―――共同生活、二週間後。
「よぉ、どうだ、調子は? おうおう、これまた随分と荒らしてんなぁ、おい」
アスマ先生の声に、しっちゃかめっちゃかに洗濯物を荒らされた跡を片付けながら、遅かったかと内心で舌を打った。
「すいません、こんな有様で。それも……カカシさん! 分かってるんですか?!」
声を荒げて注意するが、当のカカシさんはタオルケットに頭から突っ込んだまま、聞く耳を持たない。
まったくもうと手早く畳みながら、アスマ先生が座るスペースを確保した。






カカシさんの世話を任されて、早いことで二週間となる。
始めのうちは、新しい家が平屋の一軒家で、物々しい数のトラップがしかけられていることや、時折、巡回に来る暗部たちにびびりはしたが、概ね環境にもすぐ慣れた。
だが、大本の問題があった。
そう、カカシさんの存在だ。
今のカカシさんに会ったときは、それはもう従順で大人しくて、賢くて、トイレも一人でできれば?(人間用のトイレに行く。手伝おうとしたら、激しい抵抗にあったため確認はできていないが、使用後から見てもきちんと使えているらしい)料理も残さずに食べ、手のかからない、それはそれは一緒に生活する上で非常に良い同居人というか、同居犬だったのだ。
だが、それも一日半で終わった。
カカシさんと出会った日は休日前で、休日をゆっくり一緒に過ごした翌日、アカデミーから帰ってきた後から、(アカデミー、受付任務を優先しろと言われた。特別任務っていうよりお守りだよな…)カカシさんの被っていた猫は脱ぎ捨てられていたのだった。
帰ってくるなり、鳩尾に突進してくることから始まり、かまってかまってかまってと始終擦り寄ってくる。
俺もかまってやりたいのは山々だが、まともな生活、忍生活を送るためにやらねばならないことがある。
洗濯、掃除、食事に風呂、アカデミーの残業、資料作りなどなど。
始めのうちは何とか誤魔化し誤魔化しやってきたのだが、あまりにかまえ攻撃がひどくなった次の日、俺はついに説教をした。
犬に近いとはいえ、人間だったカカシさんだ。言えば分かると、正座に近い格好をさせ、懇々と説教した。長々と教えた。耳たこになるまで言ってやった。
すると、どうだろう。カカシさんときたら、突然癇癪を起こしたのだ。
俺を一睨みするなり、ワンワン吠え始め、遊ぶには狭い部屋で、自分の尻尾を追いかける危険な遊びをし始めるばかりか、俺の洗濯物へとダイブするなり、パンツを振り回し始めた。そしてパンツを咥えたまま、外へと脱走しかけたのだ。
里の誉れが男物のパンツを咥えて、野外に出たらどうなることか!! カカシさんの今まで培っていたイメージが絶滅に瀕するッッ!
恐慌をきたした俺は形振り構わず助けを求めた。だが、それがまずかった。
巡回していた暗部がカカシさんを押さえつけようとして、死闘が勃発してしまった。
犬になったとはいえ元暗部の凄腕の上忍と、現役暗部の闘いだ。
それは凄まじいばかりだった。
襖は壊すわ、屋根は壊すわ、おまけに家が一軒吹っ飛んだ。
………………俺のせいじゃないよな?
ともかく三日目にして新居は消えた。
カカシさんの足元に倒れている、ずたぼろ雑巾のようになった暗部を前に、俺は折れた。
帰ってきたらまずカカシさんとコミュニケーションを取ること、ご飯は俺が食べさせること、夜は一緒に寝ることなどなど…。
一つ一つあげていった提案が十になったとき、ようやくカカシさんは満足げに頷き、機嫌を直してくれた。
以上のことを三代目に報告しに行けば、三代目は小さな笑みを漏らし、新しい家を都合してくれたが、その背にはそこはかとなく哀愁が漂っていた。
後で話を聞いたところによると、あそこは三代目の私邸で、隠居できたら住もうと楽しみにしていた場所だったようだ。
どおりで値の張るいい品々がそこかしこに無造作に置かれていた訳だ。……ごめんなさい、三代目。






というわけで、俺たちは今、二件目の家にいる。一応平屋の一軒屋だが、部屋は寝室と居間の二つ、あとは台所とトイレ、風呂場しかなく、成人男性二人が住むには手狭な家だった。
けれど、カカシさんはこちらの家の方がお気に入りらしい。どうも俺の姿がすぐに見えるところがいいようだ。
俺が台所に立っているとき、視線を感じて何となく後ろを振り返れば、カカシさんが寝そべってこちらを見ているのだ。
尻尾を揺らし、耳を向け、体の全部を使って、俺を見つめるカカシさん。
何が嬉しいのか、笑みさえ浮かべているカカシさんを見る度に、俺は無性に気恥ずかしい思いと同時に、胸の温かさを感じていた。
あ、ちなみにナルトたち七班には、カカシさんは里外任務についていると説明している。
カカシさんが元に戻るまでの期間は、アスマ先生と紅先生に交代で面倒をみてもらっているが、カカシさんがいないと微妙に寂しそうな七班を見て、やっぱりいい先生だったんだと、カカシさんを誇らしく思った。
まぁ、とにかく概ね俺たちの共同生活は良好だ。ただし、






「あぁ〜? こいつ拗ねてやがんのか? おい、おいおい」
頭だけを隠して不貞寝しているカカシさんの尻を足で突きながら、アスマ先生が野次る。
「アスマ先生、止してくださいよ。さっきも一騒動あったんですから。…って、あ、『焔』じゃないですか! どうしたんです、こんな上等なもの飲んじゃってもいいんですか?!」
ちゃぶ台を出し、つまみを乗せながら、アスマ先生が持ってきてくださった吟醸酒を見て感歎の声をあげる。
これは年に数本しか市場に出回らない、レア中のレアな酒だ。
「あぁ、紅のヤロウがな…。まぁ、お前もガイもイケル口だし、オレも飲みたかったんでな」
ぶっきらぼうに言うアスマ先生はいつになくかわいく見える。ふふ、分かっているんですよ、アスマ先生。
いつも隣にいた女、けれど馴れ合い過ぎた時間に二の足を踏む男。
えぇ、えぇ、分かっていますとも、アスマ先生!! 俺はモテない男の味方です。微力ながらお手伝いしますとも、任せてください!!
ふんと鼻息を荒くする俺に、何を勘違いしたか、アスマ先生はお前も嬉しいか、そうかと笑っている。
…普段、面倒クセェと言い放つアスマ先生だが、人の笑顔を見ることに喜びを見出す、いい人だと知ったときは、涙が出るかと思った。……顔で損しているよなぁ、アスマ先生……。






カカシさんと一緒に生活し始めて、俺の付き合いも随分変化したと思う。今まで及び腰だった上忍たちと、家で飲み会をするなんて、昔だったら思いもつかなかった。
だが、いいこともあれば悪いこともある。
この飲み会が開かれる時、必ずカカシさんは癇癪を起こすようになってしまったのだ。
「こんばんわ〜、やっだ、またカカシお冠? あんたいい加減、その狭量直さないと、イルカ先生に捨てられるわよ」
「紅先生!!」
明るい挨拶の声と同時に、軽く毒を吐く。
う、うぅぅと小さく鳴くカカシさんの声を聞きつけ、慌てて駆け寄った。
「大丈夫ですよ、カカシさん。そんなことは絶対ありませんよ。俺はずっと側にいますから。――紅先生、冗談とはいえ、そういうことは口に出さないで下さい!! 傷つくんですからッ」
悲しそうに鳴くカカシさんの背を撫でていれば、「もう、イルカ先生ってば甘すぎ。そんなのカカシの演技に決まっているじゃない」と、紅先生はなおも言葉を繋いできた。
大人の女性で、色気たっぷりの美貌のクノイチだと思っていた紅先生は、口が悪くて結構がさつ、でもお茶目なかわいらしい女性だった。
女性特有の鋭い指摘に、度々、こちらの精神がへし折られることもあるけど…。
「ヨォ! 青春しているかッッ」
紅先生のすぐ後ろから、待望のガイ先生がやってきた。わー、ガイ先生だ、ガイ先生だ!!
俺も尻尾があればブンブンとそれはもう盛大に振っていただろう。
ガイ先生とは、カカシさんの護衛任務当番の時に知り合った。
前々からそのご高名は愛弟子であるリーからちょくちょく聞いていたが、実際に会うのではインパクトが違った。
ガイ先生は初めから最後まで常に男らしく、何とも熱く、それなのに爽やかでいて、まさに俺が目指す理想の男だったのだ…!!
「ガイ先生、いらっしゃいませ、こちらにどうぞ!! アスマ先生がいいお酒を―」
嬉々としてガイ先生を迎えに立ち上がろうとすれば、裾をくんと引っ張られる。
何だと下を見れば、カカシさんが俺のズボンの裾を咥え、行くなと目で訴えていた。
あぁ……何ていうか……。
「おぉう?! なんだ、なんだ、カカスィ、お前、まだイルカにべったりなのか。ううん、いかんなぁ、男たるもの、大事な人を守ってなんぼだ! そんな足元に縋り付いているようでは、まだまだナイスガイとは言えんなッ。そうだろ、イルカッッ」
「その通りですッ、ガイ先生ッッ!!」
まるで天の啓示のように降ってくる、熱い言葉の数々に、俺は感動しまくりだ。
あぁ、まるで水洗便所のように光り輝く白い歯といい、親指を立てて小粋にポーズする姿といい、その自信に満ち溢れた言葉といい、何度見聞きしてもうっとりしてしまう。
ガイ先生! 俺、ガイ先生と出会えてほんッッッとうに良かったぁぁ!!
「おう。それでは、今日は熱く飲むか、イルカッッ!!」
「はい、お供いたしますッ」
肩を組んで、席につこうとするなり、突然割って入る存在が現れる。
俺とガイ先生の中に入ろうとするなんて、この中にはたった一人しかいない。
「…………カカシさん…、何、やってんですか?」
ふんと鼻息荒く、俺とガイ先生の間を占拠したカカシさんに、恨みがましい視線を向ける。
カカシさんも強情なもので、俺の不機嫌な声に一向に怯まず、堂々とそこを占拠し続けている。
「カカシさ―」
今日ばかりは譲れないと声を張り上げたが、今日もまた遅かった。
「おうおう、何だ、カカスィー、そんなに俺と熱い友情を築きたいか。そうか、そうか。ならば、受けて止めてやるのが友情というものだッ! よし、今日はあの酒の飲み比べだッッ」
「ちょっと待てッ! お前、『焔』だぞ?! 酒飲みが一度は飲んでみたいと言われる幻の……って、待てぇっぇぇぇ!!」
吟醸酒を真ん中に押し合いへし合い、飲み比べから争奪戦となった場を退きつつ、俺は儚いため息を出した。
勝負好きのガイ先生のことだ。
アスマ先生とカカシさんを巻き込み、俺には入り込めないコアな勝負の世界へと雪崩れ込んでしまうのだろう。
今日もまた、ガイ先生と飲めなかった。






がくりと肩を落とす俺に、紅先生がコップを持たせてくれる。
慰めてくれる紅先生の優しさに、じんと胸を震わせていれば、たった今奪い合っていた吟醸酒を傾け、酌をしてくれた。
「え? え、え?!」
思わず声を出す俺に、しぃーと唇に人差し指を立てる。
「幻術よ、幻術。わたしを誰だと思っているの?」
手酌を慌てて阻止し、紅先生のコップにお酒を注いだ。飲みの席とはいえ、里屈指の上忍三名を幻術にかける手腕に恐れ入る。
「ありがと」
赤い唇を引き上げ、礼を言う紅先生はとても綺麗だ。
何となく気恥ずかしくなって、「いえ、あの、こちらこそ」とごにょごにょ言えば、笑われてしまった。
水かスポーツ飲料水かと見間違えるほどに、ぐびぐびとあおる紅先生の飲みっぷりはすごい。
酒は好きだが、油断すればすぐに酔い潰れてしまう俺はちびちび飲んでいて、どちらが男らしいのか分からない。あ、でもやっぱうまいぃ。このとろみのある中に、ハッとくる清涼感がたまんないんだなぁ。
つまみはやっぱり海苔でしょうと、パリパリ食べながら、ちびちびやりつつ、空になった紅先生のコップに酒を注ぎ、二人で『焔』を楽しんだ。
どれくらい飲んだだろうか、紅先生は不意に真顔になって、酒を煽る手を止めた。そして、瞬きもせずにある一点を見詰めている。
どうしたのだろうと窺う先を見れば、そこにはカカシさんの姿がある。
カカシさんがどうかしたのかと声をかける寸前、紅先生の口が開いた。
「ねぇ、イルカ先生。わたしね、この空間が好きよ。皆でワイワイやって、わたしもアスマも馬鹿言って笑い合っている。…ガイはいつもああだからどうでもいいんだけど」
ガイ先生がいないで何の飲み会ですかッと半ば喉まで出掛かった言葉は、紅先生の笑いたいのに笑えない複雑な表情を見て、露と消えた。
「紅先生?」
いつもと雰囲気の違う紅先生に、浮かれた気分が遠くなる。
紅先生は目を細ませて酒を口に含み、そして、酒を味わうかのように自分の言葉を口の中で回し、俺に告げる。
「特にカカシがね、あんなに嬉しそうにしているとこ見るのは初めてなの。結構、腐れ縁続いているのにね。あの男が、ああやって、人間らしい一面持っていたんだって思えると、ほっとするわ…」
今、犬ですよ。ほんと、しょうもない甘ったれの駄犬ですから!!
紅先生の真面目な空気に、口には出来ないものの、心の中で大いに叫ぶ。
カカシさんてば、いっつもアレだ。
俺とガイ先生の仲を引き裂くわ、語らせないわ、修行さえも認めさせてくれない。そればかりか、俺とガイ先生がカカシさんの目のないところで会った日には、どうやって知るのか不明だが、癇癪を大爆発させる。おかげで俺は、夜も眠れずにカカシさんと追いかけっこをする羽目になってしまう。
癇癪起こすと、俺のパンツ咥えて脱走するの止めてくれないかな。家の中でさえ、噛んだり、振り回したり、鼻うずめてみたり、ついこの間なんて被って………うぅっ!!
三十路近い美貌の男が、俺のパンツを被っている衝撃映像なんて見たくはなかった!!
悲しい映像を思い出してしまい、堪らずくぅぅと唸る。すると、紅先生は何を勘違いしたのか、慌てて言葉を継ぎ足した。
「そんなに心配しないで、先生。カカシ、今は本当に幸せそうだもの。きっと大丈夫。ええ、きっと大丈夫よ。だから、ねぇ、先生――」
ぐっと前に乗り出してきた紅先生に、俺はちょっと驚いて後ずさる。
こんな現場をアスマ先生に見られたら事だ。豪胆で大らかそうなアスマ先生だが、紅先生に関しては狭量に違いないと、俺は見ている。自分の恋愛はからっきしだが、人の恋愛はよおく見えるってな!
紅先生はどこか縋る様な目でこちらを見つめてきた。ちょっとちょっとまずいですよ、紅先生! そんな目で見られても困りますって!! 俺、ちょっと、俺!!
「イルカ先生…」
掠れる声で名を呼ばれ、柔らかい手が掌に重ねられた。鼓動が大きく鳴る。
ま、まずい。最近、カカシさんの世話ばかりで、夜の方は御無沙汰だった。
縋るように潤ませた瞳に、少し開いた赤い唇、頬をサクラ色に染め、前乗りでにじり寄って来るシチュエーション。
思わずごくりと生唾を飲み込んでしまった。や、ヤバイ。いや、違う違う!! こんなことバレたら、俺、アスマ先生に殺されちまうッッ。ひぃぃぃぃ、誰か、助けぐふぅぅ!!






俺の助けを呼ぶ声は天に通じたのか、横から衝撃が襲ってきた。
間の抜けたことに全神経が紅先生へと向いていたせいで、受身も取れず横向きざまに倒れてしまう。
「わんわん!!」
目を開ければ、カカシさんのドアップが映る。そしてぺろぺろとやたらめったに顔を舐めてきた。
「ふ、あははははは、くすぐったい、くすぐったいって、カカシさん!!」
俺の笑い声に興奮してきたのか、ますます舐めてくる。
勢いあまって、口に食らいついてきたところで、ストップをかけた。最近、カカシさんは執拗に口を舐めてくることがある。
おかしい、おかしいと思っていたが、あるとき、その謎はついに解けた。
この前、一つしかない大福をこっそりカカシさんに内緒で食べたとき、カカシさんは俺を引き倒し、口元を嘗め回したのだ。そこで俺は気がついた。
うわぁ、上忍って侮れねぇ! 大福の匂いを嗅ぎつけやがったのか!!
一人でうまいものを食べたなという、怒りの意思の表れだったのだ。いや〜、真実を知った時は戦慄したね。もうカカシさんに内緒で食べたりできないな。
今回はこの吟醸酒を嗅ぎつけてきたのだろう。
「はいはい。分かりましたから、こっちにあります。はい、こっち」
体に圧し掛かっているカカシさんを横に退け、自分の飲んでいた吟醸酒を見せる。
「くぅん」と何とも情けない声を上げるカカシさんに、はいはいと返事をして、コップを唇に押し当て、少しずつコップを傾けていけば、カカシさんは美味しそうにごくごくと飲み始めた。
口端から零れ伝った酒を親指で拭い、もったいないのでぺろりと舐める。
「おいしいですか?」
「わふ」
気が済んだのか、尻尾をぶんぶんと振り、肩口にカカシさんがもたれかかってくる。
そのままぽんぽんと背中を叩いてやれば、くふふと小さく息を漏らす。このときの少し口を突き出し、上に引き上げるようなカカシさんの笑い方が好きだ。
上目線で笑いかけるカカシさんに向かって、俺も笑みを浮かべる。
そのまま膝に頭を置いて寝る姿勢に入ったカカシさんを見届けたところで、周りが静かになっていることに気がついた。






「あれ? どうしたんですか。お酒飲まないんですか? つまみもまだ残っていますよ?」
里屈指の上忍三人が、揃いも揃って口を開けて固まっている様がおかしい。
こみ上げてくる笑いをかみ殺しながら首を傾げれば、いち早く強張りから解けたアスマ先生が頭をがしがしと掻いた。
「こりゃ、まいった。自覚なしかよ…」
……自覚? 一体、何の?
きょとんと瞬きする俺に、ガイ先生がぐっと親指を立てる。
「よっし、分かったぞ、イルカ! 俺も男だ。ここは俺に任せて、お前はカカシの側にいてやれッッ。なぁに、これも青春だッッ」
そう言うなり、目にも止まらぬ素早さで卓袱台に置いてあったつまみや酒など、ありとあらゆる物を流しに持っていき、水を捻るなり、手早く洗い始めた。
「え、え?! ガイ先生、俺、洗いますから、置いていてくだ」
腰をあげようとしたところを紅先生に制された。
指が指し示す先には、寝息を立てて眠るカカシさんがいる。それがどうかしたのかと顔を上げれば、紅先生は苦笑を漏らした。
「自覚ないって本当に厄介ね。ま、逆に安心したわ。ここまでしっかりと繋がっているなら、大丈夫ね」
さきほど見せた笑みとは打って変わり、安堵した柔らかな微笑を浮かべる紅先生。
よくは分からないが、良かったと思う。綺麗な顔が、あんな笑い方をしてはもったいないってもんだ。
「じゃ、オレらは帰るわ。残りの酒は珍しいもん見せてくれた礼だ。くれてやる」
煙草を咥え、にっと笑みを見せるアスマ先生に、分からないながらも一応礼だけは言っておく。
「ありがとうございます」
そうこうしている内に、ガイ先生が颯爽と現れた。
こんな狭い部屋で空中宙返りをしながらのエントリーだ。くぅ、キマってる! 痺れるぅぅ!!
「イルカッ、俺が全ての食器を片付けたぞ! なぁに、礼はいらん。少々、脆い食器だったが、それも仕方ないことだ。なに、割れ物は全て燃やして塵あくただ、何も問題はない!!」
「はい、ガイ先生、その通りですッッ!!」
ビッと向けられた親指に、愛弟子の生徒を参考にビッと敬礼をして返す。
あぁ、ガイ先生、白い歯が今日も一段と眩しくて素敵ですッ。台所がかなり焦げ臭いけど、ガイ先生のしたことなら全てが許せます!
俺の声がよっぽど耳障りだったのか、カカシさんがうぅうっぅと唸った。
ふと下を見れば、眉間に皺を寄せ、足掻くようにして手をかいている。ひくひくと耳まで動かし、尻尾までばたつかせている。
嫌な夢でも見ているのかなと、ちょいちょいと眉間を撫でてやれば、ふっと力が抜けた。そして、再び規則正しい寝息に戻っていく。
そのあまりの変わり身の早さに、ぶっと吹いてしまった。
ひーひー笑う紅先生、肩を震わせ煙にむせているアスマ先生、うんうんと感じ入りながら涙を流し微笑むガイ先生。
あったかい空気が満たす、この瞬間が好きだ。
上忍とか、中忍とか、忍とか、そんなのが一切なくなったこの空間が何よりも大事だと思う。そして、その輪の中心にいるカカシさんが何よりも愛しい。
眠るカカシさんの髪を梳きながら、こんな時間がずっと続けば良いなと思った。






さすがに見送りにはいかねばと、カカシさんの頭を座布団に移し、玄関先へ出ようとすれば、三人は側にいてやれと俺を押しとどめる。
そうはいかないと無理やり玄関先へ進めば、外は暗闇に没していた。
夕暮れ時に始まった飲み会は、気付けば深夜を回っていた。
つっかけに足を突っ込み、目前の通りまで一緒に出る。別れ間際、紅先生に声をかけられた。
「ねぇ、イルカ先生」
「はい?」
「カカシの側にずっといてくれる?」
唐突な問いに面食らう。何と答えていいものか、迷っている俺に、紅先生は心持ち真面目な顔をして続けた。
「任務は抜きにして、考えてみて。イルカ先生の気持ちが知りたいの」
どうしてそんなことを言わなくちゃならないのかとか、なんでアスマ先生やガイ先生も真剣な瞳で俺の言葉を待っているのかなんて、そんな疑問が過ぎりもしたけど、俺は苦笑しながら今、心にある言葉をそのまま言った。
カカシさんを思ってくれる友人である彼らに、嘘をつけるはずもなく、誤魔化したくもなかった。
「カカシさんが望んでくれるなら、一緒にいたいです。ずっと一緒にいて、こうして暮らして……生きたいです」
俺の言葉の意味がそのまんまダイレクトに伝わったらしい。
一瞬、ぎょっとした表情を見せた三人に、さすが上忍と感服するやら、照れ臭くなって、鼻傷のあたりをかりこりと掻く。
「――わかったわ。ありがとう、イルカ先生。わたし、イルカ先生のこと好きよ」
突然飛び出した爆弾発言に、一瞬ときめいたものの、すぐさまアスマ先生の存在を思い出し、顔が青くなる。うわ、ヤバイッ。さっきアスマ先生を応援するぞと意気込んでいたのに、邪魔者?!
おそるおそるアスマ先生を窺えば、アスマ先生はふてぶてしい笑みを浮かべ、「まぁな、その気持ちは分かるがな」と余裕の態度を見せてきた。アスマ先生、かっこいい…。これぞ、男の余裕ですね!!
「イルカッッ、俺は猛烈に感動した!! そうか、そうかそうか! これが青春だな、俺はお前たちを見守るぞ!!」
バシバシと肩を叩くガイ先生の激励が痛くも嬉しい。
「ありがとうございます、ガイ先生!!」
ぐっと拳を握れば、ガイ先生も拳を握って、俺の拳にこつりと当ててくれた。うっわー、俺どうしよう。もうこの右の甲は洗えねー!! 永久保存だっ!
「面倒くせぇなぁ。おめぇがちょっかいだすと迷惑だろうが。さっさと帰るぞ」
「ん、何だ、アスマ。さては、イルカのように俺の拳を突き合わせたいんだな? よっし、乗った!! 今宵は俺とお前とで勝負だ。さぁ、かかってこいッッ」
先に歩き出した男二人に、紅先生がこちらに手を振り、歩き出す。
三人の背に「おやすみなさい」と声をかけた。






急速に静まり返る中、アスマ先生たちのやり取りが夜中の道へと響く。
三人の姿が見えなくなるまで見送り、小さく笑う。今日も楽しかった。
巡回ご苦労様ですと、屋根の上を通り過ぎた影に頭を下げ、玄関の鍵を閉めた。
しんとした室内に、時計の針の音がかちこちと鳴り響く。祭りは終わったと告げる寂寥感が不意に訪れるが、今はちっとも怖くない。
台所の惨劇はまた明日やるとして、居間で寝転がっているカカシさんの側までゆっくりと近づいた。
飲み会をした後の、閑散とした空気はひどく苦手だった。けれど、今は違う。
「カカシさん」
小さく名を呼んで、無防備に眠る存在の傍らに座り込む。
くすーくすーと自分以外の呼吸をする音が愛しいものだと知ったのは、カカシさんが初めてだ。
ナルトのときは、微笑ましかった。これから成長していくだろう少年に、嬉しいような寂しいような複雑な感情を覚えつつ、大きくなれと願った。
「なんだろうなぁ、この気持ち……。なんか、あったかいんですよ」
眠るカカシさんの銀色の髪をゆっくりと撫でる。急に触ったせいか、もそもそと身動きをするが、決して嫌がってはいない。口元が自然に上がる。
もう少し、このあったかさを味わっていたかったが、カカシさんを見て眠くなってきた。風呂は明日の朝にして、今日は寝ちまうか。






面倒だとは思いつつ、カカシさんに風邪を引かせてはいかんと、布団を引っ張り出し、心持ち程度に体裁を整えて、寝床を作る。そして、カカシさんの背中と膝に手を差し入れ、持ち上げる。
「よい、しょっと」
俺と同じ体格だが、さすがに俺より鍛えられているだけあって、重さが違う。
抱えるのは重労働だが、カカシさんの安眠を妨げたくなくて、俺は足を踏ん張って背筋に気合を入れた。
歯を食いしばって、そっと布団の上に横たわらせ、布団を掛ける。隙間風が入り込まないように、体に沿って布団を軽く押さえたら、お終いだ。
次は俺の布団だと、足を踏み出した瞬間、くんと引っ張られる感覚がした。
視線を落とせば、いつの間に起きていたのか、目をぱちりと開けてこちらを見上げるカカシさんがいる。
くんくんと鼻を鳴らし、裾を引っ張る様に、苦笑いが零れ出る。癇癪を起こした日は一緒に寝ないと決めていたのだが、今日はいいかと了承した。
俺が許したことに気づいたのか、くんくんと嬉しそうに鼻を鳴らし始めるカカシさんに、しーと唇に人差し指を寄せて静かにさせる。
居間の電気を消し、髪紐を取ってカカシさんの隣にもぐりこんだ。
早速張り付いてきたカカシさんに、苦笑しながら一応言った。
「言っておきますけど、風呂入ってないんで酒臭いですよ? って、もう遅いか」
ごそごそと俺の肩口に頭を乗せ、所定の位置を確保したカカシさんからはすでに寝息が零れ落ちている。
いつも思うけど、この人、眠るの早いよなぁ。これも上忍スキルかな…。






「おやすみなさい、カカシさん。また、明日…」
鼻をくすぐる銀髪に向けて、小さく囁く。
人の温もりが気持ちいい。カカシさんの呼吸音が心地よい眠りを誘った。
カカシさんの眠りに引きずられるようにして、俺はゆっくりと眠りに落ちた。
これが、最後の夜だとは知らず、俺はいつものように、いつもの温もりを抱きしめて眠った。
紅先生の言葉の本当の意味も知らず、これからもずっと続くと思い続け、ただただ幸せに浸りきっていたんだ。













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けもみみしっぽ2