「……あんたって人は、おかしいおかしいとは思っていましたけど、イチャパラの読みすぎで、本当に頭のネジが一、二本、ぶっとんじまったんだなぁッッ! とっとと解きやがれ、こんちきしょーーーッ」
古ぼけたアパートの一室。その玄関先で、跳ねる、中忍、うみのイルカ。
イキがいい〜ね、とうっとりと見下ろす変態上忍こと、はたけカカシ。
二人は、教え子を介して知り合い、片方の熱烈アプローチで、すったもんだで周りを巻き込み、阿鼻叫喚の地獄絵図を繰り広げ、そしてほうほうの態で逃げ込んだ先で罠にかかるように、見事恋人同士になった間柄だ。
男同士という問題や、階級差や、所得格差、外勤内勤の越えられない壁が多々あるに加え、ケダモノと小動物、モテ男にモサ男、元暗部と現役癒しの受付などと周囲の物言いに翻弄されつつも、二人というより、主立った一人は死に物狂いで人並みの生活を死守して、どうにかこうにかやってきた。
―それも今日で終わるかもしれない。
うみのイルカは、苦しくなる胸の内で呟いた。
イルカは今、うつ伏せの格好で床に寝転がされ、両手と両足を後ろ手に縛り上げられている。
浜辺に打ち上げられたイルカ。
手も足も出せない状態に、書物で聞きかじった、自分と同じ名前の海の生き物と姿をダブらせてしまう。
『今日は早く帰ってくださいねv』と出かけに言われ、まだ残業をしている同僚たちを振り切って帰ってきたというのに、「ただいま」さえも言わない内に、この仕打ち。
この野郎ッ、絶対、別れてやる、今度の今度こそは絶対に別れてやるッッ。
きりきりと奥歯を噛締め、怨嗟のこもった念を唱えていれば、男はうふふとくぐもった声をあげてきた。男に目を走らせれば、何が楽しいのか、悦に入って、こちらを見下ろしている。
普段は覆面と猫背のせいで、怪しい雰囲気を前面に押し出している男だが、覆面を取り去った今、そこには美の神かとひれ伏したくなるような、絶世の美青年がいる。
天から降る月光のような銀の髪に、白磁の肌。
神秘的な赤い瞳に、薄いグレーがかった青い瞳。
通った鼻筋に、薄い唇。
整いすぎて少しきつくなりがちな顔は、少し下がった眦のおかげで雰囲気は和らぎ、ともすれば、例えようもない男の色気が漂ってくる。
頭は十八禁イチャパラ仕立ての、セクハラ行動にいっちゃう妄想男の癖に、白百合の如き気品さえ漂わせる美貌を持っているなんて、宝の持ち腐れだ! しかも、元暗部の写輪眼の、高給取りの里の誉れの、クノイチ抱かれたい男No1で、皆の憧れの忍びだなんて、ぜってぇ認めねぇぇ! つぅか、神っているのか?!
きゃいきゃいと女性から黄色い声を浴びたことのない身としては、目の前の存在は、男の敵でしかない。一度でもいいから女から見下された目で「きもっ」と言われている現場をこの目に焼き付けたいものだ。
凝視していれば、つい見惚れてしまうその顔から微妙に目を逸らし、イルカは声を張り上げた。
「なんで、こんなことするんですか! ちゃんとカカシさんの言う通り、早く帰ってきたじゃないですか! それに、俺、まだ靴も脱いでないんですよッッ」
自分だって忍で、小隊を任されたら隊長を務める中忍だってのに、抵抗する間もなく床に転がされた己が嘆かわしかった。
せめてもの反撃に必死の形相で睨みつけていれば、至極ご機嫌だった男の空気が突如凪いだ。
「早く帰った…ねぇ〜。あんた、今日が何の日だか、ちっとも分かってないでしょ?」
冷たい声音に、表情を失くせば、整った顔は作り物じみた印象が増す。ぴりりと滲み出てくるカカシの怒気に、イルカは一瞬、面食らった。
そういえば、カカシは何と言っていたっけ?
『今日、何の日か分かります?』
『俺たちにとって、とって〜も特別な日なんですよvv』
そうはしゃぎながら、遅刻すると喚いていたイルカにまとわりつき、悪戯をしかけてきたのは、まだ記憶に新しい。
それと同時に朝にしでかした、教師にあるまじき行いをうっかり思い出し、慌てて首を振った。
「あっはvv やっだぁ、イルカせんせってば、えっちぃv もしかしなくても思い出したんでしょ? 思い出しちゃったんでしょ?」
動揺を目ざとく見つけ、カカシは怒気を引っ込め、イルカの真っ赤になった頬を嬉しげに突っついてくる。
「ち、ちが! あ、ああああんた何、言ってんだ!!」
「先生ったら、いつまで経っても初心なんだからー。そんなに恥ずかしがることないでしょ。ほんのちょっと上にの―」
カカシの暴言に耐えられず、イルカは顔を振って、やけ気味に叫んだ。
「すいませんッッ。全く、覚えてない俺が悪うございました! すいませんね、どうせ俺みたいな気の利かない、もっさい男は、記念日の一つも満足覚えられませんよ。すいませんね、申し訳ありませんねッ」
こうなったら謝ったもん勝ちだと、鼻息荒くカカシを見上げれば、カカシはおもむろに首を振りつつ、ため息を吐いた。
「バカですねぇ、イルカ先生は……」
実感のこもった物言いにカチンときたが、罵声を上げる前にカカシから両頬を挟まれ、上に引き上げられた。
海老反りに反らされ、喉が引きつる。もがくように息を吸えば、苦しい体勢に小さく声が零れ出た。
筋が張って痛い。ぴりぴりとした嫌な痛みに、身悶えていれば、真正面から生温かい息が勢いよく吹きかけられる。
一体、何だと、苦しさに閉じかけてしまう目を無理やり見開けば、見るも無残な、やに下がった顔が視界に飛び込んできた。
綺麗な顔が鼻を伸ばすと衝撃がひどいなと、口を開けてぼけっと見詰めていれば、男は体を震わせ始めた。
「そんなとこも、可愛いんですって〜。あぁ、もぉ、そんなに見詰められたら、突っ込みたくなるでしょ?! 上目遣いで舐めてもらいた〜いv あっ、イルカ先生ってば、そんな、あ、もぉすごーい、あ、すごーいっっvv さすがは麺党だけあるっ、て、だめ、だめだめだめ、あ、あぁぁんっ」
睫が数えられる近さで、突如、喘ぎだした男に血の気が引く。
変態。マジ、変態。
どん引くイルカをぶっちぎりで置いてけぼりにしたカカシは頬をうっすらと上気させ、情欲に濡れた瞳でイルカの両目を覗き込んだ。
イルカはもうパニック寸前だ。どうしてこんな男と恋人になったのだと、己を罵倒するだけで精一杯だ。
「忘れているなら、思い出させてあげるのが、恋人としての優しさだ〜よ、ね」
はぁはぁと鼻息を荒げ、瞳に野性じみた光が宿った男に、背筋が震えるほどの恐怖を感じる。
顔すら背けられない中、強い眼差しに注視され、泣きが入る。ぷるぷると震えだし、目元に涙を浮かべるイルカに、カカシの目元が三日月型にたわんだ。
嗜虐的なその笑みに、小さく息を飲んだ瞬間、カカシの薄い唇がイルカに噛み付いた。
「ん、んんんんーーーーーーーー!!」
始めから飛ばす荒い口付けに、イルカは悲鳴を溢す。
最近はイルカを労わるように、小さな口付けから徐々に深くしていってくれたのに、今日はイルカを気遣う様子が一つもない。
女と接するように優しく気遣えというつもりは毛頭ないが、身動きできないところに、頬を強く掴み、口を勝手に開けさせるばかりか、自分勝手に舌を口内へ突き入れ、無遠慮に荒らしてくるのはあんまりではないだろうか。
どちらともいえない唾液が口から溢れ出て、喉を伝う感触が気持ち悪い。興奮したのか、カカシが舌や唇に噛み付いてくるものだから、痛くて仕方がなかった。
息継ぎさえ満足にさせてもらえず、引き上げられた喉や首が痺れを訴えてくる。
酸欠ばかりではない目の曇りを感じながら、イルカは非常に悲しくなってきた。
これでは、あのときと何ら変わりないじゃないか。あのときはさておき、今は自分が望んでここにいるのに。こんなことをされると、イルカの意志はどうでもいいと言われているようで胸が痛い。
「…あ、れぇ。せんせ、泣いてるの?」
唇を離し、乱れた息のまま問いかけるカカシの顔が見られない。ようやく解放され、ごほごほとむせるように息を繰り返していれば、カカシは小さく笑った。
その笑い声が癪に障って、見えにくい視界を広げれば、カカシは頬を赤く染め、照れたように頬を掻いていた。
思いも寄らぬ、初心な仕草を見せられ目を見開くと、カカシは幸せそうに目を細める。
「あー。その、予想外っていうか、俺、自分で思っていたよりイルカ先生に愛されていたんですね〜」
カカシは赤い頬を誤魔化すように掻いている。カカシの考えが分からず、やたらと恥ずかしい台詞にこっちまで赤くなって固まっていると、カカシは「仕方な〜いね」と呟き、自分の唇を噛み切った。
「っ?!」
薄い唇に鮮明な朱が零れ伝う。びくりと跳ねるイルカに笑みを向け、カカシは半開きになっているイルカの唇へ自分のそれを重ねた。
先ほどとは打って変わって、優しく丁寧に施される口付け。けれど、その口付けは、むせ返るほどの血の味と匂いがした。
かなり深く噛み切ったと分かる血の量に、顔を振れば、カカシは喉で笑い、唇と舌を差し入れイルカの口内に自分の血を注ぎ込んだ。
体が震える。むせ返る血生臭さに、冷水を被ったように頭が冷える。それと同時に、それだけではない何かを思い出しそうで、イルカは頭の片隅で考えた。
何だろう。こういう状況が以前にもあった気が…。そのときは、もっと辛くて、心身共にひどく疲弊した。あれは……
不意に頭を掠めた映像に、肌がざわりと波打った。
あのことかと目を見開けば、目の前の青と赤の目がそれを認めて、細くなる。
「思い出した?」
血と唾液でべたべたになった唇を丁寧に舐め、最後におまけとばかりにちゅっと小さくキスをして、顔が離れる。
いつもながら甲斐甲斐しいというか、甘いというか、自然にこなすカカシの手馴れた行為が、イルカの何かを掠める。
手馴れるまでに一体幾人の女性にやってきたんだとか、その絵面はさぞかしお似合いだろうとか、もやもやとした汚い気持ちが沸き起こる。
そんな気持ちを抱かせる男と、出来れば忘れていたかった記憶を無理やり思い出させた男に、イルカは不機嫌マックスな声で対応した。
「……カカシさん…。もしかして、今日っていうのはアレですか?」
イルカが口を開く前に、カカシは満面の笑みを浮かべて、鼻先にキスをした。
「そうで〜す! 初めて、俺とイルカ先生が身も心も一体となり、歓喜の坩堝に浸った記念日一周年目ですv」
もぉ、あんときのイルカ先生は激しかったと、身もだえ始めたカカシにイルカは頬を引きつらせる。そして、冷たい冷たい水を差した。
「あぁ、そうですか。あんたに無理やり犯された記念すべき節目の年ですか。はッ、そりゃー、めでたいですねぇ」
イルカの言葉に、カカシは笑う。「やだ、何それ。俺とイルカ先生は一目見た瞬間から相思相愛だったでしょ。忘れちゃったの?!」と、頬に口づけを降らせてくるカカシを冷たい眼差しで見据えた。
「ほぉ〜、どうやら俺とカカシさんとでは記憶の相違があるようですねぇ。俺の記憶では、残業明けでへとへとになって帰ってきた俺を、あんたは押し倒して、必死で話をしようとする俺に何一つ言わず、裸にひんむいて、覆面も服も脱がずに一物だけ取り出して、いきなり突っ込んだんですよ。碌に慣らしもしないから、流血騒ぎでねぇ。あんたそれに興奮したか、口に喰らいついて動くから、俺、苦しいやら痛いやらで、訳が分からなくなって、あんたの舌噛んだんですよ。上も下も血まみれで、一体、何の拷問だったんですか? あのときは名高い上忍の不快を買っちまったんだって、そりゃ心底、震えて、碌に眠れない日々が続きました」
最後に引きつった笑みを浮かべれば、カカシは押し黙り、険しい顔つきになった。
ようやく思い出したかと、鼻から息を吐き出せば、カカシは真剣な顔でのたまう。
「イルカ先生は、そういうプレイをお望みで?」
プレイ設定ならやれないこともないですけど、イルカ先生ってば見かけによらずコアな趣味ですね、新しいイルカ先生をみちゃったvとお気楽な調子で言うカカシにぶち切れた。
「アホかぁぁあ!! 事実だって言ってんだろ! あんたが無理やり俺を襲って犯したんだろうがッッ」
どういう思考回路してんだ、こいつはと、憤れば、カカシははて〜と首を傾げる。
「そんなはずないんですけどねぇ。俺の記憶ではイルカ先生ったら、興奮のあまり俺の舌に噛み付いて、もっともっとってそりゃすごい有様で俺を誘ってくれたんです。――先生との初めては、俺にとって血の交歓でしたvv」
「…あんた、どれだけポジティブかつ妄想が激しいんだ」
うっとりと目を閉じ、恋する乙女の如く頬染めるカカシに身震いが走る。現実をあり得ないほど捻じ曲げて解釈する、人外の認識が恐ろしい。
「…はぁ、もういいですよ。今更、あんたの仕出かした事を罵っても労力の無駄です。いい加減、これ解いてくださいよ。…首とか、手とか痛いんですって」
両頬を未だ固定されたままの状態は結構きついものがある。
ほぼ身動きできないその縛り方は、カカシが本気で縛った証でもあるが、荒縄ではなくなめした革を使っている辺りが、イルカを気遣っている気がしないでもない。欲を言えば、気遣う箇所を変えろよということなのだが…。
ふぅと息を吐き、視線を上げれば、何故か頬を膨らませているカカシとご対面した。機嫌を損ねたと解りやすく拗ねているカカシの様子に、イルカは嫌な予感を感じる。
「……カカシさん?」
長い間、無理やり引っ張られている状態で、筋が張りつめているのが分かる。下手したら、筋が違えそうだと愚痴りながら、ひとまずカカシの動向を探る。生憎と、イルカを解放してくれる者は、縛った本人しかいないのだから。
名を呼ばれたカカシはぶーたれた顔でイルカを見下ろし、分かってないと小声で呟いた。
「は?」
カカシはイルカの疑問の声に応えず、イルカの脇に手を突っ込むなり、膝立ちの姿勢にさせる。
張っていた筋が緩み、断然楽になった姿勢にほっと息を吐く。カカシは立ち上がると、シンクの上に置いてあった包みを手に取り、イルカの目の前に差し出した。
「これ、イルカ先生に」
白い紙に、赤いリボンで綺麗にラッピングされたそれは、明らかにプレゼント用のものだ。
突然の贈り物に嬉しさと照れ恥ずかしさが芽生える。あーうーと、照れるイルカを横目で見ながら、カカシは無言で包みを解き始めた。
あ、その包み紙何かに使えそうなのにと、ばりばりと乱暴な手つきで破られた残骸を惜しく思いつつも、一体どんな物が出るのかと、胸を高鳴らせた。
「えっと、あの、俺、何にも用意してないんですが……」
そりゃそうだ、自分が無理やり犯された日に贈り物だなんて普通思いつかない。でも、カカシと付き合うなら、これくらいして当たり前だったかなぁと、己の不手際にちょっとした罪悪感を覚えていると、カカシは気にしないで下さいと満面の笑みを浮かべた。
「俺は、イルカ先生が喜んでくれるだけで嬉しいから」
笑顔と一緒にそんな言葉をくれ、イルカは縛られている事実も忘れて何て良い人だと感激してしまった。次の言葉さえなければ。
「それに、イルカ先生がこれ着てくれることが、俺へのプレゼントになりますッ」
包みから現れた物体を見た瞬間、イルカの頭は真っ白になった。
あにばーさりー。1