伽1
「実は、俺、呼ばれちまったんだ…」
がやがやと騒がしい店内の中、本日の主役である友人がビールを片手にぽつりと呟いた。
帰還祝いもとい、それにかこつけて憂さ晴らししようぜ会に集っていた、イルカ他二名は乾杯の手を止め、身動きを止めた。
ここは、酒酒屋。
懐侘しい独身男たちが、リーズナブルな値段で家庭料理+安酒も飲めるという、大変ありがたい大衆居酒屋だ。
前線に近い後方支援を任されていた男が、本日無事に帰還するということで、イルカたち気の置けない仲間が集まって飲み会を開いたわけだが、乾杯の音頭を取る前に出た爆弾発言に、周囲の喧騒から隔離されたように、盛り上がっていた熱が急に失速していった。
音頭を取ろうと立っていた友人が、静かにその場へ腰を下ろす。そして。
『はぁ…』
イルカを除く三名は卓に肘をつき、額を両手で隠しながら重苦しいため息を吐く。まるでお通夜のありさまになったその場を、イルカは呆然と眺めた。
十代をとうに過ぎたその歳で、今更男の相手をしなくてはならなかった不運は理解できるが、主役以外の二人が我が事のように落ち込む理由が、イルカには理解できなかった。
一人だけダメージを受けていないイルカに気づいた友人が、咎めるように言葉を漏らした。
「お前、なーんでそんな平気な顔してられるんだよ。若かりし日の、あの消したい汚点を思い出さずにいられない状況だろ?」
周りの者も同調するように、イルカへと視線を向ける。それに対し、イルカは「え」と小さく驚きの声をあげた。
「いや。おれ、呼ばれたことないし」
もしかして、お前ら全員経験あるのかと目を見開くイルカ以上に、三名は目を開き、素っ頓狂な声をあげた。
「はぁー?! マジか、お前! 俺は、この中でお前がダントツの指名率を誇っていると疑いもしなかったぞっ」
「ちょ、うそだろ、マジかよ!! なんだ、そのラッキーな星の下に生まれた境遇は!!」
「今も呼ばれた俺に謝れ! 土下座して謝れ、この羨まし野郎めッッ」
突然、食って掛かられ、イルカは面食らう。ひとまず「すんません」と謝れば、誠意が足らないと尚のこと怒られた。
十代からお呼びがかからなかった境遇は確かに恵まれていると言えるし、イルカ自身も有難いと思うが、逆を返して言えば、イルカにはそういう魅力がないと言えるのではないだろうか。
「それって、おれが単に色気もないクソガキだったからだろ? 不運だと同情するけど、おれより色気がある自分を恨め」
よ、色男と親指を突き出し良い顔で笑えば、三名から非難があがる。
「アホ言うな! 俺は色気より後ろの純潔を守りたかったぞ。あれは拷問以上の拷問だ。あぁ、あの時のいたいけな俺、可哀そう過ぎる…!」
「オレの時も最悪だったなぁ。相手の上官が変態野郎で、詰ってくれって言われた時の恐怖たるや…。今思い出しても寒イボが立つ」
「俺は、俺なんか……う」
ちっきしょうバーローと卓に突っ伏してむせび泣く主役に、経験者な二人は肩を抱き、頭を撫で、優しく慰めていた。
色気があるのも大変だなぁとビールを飲んでいれば、何とか泣き止んだ主役は鼻を啜りながら、ぽつりと言ってきた。
「こっちが選べるもんなら、俺、はたけ上忍とか、猿飛上忍が良かった」
突然出た名前に一瞬反応しそうになる。主役を慰めていた友人たちも一瞬動きを止め、気まずそうに視線を彷徨わせた。
「なんだよ。お前らだって思うだろ? どうせだったら忍びとして尊敬できる人に身を任せたいって。何が悲しゅうて、階級だけ上の、脂ぎった好色野郎を相手せにゃならんのだ」
くそと悪態をつきながら、ビールを呷る主役に、脇にいる友人たちはイルカに視線を向け、困った顔を見せた。それに気づいた主役は、二人に絡んでいる。
隠すことでもないし、どうせその内分かることだと、気遣わしげに見やる二人に笑みを向け、イルカは口を開いた。
「おれ、今、はたけカカシさんとお付き合いしてんだ」
イルカの言葉に、主役の動きが止まる。錆びついた機械のように、ぎこちなく首を回し、マジかと声にならない叫びを表情に張り付けた。そして、だらだらと冷や汗か脂汗か分からない汗を顔にかきながら、大慌てで手を振り否定を繰り返し始める。
「い、いや、俺はそういう意味で言ったんじゃないぞ! 止むに止むを得ない状況において言っているだけで、別にはたけ上忍とお付き合いしたいとか、そういう訳ではっ」
必死に弁解する主役に苦笑を零し、分かっていると頷いた。
「お前、好きな女いるだろ?」
時折、このメンバーの飲み会で片思いの彼女の愚痴を聞かされているだけに、主役が長年片思いをしていることは皆知っている。
「あ、そうか」とあからさまに安堵のため息を吐いた主役に、何とも言えない笑みが浮かぶ。
「まぁ、イルカにゃ悪いけど。俺も、はたけ上忍級のお相手なら、まだ傷つかずにすむわな」
冗談の中に、本気を感じさせる調子で言ってきた友人に目を見開く。友人はそんなイルカを見て、苦笑を零した。
「他意はないから許せよ。男としても、忍びとしても優秀じゃん、あの人。だったら、まぁ、俺が抱かれる立場なのもしょうがないかって思えるんだよ」
「堅物のお前があの人に惚れた理由も、何となく分かるしな」と、友人は言葉を続けた。
戦場で男同士が肉体関係を結ぶことは、任務遂行上として仕方ないという認識があるが、里内において男同士とそういう関係になることは、公に人には言えない類のものだった。
現にイルカがカカシと付き合い始めて、隠す気もなく付き合いを公言するカカシのおかげで、イルカは妬みや侮蔑の感情を向けられることが多々あった。
だから、友人がイルカとカカシが付き合っているということを素直に受け止めてくれていたとは、思いもしなかった。
何と言っていいか分からず、表情を強張らせるイルカに、友人は微笑み、空になったイルカのコップにビールを注ぐ。
「色々と言われているけどさ。気にすることはねぇって。惚れた腫れたの問題は、周りからは見えないんだからよ。お互いが思いあってんなら、それはそれでいいじゃねぇか」
な、と、語りかけられ、イルカは言葉が継げなくなる。
「そうそう。お前とはたけ上忍が付き合ってんのは事実なんだから。お前は堂々と胸張ってりゃいいって」
正面からも励ましの言葉をもらい、イルカは無理やり笑みを浮かべた。そう思えたらどんなにいいか。
「イルカも大変だったんだな」と、主役が漏らした言葉に、友人二人はここ一か月あった出来事を聞かせ始めた。
一月前、イルカはカカシに告白した。
ナルトたち七班を介して知り合ったカカシは、高名な忍びとは思えないほどの気さくな人物で、階級が下であるイルカに対し、礼を持って接してくれた。
カカシに誘われるまま、何度か一緒に食事を共にし、カカシの人柄を知る内に、胸の内にあった憧れはいつの頃か恋情に変わっていた。
忍びとして実力もあり、人柄もいいカカシの周りには、当然ながら美しい女性がいつもいた。特定の相手はいないようだったが、いつも女性に囲まれているカカシを目にするたびに、イルカの胸は痛んだ。
だが、カカシはイルカを見つけると、女性たちの輪から抜け、イルカの元へと駆けてくれた。
その度に恋情は沸き立ち、取り残され、悔しそうにイルカを睨む女性たちに対して優越感を覚えた。しかし、それは一時のことで、一人になったとき、不意に堪らない劣等感に襲われた。
自分は男で、ごついだけの、冴えない中忍でしかない。カカシの周りにいる、容貌にも優れ、賢く、あらゆる面においてカカシを癒せるだろう女性たちと比べるまでもなく、自分は劣っている。
カカシがイルカを優先してくれるのは、ひとえにナルトたちの元教師だからだ。気楽に食事をすることができる仲間だからだ。自分が思うように、カカシが自分に思いを寄せているはずもない。
誰に対しても優しいカカシが、自分にだけ優しいような錯覚に溺れるたびに、イルカはこれではいけないと自分に言い聞かせた。
自惚れるなと、勘違いするなと何度戒めても、期待してしまう気持ちを抑えきれなかった。だから、イルカはカカシに告白した。
これ以上期待が膨らまないように、カカシがいつか自分の恋人だと見知らぬ誰かを紹介される前に、自分の気持ちに止めを刺したかった。
振られる覚悟をしたのに、イルカに返された言葉は「いいよ」という軽い返事だった。
戸惑うイルカを、カカシは「これからはイルカ先生がオレの恋人だね」と抱きしめ、「これからもよろしく」と告げた。
何度も夢想していたことが現実となったのに、イルカは素直に喜べなかった。
ほんの少しでいいから、カカシに欠点があったら良かったのに、私生活のカカシも文句なしに完璧な人だったから。
さり気ない気遣いに、絶やされることのない睦言。料理も家事も完璧で、イルカにはもったいないほどの人だった。
気が利く訳でもなく、何もしてあげられないイルカと、どうして付き合ってくれるのだろうと思う。カカシの好意を喜べばいいのに、イルカは心苦しくて仕方なかった。
どうして、おれなんですか?
カカシがイルカの名を呼ぶ度に、微笑みかけてくれる度、優しくしてくれる度に、叫びたくなった。
釣り合わない。イルカのような男が珍しかったから手を出したに違いない。その内、捨てられる。飽きられるまでの短い間だ。
付き合い始めてから何度も聞いた言葉。
否定できないのは、イルカもそう思うからだ。
カカシと釣り合わないイルカが付き合えることができたのは、暇潰しなのだろう。カカシが飽きるまでの短い期間だけ。いつかは捨てられ、カカシはイルカの元から去っていく。始めから、終りのある関係。
「で、イルカは? やっぱり、はたけ上忍?」
友人に声を掛けられ、我に返る。ずいぶんと物思いに耽っていたようだ。
「わりぃ、聞いてなかった。何だ?」
軽く謝り、ぎこちなく笑えば、主役が自棄っぱちの態で叫んだ。
「伽につかなきゃならないなら、誰に抱いてもらいたいか、だ! 言っとくが男だけだぞ、男だけだからなっ」
ぐちぐちと思い悩むよりは、笑い話に変える方を選んだらしい。
永遠と泣き言を吐かれるよりは、遥かに気楽だが、自虐的過ぎないだろうかと、イルカは少し心配になる。
「なんだよ、それ」とかわせば、三名は言い逃れはできんぞと詰め寄ってきた。
「ちなみにオレは、ゲンマ特別上忍。手慣れてそうだし、勉強になりそうだしな」
「やっぱり俺ははたけ上忍か猿飛上忍だな。あの人たちなら男のプライドが保てる」
「俺も! 俺も猿飛上忍! 猿飛上忍なら、いい!! つぅか、若けりゃいい、この際誰でもいいっっ」
アンダ―さーてぃっと、コップを持ち上げ絶叫した主役の酔い具合に、生温い視線を向けてしまう。
誰だ言えよと、酒に飲み込まれた眼差しを向ける三人を適当にあしらっていたが、言わなきゃ暴れるぞと脅しに近い暴言を吐かれ、イルカは観念したように息を吐いた。
「……カカシさん以外なら誰でもいい」
『………は?』
首を傾け、一斉に疑問符を立てた三人を目にし、イルカは小さく笑った。
「忍びのカカシさんに抱かれるなんて、死んでも御免だ」
始めは忍びとしての憧れが先だった。でも、人柄に触れて、気付けば恋に落ちて、その先を望むようになっていた。
イルカは思う。
任務遂行中の、情も涙もない忍びのカカシに、性欲処理だけのものとして抱かれたら、イルカは負の感情に飲み込まれてしまうだろう。
普段が優しすぎるから、痛いくらいにイルカに尽くしてくれるから、たった一度の行為が、イルカの胸へ常にある疑問を確信へと変えてしまう。今ある幸福な夢から覚めてしまう。だから。
「カカシさん以外なら誰でもいい」
今の幻想を少しでも保つために、夢から覚めないように、イルカはもう一度呟いた。
「……イルカ」
何かを感じ取ったのか、急に黙り込む三人に、イルカはカラ元気に声を張り上げる。
「お前ら、辛気臭い顔すんなっ。今日はとことん飲むんだろ? コップ空じゃねぇか」
隣の友人のコップを覗きこみ、イルカは足早に通り過ぎようとする店員さんに声を張り上げる。店員さんに追加の飲み物を頼む頃には、三人も「そうだな」「無礼講だ!」「憂さ晴らしだ!」とテンションを盛り返した。
アカデミー時代の誰それが結婚したとか、今一押しのAV女優は誰だとか、近況から下ネタまで幅広く雑談しつつ杯を重ね、お開きになったのは0時を過ぎる頃だった。
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全くもって画像と文章が合っていませんが、このエビがかわゆーてならず、どうしても使いたかったんです! 見逃してくださいましっ。