みは消え、感情を全て削いだ忍びの顔へと変わる。
「引き続き、見張ってくれ。すぐ行く」
「分かった」
再び、パックンは煙とともに消える。
後に残されたのは、私と、木の葉の里の忍び。



カカシは口布を引き上げ、言った。
「この続きは帰ってから言う。絶対に逃がさないから、アンタ待ってなさいよ」
宣言するようにこちらを見据え、カカシは印を切る。
見惚れてしまうような流暢な仕草でカカシは指を動かし、煙を立て、私の前から消えた。



何だろうと、思う。
煙が風に流されるのを見ながら、私は自分の頬を流れる涙の意味を考えないようにする。



無駄だ。
全部、無駄なんだ。
小さく囁く声を無視し、私は何度も呟いた。








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