有言実行 4
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「……ちょっと、昨晩のあれは一体何だったのよ」
子供たちの任務を尻を叩いて早く終わらせ、速攻で解散した後の受付所で、厄介な奴に捕まった。
「今、急いでいるから後日でいい?」
こっちの奢りでいいからと、暗にオレの金でたらふく飲めと言ってやったのに、厄介な奴こと紅は眉間に皺を寄せたまま、オレの肩から手を離してはくれなかった。
「私は、今すぐ、知りたいのよ。深夜に突然押しかけてきたかと思えば、パンツ貸せって家探し始めて……。私、これでも問答無用で張り倒したいの我慢してるんだけど」
オレの肩を握っている手が骨を砕かんばかりに徐々に力が強くなっている。
紅の家に押し入り新品のパンツを探していると、半裸のアスマがなんとも遣る瀬無い顔をして立っていたから、これからっていうところだったのだろう。一応、その場で謝ったが、こちらも緊急事態だったため不可抗力だと言いたい。
だが、目の前の紅はよっぽど腹に据えかねたのか、受付所という非常に目立つ場所で昨日の所業は何だと問い詰めてくる。ま、別に悪評なんて慣れてるし、今更一つや二つ増えてもいいのだーけど。
紅にちょっと待ってと時間をもらい、7班の任務報告書を書きつけて、さっさと提出する。
昨日言っていたように受付の中にはあれの姿はない。ま、それも当然か。オレが待っているように厳命したのだから。
心なしか、顔を青くさせて働く受付員から認可のハンコをもらい、おとなしく待っていた紅の元へと歩く。
「オレは別にいーんだけど、相手のこともあるしーね。上忍待機所で話すよ」
オレの素直な申し出に、ちょっと紅は驚きつつも共に上忍待機所へと向かった。
昨日は、非常に疲れる一日だった。
事の始まりは、7班の任務後に偶然うみのイルカと出会ったことによる。
受付にも報告済で後は解散と言えばおしまいになるその時、うみのイルカがオレたちの目の前を歩いていた。
オレの本日の情報を一体どこで聞いているのか甚だ疑問だが、これ見よがしにオレの目の前に現れて声を掛けてくるのをひたすら待っている有様だ。
例え、オレが声を掛けなくとも、うみのイルカを恩師と慕う子供たちが黙っている訳もなく、オレとほぼ同時にうみのイルカを見つけたナルトが我先に駆け寄っていった。
そうなるともう後の展開は見えたも同然で、計算高いくノ一のうみのイルカが子供を出汁に話しかけてくるの必須。
そのため、オレは近くの電柱の上に身を潜めることにした。
サクラとサスケが目の前から消えたオレに非難の声を上げたが、それと代わるように一枚の式が子供たちへと降り立ち、それを読むなり二人は何故か落ち込んだ。
一体どうしたのだろうと思いつつも、ナルトに続いて、落ち込む二人がうみのイルカの元へ向かい、オレに見せつけるようにして子供たちを構い始めた。
まったく、オレが近くにいるのを見越してあんなあからさまな行動に出るなんて、ホント頭弱いよーね。これでオレが嫉妬するとでも思ってんのかしら。
さすがに声は聞こえないが、動く唇がここからではよく見えるためにうみのイルカが何を言っているのか理解できた。
うみのイルカの一種独特な価値観を子供たちに披露する会話は、ふとオレに昔の記憶を思い出させた。
『子供がなぁ、腹いっぱい食うのを見るのが大人の幸せってやつだ』
ちょび髭を生やした無骨な男の満面の笑みが言葉と共に蘇る。
あの当時、オレは食が極端に細い子供だった。
高名な忍びである親父の才を受け継ぎ、物心つく前から一通りのことが出来たため、すでに忍びとして動いていた。
不規則な生活に、忙殺される時間。
腰を落ち着けて物を食べる習慣など到底つくこともなく、里に戻った時には親父が料理を作ってくれたが、日頃兵糧丸で済ます食事に慣れていたため、食べられても少量だった。
そして、親父は任務で失敗をし、精神に変調をきたした。
親父の代わりを務めるべく必死に任務に邁進する日々。親父に余計な重荷を背負わせないように、任務に没頭すればするほど親父はどこか遠い目をするようになっていた。
必ず治るよ、元のように元気になるよと子供心に言った言葉は、親父にとって辛いものだったのか。
気付けば、親父は一人で先に逝ってしまった。
そこからますます物が食べられなくなった。
一時は、里に帰った時、食事処から漂ってくる料理の匂いに吐き気を催すほどの拒絶ぶりだった。
オレの先生であるミナト先生がしきりに心配し、いろいろな物を食べさせようと持ってきてくれたが、無理をして食べると吐く有様で、たいそう困らせた。
そんなある時、見知らぬ上忍と任務が一緒になった。
男は厳めしい面をしたちょび髭で、髪を天辺で一本結びにしており、小隊長を務めていた。
よくある忍び崩れの残党を処理する任務で、特にこれといった危険もなく残党を殲滅させた。
だがその帰り道、小隊長は驚くべき発言をした。
「帰るまでが任務というが、それはそれ。これはこれ。今から昼食をとる!!」
オレと同様に呆気にとられた者もいたが、それと同数で待ってましたと喜ぶ空気を漂わせる者もいた。
「まーた、奥さんと娘さんに弁当持たされたんですかぁ?」
「任務ですよー。ピクニックじゃないんですよぉー」
言葉とは裏腹に軽口を叩く調子はやけに軽くてそれにも驚いた。
中には小隊長の行動として如何なものかと食って掛かるやつもいたが、小隊長は慣れた様子でそいつの口に問答無用でおにぎりを突っ込んでいた。
「仕方ないだろ。愛する嫁と娘がおればかりか、おれと任務を共にするお前らたちにどうしても食わせたいと言うのだ。言っておくが、残すことは許さんぞ! とくと味わえ!!」
ご丁寧に、帰り道のとある場所にありとあらゆる結界を張って、弁当を守る小隊長のふざけた行動に反感しか覚えなかった。
渡された笹の葉に包まれた弁当を握り、各々が弁当を食べる様子を見た。
文句を言っていた奴も一度口にしたら最後、物も言わずに食べ進めているのを見てひどく憤りに駆られた。
「おう、坊主。お前も食べろ」
黙って突っ立たままのオレを見咎めたのか、小隊長がこちらへやって来た。
睨みつけそうになる目を伏せて、オレはその場限りの嘘を吐く。
「……今、腹減ってないので後で食べます」
どうせ食べられない。後で帰り際に捨てて――
「いいや、一口でいいから食べろ。小隊長命令だ」
余計な手荷物の処分を考えていた瞬間掛けられた声に、思わず顔を上げる。
小隊長は腕を組み、厳めしい顔をしたままオレを見下ろしていた。まるであとから捨てるのが分かっていると言わんばかりの態度に、考えを気取られた羞恥と悔しさで一瞬顔に熱が上がる。
そんな命令など誰が聞くかと咄嗟に出ようとした言葉は、小隊長が構えて持っていたおにぎりを前に力を失くす。
無理やり突っ込まれるのと、自分で一口齧るのでは後者の方が断然にいい。
渋々笹の葉を開けると、三つのおにぎりとそれより二回り小さなおにぎりが現れた。
小さなおにぎりは見るからに不格好で、しかも中に入れた物がはみ出、白飯を汚している。まるで子供が作ったかのようなそれにますます食欲不振を募らせていると、小隊長が目の色を変えた。
「坊主! いや、カカシくんと言っていたね。これはこちらの手違いだ。私の物と交換しようじゃないか。な、な?」
猫撫で声を出して名前で呼び始めた小隊長がうざいのと、反感も手伝い、オレは小隊長が求めてやまないであろうそれを問答無用で口に入れた。
「あっ!!」
小隊長の悲鳴に近い声と同時に、オレの口の中は強烈な甘さと苦さに支配された。
「う、うえぇ」
「駄目だ!! 吐くな、飲みこめ!! おれの大事な愛娘の手作りを吐き出すなど許さんぞ!!」
「う、うぅ」
「飲め!! 飲み込め!! 上官命令だぞ!!」
口を無理やり塞がれ、顎を上げられ、どうあっても吐き出せない状況に、必死に拒否する喉と胃が根負けしたのはそのすぐ後だった。
どうにか飲み込み、ぜーぜー肩で息を吸うオレに、小隊長は満面の笑みで頭を撫でてきた。
「よーし!! えらいぞ、カカシ!! おれも最初は苦労したからお前の気持ちはよく分かる。えらい、立派だ。よし、お前の勇気に敬意を表してこれもおまけにやろう」
小隊長はおもむろに自分の弁当から一つおにぎりをオレのところに寄越した。
すると、周りにいた忍びから一斉に声が迸った。
「ずるい、依怙贔屓だ!!」
「オレも食いたいです、小隊長!! 追加ー!!」
「家族の味ー!! もっと食べたいー!!」
何故、そんなにムキになるのが分からなくて、自分はいらないからと言おうとした直前、小隊長は声を張った。
「ばっかもーん!! 子供の飯を横取りしようとする者がいるかー!!」
鼓膜を揺さぶらんばかりの大声に、あたりは静まり返る。というより、物理的に耳が馬鹿になって、呻くものが半数だった。
かくいうオレもそれを間近に受け、眉間に皺を寄せていると、頭に再び大きな手のひらが乗ってきた。
「それとなぁ。子供がなぁ、腹いっぱい食うのを見るのが大人の幸せってやつだ」
小隊長の緩んだ眦が、オレを見つめる眼差しが、何かと重なった。
見開いて、それを見極めようとするオレの耳に声が聞こえた。
『腹いっぱいか、そうか。いっぱいか』
せっかく親父が作ってくれた料理は、ほとんど食べられなかった。
ご飯を一欠片、焼いてくれた鮭を一口。そして、みそ汁を少し。
大部分を残したオレに、親父はそう言ってオレの頭を撫でた。
「また作るから、今度は今より食えたらいいな」と、笑って、そうして、目の前の小隊長のように目を細めた。
そのときになって、ようやくオレは知った。
あぁ、親父。親父は、オレが腹いっぱいだと言って幸せを感じてくれていたのか。オレと一緒にいた時に、幸せを感じてくれていたのか。
長年、張り付いていたものの殻が剥がれ落ちていくようだった。
まだ塞ぐものはある。でも、それは形を少し変えた。
オレの様子がおかしいことに気付いたのか、小隊長は不思議そうに顔を覗き込もうとするから、オレは誤魔化す為におにぎりに食らいつく。
先ほどとは違って、ひどくうまいと思えた。
米の甘さと塩加減が引き立っていて、噛むとほろりと米粒が崩れる。固くもなくて、柔らかくもなくて、米のうまさを感じられる。いや、米の味はこうだったと思い出した。
すでに腹の中には意味不明な小さな劇物を入れているために、胃はもう入らないと訴えてくる。けれど手が止まらなかった。止めたくなかった。
鬼気迫る顔で完食したオレに、小隊長は大丈夫かと薬茶を持たせてくれ、オレはそれを有難く頂戴した。
里に帰ってから、オレは薬茶の効果もなく、一日ばかり寝込むことになったが、その翌日からはまともな食事を取れるようになっていた。
それに大喜びしたのはミナト先生で、良かった良かったと泣きださんばかりに抱きしめられた。
後々聞いた話によると、件の任務はミナト先生が無理やりねじ込んだものだったらしい。あの小隊長と日帰り任務をする時は必ずうまい握り飯にありつけるという噂を聞き、藁にも縋る思いでミナト先生がオレを一員に加えたという。
結果はまんまとミナト先生の思惑通りになったようで、少しばかり面白くない気もするが、それほどオレを心配してくれたのだと逆に感謝した。
あるとき、オレはミナト先生に聞いたことがある。あの小隊長はどうして皆の弁当なんて持参してくるのか、と。
すると、ミナト先生は答えてくれた。
「あれはね、うみの上忍の信念みたいなもんなんだよ。誰一人欠けることなく里に帰らせるっていうね。それを奥さんもご存じで、自身も任務で忙しいのに、後押しするために手弁当っていう形になってるみたい。私と愛娘が作ったものを食わせずに帰らせる気? みたいなね。本当、素敵なご夫妻だよ」
そう笑ったミナト先生は、オレに深い眼差しをくれた。
それにオレは何も返せなかった。
「……うみの。そうか、あの小隊長の愛娘」
電柱柱の上で一人呟く。
まさかここにきてうみのイルカに連なる新情報が出てきて少し驚いた。
あのうみの小隊長とはあれきり任務で一緒になることはなかったが、オレの記憶にずっと残り続けている人物でもある。
とんだ荒療治だったが、あれが切っ掛けでまともに飯を食うことを覚え、骨と皮の体から脱却できたのも事実だ。
「仕方なーいね。受けた恩は返さないと」
オレが礼をしたい相手が故人となっているのならば、その娘に返すのが筋だろう。本当に世間は狭いとはよく言ったものだーよ。オレに媚を売る女が恩人の娘だったなんて、なんと巡り合わせが悪い。
さて、どうやって恩を返そうかとうみのイルカの背後に降り立てば、子供たちから奢れと言い募られている場面に遭遇した。それを金がないから無理と断るうみのイルカの言葉に、ちょうどいいかと思った。
食い物の恩は食い物で返そう。
そう思い立ったら、手早く済ませるに限ると、子供たちを連れて一楽へと行った。うみのイルカは子供を連れていたらオレを口説くのに都合が悪いようで、逃げ出しそうな素振りだったから、そうはさせじと腕を捕まえて連行してやった。まったく手間のかかる。
子供たちと食べた一楽はそこそこ楽しかった。
子供を目の前にするとうみのイルカはオレに一切興味を持たない振りをするから、心置きなく食に専念できた。
騒ぐ子供たちをうみのイルカと窘めつつ、普通に会話する。
普通に会話できることにちょっと驚きつつ、そこそこ盛り上がった。けど、肝心なところを隠せていない。オレを見つめる視線が微妙に合わないし、オレが子供たちと話している時を見計らってちらちらと盗み見ている。あーぁ、あからさま過ぎてこっちが恥ずかしくなる。
だから、いっそのこと正面切って言ってやろうとオレは思い立った。
そんなにオレのことが好きなら告白しなさいよ。
今日のことでまぁそれなりにわだかまりは解けたし、アンタがどうしてもって言うなら考えてあげなくもないんだから。
するとどうだろう。
うみのイルカのなけなしの初心さを感じ取って、人通りが極端に少ない穴場のおでん屋に連れ込んだというのに、うみのイルカはまだガイのことが好きな演技をオレに見せつけてくる。
しかも、ガイが結婚していなかったなんて知らないと泣く演技までしてみせて。
本当にムカつく女だよ。そこまでしてアンタは自分から言わないつもりなの? オレを見詰める視線は痛いほど正直なのに、オレから言わそうとするなんてどれだけ腹黒いのだろうか。これもくノ一の手練手管ってやつ? でもお生憎様、オレはくノ一の胸の内なんてわかり過ぎるほど分かっているから。幼少期から伊達に忍びやってないっていうーの。
どうせ惚れた方が負けだとか思ってるんでしょう? 先に惚れたら、それを盾にして今後の主導権握ろうっていうんでしょう? 本当に浅はか! そっちがそのつもりならオレだってやってやろうじゃない。せいぜい恋した苦しさに呻いていればいいんだーよ。
だというのに。
「えー、もうカカシ先生帰っちゃうんですかぁー。いやですぅぅ、もっと一緒にいたいですぅぅ。つぅか今日泊めてくださいっぃ。一人は寂しいじゃないですかぁぁ、同士じゃないですかぁぁぁ」
深夜になる時間帯なこともあり、ここで別れようとすれば、うみのイルカはあろうことか捨て身でオレの後頭部に手を回し抱き着いてきた。
酒をしこたま飲んだせいか、抱き着いてくる体が異様に熱くて、何故か鼓動が跳ねた。
「アンタ、調子に乗り過ぎ。というか、何頭イカレた発言してるの! 聖職者たる教師が男の部屋に泊まりたいだなんてそんな破廉恥なことを言ってんじゃないの、さっさと自宅に帰りな」
正論を武器に言葉を放つ。だが、うみのイルカはオレから離れないばかりか、意地でも離すものかと足を回して、今度は張り付いてきた。
っと、何なの、この女!! ふしだらにもほどがある!!
怒りのためか顔に熱が集まり、どうにかして離れさせようとするが、初めてのことでどう手を出していいか分からない。
まごつくオレにうみのイルカは酔った者特有の笑いを漏らしながら擦りついてくる。
「えー、カカシ先生と何か起こる訳ないじゃないですかぁ。もう同士として面倒みてくださいよぉぉ。どうしても嫌ならそこら辺に捨てておいてください。ちょっと寝て正気になったら帰ります。それじゃ、おやすみなさい」
ぎゅっとしがいついていたのに次の瞬間は呆気なく離れて、本当にそこら辺に寝転がろうとするから慌てて腕を掴んだ。
「え~、何ですかぁ。おやすみなさいしましたよー。カカシ先生もよく眠るんですよ、それじゃ」
「『それじゃ』じゃないでしょうが!! アンタ、仮にも女なんだからそこら辺で寝ようとするんじゃないの! もう、バカ! アンタ、明日起きたらただじゃおかないからねっ、覚悟しなさいよ!」
「え~? 何するんですぅ? 裸で里内逆立ち一周とか? やだぁ、お嫁にいけなーいぃぃ、うへへへへへ」
「ばかぁぁ!! んなことさせる訳ないでショーが! もう黙っときなさい、今日は泊めてあげるから」
ふらふらするうみのイルカを抱きかかえ、おでん屋の親父に見送られて颯爽と帰る。
無論、うみのイルカを抱いたまま家に連れ帰るところなんか誰かに見られたら、うみのイルカの思う壺だから、人通りのない道を遠回りして帰った。
早い早いーと後ろに流れていく景色をご機嫌で眺めるうみのイルカのお気楽さに、イラついたのか心臓が跳ねあがる。流れる景色を見ようと肩口に顎を乗せて、より密着してきたうみのイルカの煩わしさにむず痒い何かが走る。何かの癖なのか、時折頬を擦り付けるように耳元を掠める感触に怒りを覚えたのか、視野が狭くなるのを感じながら、ようやく部屋にたどり着いた。
「わー、お宅はいけーん、おっじゃましまーす!!」
「ちょっと、声大きい! 深夜!」
部屋の戸を開けた途端に、用なしとばかりに体を離すうみのイルカにイラつきながら小声で注意した。
分かってます分かってますと自分の口を両手で押さえてこくこく頷く姿は、あざとすぎて頭に血が上った。
「あー、カカシ先生、お泊りご許可いただきありがとうございます。早速ですが、お風呂をお借りします。ありがとうございます」
うろうろとオレの部屋の配置を確認した後、風呂場を確認するや否や頭を下げて風呂に入ろうとするうみのイルカ。
「ちょ、ま! アンタ、着替えもないのに何で風呂に入ろうとするの!」
あまりに予想外の行動に、肩を掴んで止めれば、うみのイルカは気の抜けた顔をきりっと正気に近い表情を作り、堂々と言い放った。
「うみの家の家訓その三『任務以外で風呂に入らないのはご法度である』例えそこが我が家ではなくとも適用されます」
「……アンタ、さっき風呂に入らないで道端で寝ようとしたじゃない」
酔っ払いに突っ込んでも無駄だと思いつつ、突っ込んでしまう。
案の定、「そうでしたっけ?」とへらへらと笑い出すから鬱屈が溜まる。
「まぁ、ともかくも風呂をお借りします! タオルと、風呂場にあるものと、カカシ先生のパンツと何か羽織るもの一着貸してください。それじゃ、頼みましたよ」
こちらが何かを言う前に脱衣所に入られ戸を閉められた。慌てて追おうとしたが、早くも服を脱ぐ衣擦れの音が聞こえてきて、そこから入り込めなくなる。
「な、なんなの、あの女……」
脱衣所の戸の前で思わず呟く。
しばし呆然と中からシャワーを使う音を聞いていたが、ハッと我に返る。
あの女、何と言っていた。タオルと風呂場のものは分かる。何か羽織る物も、まぁ、寝間着代わりに着るのだろう。だが、
「パンツ? ……オレの、パンツ?」
ふとうみのイルカがオレのシャツとパンツだけを履いた姿が脳裏に浮かぶ。
瞬間、たらっと鼻の下に水気を感じ、口布が湿る。何だと口布の外から指で触れれば、その指先には血がついていた。
しばらく自身の手についた血を凝視して、かぁぁぁっぁと頭に血が上った。これは、あれだ。きっとうみのイルカのあまりの傍若無人に頭の血管が切れたことによる結果で、そんなまさか興奮したとかそんなことではなく!
いいや、そんな場合じゃない!! あのうみのイルカのことだ。このまま何も用意せずにいたら、そのままの格好で出てきてオレにセクハラをかますに違いない!! そうはさせるか!!
無論、オレの部屋に女の物の下着なんてある訳ない。だったら、だったら頼るべきはくノ一の友人、紅、一択。
早く、うみのイルカが風呂から上がる前に準備をせねば、うみのイルカの思惑通りになってしまう。
「オレを甘くみるんじゃないよー!!!」
オレは玄関扉にぶち当たるようにして出て、紅宅へと走った。
「と、いう訳。だから、あの女、今もオレの部屋にいるのー。訳話したんだからもういいでショ? 詫びは今度するし」
上忍受付所でアスマも合流して昨日の訳を話せば、紅とアスマはお互いそっぽを向き合いながら小刻みに体を震わせている。
訳の分からない反応を示す二人を胡乱な者を見るように見れば、一足正気に戻ったアスマが咳払いをしながら問いかけてきた。
「まぁ、待て。ちょっと質問いいか。で、おめぇその晩やっちまったのか?」
「はぁ?」
素っ頓狂なことを言ってきた髭熊に、眉根が寄る。
すると髭熊はオレの反応が面白かったのか、顔をにやけさせ、ふるふると震えだす。
「おま、おまえ、それ本気か? 来るもの拒まず、去る者追わずを地で行くお前が、据え膳食わずに指くわえたまま見ていただけかっっ」
お前ついてんのかよと吹き出した後、大爆笑し始める髭熊に殺意を覚える。
「ちょ、もう! が、我慢してたのに、あははははは、おっかしい、もう我慢できないっ」
続いて紅まで腹を抱えて笑い出すから不機嫌も拍車がかかる。
「いーよ。二人で笑っていれば、オレ、帰るから」
付き合ってられないと席を立とうとすれば、目尻に涙を浮かべたアスマと紅がオレを引き留めにかかる。
「やだ、もうちょっとお話しましょうよ。詫びはいらないから、もう少しだけ、もう少しだけでいいから」
「おいこら、逃げんな。こんな面白いこと言っておいて帰れると思ってるのか」
アスマから肩を組まれ、紅からは腕を組まれ、素直に応じた方が早く帰れるだろうと素早く算段する。
「あー、もう。本当にあと少しだけだからね。早く帰らないと、あの女、何してるか分からないんだから」
鬱陶しい二人から体を剥がし、ちらっと時計に視線を向ければ、午後六時を示している。かれこれ11時間は部屋に置きっぱなしにしている。……ちゃんと朝飯、昼飯食べただろうか。一応、冷蔵庫にはそれなりに物を詰め込んで、置手紙にも勝手に使えと記してきたが。
うみのイルカのことを考えると悶々してくる。
オレのやきもき具合が伝わったのか、アスマと紅は我先にと質問してきた。
「ねぇねぇ、アンタ、イルカ先生と同じベッドに入ったの? 悪戯くらいはしたんでしょう?」
「紅にパンツ借りに来るぐらいだから、当然服も貸したんだよな? おい、どんな格好させたんだ?」
にやにやと二人して気味の悪い笑みを浮かべている。
それに肩を竦めて、オレはありのままを告げる。
「冗談。なんでオレがうみのイルカと同衾しないといけないのよ。だいたい酔っ払いだーよ? 起きて何するか分からないのに目が離せないでしょうが。オレは一晩中、うみのイルカの監視。変なことしないように見張ってただけ。あと、アスマ、変態すぎる。普通にパジャマ貸しただけだーよ。でも、下も貸したのにさ。一度履いた後、心を抉るから着ないって言い放って脱ぎ捨てるから、そのままにしたけど。……何よ、文句ある?」
今度は二人して固まってしまった。何か言いたそうな視線だけを向けるものだから、鬱陶しい。さっさと口に出して言え。
「一体、何なのよ。もういいなら、帰るよ」
まごつく二人に言い放てば、紅が口を開く。
「えっと、思ったよりアンタが紳士というか、初心すぎて困惑したのよ……」
あら困ったわーと言わんばかりに頬に手を当てる紅。
「あー。おめぇ、キャラ変わり過ぎだろ。あんだけ里の女を食い散らかした男の行動か?」
呆れるような物言いのアスマにオレは失礼なと鼻を鳴らす。
「ちょっと。オレはそんな素行の悪いことしてないよ。人聞きの悪い。オレは性欲処理しかしないし、一人一度だけっていう条件付きに頷いた女しか抱いてなーいよ。それに、子供たちを受け持った今は全くしてないじゃない」
里に帰る度に言い寄る女が多すぎて、自棄になって言った言葉だった。
オレの思惑は外れて、それでもいいと名乗り上げてきた女が多数いてげんなりしたが、己で言ったこともありきっちり抱いてやった。何だかんだと気を遣うから、廓で処理した方が気楽だったーね。
実際もう二度とやりたくないとぼやけば、アスマと紅は顔を見合わせていた。
二人で目で会話する様子が何故か目に付く。もういいでショと言いかけた言葉は、打って変わった二人の言動でかき消えた。
「アンタ、素直になりなさいよ」
「そうだぞ。おめぇ、家に帰ったら、きちんとイルカと向き合え。いわば、今、イルカは失恋した直後だ。当然、勝機はある」
「そうそう。アンタのその無駄にいい顔で誑し込みなさいな。ちょっと朴念仁の気配のするイルカ先生だって少しは胸をときめかせるわよ。いい、イルカ先生の場合は押して押して押しまくった方がいいわ。でも手は出しちゃダメよ。あくまで性的なお触りは禁止。さりげないボディタッチはあり」
突然怒涛の如く助言し始める二人に顔を引きつかせていれば、二人して気付いたようにお互いが顔を合わせ頷いた後、一言いってきた。
『イルカ(先生)はおめぇ(アンタ)のこと好きじゃないからな(ね)』
それだけは認識するようにと強く言われ、オレはそこで付き合ってられるかと席を立った。
「カカシ、おめぇ、本当にその捻じ曲がった解釈を改めろよ!」
「いい、カカシ! アンタがあくまでアプローチするのよっ。断じて、イルカ先生はアプローチなんてしてないからね!!」
待機所を出るまで後ろからやんや言われ、こめかみが引きついた。
本当に嫌になーるよ。だいたい二人して何、世迷言を言っているのやら。あくまでオレは惚れられているの。断じて、オレがあの女にほ……訳じゃないんだからね!!
朝立てた予定より随分遅い時間帯になったことへぶつくさと文句を吐きながら、帰途についた。
やれやれ、うみのイルカは一体どう過ごしていたやら。オレがいない間に家探しなんていかれたことしてないだろうね。
戻る/
5へ
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このカカシ先生は結構純情設定。