片思い
今日もやるせない思いを抱えて任務を終えた。
ナルトの思い人であるサクラはサスケばかりに夢中で、ナルトがいくら話しかけても生返事ばかり。
そのくせ、サスケの意味のない独り言には敏感に反応して話を積極的にしようとするから、ナルトとしては不満が募る一方だ。
「くっそぉぉ、サスケのヤロウ」
ふんと鼻先で嘲笑うサスケの顔を思い出し、ぎりぎりと奥歯を噛みしめる。
サクラといい、他の女子たちが夢中になるサスケの良さが、ナルトには全く理解できなかった。
クールなところがかっこいいとか言われているが、あれは単に気取っているだけのいけすかねぇ男じゃないか。
そりゃ、ナルトよりは技を知っているし体術だってうまいが、それは今だけで、そのうちあんな奴、片手でくるくると回してゴミ箱にぶちこんでやる。
そうしたら、きっとサクラだってナルトのことを見てくれるに違いないのだ。
サスケくーん、サスケくーんと言っていたサクラが、自分に向かってナルトー!と満面の笑顔で呼びかける様を思い浮かべ、ナルトは拳を握りしめた。
「よっし、おれってば頑張っちゃうもんね!!」
打倒、サスケ! と、胸に闘志を燃やし、そのためにもまずは腹ごしらえだと、目的地である一楽を目指す。
明日の活力源は絶品ラーメンに限ると、一楽の暖簾をうきうきと潜った。
「おっちゃーん! とんこつ味噌ラーメン、チャーシュー大盛りで頼むってばよ!!」
暖簾を潜れば、うまそうな匂いと同時に嗅ぎなれた人の匂いを感じ取り、ナルトの心が上向く。
ちょんまげスタイルの黒髪の忍び。顔のど真ん中には大きな一本傷が入っている、ナルトの大好きな先生だ。
「イルカせんせー!!」
嬉しさのあまり勝手に体が跳ねて、その広い背中に飛びついた。道端ならいざ知らず、狭い店内での行動に、ナルトは遅れてしまったと体を震わせる。
いつもの頭に落ちる衝撃に備えようと目を閉じて身構えていれば、落ちてきたのは柔らかい感触だった。
「おー、ナルトぉぉ。おめぇはいっつも元気だなぁ」
ぐりぐりと大きな掌に撫でまわされ、ナルトは驚くと同時にいつもとは違うイルカの様子に首を傾げる。
礼儀にうるさいイルカは少しでも粗相のあることをすれば、拳骨を容赦なくくれる。狭い店の中での抱き着きもそれに入っていたはずなのだが、今日のイルカはにこにこと笑っていた。
「なんだぁ、ナルト。お前も座れ、ほらここ」
ここに来いとイルカは自分の隣の席を叩き、呆然と突っ立っているナルトを促してくる。
不可解は不可解だが、拳骨が降って来なくて良かったと思う心と、何となく物足りない気持ちを抱えて、イルカの隣に座った。
「ん~、どうしたぁ?」
じっとイルカを見ていれば、イルカはへらりと腑抜けた笑みを浮かべている。
そういえば今日のイルカはどことなくいつもと違う。それが何かを見極めるために見つめていて、ようやくナルトはその違いに気付いた。
「あー、先生、酒飲んでんな! それに額当てまで外して!!」
「あー?」
黒い瞳はとろりと潤み、色黒の肌が薄く赤く染まっている。いつも額で結ばれている額当ては今は首元に下げられ、前髪からほつれ毛が四方八方に飛び出ていた。
「だらしねぇな、先生。忍びたるものいつも気を抜いちゃいかんって言ってたのに」
もしかして今までずっとここで飲んでいたんだろうか。
テウチに視線を向ければ、テウチはナルトのラーメンを作りながら豪快に笑った。
「先生も色々あるんだよ、坊主。今日は飲ませてあげな」
とろんとした目つきで傍らのビールを煽るイルカはアカデミーの教師というよりは酔いどれのおっさんだ。
一体何がイルカをここまでにさせたのか不思議で、ナルトはイルカに声を掛ける。
「先生、どうしたんだってば? おれでいいなら話聞くってばよ」
自分で言いながら、ちょっとした大人びた発言に胸が躍る。
おれってばこんな風に大人発言ができちゃうんだ。サスケには到底真似できないことだってばと、サスケよりも自分が上と再度確認していれば、話を向けられたイルカが唐突に涙を流した。
「う、うぅぅぅ、ナルトぉぉぉ、聞いてくれるかぁぁぁ」
滂沱の涙を流す顔を晒し、ひっくひっくとしゃくりあげるイルカにナルトは内心大いにビビる。
だが、ここで怯むのははかっこいい男ではないと己を奮い立たせ、任せろと胸を叩いた。
「あったりまえだってば!! おれに任せろだってばよ!」
「はい、おまち」
そのとき、テウチからラーメンが手渡される。
あつあつの湯気と芳醇なとんこつスープの香りに思わず頬を緩ませ、ラーメンを受け取り、ナルトは割り箸を割った。
「いっただきまーす」と箸にラーメンをひっかけ、息を吹くのもそこそこに啜りこめば、ラーメンの香りとスープと麺が一体となって口と鼻の中を踊る。
やっぱり一楽は最高だってばよと心の内で歓喜の声をあげ、スープを啜ったそのとき。
「先生はなぁ、今、苦しい恋をしてるんだ……」
少し落ち着いたのか、涙を止め、すんすんと鼻を啜る隣のイルカが予想外の言葉を吐く。
思わずスープを吹きそうになったが何とか押しとどめ、口の中に入った芳醇なスープを喉の奥へと運ぼうとした寸前、イルカはカウンターに肘をつき口元の前で指を組んだ格好で一言言った。
「男に惚れた」
ぶふぅぅ。
想像すらしていなかった発言にとうとう吹き出し、口の中のスープは霧状になってカウンターを汚してしまう。
「ご、ごめん、おっちゃん!!」
焦るナルトに、テウチはいいんだいいんだと仏の笑みを浮かべて台拭きを持たせてくれる。
勿体ないと思いながらカウンターを拭きつつ、イルカを見れば、イルカははぁぁぁと深いため息を吐きながら顔を俯かせていた。
よくは分からないがそうとうに苦しんでいるらしい。そして、その苦しさから酔っ払いになって、テウチも生温かい目で見守っているようだ。
ここはかっこいい男としてはテウチみたいに見守った方がかっこいいのかもしれないと思いつつも、ナルトはどうも腑に落ちない疑問が芽生え、ひとまずそちらの解決に乗り出す。
「なぁ、イルカ先生。男に惚れたってどういうことだってば?」
周りを見る限り、女子は男子が、男子は女子にそういう感情を向けている。
だが、男に惚れたということは一体どういうことなのだろう?
ラーメンのどんぶりを持ち、啜りながらイルカを窺えば、イルカは俯けていた顔を起こし、ナルトを見るとにへらと笑った。
手が伸びてきて、大きな掌が頭を撫でてくれる。
イルカの手は温かくてとても気持ちがいい。
昔、ブランコに一人乗っている時、偶然通りかかった男性が傍らの子供の頭を撫でている場面を見たことがある。
そのときの子供の笑顔がとても幸せそうで、自分も撫でてもらいたいと思ったけれど、ナルトの頭に手を伸ばしてくれる大人は誰一人いなかった。
それに気付いたのか分からないが、三代目は時折撫でてくれたけど、誰にでも伸ばされる手では素直に受け止めることができなかった。
でも、イルカは違った。
イルカはナルトを見て、頭を撫でてくれた。
その黒い瞳にナルトだけを入れて、よくやったと嬉しそうに頭を撫でてくれたのだ。
初めて撫でられたときは嬉しさよりもびっくりしてしまって、手をはねつけてしまった。
その後、もう二度と触れてくれないのではないかと不安で仕方なかったけど、イルカはナルトの不安をよそに頭を何度も何度も撫でてくれた。
拳骨の方が頻度は高かったけど。
不意に昔の嬉しくてたまらなかったことを思い出し、ちょっと照れくさくなる。
「先生、おれ、今ラーメン食べてんだけどっ」
止めて欲しくない癖についぶっきらぼうな言葉が出る。けれど、イルカはすまんすまんと笑いながら、その手を離すことはなかった。
ナルトの気持ちを知ってくれているようなそれが、少しくすぐったくて嬉しい。
ぐしゃぐしゃと手荒に頭を掻き混ぜられながらラーメンを啜っていると、イルカはぽつりぽつりと語りだす。
「そうだなぁ。その人に会うと嬉しくて、気分が上がったり、でもその人が違う誰かと親しげに話していると落ち込んだり、ついその人を目で追っちまったり、何気ない会話でも有頂天になれたり……。まぁ、そんな感じかなぁ」
イルカの言葉に、ナルトはぴんとひらめくものを感じた。それって。
「おれと一緒だってばよ! おれ、サクラちゃんに対していっつもそれだってば!!」
思わぬ一致に興奮すれば、イルカは笑う。
「そうかぁ、お前も恋してんのかー」
「そうだってばよ! でも、でも、サクラちゃんってばいっつもサスケばっかりでおれ嫌になるんだってば」
今日の出来事を思い返し、ついつい頬が膨らむ。
打倒サスケとは思うものの、好きな子が自分に振り向いてくれないのは悔しいし悲しい。
そこまで考えて、気付くものがある。
「イルカ先生も、おれと同じで振り向いてもらえないのか?」
だから落ち込んでいるのかと問えば、イルカはナルトから手を離し、眉尻を情けなく下げ、カウンターに撃沈した。
「ばっさり言うよなぁ、お前ぇ……」
拗ねたようにナルトから顔を背けるイルカに慌ててしまう。
「で、でもそこで諦めちゃいけないってば!! おれだって、何回もそっぽ向かれるし、嫌味言われるし、うざいって言われるけど、おれ、全然諦めてないってばよ!!」
絶対、絶対サクラちゃんを振り向かせて見せるんだ、そのための努力は惜しまないってばよと、握り拳を作れば、背を向けたイルカの肩がぴくりと動き、ゆっくりと振り返った。
「うぅぅ、ナルトぉぉ、お前はいい男だなぁ」
再び大粒の涙を流しながら、イルカが両腕を広げてナルトを抱き寄せる。
突然のことにびっくりしてしまったが、えらいぞえらいぞと頭を撫でながら、しっかりと背中を抱きしめてくれるイルカの温かさに知れず頬が緩む。
「な、なんだってば! 先生ってばおっさん臭いぞ!!」
あからさまに嬉しがるのはガキっぽいとばかりに、ナルトは憎まれ口を叩くものの、その手はしっかりとイルカのベストを握りしめている。
「いいんだよぉ! 俺はもうおっさんなんだよ! そんなことより、おめぇも辛い恋をしてんだなぁ。そうだようなぁ、俺だけじゃねぇんだよなぁぁ」
ナルトはえらいと咽び泣きながら何度も頭を撫でてくるイルカに、胸がかっかかと熱くなる。
嬉しさをこらえきれずえへへへと笑えば、イルカは突然体を離し、ナルトの顔を覗き込むや涙を止めて、酒で赤らめた顔をほころばせた。
「こんの可愛い奴めぇぇっぇぇ」
辛抱たまらないとばかりに力強く抱きしめられ、腕が食い込み咽る。
「く、苦しってば!! あと、おれは可愛いんじゃなくてかっこいいんだからな!!」
もがきながら腕をどうにか緩ませ文句を言えば、イルカはそうかそうかと頷きながら、お前はかっこいいと高らかに言ってくれた。
完全に酔っ払いと化しているイルカだが、ナルトはこんなイルカもたまにはいいなぁともみくちゃにされながら思う。
「お、すまんすまん、ラーメン伸ばしちまうのは大罪だからなっ。食え食え、テウチさんに感謝して食え!」
背中をばんばん叩き、イルカが身を離す。
あらかた食べ終えているとはいえ、テウチが心こめて作った麺を伸ばすのは罪だと割り箸を丼に突っ込み、啜りあげる。
その様子を隣で見ているイルカの視線を感じながら、ナルトはそれでと話を切り出す。
「で、イルカ先生の好きな人って誰なんだってば?」
問い掛ければ、イルカは少し切なそうな顔で息を吐き、頬杖をついた。
「……お前もよく知ってる人だよ」
言葉少ないそれに、ナルトは頭を回転させる。
自分がよく知る人はかなり少ない。それだけで人物は絞れるはずだが、生憎男に惚れたことのないナルトは知る人物を思い浮かべても誰だと決められなかった。
「それじゃ、わかんねぇってば! 名前教えてくれよ、名前っ」
汁を啜り、横目でイルカを見る。イルカは苦笑を漏らしながら首を振った。
「駄目だよ。相手は俺なんかと違って、高名な人だからなぁ。言っちまったら迷惑になるんだよ。だから、言えねぇ」
悪いなと視線を向けるイルカに、ナルトは不満に思いつつも、その少ないヒントを元に該当者を探す。
自分が良く知るということは、いつも側にいる人物だ。それでいて、高名ということは、良く名前が知られていて……。
うんうんと考え込んでいる頭の中で、サクラの声が響いた。
『サスケくんって写輪眼ていう特殊な目を持つうちは一族なのよ。カカシ先生はうちはの名じゃないのに写輪眼持ってるらしいけど……。はぁ、やっぱりサスケくんは忍びの中の王子さまよねぇ』
目を潤ませてうっとりと呟いた言葉は、何も持っていない孤児のナルトの中を容赦なく引っ掻いた。
そのときの面白くない感情と同時に閃きを感じ、ナルトは思い切り眉根を寄せる。
もしかして、イルカが惚れた男というのは。
思い浮かんだ顔が悔しくて、残りの丼に溜まっていたスープを一気に飲み干す。
やっぱりおっちゃんのラーメンは最高だと思いながらも、心の中は荒れ狂っていた。
ごちそうさまと手を合わせてテウチに頭を下げた後、ナルトは挑むようにイルカを見据えた。
ナルトの攻撃的な様子にイルカはどうしたと首を傾げたが、どうしたこうしたもあるかとばかりにナルトは吼えた。
「そんなの絶対認めないってば!! イルカ先生がサスケに惚れてるなんて絶対許せないってば!!」
サクラはおろか、イルカまでもと、ぐらぐらとした怒りに似た熱がナルトの頭を茹でる。
「サスケばっかりずるいってば!! なんで、イルカ先生、おれに惚れないんだってばよ!!!」
ずるいずるいと自分が何を言っているか分からないナルトは、席に座ったまま癇癪をおこしたように地団太を踏む。
そんなナルトを呆気にとられていたイルカだが、調理場にいたテウチが耐え切れずに吹き出したのを機会に、破顔した。
「おめ、バッカだなぁ~!!」
テウチの笑いが呼び水になったのか、イルカは腹を抱えて笑い出す。
馬鹿にされたと瞬間的に思ったナルトは顔を真っ赤にしてイルカを睨みつけた。
「何だよ、イルカ先生!! おれ、本気だからなっっ」
歯を食いしばるナルトにイルカは違う違うと大きく手を振る。何が違うんだと目尻に涙を滲ませていれば、ようやく笑いが過ぎ去ったイルカがナルトの頭を撫でた。
「だからなー。俺がサスケに惚れているってとこが違うんだよ。おまえ、どうしたらそんな考えになるんだよ。サスケは俺にとって生徒の一人だ。可愛い大事な生徒ではあるが、惚れるなんて絶対あり得ない」
何でそんな考えになるんだと頭を掻き交ぜられ、荒れ狂っていた怒りが急速に小さくなる。
「だって、高名とか言うから」
「ほぉ、ナルト。高名という意味を知ってたか」
にやりと意地悪な顔を見せられ、頬が膨らむ。
「先生が名前言ってくれないのが悪いんじゃんか!」
ぷいと顔を背けるナルトの頭をイルカはゆっくりと撫でる。
「わりぃな。心配かけちまって。でもなぁ、大人には大人の事情ってもんがあんだ。まだお前には分からないかもしれないがな、自分の気持ちを言うだけで終わりってことにはなんねぇんだよ」
ふぅとため息を吐くイルカのどこか悲しげな様子に、ナルトは胸がざわめく。
「先生、告白しないのか?」
どこか諦めた感のあるイルカに問う。するとイルカは小さく笑った。
「……あぁ、しないというよりできないよ。あの人、かっこいいから女性にもモテるしな。男の俺が言ったところで迷惑になるだけさ」
グラスにびっしりと浮かんだ水滴を滴らせ、イルカは傍らのジョッキを煽る。
「……それって、何ていうか苦しいってば。好きな人の隣に先生がいなくていいのか? 好きだっていう自分の気持ち知ってほしくないのかよ! 先生以外の人と仲良くなるところずっと見続けていられるのかよ!!」
ナルトだったら我慢ならない。
今は、サクラはサスケと特別仲が良い訳じゃないから強がっていられるけど、もしもサスケとサクラがずっと二人でいるところを見なくちゃいけなくなったら、ナルトはきっと……。
ぎゅっと心臓が握られるような苦しさを感じ、顔が歪む。自然と俯き加減になったナルトの顔を引き寄せるように、イルカは穏やかな声を紡いだ。
「辛いし、苦しいよ。でもな、それ以上に、あの人の顔が曇る方が嫌なんだ。俺の軽率な一言で、あの人にとっての平穏が乱される方が嫌だ。……いっつも自分のことじゃなくて他人のことばかり優先させる人だからな。せめて里では安らいでほしいし、笑顔でいて欲しい」
遠くを見るように真っ直ぐな視線を向けるイルカの横顔に、ひどく胸が痛んだ。
熱っぽい癖に影っていて、それでもひたむきな光を宿す黒い瞳に、何故か涙が出た。
自分が苦しいわけじゃないのに勝手に滑り出る涙に困惑して、それでもイルカに見られるのが嫌で声を押し殺して袖で瞳を隠していたのに、イルカは気づいたみたいだった。
「何だよ、ナルト。お前が泣くことじゃないだろう?」
顔をこするナルトの頭が優しく撫でられる。その優しい手つきにも胸が痛んで、涙が止められない。
「っ、わ、わかんないってば! でも痛いんだってば、苦しいんだってば! 勝手に出ちまうんだから仕方ないだろう!!」
出てくる涙と鼻水をこすりながら叫べば、撫でていたイルカの手が止まり、斜め上の方から鼻を啜る音がした。
目を瞬きさせ顔を上げれば、いつの間にかイルカの瞳から大粒の涙が流れていた。
それが何だか堪らなくて、ナルトはイルカの胸に抱き着く。
「イルカ先生ー!!」
「ナルトぉぉぉっぉぉぉぉ」
うおおおおんうおおんと感極まって泣く二人の師弟のために、テウチはそっと本日の終いを告げる木札を表に掛けにいった。
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「っくしょー何が写輪眼だこのやろうめぃ! おめーなんかさっさと美人の嫁さん貰って幸せに暮らせよな! んで、子供でも作って、その子供を俺がアカデミーで面倒みてやるんだからな、こんにゃろうめぃ!! てめーの幸せを一生願ってやっからな、こんのくそー!」
あれから、テウチから常連さんに特別サービスとイルカは酒を、ナルトにはラーメンを奢ってもらい、散々飲み食いした。ようやく一楽を後にしたのはもうそろそろ深夜になる頃だった。
「先生、しっかりしろってば! 今日はおれんとこに泊まれよなっ」
すっかり出来合がり千鳥足にくわえ、誰かに向けて文句を吐くイルカの腕を肩にかけ、ナルトは自分の家へと向かう。
イルカの家に連れて行きたかったが、なにせここからイルカの家は遠い。
ぐにゃぐにゃと力の入っていないイルカの体を支えるだけでも手一杯なのに、遥か遠くのイルカの家まで行く気力はナルトにはなかった。
うぃっくと時折変なしゃっくりをしながら蛇行するイルカと共に家路へと進む。大変なことになったなとは思うが迷惑だとはちっとも思わなかった。
それより、今日はイルカがナルトの家に泊まることに心が浮かれる。
イルカの家にナルトが泊まることはあっても、ナルトの家にイルカが泊まったことは一度もなかったからだ。
自分の家にイルカいるところを想像して微笑んでしまう。
少し違和感があるけれど、何故かとってもいいと思った。できればずっとこのままナルトの家に住んでくれないかなとも。
前屈みでナルトにもたれかかるイルカの顔を横目で見て、ほんの少し胸がざわめいた。
頭頂部で結んでいた髪は紐が緩くなったのか、今では毛先をまとめているに過ぎない。
固くて真っ直ぐな黒髪がイルカの顔に掛かり、いつもの快活なイメージからは遠ざかって、柔らかな印象を残す。
閉じられた瞳に沿うまつげは案外長くて、酒に酔ったせいで目尻は赤くなり、唇も熟れるように充血していた。
眠たいのか時折容量の得ない言葉を呟くイルカは何となく可愛い。
恩師に対して思う言葉じゃないと思いつつも、普段のイルカとは違うからだとナルトは結論付ける。
さきほど話した会話だって、イルカがナルトに勉強を教えた頃では考えられないような話題だった。ナルトを子供として扱うのではなく、対等の一人の者として話してくれた。
それが嬉しいのはもちろん、ナルトの中の何かを少し引っ掻いたような気もする。
その何かが何なのかは分からないが、こうしてイルカの一番近くにいれば分かるような気がした。
「先生、あと少しだからな、頑張れよ」
「うぅー、俺は、俺は頑張ってるぞー!」
イルカは今日の会話をどれだけ覚えているのかなぁと、明日のイルカの反応を思って笑っていれば、突然肩に圧し掛かっていた重みが消えた。
それと同時に、熱いほどのぬくもりが消えて心が冷えた。
反射的に後ろを振り返れば、時折明滅する街灯の下、見慣れた痩躯が見えた。
街灯の光を反射する銀髪、顔をほとんど覆い尽くした覆面、いつも猫背気味の体。
任務帰りなのだろうか、煤けた匂いとところどころ土で汚れている服を晒して、ナルトの上司であるはたけカカシが、目を瞑ったままのイルカを横抱きにその胸へ抱えていた。
「……カカシ、先生」
突然の登場に鼓動がやけに早まる。
その鼓動の音が何か焦るようにナルトに訴えかけているが、ナルトはどうしていいのか分からない。
「よ、ナルト。今までご苦労さん。後は引き継ぐからお前は帰っていいよ」
唐突に出た上司の言葉に焦りが頂点に高まる。
咄嗟に拒絶しようと口を開いたナルトに、カカシは有無を言わせず切り込んだ。
「オレがいいって言ってんの。――お前は、帰れ」
その声音の冷たさと容赦ない響きに体が竦む。
呆然としてカカシを見上げれば、唯一出ているカカシの右目は威嚇するような光を湛えていた。
日ごろ見ていたカカシとは違う何かを感じ取り、ナルトは一歩も動けなくなる。
それが悔しくて、奥歯を噛みしめて寄り添う二人の姿を見詰めていた。
と、そのとき。
カカシの体ぶれたと思った直後、二人の姿は消えてなくなっていた。
さきほどあった気配までもあっけなく消え去ったそれに気付き、ナルトは堪らない思いに駆り立てられた。
「……ずるいってばよ……」
ジジっと耳障りな音をたて、街灯が明暗をちらつかせる。
人の行き来がない道の真ん中で、二人がいた場所を睨み続けた。
******
「どーして、勝手に諦めちゃうんですかねぇ」
咄嗟に攫ってきた恋しい人の頬を撫で、カカシは小さくつぶやく。
任務帰りに小腹が減ったとばかりに、片思いのあの人が大好きだと笑っていた一楽へと足を向けたのは偶然だった。
一楽のカウンターで、黒いちょんまげと黄色い綿毛が二人でいる姿を見て、カカシはひそかに胸の内で握り拳を作った。
ほんの少しでもあの人に関わるものに触れたいと思った恋心を哀れに思った女神さまの思し召しかしらと、昔ではとうてい考えられない頭の悪いことを思っていれば、イルカから衝撃的な言葉が聞こえてきた。
『苦しい恋をしている』
『男に惚れた』
と。
瞬間襲ったのは激しい嫉妬で。
イルカに思われている男を今すぐ殺したいと思ったほどだ。
女と付き合ったことしかない、男と付き合うなんて考えれないと言いそうなイルカの性格を考え、長期戦で戦う覚悟を決めたカカシには手痛い事実だった。
こんなことならもっと攻めていれば、自分にも機会があったのではないかと、今までの自分の行動を苦々しく思っていれば、イルカはナルトに静かに語りだした。
自分の思いは迷惑になるから、と始めから諦めているようだった。
このときは小躍りしたい気持ちで話を聞いていたのだけれど、腹が減ったと小さくなる音も無視して、二人が帰る道をついて行った時に、その気持ちは消し飛んだ。
イルカははっきり言ったのだ。
『写輪眼』と。
木の葉には今、写輪眼を保有する者は、カカシとサスケしかいない。
ナルトとの会話でサスケは除外されているのだから、それが指し示す者は……。
思い当たった事実に、嬉しさを遥かに超える切なさが襲った。
イルカの言った言葉がどれも本当にカカシを大事に思ってくれていると分かっているからこそ、始めから諦めることを選択したイルカがひどく悲しかった。
「ねぇ、イルカ先生。オレね、お察しの通り、すんごく女受けがいいんですよ。長期任務じゃ夜這いは当たり前、里に帰ってからも毎日言い寄られるくらいにはね。でもね、アンタみたいに思ってくれた女はいないよ。オレのこと、見目のいいアクセサリーを欲しがるみたいな女ばっかりでさ。……ねぇ、それって本当にもててるって言えーる?」
ナルトから奪い、自分の家に瞬身で連れ帰った愛しい人を寝台に寝かせた。
頭頂部で結ばれた髪をほどき、幸せそうな顔で眠るイルカの傍らに跪いて、頬を置く。
寂しいなぁと呟きながら、カカシはイルカの額に自分の額を寄せた。
お互い思い合っているのに、相手は端から諦めているのだ。これはどう考えてもカカシの片思いの状態だろう。
「イルカせんせ。オレ、自分勝手な男だから、先生みたいに相手の幸せを考えて諦めるなんてことできなーいの」
すうすうと穏やかな寝息を立てるイルカの横に滑り込み、その体を胸に抱き寄せる。
ぽかぽかと温かい体からは酒の匂いとイルカの匂いが混ざり合い、カカシの本能を揺さぶってきた。
一つ息を吐き、今はお預けだと己を嗜め、目線の下にある額へ唇を寄せた。
「好きですよ、先生。起きたら覚悟してくださいね」
どうやら強力なライバルが現れそうだし。
明日の朝、イルカはどんな反応を見せてくれるだろうか。幸い、カカシもイルカも明日は休みだ。
お互い体を清めずに寝たから、一緒に風呂に入りませんかと誘ってみるのも一興だとひそかに笑う。
そのとき、イルカの前で起きるカカシの変化を見て、頑固なイルカも考えを変えてくれるだろう。
強固突破はもとより承知。
イルカが男に惚れたと聞かされた時の焦りは今もなお燻っている。
「起きたらオレも言うから、オレのことどう思っているのか、どうなりたいのか、ちゃんと言ってね」
そうしたら、きっと二人は寂しくなくなるはずだから。
明日の朝が楽しみだと、カカシは眠るイルカを抱きしめ眠った。
戻る/
両思い
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