「あんのいけすかねー白箒頭の陰険すけこまし男のせいで、ナルトが旅に出ちまったぁぁぁぁぁ」


 安酒を片手に卓へと突っ伏し、号泣し始めたイルカに、友人たちはまたかとため息を吐いた。
「うぅ、ナルトぉ。オレの可愛いナルトぉぉ。もどってこぉい、サスケも一緒に戻ってこぉぃ、オレの所へ戻ってこぉぉいぃ一楽奢ってやるからよぉぉ」
 元担任とはいえ、元生徒を未だ気に掛ける姿は教師としては正しい姿なのかもしれないが、それでもイルカの毎度の嘆きっぷりは引くものだった。
「……イルカよぉ。いい加減、その溢れる教師愛は卒業しろよな」
「そうだぞ。子供よりも女。情よりも肉欲だろうが!」
「そうそう。しかし、それよりもまず」
 ぐずぐずと鼻をすすりながら顔をあげたイルカへ、友人たちは声を揃えて言った。
『はたけ上忍に、今すぐ謝ってこぉぉい!!』
 悲鳴をあげそうな勢いで友人たちが示す先は、店外への入り口だ。大振りな動作で顔を向ければ、一瞬、のれんを潜り外へと出る白い頭の猫背を見た気がした。
「ちっ、胸糞わりィ。にっくきあんちきしょーの幻覚が見えちまったじゃねぇか」
 酔った頭で吐き捨てれば、友人たちは激昂した。
「何てこと言うのかなお前は! 本人だよ、ご本人だよ、モノホンの写輪眼だよ、おまえ!!」
「あー! だからイルカと飲むのは嫌だったんだっ。たまにならいいかって仏心出したおれのばかー!!」
「絶対聞かれていたぞ、今までの暴言余すことなく聞かれていたからな! しかも、泣いてたぞ、癒えていないだろう心の傷を抉られて、泣いてたからなっ」
 店へ出る直前に右目を擦っていたと発言した友人の一言に、今までイルカへ注視していた視線が移る。
 声にならない叫び声をあげる友人たちの中、イルカは手を叩いて喜びの声をあげた。
「うっわー、ウケるー! オレすっげー見たかったっ」
 馬鹿ウケするイルカに、友人たちは静かな怒りを漲らせ、立ち上がった。



「ちぇっ、なんだよ、写輪眼ごときにびびっちまいやがって」
 ズボンのポケットに手を突っ込み、イルカは夜の道を行く。
 あの後、友人たちから問答無用で居酒屋から叩き出され、カカシに謝りに行かなければ、お前とは一生口を利かない宣言までされてしまった。
 なんて友達がいのない奴らだとぶうたれるイルカは、道に転がっていた石を蹴り、謝るために渋々カカシが住む上忍寮へと足を進めている。
 だいたい、始めにイルカの心を踏みにじったのはカカシの方だと、イルカは思っていた。
 その根拠はナルトだ。


 イルカは幼い頃に両親を一気に失くし、天涯孤独にとなってしまったせいか、愛情に飢えていた。両親からたくさんの無償の愛を得ていただけに、普通のものでは足りもなんともしなかった。もっともっととせがむイルカを周囲の大人や友達たちはひどく戸惑い、そして疎んだ。
 愛とは真反対の負の感情に敏感だったイルカは、自分が欲しいものは他人が与えられるようなものではないとそのとき悟った。そして、叶えられない思いは自分が注ぐことにより昇華しようとした。
 けれど困ったことに、イルカが注ごうとするものはこれもまた人を困惑させ疎ませるるものだった。
 自分が得るよりも注ぐことの方がいくらか簡単だったが、欲望のままに注ぎこもうとすれば受け手側は逃げてしまう。あなたは重すぎる、気持ち悪い、私はあなたの子供じゃないのよと、過去に少し仲良くなった女たちはイルカを奇異な者でも見るような瞳を投げかけ、背を向けた。
 自分の欲望を思い切り果たすことができず、鬱屈としていたイルカが辿り着いたのはアカデミー教師という天職だった。
 子供たちはイルカの思いを注ぐのに非常に理想的な存在だった。自分を見て欲しいと真っすぐな瞳でイルカへ強請る子供たちへ女たちよりかは注ぎこむことができたが、それでも物足りなかった。何故なら、子供たちは自分たちの両親から満たされているからだ。満たされている分、イルカが注ぎこむ量は少なくなり、イルカはいつもどこか不燃焼気味な思いを抱えていた。
 そんな時に現れたのがナルトだった。


 九尾の狐を腹に宿した忌み子として、本人の預かり知らぬところで忌み嫌われた子供。
 両親の愛も知らず、温もりも知らず、他人に求めようと足掻きながらも裏切られることを知った孤独な瞳。
 イルカはその瞬間、狂喜した。自分の思いを受け取ってくれる存在が目の前に現れたのだと、もろ手をあげて喜んだ。
 けれど、教師としてたった一人の子供を贔屓する訳にはいかず、イルカは再び我慢を強いられた。
 ナルトが卒業するまでの辛抱と言い聞かせ、あくまで教師として接し、晴れてナルトが卒業したことで、これから思う存分ナルトへ注ぎこもうと喜んだのも束の間、邪魔者が現れた。
 その名は、はたけカカシ。
 忍びの中のエリート中のエリート。人の羨望と視線を集め、望めば何物でも手に入るだろうと言わしめた男が、ナルトたちの上忍師になったのだ。
 イルカがナルトへ愛情を傾けようと素振りを見せれば、決まってカカシが現れ過干渉過ぎるとばかりにナルトを連れ去ってしまう。しかも、上忍師という地位を使って、ナルトへ忍びになるためにはイルカにいつまでも甘えては駄目だと余計なことを吹き込む始末だ。
 それでもまだイルカに甘えたいと遠慮しがちに近づくナルトを捕まえ、あの写輪眼がなんぼのもんじゃと構い倒していた矢先に、あの事件が起きた。
『口出し無用。今はオレの部下です』
 がつんと正面切って叩きつけられた言葉は今でもイルカの胸を重く抉る。そして、中忍試験を終えたナルトも、イルカにとって早すぎる自立の片鱗を見せてきた。
 早すぎると泣きに泣いたイルカだったが、これも子供の成長過程では致し方ないと、直接的に構うことは止めて、影ながらに見守り、ナルトが結婚する暁にはヴァージンロードにてその隣を歩いて、将来は同居。明るい二世帯住宅計画を練っていたというのに、ナルトは里抜けしたサスケを連れ戻すために強くなると言い放ち、木の葉の里を後にしてしまった。


「あぁぁぁぁ、くっそ写輪眼がぁぁ。てめぇの無駄に高スペックな能力と経験をここで生かさねぇで、いつ生かすんだよ! おかげでナルトは、ナルトはぁあぁぁ」
 人通りのない道の真ん中でイルカは吠える。それに呼応して遠くで犬が吠えてくれたが、イルカの胸にはちっとも響いてくれなかった。
 大きくため息を吐き、イルカは足を止めた。
 ナルトが去って二日目になる。夜中にこそっと忍びこんで腹を出しているナルトに布団を掛けてやったり、破けている靴下や服を夜なべで直したり、冷蔵庫に入っている賞味期限の牛乳やハムをそっと新しい物に変えたり、寝坊しないように目覚まし時計を仕掛けたり、熟睡しているナルトの隣に添い寝して子守唄を歌ったり、栄養バランスのとれた朝食と、ついでに昼食の弁当を作ってやることなどができなくて、すでにイルカの心はからっからの乾燥状態だ。
 忍びとしては明らかに欠点だが、イルカが何をしても深く考えずに全てのことを受け入れてくれたナルトは本当に貴重な存在だった。
 ナルトが里にいない寂しさを、他のもので埋めようと、イルカとしては抑えに抑えて譲歩した、手作り弁当を食ってくれないかと同僚に話を持ちかければ、ドン引きされるばかりか、ちょっと距離を開けられてしまった。
 これくらいのことで引かれるなんて、もうどうしていいか分からない。このからっからな乾燥砂漠地帯を救う手が思いつかず、その鬱憤やら事の原因やらを思い出し、カカシへの罵詈雑言という今夜の酒の席となった。


 もう一度ため息を吐き、イルカは髪を掻きむしる。このままカカシに会いに行っても謝るどころか鬱憤をぶつけてしまいそうだ。なぜならイルカはちっともカカシに悪いことをしたとは思っていないからだ。けれど、カカシに謝らないと友人たちは一生口を利かないと言う。なんて理不尽なんだと、つま先に転がっていた石を思いっきり蹴り上げた直後、カツンという鈍い音と一緒に小さな呻き声が耳に届いた。
 顔を上げて、イルカは顔色を無くす。イルカが蹴った石が何かに当たったようだ。
 前方には電灯の光が届かない暗がりに、段ボールが置いてあり、その中で黒い物体が小さく身動きをしていた。


「す、すいません! 大丈夫ですか!?」
 泡を食って駆けつければ、黒い物体の正体を知る。
 銀髪頭の正規の忍び服を着込んだ成人男性。立てた膝に顔を伏せているために顔は見えなかったが、きっと左目を額当てで隠し、鼻まで口布で覆い隠している顔がそこにはあるに違いない。
 げっと呻いたイルカの気持ちを表すように、足が一歩退いた。それに気付いたのか、段ボールの中にいるはたけカカシその人は顔を伏せたまま小さい声で呟いた。
「いいんですよ、知ってます。どうせオレは忍び以外の価値を求められていない駄目人間です」
 暗く不明瞭な声を発するカカシに、イルカは動揺した。今まで当然とばかりに飄々となんでもこなす、確かな自信を持っていたカカシとは全くの別人だった。
 まとう空気も覇気のない声も、落ちたまま上がらない肩も、記憶上のはたけカカシとは掠りもしない。
 訳の分からない夢でも見ているのだろうかと思う反面、イルカは微かな胸の高鳴りを覚えていた。
 手の指先が微かに震えているのが分かる。
 ばくんばくんと鼓動が大きく波打つ音を体の中から聞きながら、イルカは口内にあるなけなしの唾液を飲み込み、喉を潤す。


「……カカシ、先生」
 小さく呼びかけ、段ボールに蹲っている男の名を囁いた。
 もしかして、もしかしたらと期待に膨らんだ思いをなけなしの理性で制しながら、ゆっくりと膝を落とし、顔を伏せるカカシに近づいた。
「……捨てられ、たんですか?」
 正常な頭が馬鹿な問いだと騒ぎ立てる。けれど、目の前のカカシは疑問を持った様子もなく小さく頭を動かした。
「自分で、捨てました」
 カカシの弱弱しい声に、思わず息がこぼれ出る。
「拾ってくれる人はいなかったんですか?」
 上ずる声で続けて問えば、カカシは濡れた声で返してきた。
「……みんな気まぐれに拾うけど、結局は捨てるんです。耐えられないって、重いって、息苦しいって。こんな人だと思わなかったって、みんな捨てていくから、今度はオレ自身が捨てたんです」
 ずっと鼻を啜る音を耳にして、イルカは口を押えて歓喜の声を塞いだ。
 だが、まだだ。まだ、足りない。
 本能は舌なめずりするように獲物をすでに定めているのに、理性は油断するなと釘を刺す。
 そっと手を伸ばし、イルカはカカシの頬を挟んだ。
「カカシ先生、目を、見せてくれますか?」
 おどかさないように、ゆっくりと力を入れて顔を起こそうとすれば、カカシはされるままに顔を上げた。


 灰青色のカカシの右目。
 銀の髪と同様のまつげが瞳の曲線を覆い、流した涙を飾りのように張り付けている。
 顔のほとんどを覆い隠していても眉目秀麗なカカシの泣き顔は美しい。見惚れてもいいほどのものだったが、イルカの目を引き付けたのは美しさではなく、カカシの瞳にある深い絶望と孤独だった。
 ナルトよりもさらに深い。底さえ見えぬ限りなく続く孤独。
 誰をも入れず、全てを遮断し、諦めの沼に浸かり茫洋と顔だけを出してすべてを眺めて、やり過ごす無気力な眼差し。
死んだ魚のような目をして、情報を受け取るためだけの器官として存在し続ける瞳。
 イルカの心に歓喜の声が沸く。
 こんなところにいたのかと、近くにいながらも何故気付けなかったのだろうかと、過去の己を罵倒する言葉ばかりがあふれ出る。
 彼ならば、イルカの思いを全て飲み込んでくれるだろう。イルカの異常なまでの思いを受けても、カカシは潰されることはないだろう。
 意識して息を吸う。身に余る幸運に呼吸さえもままならない。


 静かに泣くカカシの瞳から落ちる涙を親指で拭い、イルカは震える声で囁く。
「なら、オレに拾わせてください。あなたを、素のはたけカカシを、オレにください」
 カカシはイルカの声に一度だけ瞬きする。感情の起伏も見えない、肯定も否定もしない、凪いだカカシにイルカは笑みを浮かべた。
 その絶望に、その孤独に、オレの全てをもって寄り添おう。
 枯れ果てた泉に水を注ぐ。注いだ途端に蒸発するその病んだ魂に、永遠と注ぐことができる幸せに眩暈がした。
 あぁ、何てことだろう。
 イルカが渇望していた人はこんなところにいた!!





おわり



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2014.5.4のスパコミに配ったペーパー第2弾-1です。
どちらがより病んでいるのでしょうか。




病める人