別れ話 カカシ編

「あん」
ゆっさゆっさと揺れる視界の中、突然、甘ったるい女の声が聞こえた。
遅れて下半身が痺れるような甘めいた感覚を覚え、自分の冷静な頭とは違うたぎった箇所に戸惑う。
「な、んだ?」
疑問の声を口に出せば、自分の呼吸がやたらと荒い。はぁはぁと口からこぼれでる吐息の熱さに、混乱してきたのも束の間、
「あ、あぁぁん!!」
こちらが驚くほどの声があがり、揺れていた視界に華奢な影が映り込んだ。


「は?」
思わず首を動かし、全体像を捉えて頭が真っ白になった。
丸い柔らかそうな物体が二つ。眼前でゆっさゆっさと揺れては形が変わり、その下には折れそうなほどくびれた腰からなだらかな肢体が続き、そしてむちっとした太股を赤裸々に押し開き、俺のあれをくわえ込んでいた女の秘部が否が応なく目に飛び込んだ。
「もっとぉ」と跳ねながら、真っ赤な口紅をつけた女がくねる。一瞬、意識が飛んだ。その直後。


「っっぶわっ!!」
顎があがり、鼻からかつてない勢いで血が迸った。
がんがんと頭が痛む。たぎっていた箇所は、違うところに血が集まったせいで瞬く間に鎮静してしまった。
「やだぁ、なにぃ?」
妙に間延びした声で、俺にまたがった女が不満げな声をあげた。これで終わりな訳ないわよねぇと、鼻を押さえ横向きにうずくまった俺へとにじりよってきた女に冷や汗が流れ出てくる。
なんだ、一体何が起きた。この状況は一体何なのだ!?


半狂乱になりながら、迫りくる女から身を離そうと身をよじる。だが、女は俺の気持ちなんて知ったことではないとばかりに、豊満で柔らかい二つのものを肩に押しつけてきた。
その途端、俺の鼻から再び鮮血が迸る。
あぁぁ、やめて、こないで! これ以上、近づかないでぇぇぇぇ!!
「ばばれでぐだっっ!」
これ以上鼻血を出したくなくて、視界をシャットアウトする。あぁ、なんだこれは、俺は一体何をした!!
突き飛ばしたいがそれをすれば女の肌に触れることになる。そうなれば、俺の鼻は再び噴火することは間違いなかった。
「ごないでぐだざいっっ、ごめんばばい、ごないでっっ」
鼻から逆流した血のおかげで口の中まで鉄臭い。止む気配を見せない鼻血に気持ち悪くなりながら、固く身をちぢ込ませていれば、外から凶悪な気が漏れ伝わってきた。
体の芯から凍えそうなそれに、一瞬びくついたものの、その気配は俺のよく知る人のもので。
気に当てられて顔を真っ青にしながらも、俺は目を見開き、その人がいるであろうドアへ視線を飛ばした。
「ねぇ、まだできるでしょ? ねぇったらぁ」と背中にまたがってきた女を乗せ、ほふく前進しながらドアへと手を伸ばす。


「だずげでぐだざぁぁい、ががじざぁぁぁんっっ」


俺が叫ぶと同時に、ドアを蹴り破った彼の人は、怒りの形相で口を開き、固まった。その手には何故か鎖やら足枷などの物騒な物を持っている。
表情をすべて覆い隠さんばかりの覆面からでも分かるくらい、カカシさんは戸惑いを示していた。


「……あれ?」



******



「……鼻血で死を意識したのは、初めてでした」
ベッドの上で、紙のように顔を白くさせたイルカ先生が、ぽつりと呟く。
オレはその言葉を聞いて、うぇんうぇんと勝手に出る声と共にイルカ先生へ縋りついた。
「死なないでぇ、イルカ先生」
ぎゅっと手を握れば、イルカ先生は大丈夫ですよとどこか悟りを開いたような笑みを浮かべている。


事の起こりは、オレの不用意な発言から始まった。
会った瞬間恋に落ちて、どうしても、どーしてもオレの隣にいてもらいたくて、何度も何度も声を掛け、口説きまくってようやく恋人になってもらった愛しい人と、イチャパラで、熱い夜を送るためのちょっとしたスパイスとしてやりとりされている「浮気をしたらどうする?」という、昔のオレならいざ知らず、今のオレでは到底ありえない仮定の問いを発っしたことで、オレはとんでもない目に遭ってしまった。
律儀で真面目で超絶可愛いイルカ先生は、オレの問いに幻術という答えで返してきた。
今思い出しても、いや、今でも夢にうなされるほどの恐ろしすぎる体験だった。
もうとにかく忘れたい。あんな幻術二度と食らいたくない。あれを食らうくらいなら、オレはイタチの幻術を毎日でも受けたい。
とにもかくにも、そんな幻術を食らったオレは心底疲弊した。心も体もボロボロで、あのときの記憶は何故だかぼんやりしている。
イルカ先生の細やかな愛情で何とか普通程度に立ち直りはしたが、オレはそこで深く反省した。


そもそも、オレがあんな幻術を見てしまったのは、昔のオレの自堕落的な行動によるものが大きいらしい。
最初で最後の恋というか、これこそが愛だと自負するイルカ先生とのお付き合いでは、ちっとも、というか露ほどというか、ミクロン単位で全く思いつかなかった浮気という行為。
けれども、イルカ先生と会うまでのオレは浮気という行為を散々繰り返し、今まで付き合っていた女たちを傷つけていた。
あの幻術で妙に生々しかったのは、オレの記憶がそうさせたようだ。
あの幻術のように、イルカ先生が浮気をするオレとの仲に悩み、自身も浮気したというくだりは、過去に体験したものそのままだった。
そのとき、オレは激高することもなく、「気持ちよかった?」と笑って当時付き合っていた女に言ったような気がする。その後、女は去っていったが、オレはそれを悔やむこともなく、新しい女へと乗り移っていった。
考えれば考えるほどに、過去のオレの首を締めてやりたい。本当にどうしようもない、最低の男だったのだ、オレは。


この一件でオレは過去の自分をいたく反省し、お礼参りならぬ、お詫び参りをすることにした。
友人や同僚、はたまた後輩の手を借りて、過去に付き合ってきた女たちの元へ行き、土下座して回った。
ごめんなさいと泣きながら謝るオレに、何故か女たちの誰もが「やめて! 私のカカシはクールなのっ! 女に冷たくて誰もあなたの心の中には入れない孤高の男だってのに、何、イメージ崩しとんじゃ、ボケェ! その顔で泣くな、このエセがぁぁぁっっ」と、烈火のごとく怒りだした。
無理もない。オレはそこまでのことをしてしまったんだ。
時に殴られ、時に千本を投げられ、それを甘んじて受け止めて、オレは女たちのお詫び参りを完遂させた。
最後の一人に謝り、その足でイルカ先生のアパートに行けば、イルカ先生は何も言わず、ハリセンボンのような見てくれになったオレの千本を一本一本丁寧に抜き、そして晴れ上がったオレの頬を手当してくれた後、「お疲れさまです」と優しく抱きしめてくれた。そのとき、イルカ先生はオレの唯一だと改めて思った。
先生の優しさに触れ、ぐずぐず泣くオレをあやしながら、イルカ先生は続けて言った。


「カカシさん、あなたも俺に幻術かけてくださいよ。よく考えたらフェアじゃないですし、あんただけ辛いなんて、俺、耐えられそうにないですから」
オレの涙を拭いながら、照れ笑いを見せたイルカ先生に理性が焼き切れ、押し倒したことはもう自然の理だと思う。
そんなこんなで、イルカ先生の希望を叶えるべく、オレも幻術を作ることになった。
幻術耐性があまりない、しがない中忍なんでお手柔らかにお願いしますよと、一晩中睦み合ったイルカ先生に涙目ながらに言われれば、それはもう有給とっちゃうしかないじゃないと、再び襲いかかったのは不可抗力だと思う。
「くっそ! あんたの盛りツボが理解できませんよ!! 一ヶ月禁止ですからね!!」と、イルカ先生の逆鱗に触れたりなんだりしつつ、オレは幻術を作り上げたのだった。


そして、今。
綱手さまが院長を務める木の葉病院の病室で、オレはぐったりと寝込んでいるイルカ先生の看病をしている。
横になっているイルカ先生の腕にはチューブが伸び、輸血用のパックと繋がっている。
病室に運び込まれた時よりも、ほんの少し血の気が戻った気配はあるが、イルカ先生の鼻に詰められている脱脂綿は、未だに血が滴らんばかりに真っ赤に染まる。
苦しかろうと、イルカ先生の鼻の脱脂綿を詰め替えれば、イルカ先生は「すいません、ご迷惑かけて」と病人のような覇気のない声で謝ってきた。鼻血が逆流して口に溜まらなくなったのは、症状が回復しているからだと思いたい。


オレが作り上げた幻術は、自分としてはあくまで軽いノリのようなものだった。
髭熊に借りたAVを参考に、女と致しているところへオレが乗り込み、おいたをした先生におしおきをするという流れを目指した。
最後はオレに抱かれ、オレの方がいいと、さっきまで抱いた女に聞かせてやるんだと燃えた。そして、その後は当然実地だよねと思っていたのに、蓋を開ければイルカ先生は幻術に掛かっている最中に、鼻血を噴き、鼻血が逆流して口からも大量の血を吐き、倒れた。
びくんびくんと白目を剥き、血溜まりに倒れ込んだイルカ先生を見て、オレは心臓が止まるかと思った。
止まらない鼻血に、病院へ駆け込み、綱手さまに大目玉をくらいつつ輸血という処置をして、今に至る。


「そんなの。元はといえば、オレが悪いんだから……」
横向きに寝ているイルカ先生を抱きしめ、背中をさする。流血して寒いのか、オレの体にすり寄るイルカ先生の弱々しい仕草に再び泣きそうになった。
しゃくりあげるオレに、「また泣き虫カカシさんに戻っちまった」とイルカ先生はおかしそうに笑う。アンタに何かあれば、オレは全身が干からびても泣く自信があるよ。
ぐずぐずと鼻を啜るオレの背に片手を回し、イルカ先生はため息をはいた。
「あーぁ、カカシさんのせいで、女性が恐くなりましたよ。ちゃんと責任とってくれるんでしょうね?」
そんなの勿論だ。これで寝たきりになってもオレが先生の面倒を最後まで見ると宣言すれば、それは嫌だと顔を歪められた。何でっ!?
「まぁ、これで俺には浮気は無理だってことが証明されましたね。これで少しは安心しましたか?」
イルカ先生の言葉に息を飲む。
まさか、イルカ先生は身を持ってこれを証明してくれるために? 自分の命を掛けてまでオレを安心させようと?
「イルカ先生、大好きです!!」
「俺もですよ」
辛抱堪らず思い切り抱き締めれば、イルカ先生も力が入らないなりに力を込めて抱き返してくれた。
やっぱり、イルカ先生はオレの唯一だーよと、ぐずぐずと泣いたオレだったが、後日、イルカ先生に関して気を付ける性別を間違っていたのだと思い知ることになる。


イルカ先生は、女にはモテないが、男から異様にモテていたのだった。


今度は男相手の幻術作るので掛けさせて下さいと言うオレに、イルカ先生はあの日以来、女性と一定距離を開けないと話せなくなった後遺症もあり、「俺を職なしにするつもりですか」と拒絶され続けている。
イルカ先生には話していないけれど、実はあの幻術の最後は、浮気したイルカ先生を部屋に閉じ込め、一生飼い殺すということになっていた。
職なしになったイルカ先生なら、気兼ねなく部屋に閉じ込めて、オレ一人だけの物にできるのでそれもいいなぁと夢見ているのだが、鼻血で瀕死状態になったイルカ先生を哀れに思ったのか、綱手さまが対写輪眼カカシ用の幻術無効化という術式を作り上げイルカ先生に施しているため、オレの野望は潰えようとしていた。
だからオレは、ほんの少しイルカ先生が浮気してくれないかなぁと思う気持ちと、今のままの関係がずっと続くことを望む気持ちがあって、内心複雑だ。
でも。


「おかえりなさい。カカシさんの好物のナスの味噌汁ありますよ」
任務から帰って、満面の笑みで出迎えてくれるイルカ先生を見る度に、野望は吹っ飛び、目の前のイルカ先生とイチャイチャすることで頭がいっぱいになる。
オレを見て笑ってくれるイルカ先生が側にいるなら、それでいいかとオレは屈託なく笑って今日も過ごすのだ。







おわり



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カカシ先生はナチュラルに病みっぽいところがあるのが好きです。
そしてイルカ先生はそれに気付かず、自然と回避しているくらいがいい(//口//)