有言実行 6
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「……一体いつになったら素直になるのあの女」
上忍待機所でつい独り言が口に出る。
自分でも分かるくらいにイライラしている。不穏な気配も漏れ出ているのも分かってはいるが止められない。そればかりか時と共に大きくなっていく一方だ。
だいたい、独身女が平気で独身男を泊めさせることがおかしいだろう。
オレは紳士だから、明確な関係をはっきりさせるまではそういう関係にはならないよう耐えているけれど、そんじょそこらの男ならば初日に食われても文句は言えない状況だ。
おまけに無防備。これに尽きる。
風呂上がりの無防備な姿も平気でオレに見せるし、濡れた髪が気になって見ていると「拭いてくれるんですか?」などと平気でオレに触れさせる。
女の髪はみだりに触れさせちゃいけないものよ!? あ、もしかしてこれも作戦? オレに言わせようとする作戦? 言外には言うけど、言葉に出して言うのはオレじゃないと認めないってこと?
「……腹黒女めぇぇぇ」
前のめりで握りこんだ両手がギシギシと音を立てる。
早く根を上げて、私に降伏しなさいと高笑いするうみのイルカの姿を見た気がして、イライラに拍車がかかっていると、スパーンと軽い音と共に頭に衝撃がきた。
「何すんのよ」
雑誌で頭を殴る暴挙に出た紅を睨めば、紅はこれみよがしに大きくため息を吐いた。
「アンタねー。くだんない意地張って、うまくいかないからって、うじうじ拗ねてんじゃないわよ」
したり顔で言い募る紅に、眉根が寄る。続けて、その後ろに控えていたアスマが軽く笑いながら吸い終わった煙草を灰皿に捨てる。
「まさか未だに足踏みしてるたぁなー。天下の写輪眼も形無しだなァ」
茶化すように肩を竦めるアスマの言葉を無視し、席を移動しようとすれば、そうはさせじと紅が立ちはだかった。
「まったく、何張り合ってんの。張り合ってる余裕がアンタにあると思ってんの? この純情へたれカカシが」
丸めた雑誌で頬を押そうとする紅が非常にうざい。
逃れるように顔を背ければ、その先には示し合わせたようにアスマがスタンバっていた。
「要領はいいことは認めてやるよ。いつの間にやら夫婦よろしく買い物行くわ、ほぼ同棲のように同じアパートに住んでいる手際は素直にすげぇと思う。だがよ。肝心の言葉を言ってないのはどうしてだ?」
雑誌を押し付ける手を止め、紅もアスマ同様にオレを覗き込む。
厄介な奴らに捕まったと内心ため息を吐いていると、二人してオレの頭に拳をぐりぐりと押し付けてくる。
「おー、つれない態度取るなよ、おめぇ。おれらが言ったこと早速実践してうまいこと軌道に乗せた身の上でよぉ」
「そうよー。イルカちゃん言ってたわよ。アンタの素顔、初めて見ましたって目を輝かせてねぇ」
二人の拳を捌きつつ、紅のうみのイルカの呼称が一段階親しくなっていることにイラっとする。
オレのイラつきを敏感に察した紅はふふふと勝ち誇った顔で笑った。
「イルカちゃん限定で言語障害起こすアンタとは違うってことよぉ。ちなみアスマとも飲みに行く仲よ」
「はぁ?」
オレが致し方なく下手に出て誘った時は、金がないから無理ときっぱりと断っていたのに、アスマとは行くのかあんの尻軽女!!
「あら、誤解しないでー。私たち、偶然任務でもらったり、福引で偶然当たった特別ご招待券をイルカちゃんと一緒に行こうって誘っただけよ~。子供たちがお世話になっていることだし。ちなみに二枚四名様のやつ」
人数合わないだろうが、そこはオレを誘えよ!!
「あらぁ、だってカカシは私たちと飲む時って、お金だけ寄越して来ないじゃなーい。いつもそうなのに、この時だけって都合よすぎー」
オレの胸の内の言葉を正確に読み取り、返す紅の陰険さに鬱屈が溜まる。これだからくノ一は碌でもない奴が多い。
口布の下で歯ぎしりしていると、アスマがまぁまぁとこの場を収める。
「そこまでにしてやれ。今のカカシをおちょくるのは楽しいのは分かるがな」
前言撤回。この似た者夫婦め!!
紅はアスマの言葉を素直に聞くなり矛先を緩め、オレの真正面へと腰を落ち着ける。
「で、カカシ。アンタ、状況がまだ分かっていないようね。言っておくけど、アンタ、大ピンチよ。よく知らない人が傍から見れば、付き合っているのかなと思うかもしれないけど、状況を知る私たちと勘の鋭い上忍連中は、アンタたちの関係はお友達にしか見えないからね!」
こちらに人差し指を向け言い切る紅に、無言で視線を向けた。
……いや、それはないだろう。何といっても同棲に近い関係だぞ。二人でスーパーに行って、明らかに日々の食料や日用品を買いこんでいるんだぞ。おまけに明日は何が食べたいとかこれみよがしに発言しているんだぞ。
考えとは裏腹に鼓動が早くなる音に気を取られつつ、紅を見つめていれば、紅は沈鬱な表情を浮かべた。
「私から見たイルカちゃんはね。カカシのことを、自分が守るべきどこぞのお姫様だと思っている節がある」
その言葉に背筋にひやりとしたものが走った。
確かに身に覚えがある。
うみのイルカと買い物をした後、うみのイルカはオレには重い荷物を決して持たせようとはしない。明らかに重い物を自分が持ち、軽い物をオレに持たせている。しかも、扉は必ず先に開けて待っているし、車道側を歩かせようとしない。そして、何故か、下ネタ関連から遠ざけようとする素振りを見せている。
「あー。そういや下ネタ大好きなあいつがぼやいてたなぁ。イルカの奴、カカシの前でそういうことを言おうと匂わせると口に物を突っ込んでくるってな。興味駆られて実験したら、カカシの半径50m圏内は全滅だったそうだ」
執念凄すぎて怒るに怒れなくて逆に引いたと、アスマはその下ネタ大好き男の言葉を代わりに告げた。
おかしいと思いつつ、目を背けていたことを赤の他人に指摘され、気分がぐっと落ち込む。
「……なんで? オレ、どこからどう見ても男でショ?」
思わず俯き疑問を漏らせば、二人して「さぁ」と首を傾げた。
何だよ、肝心のところで役に立たない奴らだな!!
うみのイルカが本気で分からない。
一体何を思って、何を考えて、何を基準にして行動しているのだ。
おかしい。どう考えてもおかしい。
本来ならばそんな難しい話ではないはずだ。うみのイルカが素直にオレに気持ちを打ち明ければ話は進む。だが、どうしてうみのイルカは頑なに告白しないのだ。ガイの奴には振りだろうと、真正面きって言ったというのに。
悶々と考え込むオレに、紅は首を振りながら大きくダメ出しをした。
「あー、だから、アンタは駄目だって言ってるでしょうに。それにね、私、大ピンチって言ったでしょう。言っておくけど、今、イルカちゃんモテ期に突入したから。大本命のガイに振られてフリーになって、ずっとガイを思い続けた一途なところがいいとか、子供たちにお弁当こさえていく家庭的な面とかいいなって、あちらこちらで絶賛語られ中だから」
「はぁ?」
到底信じられない紅の言葉に、事の真偽をアスマに視線で聞けば、アスマは新しい煙草に火をつけ、実にうまそうに一服吸いながら事も無げに言った。
「あぁ、おれも聞いたことあるぞ。中忍は元より、上忍連中も騒いでやがる。……大変だなぁ、カカシ」
にやりと笑うアスマはちっとも大変だと思っていない様子で心底腹が立った。まったく、どうしてこうなるかな!!
「あの、カカシ先生、いらっしゃいますか?」
その後も二人から胸糞悪い話をされ続け、時間と共に鬱憤をため続けていると、不意に待機所の出入り口からうみのイルカの声がした。
出入り口で応対しているのは、以前からオレに懸想をしている上忍のくノ一だ。
そういえば、いつの間にやらくノ一からアプローチをされることがなくなった。とても快適な毎日で失念していたが、一体いつ頃から声を掛けられなくなったのだろうか。ま、楽でいいんだけど。
黙って様子を窺っていると、くノ一はうみのイルカに軽く了承の言葉を告げ、オレの元へとやって来た。
「カカシ、イルカ先生呼んでいるわよ。いい加減、観念したら?」
欲望と期待と下心を持った目で見つめていたくノ一は、ひどく残念なものを見る目でオレを見ている。
以前の視線よりかはましな気がするが、どうしてそんな目で見られるのかが理解できない。
「何が?」
くノ一の言葉も理解できずに問えば、くノ一は頬に手を当て、大きなため息を吐いた。
「本当に残念な男だわ。顔も男としても忍びとしても財布としても最高級だってのに、本当に残念な男だわ」
実感のこもったそれに若干イラつきつつ、うみのイルカの元へと歩み寄る。
「ん?」
何か用と短く尋ねれば、うみのイルカはこわばった顔でオレを見上げた。
「カカシ先生、この後お時間いただけますか? お手間は取らせません。もしいただけるようなら火影岩まで来てください。お待ちしております」
言い終えた後、オレに頭を下げると、うみのイルカは返事も聞かずに踵を返した。あれ? これはもしかすると、もしかする??
ふわぁと胃が上昇するような感覚に陥ったが、ぐっと奥歯を噛みしめてそれをやり過ごす。
いやー、本当に参るよね。オレの魅力に陥落して、ようやく素直になる気になったのーね。
鼻歌でも歌いたい気分になりながら、オレはこちらの様子を窺っていた面々に手を上げる。
「オレ、野望用出来たから、抜けるーね。何か用があるなら火影岩にいるから式寄越して」
どことなく勝ち誇るように紅とアスマを見れば、二人は目を見開き絶句している。だーかーら、言ったでショ? オレ、ずっと言い続けていたでショーが。うみのイルカはオレのことが好きなんだって。
「うそでしょ」「こいつは驚きだな」などとごちゃごちゃ言っている二人に背を向け、オレは足早に目的地へと向かう。
さてさて、うみのイルカは一体どんな言葉をオレに捧げてくれるのかーね。オレは安い男じゃないからね。巷に溢れている、掃いて捨てるような告白の言葉じゃとてもじゃないけど受け入れる気になれなーいし。
「ふふふ、遅すぎるっていうのーよ」
ふわふわとして安定しない足場を踏みしめるようにして、オレは火影岩へ着実に歩を進めた。
だというのに。
「カ、カカシせん、せっ」
ほつれ髪で息を切らしながら、駆け寄ったうみのイルカへオレは万感の思いで言葉を紡いだ。
「遅い!!」
当然、言い出しっぺたるうみのイルカが火影岩に待機していることを疑ってもしなかったのに、蓋を開ければ、オレは数時間も一人で火影岩にたたずんでいた。
うみのイルカがオレを呼び出した際はまだ日が出ていたのに、もうとっぷりと沈み、空には星が瞬いている。
「す、すいません。受付で緊急に案件が続出して、手伝っていて遅れました。本当にすいません。式も送れないような忙殺ぶりで、何故かアスマ先生と紅先生が加勢してくれてようやく抜け出した次第で、本当に、本当にすいません!!」
ぺこぺこと頭を下げるうみのイルカに、その草臥れ具合と、アスマと紅が首を突っ込まざるを得なかった事実に対して不特定多数の何かしらの妨害があったことを察して、文句を飲み込む。
うみのイルカが到着したと同時に複数の気配も現れて、おまけにオレに敵意を向けていることからして、間違いなくうみのイルカを懸想している輩たちだと断定する。
残念だったな。人の恋路を邪魔するとお節介夫婦に蹴散らされるんだーよ。
ちなみに、アスマと紅もこの場にいる。感謝の気持ちは激減だ。
「で、話ってなーに?」
普段通りの口調を崩さぬよう、落ち着き払ってオレは話を進める。
上忍が持つ五感の発達した耳が声なき笑い声を捉えたが、無視した。
うみのイルカの耳はさすがは中忍仕様で、声も気配も全く気付いていない。ま、ここに集まっているのがほぼ上忍連中だから仕方なーいよね。
かといって、こうも見世物のように見られるのはオレとしても望んでいないから、場所を移動しようと思い立つ。
どうせなら慣れたうみのイルカの部屋でもいいんじゃなかろうか。べ、別にその後のこととか考えていないし。うまくいけばとかあわよくばとか、そんなことこれっぽっちも思っていないし!! オレ、紳士だし!!
何となく唾を飲み込み、提案しようと口を開いたところで、先にうみのイルカが発言してきた。
「ここへ呼んだのは、カカシ先生にどうしても伝えたいことがあったからです」
ベストをきつく握りしめ、うみのイルカはオレを見つめた。
黒い瞳がオレを射抜く。
月のない夜で、光源はわずかな星の光しかないのにも関わらず、優秀な忍びの目はうみのイルカの細部まで捉える。
目と同様の真っ黒い髪は色気もないほどきつくひっつめて一本に結んでいる。だからこそ、髪を解くといつもはない艶が出て印象が変わる。
少し眦の上がった気の強そうな目元。でも、本当はひどく温かい眼差しを内包しているって知っている。
鼻筋のど真ん中に走る傷は大きくてそればかりに目がいってしまうけど、ちょっと低めの鼻は愛嬌があると思っている。
肌はほどよく日に焼けていて、くノ一の肌質ではないけれどとても健康的で眩しい。
よく動く唇は少し厚めで、触れたらとても気持ちよさそう。
全体からしたらひどく平凡な顔なのに、笑うと花が開くように魅力的になる。
人を見るときは決して目を逸らさずに、何があっても相対してくれる心根が泣きたくなるほど安心する。
そして、うみのイルカがオレの名を呼ぶ声がたまらなく。
うみのイルカと正面から向き合った。
鼓動が痛いほど早く打っている。
まだかまだかとやかましく喚きたてる声に急かされながら、うみのイルカを見た。
うみのイルカはオレに向かって歩み寄ってくる。
一歩一歩踏みしめ、オレの元まで近づいてくる。どこまで近づいてくるのか、もう肌が触れあうほどまでに迫っているのに歩みを止める気配がない。
もしかして抱き止めてほしい?
もうぶつかるという瞬間、両手を広げて胸に抱こうとした刹那、うみのイルカは何故かオレを通り過ぎた。
『は?』
オレの心の声そのままに、周りからも思わずといった風に声が漏れ出ている。
茫然としつつ、振り返ってうみのイルカの動向を窺えば、うみのイルカは転落防止の柵を飛び越え、初代火影の頭の先へと到達していた。え、何で?
訳が分からず、ただ見守るしかないオレの目の前で、うみのイルカはくるりと反転し、泣き出しそうな顔で笑った。そして。
「私ことうみのイルカは、はたけカカシのことが好きだぁぁぁぁぁぁあぁあ」
ぴょんと跳ねて消えた。
視界から、うみのイルカが消えた。
一瞬、意識が飛んだ。だが、体はすでに動いていた。
訳も分からず、疾走した。
柵を飛び越え、火影岩を蹴って、視界の先にある人影へと手を伸ばす。
届け届け届け、届いた!!
右手にかかる重みを引き寄せて、左手でポーチに仕込んでいたワイヤーを飛ばす。周囲の闇と同化しながらも、ワイヤーが柵に絡みついたことを感触で感じつつ、来るべき衝撃に備えてチャクラを特に重点的に左腕へ這わせる。
ワイヤーの緩みが一気に締まり、二人分の重みが左腕に掛かった。その衝撃で胸に抱いた者を離さないように右手に力を込める。
一、二度大きく横に揺れたが、緩やかになっていく振れにやっと息がつけた。
そこで堪らなく手汗をかいている自分に気づく。
鼓動だってめちゃくちゃだ。血の気が引いているのか、頭だってふらついているし、指先だって小刻みに震えている。
胸の中にいる人物がどれだけ自分に恐怖を与えたのかを知り、それと同時に馬鹿げたことをしたうみのイルカへ怒りがこみ上げた。
「……アンタねぇ!! 一体何をしてんの!? オレを殺すつもりなの!!」
飛び出た言葉は紛れもない本音だった。
なんだこの衝動は。なんだ、この泣き叫んでも到底ぬぐえない恐怖心は。
「勘弁してよ、もう。アンタ、オレのこと好きなんじゃないの? どうして、こんなひどい仕打ちができるの?」
声が震える。鼻が痛い。喉に何か熱くてでかいものが挟まったみたいだ。
その存在を確かめるように抱く腕に力を込めれば、ふと腕をつかむ感触を捉える。その掴む指先が震えていることを知り、胸の中にいる存在も怖かったのかと気が緩んだ刹那。
「離してくださいぃぃぃ!!! そうやって優しくすることが何よりも残酷だっていうことがわからないんですかぁぁぁぁ!?」
「ちょ、ま、アンタ!!」
叫んだ直後、オレの腕の中から逃れようと暴れ始めた。
容赦ない拳が顔に飛んできて、それを避けつつ、離せと暴れる体を意地でも離すものかと体全体で抱きすくめる。
離せとわめくうみのイルカへ、オレは黙れと叫んだ。
「絶対、離さない!! アンタがどんなに嫌がってもオレは離さない!!」
こっちを見ろと声に込める。
暴れていたうみのイルカの黒い瞳がオレを捉えた途端、力を無くした。
血色の悪い顔色でオレを茫然と見上げている。そのうち、瞳から大粒の涙が溢れ出てきて、ぼろぼろと落とし始めたから、オレの血の気が引いた。
「え? アンタ、え?」
突然の涙に動揺が走る。
左手は二人分の体重を支えるのに忙しくて全く動けないし、右手だってうみのイルカを抱きとめるのに精いっぱいで動けない。
宙に吊られて自由にならない状況に加え、悲しそうに痛々しく泣くうみのイルカを前に、焦りだけが募る。
何か状況を打破するものはないかと、無意味に周囲へ視線を走らせていれば、胸の中のうみのイルカが涙交じりの声でオレを責め始めた。
「カカシぜんぜ、ひどずぎまずぅ。ガイ先生はちゃんと私のごと、振っでぐれだのに。か、カカシ先生は優しくずるだけで、ぢっとも振ってくれないぃ」
おいおいと顔を伏せ、本格的に泣き始めてますます焦る。てか、何よ、何でオレがアンタを振らないといけないのよ。
「あ、アンタね! 何変なこと口走ってるのよ!! 振るも何も、オレはまだ何も言ってな」
「ガガジぜんぜのばがぁぁあぁああ。私、じってるんでずから! ががじぜんぜが女の子だってごど。男の人しか好きになれなくで、あまづざえ、彼氏もいるってごどぉぉぉ」
ひぃーっと引きつけを起こしたように息をするうみのイルカにハラハラしつつ、言っている言葉の意味が理解できなさすぎて上滑りしてしまう。え、何だ? オレが女の子? 男の人しか好きになれない? しかも彼氏がいる?
何を言っているんだこいつはと、困惑が先立つ。
もう訳が分からなくて、つい無言でいると、うみのイルカはひぃひぃ言って大泣きし始めた。
うみのイルカが泣くと胸が痛い。
状況は本気で理解できなくて、泣くうみのイルカにどうやって言葉をかければ泣き止むのかも見当つかない。だったら、開き直ってオレがやりたいことをやるだけだ。
一つ息を吐いて、泣くうみのイルカの頭へこつんと頭をぶつける。
嫌がるように首を振られたけど、顔を上げるまでぶつけていれば、渋々顔を上げてくれた。
「ね、口布下げてくれる? オレ、今両手塞がってるから、アンタがして」
顔を上げたうみのイルカは涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、あの時同様見るも堪えない有様だ。
泣きすぎてもうどうでもよくなっているのか、うみのイルカはオレの言うがまま口布を下げた。
口布で覆われていた時には遮断していた匂いが鼻腔をくすぐる。
お日様の香りと石鹸と汗の香り。
一日中でも嗅いでいられる匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、顔を近づけて、泣いているうみのイルカの目元を舐めた。
「っひ!」
思いもしなかったようで、うみのイルカから素っ頓狂な声が出る。
それに構わず舌を這わせて、鼻先まで伸ばしたところで、思い切り俯かれた。
「な、何してんですか!! 破廉恥です! 彼氏に申し訳ないと思わないんですかぁぁ!!!」
驚いた拍子に涙は止まったようで、それに安堵しつつ、全部舐めてやるつもりだったのに邪魔されてちょっと機嫌が傾く。
「思わなーいよ。だいたいオレ、彼氏なんて作った覚えないし。昔からフリーだーよ」
肉体関係もとい性欲処理は頻繁にしていたが、特定の相手を作ったことはない。そもそも恋だ愛だと浮かれるほど余裕はなかった。
「ふえ?」
オレの言葉が意外だったのか、うみのイルカの顔が上がる。
すかさずぺろっと頬を舐めれば、沸騰したように顔が赤くなったから、それが可愛くて笑ってしまう。
「告白の答え、聞きたくない?」
「え?」
大きく見開いた瞳には不安と絶望しかなくて、オレは胸が痛む。
言葉には出来なかったけど、あからさまにすぎるほど態度には出していたと思っていたのだけど。
「好きだーよ」
黒い瞳を覗き込んで言う。
びくっと震えた体に、嘘なんかじゃないと言葉を紡ぐ。
「はたけカカシはうみのイルカに恋してる。初めて会ったときからアンタにメロメロだった。ガイに嫉妬して、子供に嫉妬して、オレのこと興味のかけらもないような顔をしたアンタに嫉妬した。オレ、アンタの前に出ると緊張して、何言っていいか分からなくなってた」
「……うそ」
茫然とした表情をするイルカに、オレはホントと笑う。
「つまんない意地張って、アンタはオレに惚れてるんだって思いこもうとした。じゃないと、アンタと接することができなかったから。オレってこう見えて繊細なんだーよ。アンタがオレに本当に惚れてくれたから、ようやく素直になれる」
ちゅっと音を立てて瞼へ口づければ、イルカは何とも形容しがたい表情で口をぱくぱくと開閉していた。
可愛いと囁いて、ちゅっと再び瞼に口づければ、イルカはうーっと小さく唸ると、オレの首に腕を回して抱きついた。
「……本当に、私のこと、好きです? 私、男じゃないですけど、いいです?」
不安そうに的外れな発言をしたイルカの腰を支えながら、笑う。
「だーかーら。オレは女の子じゃないし、男を好きなわけでもないって。どうして、そういう誤った思い込みしてんの?」
黙り込むイルカの腰を揺すり、話せと促せば、イルカはぼそぼそと呟いた。
それを聞いて思わず脱力した。
買い物帰りに、暗部の後輩が任務の押し迫った時間に焦れて突然現れた。その際、オレを逃がさないように抱き着いたまま離れなかったことと、耳打ちしたのを見間違えてキスされたと思い込んでしまったらしい。
おまけにキスされて赤くなっていたと見ていたらしく、オレは顔を覆って呻きたくなった。
オレが赤くなったのは、後輩から「彼女さんですか?」と聞かれたからだ。
オレとイルカがそういう関係に見えたことが嬉しくも恥ずかしくて赤面したのを勘違いされたらしい。
訳を話せば納得する気配は見せたが、どうにも明々後日方向へと勘違いする恐れのあるイルカのために、後輩のテンゾウの口からも一言言ってもらおうと決意する。
「分かった?」
どうにも不安で今一度確認をとれば、イルカは「はい」と耳元で返事した。
妙にしおらしいイルカが珍しくてくつくつと笑っていれば、一度背中を叩かれた。あーもー、何だか締まらない告白だーね。でも、何となくオレたちにはふさわしい。
お互い思いを確認したことで、今度はどうやって下に降りようかと算段していると、ぐいっと上に引っ張られる振動を感じた。
見上げれば、野次馬していた上忍連中が総出でオレたちを引き上げようとしている。
思わぬところで救われたなと複雑な思いを抱きつつ、そもそもとんだ救出劇になった原因に聞いてみることにした。
「で、なんで火影岩から飛び降りたの?」
オレの首にしがみついたまま顔を見せないイルカへ尋ねれば、イルカはふんと小さく鼻息を吐いた。
「うみの家家訓その1、『己の言ったことは実行しろ。できないなら初めから言うな!』です」
どこか誇らしげに言う言葉に、ぐるぐるとイルカとの会話を思い出して、思い当たる場面を見つける。
人通りのないおでん屋。
失恋に大泣きするイルカを慰めて、その際にイルカはオレのことを好きになったら火影岩から飛び降りてやると自信満々に言い切っていた。
イルカの行動を理解して、思わず吹き出してしまう。
「人の家の家訓を笑うとは何事ですか!!」とイルカは憤慨して体を離して、オレを睨み上げてくる。ちがーうよ、その逆。
イルカの在り方が愛しくて、堪らなくなって、オレは可愛いイルカの顔が見えたのを幸いに、唇を寄せた。
触れるだけの児戯にも等しい幼いキス。
思った通りの柔らかさにご機嫌になりながら、言葉を紡ぐ。
「やっぱりイルカはオレにとっての最高で、最愛だって、そう思っただーけ」
イルカの顔は真っ赤に染まって、恥ずかしさからか、それともオレの言葉に心を動かしたのか、目が潤んでいた。
後者だったらいいなと笑いながら、胸にイルカをしっかりと抱いて、オレたちは救出された。
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7へ
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カカシ先生、素直になる!