イッツ マイ ソウル

「お呼びじゃないのよ、中忍」
オレが差し出した花束を一瞥するなり、彼女は鼻で笑い、背を向け歩き出した。
花束を差しだした手が、かくりと落ちる。
こちらを一切振りかえることもなく、彼女はオレの視界から消えた。



アタックすること二十二回。
未だに、彼女から色よい返事をもらった試しがない。



「イルカ。そろそろ諦めろよ」
「そうそう。あんな女のどこがいいんだ?」
「特に美人な訳でもなく、可愛い訳でもなく、おまけに彼氏持ちの女だぞ?」
物陰で隠れて見ていた友人たちが駆け寄り、声を掛けてくる。
オレが振られ続けてから掛けられる言葉は変わることなく、そして、続く言葉も変わりなく。
潤んだ目で見上げるオレに、友人たちは声を揃えた。



『よりにもよって、写輪眼の女って』
毎回耳タコのように言われ続けたが、それでも一番言われたくなかった言葉を聞いて、視界が歪む。
分かってる。
万年中忍でしがない内勤のオレが、あの伝説級の写輪眼と張り合えるとは到底思えない。
でも、それでも。



「惚れちまったもんは仕方ねぇだろぉぉぉ!!」
叫ぶオレに、友人たちは大きくため息を吐いた。



***



「まーた今日も玉砕したんだって? 懲りないねぇ、アンタも」
どーぞどーぞと、ビール瓶を傾けられ、オレは無言でコップを突き出し、上官ともいえる男の酌を受けた。
何の不運な巡り合わせか知らないが、オレが彼女に玉砕する度に、この男はオレの前に忽然と現れては飲みに行こうと無理やり連れ出す。
相手は、泣く子も浮かれる写輪眼のカカシだ。
里のトップで、すご腕で、色男の上官が飲みに行こうと言えば、オレがいくら抗おうとも周りがそうはさせてはくれない。
残業がありますと、内勤の伝家の宝刀を持ち出してみるが、写輪眼カカシの二つ名の前ではなまくら刀に変貌してしまう。
そんなのオレたちがやっておくよと、妙な連帯感を見せる同僚たちを思い出し、オレは唇を噛みしめた。
悔しい。はっきりいってものすごく悔しい。
何が悲しゅうて、惚れた女の彼氏と向き合い、オレの玉砕話を肴に酒を飲まねばならないのか!!
世の中って理不尽と、今宵もオレは注がれるままにビールを喉に流し込んだ。まさしく、飲まなきゃやってられねぇ状態だ。



無言で飲みに飲み、ほどよく酔いが回ったところで、男は口布を下ろし、巷でキャーキャー言われている美貌の顔を見せつけ、オレに語りかけてくる。
「ねぇ、いい加減あきらめたーら? オレが言うのもなんだけど、あーんな女、相手にするだけ時間の無駄だよ」
これだ。
ぴしりと額に青筋が立つオレを尻目に、男は語る。
「気が利く訳でもなし、何考えているか分かんないし、人より秀でているのは、人を殺す腕ぐらいじゃない? いつも血に塗れて臭くて、感情麻痺してるような奴だーよ。褒められるところなんて、何一つないのに」
アンタ、趣味悪いねぇとしみじみ言われ、オレの堪忍袋は早くも切れた。



ふざけんなッ、テメェの彼女だろ!? テメェの私物みたく悪く言ってんじゃねぇよ!! お前だって褒められた生活してねーだろ!? 毎晩、毎晩、彼女放って、女遊びの毎日。里の中にはあんたの女っていうくノ一がごろごろいるじゃねーか! ろくでもねぇ種馬生活送ってるくせに何言ってやがんだ、バカカシがッッ。
と、心から罵ることができたら、どれだけいいだろうか。



酒に酔っても、階級差というひっくり返っても太刀打ちできない常識を前に、オレは唇を噛みしめ、切れ切れの理性を繋ぎ繋ぎ、地を這う声で餅に包みこんで言葉を発した。
「……でしたら、別れてくださいよ。はたけ上忍にとってはそうかもしれませんが、オレには違うんです。はたけ上忍には、他にもいらっしゃいますよね? 特に近江屋の太夫とは昵懇の仲だとお聞きしましたが?」
ふーふーと、興奮した気持ちを収めるために、大きく鼻息を吐き出しながら、オレは殴り掛かりそうになる手を、太ももの上で握りしめた。
オレだって、いくら好きだからといって、相思相愛のカップルの仲を引き裂く真似をしようとは思わない。
だが、しかし、この男、はたけカカシに関しては別だ!
冷めた表情でビールに口を運ぶ色男をぎっと睨みつけて、オレは奥歯を噛みしめる。



この男ときたら、彼女―シカさんがいるというのに関わらず、夜遊びをし続け、あまつさえシカさんの元へ帰った形跡も、恋人ならあって当たり前の甘い言葉も、行動も、日常的に何一つないのだ。
そのくせ、シカさんにアタックするオレの前では、あからさまに甘い言動を吐いたりするが、しばらく様子を見ていると、二人とも気まずい雰囲気になって終いには無言になっている。
はっきり言って、この二人はずいぶん前に終わっている。
それなのに、シカさんはこいつを、こいつはシカさんを無理やり恋人と呼んでいる。
こんなの、おかしい。こんなの間違ってる!!
こんな関係続けたって、二人にとってマイナスになるばかりだ。



「……それは無理。オレたちはオレたちなりの理由ってのがあーるの。部外者であるアンタが口出しするようなことじゃなーいのよ」
どこか投げやりな調子で言葉を吐いた男に、思わずオレは立ち上がった。頭では止めろと制止する声が聞こえたのに、体はそうはいかなかった。
「だったら! だったら、シカさんにあんな顔させんなッ!! 彼氏ならシカさんのこと引き留めてやれよ!!」
男の胸倉を掴み、勝手に声が零れ出ていた。
視界がゆがむ。
脳裏に、シカさんの顔が浮かんだ。



その日は両親の月命日で、アカデミーが終わった後、両親が好きだった花を手に、オレは慰霊碑へ行った。
慰霊碑の手前に来たところで、先客がいることに気付いたオレは、邪魔しないように遠く離れて、順番を待っていた。
結構な時間が経っても動かない先客に、ちょっとした好奇心に駆られてよく見てみると、それはシカさんだった。
思わぬところで会えた幸運に喜び、近付こうとして、オレの足は止まった。
斜め後ろから見たシカさんの表情はどこか夢を見ているようで、そして、小さくシカさんは言ったのだ。



『もうすぐ、いくから』と。



声は遠くて聞こえなかった。でも唇を読んで聞いた言葉は、間違えようもなくて。
シカさんは、すぐオレに気付いて、一瞬気まずげな表情を見せたけど、何も言わずオレの横を通って去って行った。
いつもだったら、シカさんをデートに誘っていた。
オレの誘い文句を無視して、それでもめげずに口説いたら、調子がいい時はお昼なら付き合ってあげると、老舗料亭のお弁当を所望することもあった。でも……。
そのときのオレの頭の中はぐちゃぐちゃで、シカさんの表情と言葉が何度も何度も脳裏で繰り返されて、オレは日が没しても動けずにいた。



そのとき、はっきりと思った。
このままじゃ駄目だと、シカさんをこのまま一人にしてはいけないと。
先に逝った人たちを羨むシカさん。
そのときを心待ちにしているシカさんの枷になりたいと、オレは泣きながら思った。



「分かってんだよ、本当は分かってんだ! シカさんが望んでいるのはオレじゃないって。オレがどんな言葉を掛けたって、どれだけ努力したって、いくら頑張ろうとも、シカさんが望んでいるのは、アンタなんだってっ」
ずっと思っていた。オレがシカさんを繋ぎとめる枷になると、シカさんに生きる楽しさを教えてあげるのはオレだと、頑なに思い込もうとした。
だけどシカさんには、オレの言葉は届かない。
思いを伝えても、全く信じてくれない。
負け戦だ。戦う前から負けていた。でも。



「惚れちまったんだから仕方ねぇだろっっ」
ままならぬ感情に、一気に涙腺が崩壊した。
ただただ羨ましくて、憎いシカさんの恋人に、情けない姿を見せたくなくて、涙を止めようとしたけど、一度零した思いは止めることができなかった。
「ちょ、ちょっと!! な、何も泣くことないでショ!?」
珍しく男が動揺した声をあげる。
目を覆っているから男は見えないが、右往左往と意味もなく動いている気配を感じることができた。
「うぇ、えっ」
「ちょ、ちょっと…! あー、もうっ。ほ、ほら、座りなさい。落ち着きなさいって、ね?」
終いには子供みたいに泣いてしまうオレを、男は心底参ったという声音で宥めてくる。肩をさすりながら、椅子に座らせようとする男の誘導にオレはおとなしく従った。
しばらく泣きに泣き、目の下がひりひりと痛む頃にようやく涙が止まった。
鼻をすするオレに、男が手拭きを差し出してくる。
新しいそれに、男が気を使ってくれたことを知った。
「……ありがとうございます」
男は癪に障る奴だが、その行為自体を否定するわけにはいかない。
素直に礼を言えば、男は「いーえ」と居心地悪そうに椅子へ座りなおした。
無言で顔を拭く。冷たいお手拭が火照った顔に気持ちいい。



「……シカの、どんなとこを好きになったのーよ?」
思わぬ問いに、男をまじまじと見た。
からかっているならぶん殴ってやるところだったが、窺った男は視線を逸らし、どこか恥ずかしげで、照れているようにも見えた。
男の意図は全くつかめなかったが、ここまできたら隠すのもおかしくて、オレは口を開いた。
「シカさん、魚の食べ方がすごく綺麗だったんです」
「……は?」
男がこちらに視線を向ける気配がしたが、あえて顔を上げず、卓を見つめて、シカさんと会った日のことを思い出した。



シカさんとは、上中忍の懇親会の場で出会った。
懇親会といえども、階級差を飛び越えようと思う忍びはおらず、大抵は上忍は上忍、中忍は中忍で固まって飲むことが普通だった。
けれど、上忍たちがゲームを行い、それに負けた上忍たちが罰ゲームとして中忍の接待をするということでオレたちの席に乱入してきた。
来たのは見たことがないくノ一たちで。
せっかくのタダ飲み会に、女性とはいえ上忍を相手にしなければならない気苦労さも手伝って、第一印象は最悪で、しかも、接待役としてきたのに、そのくの一ときたらお酌もなければ注文も取らず、ただ座って無言で飲み食いするだけだった。
あっという間に空気が悪くなり、オレたち中忍が盛り上げようと会話を振る中、ただ一人、黙々と魚を食べているくノ一がいた。
それが、シカさんだった。



「こう、箸でするするっと魚の身を綺麗に剥がしていくんですよ。背びれのところの身もきれいにとっていて、オレ、見惚れました。それに」
あのときのシカさんを思い出して、笑みがこぼれ出た。
「シカさん、魚食うのに、ものすごい真剣な顔してるんですよ。それこそ、これを逃せば一生食えないって感じで、魚食うことだけに全精力注ぎ込むような。そんで食い終わった後、笑ったんですよね」
無表情だったシカさんの目が柔らかく弧を描き、ほんの少し口角を上げた様は、ほんの少しの驚きと、胸のざわめきをオレにもたらした。
今、思えば、あれが恋に落ちた瞬間だろう。
その日からオレは、シカさんの綺麗に動く手と、身の欠片も一つ残されていない魚の骨と、食べ終わった後一瞬見せた笑みばかり思い返すようになっていた。



「……それだけで好きになるの?」
オレの恋を疑うような発言に、眉間にしわが寄る。
「言っておきますけど、それだけじゃありませんよ! シカさんってば、スーパーの袋とっておくんですっ。しかも小さく綺麗に折りたたんで。家庭的じゃないとあんなことしませんよっ!」
力説すれば、何故か男の顔が赤くなった。
押し黙る男に、オレは更に語る。
シカさんは常に糸と針を持っていて、いとも簡単に傷を縫うと。その手腕たるや医者顔負けだけども、あの傷を縫う技術は治療だけではない芸術的な技がある。もしかしたら、シカさんは裁縫が得意なのかもしれない。
「オレ、一度でいいから、シカさんにボタンつけしてもらいたいんですよね」
器用な指がなめらかに動くさまを思い浮かべる。
「ボタン取れかけてるじゃない、付けようか?」って、シカさんがオレに言って、オレが服を脱ごうとすると「そのままでいい」って止められて、シカさんは裁縫セット出してオレのすぐ側でボタンを付けてくれる。
シカさんの髪の匂いとか不意に香ってきちゃって、オレ、ドキドキして、このまま時間が止まればいいなぁなんて、思ったり何だりして……。
思い描く、オレとシカさんの幸せな映像に、鼻から液体が下りてくる。
シカさんがオレにそんなことをしてくれる訳がない。



シカさんは可愛いわけでも、美人なわけでもない。ましてや、気立てがいいとは決して言えないし、優しくもない。
容赦なくオレを見下すし、薄給のオレを三食塩と水だけご飯に陥れたことも一度や二度ではない。
悪いところばかり目につくし、とんでもない我がままだって言われた。それでも、なんだかんだ言って、
「……好きなんだよなぁ」
小さく呟いて、顔を俯けた。今晩のオレはとんでもなく涙脆い。



「……参った」
すんすんと鼻を啜っていると、男が突然ぼやいてきた。
こっちが参るなら分かるが、どうしてお前が参ってるんだと、やっかみを込めて睨みつける先で、男は後頭部を掻きながらため息を吐く。
「ねぇ、うみのイルカさん。アンタだったら、どうやってシカを引き留めてくれる?」
だからそれはお前の仕事だろうと噛みつこうとすれば、男は首を振って静かに否定した。
「オレじゃ、無理なーの。だから、アンタの意見が聞きたい。アンタだったら、どうやって引き留める?」
いつになく真剣な男の雰囲気に飲まれてしまう。いつもは茶化すばかりのくせに、真面目な顔をするから、気が殺がれた。
言えなかった文句を口の中でかき混ぜ、涙を拭いて顔を上げた。
「……笑わないですか?」
男はオレの目を見て、黙って頷いた。
真摯な様子の男に、オレは失恋の予感を覚える。
男がシカさんのことを本気で考えるならば、オレはそれこそ本当のお邪魔虫になる。もうシカさんに声を掛けられなくなる。
じくじくと痛む胸を歯を食いしばって耐え、オレは夢を話す。いつかオレがシカさんにしたかったことを。



「シカさんが楽しいと思うことを一緒に見つけます」
「……楽しいと思うこと?」
「はい。まずはシカさん、魚が好きみたいなんで、一緒に川へ行って魚釣りします」
「わざわざ釣り? 術使った方が早いじゃない」
男の言葉に、オレは違う違うと手を振る。
「食うためじゃなくて、楽しむために、です。弁当持って、竿を持って行くんです。あくまで釣りです。川に糸つるして、かかるまで待つんです。お日さまは温かくて、風は気持ちよくて、時々居眠りしそうになりながら、のんびりと魚が釣れるまで待つんです。で、釣れたらその場で焼いて食べるんです。塩だけぶっかけて焼いて食べるんです」
木の枝に刺して焼いた魚を食べる仕草をすれば、男の目が輝いた。
「それは、うまそうだねぇ」と生唾を飲む男に、シカさんと似た好みを見つけて切なくなる。だけど、それには目を瞑って、言葉を続けた。
「あとは、買い物行きます。スーパーでも、洋服屋でもデパートでもいい。シカさんが興味惹かれそうなものを知るために、色々と一緒に見て回るんです」
「シカのために?」
男の今更な言葉に笑う。今まで誰について話してきたと思っているのだろう。
「当たり前です。――オレ、シカさんにもっと楽しんで欲しいんです。まだまだたくさん楽しいことがあるって、面白いことがあるって、シカさんが知らなかった世界がいっぱいあるんだって知って欲しい。オレ、シカさんにはもっと」
一つ息を吸って、初めて真正面から男を見つめた。
男は少し驚いた顔をしていて、オレはぎこちない笑みを浮かべて、思いを込めた。
「生きて、もらいたいんです」
この里で。



「はたけ上忍」
揺らぐ視界で、名を呼ぶ。
オレにはもう無理だから、アンタに頼むと、シカさんを幸せにしてやってくれと、頭を下げようとした時。



視界が暗くなり、顔に固いものを押し付けられた。
突然のことに驚くと同時に、頭に回ったものが絡みついて、小さな笑い声が耳に届いた。
「あーぁ。絆されちゃった。こんなはずじゃなかったんだけどねー」
顔に押し付けられたものに手を触れると温かった。
人肌のぬくもりに自分の現状を理解して呆然としていると、オレを抱きしめていた男が体を離してきた。
男が卓を乗り越えてオレを抱きしめにきたもんだから、背の高いコップ類は倒れ、皿にあった食べ物はこぼれ、勿体ない有様になっている。
抱きしめてきたことよりも、勿体ないことに怒りを覚えて文句を言おうとすれば、男はおらず、そこにはシカさんがいた。
「……は? シカ、さん?」
名を呼ぶオレに、シカさんは頬を染めて、柔らかく微笑んだ。
初めて見るシカさんの全開の笑顔に体温が急上昇する。鼓動がやたらめったに打ちつける。どうしようもなく舞い上がっていれば、シカさんは悪戯っぽい口調で言ってきた。
「うみのイルカさん。責任とってもらうーよ。こんな気持ちにさせられたの、アンタが初めてだ。これは高くつくーよ?」
長い人差し指をオレの胸につける。
声は高い。けれど、その口調と表情は、何度も何度も飲みに行った、オレの憎きライバルのはたけカカシそのもので。



全ての答えを理解するより早く、目の前のシカさんがぶれるようにして、はたけカカシになった。
うわぁぁあとオレは叫んだりなんかしたかもしれない。
パニックに陥りかけたオレに、はたけカカシは



「これから、よろしくね。イルカさん」



頬を染め、あのとき彼女が浮かべた笑みを浮かべ、オレにキスをした。



おわり




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いっつまいそーんぐ〜♪ じゃなかった…orz いっつまいそうる、です。はい。
アルバム持ってるというのに、何たる失態…!!