手を繋いで 35

「イルカ先生、ごちそうさんだってばよ!!」
一楽の前で、ナルトが大きく手を振り、走り出した。
それを見送りながら、こちらも手を振り返す。
知らないうちに大きくなったと思う。



久しぶりに会いに来てくれたナルトからラーメンをねだられ、一緒に一楽へと行った。
ラーメンが出来る間、中忍試験から今まで何があったかを、ナルトは事細かに話してくれた。
私の知らない景色を生き生きと語るナルトに、微笑ましい感情と、どす黒い感情が浮かぶ。
私の知らない世界に踏み出したナルトの自立を喜ぶ裏で、冷やかな眼差しでナルトを見つめている。
自身の身を守るためにもこれから強くなると言ったナルトを、頼もしく思えたのも事実だが、異物たちがナルトへ近づくことに忌々しさを覚えた。
今更どの面してと、大きく成長しようとするナルトへ群がる輩に、吐き気すら覚える。



ナルトの側には、私だけいればいい。



呟く声は絶えることはない。
それでも、昔のようになりふり構わず、ナルトに固執しないのは。



小さくなるナルトの背から目をそらし、アカデミーへ足を運ぶ。
ナルトが、自分の近況を語る前に教えてくれた。
すごい人を連れて帰ってきた。だから、
『カカシ先生も、今頃、目を覚ましてるってば』
満面の笑みで放たれた言葉は、私を揺さぶるには十分すぎた。



結局、カカシに会ったのは、あの一回だけだ。
それ以降、任務を入れ続け、近寄らないように、近寄れないようにした。
どこからともなくやってきて、どうやって仕入れたか知らないが、カカシの近況を伝えるアサリには辟易したものの、日々を費やしていられた。
時折、アサリはカカシ以外の話を落としていった。
その中には、サスケと、ガイ先生の愛弟子であるリーの話もあった。
サスケはカカシと同様に意識のない状態らしく、里の外にいる医療に秀でた忍びを待っている状態だった。
そして、リーも。
リーは先の中忍試験で重傷を負い、その治療を待つ身だという。
ガイ先生がやつれていた理由を知ったのと同時に、そんな中でも私を励ましてくれた先生の強さに、申し訳ない気持ちがわき起こった。



「……でも、無理なんです」
口の中で呟く。
ガイ先生がいくら励ましてくれても、私の気持ちは変わらない。
近づいてはいけない。
触れてはならない。
無理なものは無理なのだと、唇を噛みしめる。
この先に待つものに、立ち向かう術がない。
優しすぎるカカシは、私を止めてくれない。
そして、カカシは自分で思っている以上に、木の葉の忍びだ。



だから、無駄だ。



「っ」
胸の内で浮き上がった言葉に痛みを感じた。
咄嗟に掴んだのは胸で。でも、そのもっと深く、奥底に痛みが響く。
決して触れられないもどかしさに、顔を歪めながら、目の前に立つ里の中心部、アカデミーに視線を向ける。
道の端に立ち、吸い込まれるように行き来する忍びたちの姿を眺めた。



アカデミーはまだ休止状態だ。
だから、ここを訪れる者たちは任務を請け負うために来たか、報告をしに来た者たちで。
これからの木の葉を支えようと、前を向いている者たちで。
失くしたものは多くあれど、乗り越えた者たちで。
皆、今を生き、ここに存在している。



人の流れを眺めながら、知れず笑みが浮かび出る。
今更だ。
今更だと、流れの外で一人、立ち尽くす。
私は一人だ。
あのときから、すでに一人だった。
あの一瞬に心奪われた時から、うみのイルカはうみのイルカではなくなった。
残滓が残る肉体に、巣くったのは願いに似た狂気で。
あの一瞬を、あの一瞬をと繰り返し呪いの言葉を吐き続ける。
残滓は過去の自分を辛うじて形作ろうと足掻いたけれど、結局は乗り越えられずに、あの一瞬を望む私がいる。



あぁ。
あぁ。



ため息と共に、感嘆とも憂いとも言えぬ音を出す。
全て無駄なんだ。
私を救ってくれなかった。
抗いながら手を伸ばしても、誰も掴んではくれなかった。
この思いを覆らせてくれなかったこの世は、全て無駄なもので成り立っているのだろう。
親子の愛も、友たちの信頼も、仲間たちとの絆も。
何一つ、役に立ちはしない。
だったら、この世のしがらみ全て、跡形もなく消えてしまえばいい。
全てを消し去り、残るのは、あの、唯一無二の存在ならば、それはとても美しい世界なのではないか。



「……ナルト」
名を呼ぶ。
ナルトに会いに行こう。ナルトに会いに行こう。
全てを消し去ってくれる、美しい世界を作ってくれる、希望に会いに行こう。



金色の大きな獣をその身に宿す、礎になった子供。
巨大な力と、無慈悲な力を持った災いと共にいる子供。
この世のものとは思えぬほどに、美しかった、私の――



「――イルカ!!」
踏み出した足が止まる。
しなやかな腕が視界を奪い、体に絡みついた。
耳朶を打ったのは懐かしい声で、遅れて香った匂いに息が止まった。
背中に感じる熱は生きているものの温もりで、痛いほどに生を感じてしまう。
声を出せぬまま、視界が真っ白に染まる。
術の気配を感じながら、瞬きをした直後に視界に映ったのは、アカデミーではなく、火影岩のふもとだった。



「無事で、良かった……」
カカシの吐息が耳に触れる。
息は浅く早く、囲う腕は微かに震えていた。
無意識に触れようとした手を止める。
名を呼ぼうとした口を閉ざす。
振り返りそうになる顔を、真正面へと向き直した。
カカシは言う。
半ば混乱したように、泣き出しそうな声で吐き出す。
嘘をついたと。
本音で向き合わなければならないサスケに対して、過ちを犯してしまったと。
関係ないと思う。関係ないと思う。関係ないのだと思い込む。
カカシは呻くように息を吐きながら、なおも言葉を続ける。
サスケに言われた。今から一番大事な人間を殺してやろうか。そうすれば、分かるだろうと、思い知るだろうと。
だから、何だと思う。私に何の関係があると、目前の景色を睨む。



カカシが息を吸う。
予感を覚え、息が震えた。
耳に届いたのは、今、一番聞きたくない言葉だった。



「オレは、目の前で堕ちていく部下よりも、あんたを選んだんです」












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