手を繋いで 33

「イルカ」
名を呼ばれ、足を止めた。肩越しに振り返れば、重装備を身につけたアサリがいる。
視線を向ければ、アサリは口ごもらせ要領の得ない言葉を吐いた。
「いや、あの、さ。元気かなって、その……」
アサリはそのまま黙った。一応待ってみたが、アサリの口は開かない。
視線を伏せるアサリに、用件はそれだけなのだと見切りをつけた。
「私、行くから」
手には報告書がある。これを出しに行った後、すぐさま任務をもらわなければ。
踵を返し、進む。
「イルカ!!」
また呼ばれた。
振り返ることも面倒で、背を向けたまま何だと問う。
「はたけ上忍の見舞い、行けよ。お前は、行かなくちゃダメだからな!」
足を進める。
「イルカ、絶対、行けよ! 絶対に、絶対に行け!! いいな?!」
声が届かぬところへと足早に去る。
バカらしいと思う。私には関係のないことだと強く思う。
受付所に入るまで、アサリの声は途切れることはなかった。



三代目火影の葬儀を終え、生き残った忍びたちは老いも若きも任務に忙殺されることとなった。
以前まで当たり前に行われていた、依頼の選定ならびに裏付け調査は手が回らず、受付所は無人のそれに代わり、舞い込む依頼を片っ端から処理することとなった。
依頼の吟味ができないせいで、防げたはずの危険は大幅に増え、死人が出る事案も増えているらしい。
受付所の戸を開ければ見知った顔を見つけ、わずかに顔が歪む。
今は誰にも会いたくなかった。
「よぉ、元気でやってるか? ……お前ら教職のメンツまで、任務に当たらなくちゃなんねーとはな。落ちたもんだ」
疲労をにじませた顔に苦い笑みを浮かべた後、アスマ先生は息を吐くように、すまねぇと小さく呟いた。
「……当然の義務です。教職員である前に、私も忍びです。アスマ先生が謝られることではありません」
視線を避けるように、備え付けの机で報告書の空欄を埋める。
アスマ先生は一つ息を吸い、ちげーよと息を吐いた。



「カカシのことだ。オメェと約束したって倒れる間際に言っていたんだよ。オレらがふがいねぇばっかりに、あいつにはーー」
「関係ありません!」
机を叩き、睨みつけた。
どいつもこいつも鬱陶しい。
私とカカシは何ら関係ない。何を妄想しようが個人の自由だが、それを押しつけないでもらいたい。
忌々しいと舌打ちをつけば、アスマ先生の眉がわずかに動く。
これ以上絡まれることが耐えられず、任務済みの箱に報告書を叩きつけた。
未処理の任務を取ろうとして手を伸ばせば、横から手を捕まれる。
「……何ですか?」
不快だと視線に込めて睨む。
上忍は私の顔を見下ろし、煙を吐いた。
「止めとけ。お前の実力じゃ、荷が重すぎる。自棄になってんじゃねぇ」
取ろうとした任務書は、砦の内部を調べるものだ。
砦の内部には忍びの姿が多数確認されており、困難が想像される。
「……猿飛上忍には関係ありません」
手を離せと唸るように告げる。
上忍はしばらく私の顔を見ていたが、これみよがしにため息を吐くと、私が取ろうとした任務書を奪った。
「面倒くせぇ奴だな、おめぇも。これはオレ向きの任務だ」
横暴な言葉に非難が出そうになる。
口汚く罵る直前、猿飛上忍は持っていた紙袋を押しつけてきた。
「おめぇは、オレの代わりに、カカシの面倒を見に行け」
「なぜ、私が!!」
ふざけるなと紙袋を床に叩きつけようと振りかぶれば、手首を押さえられた。
もがく私を見下ろしたまま、上忍は言う。
「今、カカシは無防備な状態だ。世話を頼める奴は限られんだよ。それにな、オレは上忍。お前は中忍。何か、文句でもあるのか? 忍びの先生よ」
鼻先に煙草の煙を吹かれ、神経が苛立つ。
反論することができず、悔しさ紛れに手首を乱暴に抜き取った。
「……分かりました。行きます。けれど、私を信用しない方がいいですよ」
「おう、分かった、分かった」
さっさと行けと手を振る上忍を最後に思い切り睨みつけ、受付所から出た。
紙袋の中には衣類と、そして、殴るように書き付けられた地図が入っていた。
今し方書いたであろう即席の地図を、破りたい衝動に駆られる。
どうして、私が。
歯を噛みしめ、激情をやり過ごす。一つ息を吐いて、足を踏み出した。



地図を頼りに足を進めれば、目的地には程なくして着いた。
町の中心街から外れた、住宅地の一角。
比較的軽傷ですんだそこに、カカシの家はあった。
一見すれば、普通の二階立てのアパート。
けれど、そこには人避けの結界が張られ、こちらを警戒する視線があった。
咎められれば、この胸くその悪い役割を背負わなくてすむ。
そう思ったのに、二階へ続く古ぼけた階段に進めば、警戒していた視線は跡形もなく消えた。
思い通りにいかない状況に舌打ちが出る。
鬱憤を晴らすように、足音を大げさに立て、階段を上る。
この先にカカシがいる。この先に、カカシが。この先に。
ドアの前で、足を止めた。
逃げ出したい。この先にいるものを見たくない。
ドアの前に紙袋を置いて帰ろうかと考える。
悪くない。カカシの世話をみるくらいなら、Aランク任務でも引き受けた方が、心安らかでいられる。
そうしよう。上忍の命令を背いたと、咎められてもいい。一刻も早くーー。



「誰かと思えば、イルカか」
腰を屈め、紙袋を置こうとした時、ドアが開いた。
憧れてやまない気配に、一つ反応が遅れる。
ゆっくりと顔を上げれば、ドアを少し開け、こちらを見つめているガイ先生の姿があった。
「ガイ、先生」
元気だったかとガイ先生は満面の笑みを浮かべ、頷く。
長らくお顔を拝見していなかったが、頬が少しこけたみたいだった。
いつも太陽みたいにまぶしいガイ先生でも、思い悩むことがあるのだと知って、切なくなる。でも、それでもガイ先生の瞳は陰ることは決してない。
「今日はアスマが来る予定だったが、イルカに代わったのか? なかなかアスマも気が利いているではないか」
入れと強引に手を捕まれ、部屋に引きずり込まれた。
帰るつもりだったことを伝えられずに、紙袋を持ったまま、ガイ先生の勢いに流され、部屋に入ってしまう。
玄関に脱ぎ散らすように靴を投げ、たたらを踏むようにカカシがいる場所へと入る。
心臓が一つ跳ねた。
微かに鼻にとらえた匂いが、あの日の雨の匂いと、熱を思い出す。
「イルカが来れば、カカシの奴も喜ぶだろう。何せ、意識がなくなる寸前、お前の名を呼んでいたからな」
振り返って笑みを向けるガイ先生の顔が、言葉が痛いと思う。
泣きそうになっている自分を見つけ、顔を俯けた。
ガイ先生は私の腕を痛いほど握って、狭い廊下を抜け、その先にある一室へと私を案内した。



「カカシ。イルカが来たぞ! 良かったなぁ。一番会いたい者が会いに来てくれる喜び、しかと味わえよ!」
ガイ先生の笑い声が響く。押し出されるように前に出され、とっさに目を瞑った。
一瞬目に入ったのは、趣味の悪い手裏剣柄の布団と、寝台。
鼓動がうるさい。
わんわんと耳にまで響く音が不快で、耳を塞いだ。
聞きたくない。見たくない。
はっと、小さく息を吸った自分の声が震えていて、バカみたいだと笑いたくなる。
かたかたと震えてきた体に、何の真似だと己を罵りたくなった。
震える体を止めようと、耳を塞いでいた手を腕に持っていく。そのとき背後の気配が近づいて、過敏になった神経を刺激した。



「触るなッ」
肩に伸びてきた手をとっさに振り払った。
高く鳴る音と同時に、距離を開けた。足が寝台にぶつかる。
睨むように威嚇した先にいたのは、ガイ先生で。
一瞬驚いた顔を見せた後、軽率だったと頭を掻いて詫びてきたガイ先生の顔を見て、私は間違えたのだと知る。
「あ」
違うんですと、言おうとした言葉は、背後の音に止められた。
「……ル、カ」
掠れる音。
それでも耳に届いた呼びかけに、頭が真っ白になった。
気づけば振り向いていて、私は寝台に眠るカカシの姿を見下ろしていた。



真っ白い、生気の抜けた顔。
額宛は取られ、口布は鼻先まで覆っている。
「あ」
口を覆う。強く塞がなければ、訳の分からない音がこぼれ落ちそうだ。
注意深く見なければ、呼吸をしていることすら見逃しそうなほど、息が弱い。
ぴくりとも動かず、寝台に横たわっている姿は不吉そのもので、混乱してくる。
「っ」
唇を噛みしめた。
勝手に溢れ出た液体が視界を歪める。
泣く必要はないのに。涙なんていらないのに。
しゃくりあげる自分の呼吸が、崩れ落ちる膝が、それでもカカシから視線を外せないでいる自分が、救いようもなかった。
何も喋らない、こちらを見つめない、呆れるほどよく回った口も開かない。
全てが停止している中、微かに聞こえるのは呼吸の音だけで。
たったそれだけのことなのに、どこか安堵している自分を見つけた。
がたがたと震える体を持て余したまま、流れる涙をそのままに、カカシから目を離すことができなかった。









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