誰かが誰かを殺し、その殺した誰かをオレたちが殺す。
来る日も来る日も、死ばかり。
他人の死を見つめながら、自分の死を思うことが多くなった。そのとき、決まって思い浮かぶのは、イルカの顔だった。
シロの死を知り、無理矢理笑みを作って泣いた顔。オレの胸にしがみつき、声を殺して泣いたイルカ。
あのとき、シロと叫んだ声を、自分の名に置き替える度に、甘美な陶酔に襲われた。
イルカがオレの名を泣きながら、呼ぶ声。悲嘆にくれ、涙を零し、オレを乞い求めながら、体を震わせる。
やがて、オレの死を泣くイルカは、ある日を境に、オレの下で泣くイルカに取って代わられた。
切っ掛けは、夢だったと思う。
オレのベッドの中に、あのときのイルカがいて、オレの胸に縋りついて泣いているのだ。その涙を何とか止めたくて強く抱きしめていれば、イルカが「それじゃ足りない」と言った。
どういうことだと体を離した瞬間、イルカはオレの唇に自分の唇を触れ合わせると、熱い息を零し、濡れた瞳で淫らにこう言った。
「もっと、カカシを感じさせて」と。
そこから、もう、びっくりな展開だった。
快活でクソガキだったイルカの影の形もないほどに、イルカは妖艶な笑みを浮かべると、オレのものに手を這わすなり、積極的に指を動かした。それはどの女と寝た時よりも気持ち良くて、自分も触ってくれと強請るイルカの色香に負けて、獣のように貪った。
イルカの歳や性別なぞ考えもせずに、オレはイルカに何度も挑み果てた。
腰が痛くなるほど挑んで、イルカの痴態に煽られてもう一度と手を伸ばした時、目が覚めた。下肢には、あんまり考えたくないような感触が広がっていて。……まぁ、そういうことだ。
それから、オレは認識を改めた。
どうやらオレは昔からイルカのことをそういう意味で見ていたようだと。
だいたい近所のクソガキが犬と仲良く戯れる姿を見て、どうしていちいち嫌味を言わなければならないのか。
あのときのオレは、イルカといつも一緒にいるシロに、嫉妬していたに違いない。犬に嫉妬するガキな自分を恥じたが、それだけ真剣だったということにしておく。
暗部なんてものに入っているせいで、イルカと直接会うことはできなかった。
たまに里に帰る度にイルカを見に行くのは、オレの長年の習慣だったが、イルカに対する思いを自覚してからはどうにも困った。
今までは少しずつ成長していくイルカを、微笑ましい気持ちで見ていた。穏やかな気持ちで、大人になっていくイルカを見守っていたのに。
それがどうだ。
ぶっちゃけ、襲いかかりたい。
イルカが何気なく頭を掻く姿や、飯を頬張っている姿、よだれを垂らして寝ている姿など、あらゆるイルカの姿に刺激されて、オレは自分の欲望と闘うことを余儀なくされた。
このままでは、何かの拍子でイルカに襲いかかってもおかしくないと思えた。会いに行くのを止めて、廓にでも行けばいいと思いはしたが、そのときからオレはイルカでしか抜けなくなっていた。
たまに里へ帰えることができる僅かな機会に、成長したイルカをつぶさに観察して、会えない時用のストックを作らなければならないし、年頃になったイルカに群がろうとする狼たちへ牽制しなければならないし、とにかく会いに行かないという選択肢はあり得なかった。と、なると、もう自分の欲望との闘い次第に任せるかと、半ばその日を楽しみにしていた時。
三代目がオレに言った。
「カカシよ。長期任務を命じる。里のいといけな忍びに現を抜かせるお主には軽いもんじゃろ」
このときの、笑った顔で冷たい眼差しを送った三代目を、オレは忘れない。
後々に知ったことだが、三代目は九尾の事件で親類縁者のいないイルカを引き取ったことが縁で、それはそれはイルカを猫かわいがりしていたようだ。
イルカには然るべき時に自分が最良の嫁を見つけてやると公言して憚らず、イルカに邪な気持ちを持って近付く輩は容赦なく左遷させていたらしい。
オレに関しては、今まで虫除けとしてオレの価値を認めていたが、徐々にイルカを見つめる視線に邪なものが入ってきたことを感じて、めでたく長期任務と相成ったようだ。
冗談じゃなかった。
このときオレは、絶対に生きて帰ると誓った。このままイルカに会えず、オレの存在も知らず、三代目が見繕った良家の娘と結婚させて堪るかと、それはもう生きることに貪欲になった。
オレだけが生き残っても、いずれ危うくなる。周りの協力がなければ任務遂行は無理だと判断し、せっせと周囲の生存確率を上げ、想定される敵の動きや、罠、同盟国の動きをつぶさに観察し、仲間内の士気を上げつつ、あらゆる角度から作戦を練り直し、仲間内で議論し合い、一丸となって任務へ当たった。
それが功を奏したのか、生存率が絶望的だった長期任務は、予想されていたよりも遥かにうまく事が運び、全員生還という奇跡的な結果を生み出した。
以前からオレの名は度々、他国の間でも出ていたが、その任務を成功してからというもの、オレの名は広く知れ渡り、木の葉を代表する忍びとして語られるようになった。
そして、とうとうオレは里に帰ってきた。
一種のお祭り騒ぎになっていた里へ帰ってきたオレに、三代目は本当に渋々といった様を隠さず、暗部を辞め、上忍師になるように求めてきた
待ち望んでいた、里常駐の機会だった。
これを逃す手はないとばかりに、一も二もなく頷いたのに、肝心の子供がどうしようもなかった。
例え里常駐になりたかろうが、自分の下につく子供はきっちり選別したい。ここだけは譲れないと、課した試験をクリアする子供は誰もいなかった。
歯噛みしつつ、三代目に何度上忍師を辞退したことだろう。だけど、今年は。
ふふふと笑って、眠るイルカの頭を胸に抱きしめる。
オレが育てたいと望んだ子供たちを育てたのは、イルカだった。やっぱりこれも運命だーね。
あのときの感情を思い出して、嬉しくて広い額に口付けを降らせていれば、「うーん」とイルカが苦しそうに呻いた。
子供たちからイルカを紹介され、新しく関係を作るには最高のスタートだと、オレは喜んだ。
まずは子供たちを出汁にして、距離を近付けていこうと目論んでいたのに、オレは自分の認識の甘さに呻くこととなった。
子供たちという超強力なパイプを持っているのに、イルカはオレに話しかけることはなく、聞きたいことがあれば子供たちに直接聞く徹底ぶり。
オレに話しかけるのは、連絡事項と、受付任務の応対だけ。他は一切ない。
子供たちの昔の話を聞かせて下さいと飲みに誘えば、鞄から書類を取り出し、あらかじめ作っておきましたと笑顔で分厚い書類を渡された。
イルカは取りつく島がなかった。徹底的にオレを、いや、上忍という人種を避けていた。
すげなくかわされるオレを見て、イルカの隣で受付に出ていた三代目は、それはそれは嫌らしく笑みを浮かべた。
それを見て、オレは確信した。
それとなくイルカを上忍嫌いに仕立て上げたのは、この人だと。
イルカは三代目を骨抜きにしたことからも、上役の者に好かれる傾向にある。それを分析したが故の布石かと、このときほどオレは計算高い三代目を恨んだことはない。
そのまま、オレのアプローチをことごとくかわし、一向にイルカとの距離が縮まらず、途方に暮れた時だった。
ある任務で、敵の術をもろに食らった。獣使いだった敵が放った術は、人の精神を獣に変える術で、獣になった者を使役して同士討ちすることを目的に作られたものだった。
だが、獣になったオレは、たった一人の者に忠誠を誓う犬に近かった。当然、己の命を賭けても忠誠を誓ってもいいと思える相手はたった一人しかおらず、声高に命令してきた胡散臭い獣使いに牙を向いた。
人としての意識はあるが、獣になったオレの体は全く自由にならず、本能のまま好き勝手に行動した。
スリーマンセルで組んでいた仲間たちが止めるのも聞かず、一人で勝手に里に帰り、上機嫌でイルカに会いに行こうとして、四足で歩く不審なオレを偶然目撃したアスマと紅に御用となった。
そのまま火影宅に監禁され、世話役なんてものもついたが、そいつのセクハラ攻撃が腹に据えかねて、獣なオレは半殺しにしてしまった。
三代目にも牙を向き、誰一人側に近付けないように威嚇するオレに困り果て、比較的大人しく接すことが出来るアスマと紅両名に、新しいお世話役を選ぶ任を与えられ、オレは路上で段ボールの中に入ることとなった。
その路上が、イルカ先生の帰宅路だと知っていた獣なオレはそれはそれは大人しく段ボールで待っていた。
もうすぐここを通ると待ちに待ちかまえて、とうとう待望の人はやってきた。
イルカは動物の中でも、特に犬好きだということを知っていたオレは、犬のように吠え、甘えた。イルカが大好きであろう仕草を如何なく発揮し、見事イルカの心を射止めた。獣のオレ、グッジョブ。
そこからは素晴らしい日々だった。
イルカが帰る家で待つ暮らし。
イルカの生活の一部になる幸せ。
だが、悔しいことに、獣のオレは所詮獣だった。そして、獣といえどもとんだバカ獣だった。
それはそれは美味しそうなイルカを目前にして、獣のオレはイルカに撫でてもらいたい、抱きしめてもらいたい、一緒に遊びたいという、子犬が考えるようなことで頭が一杯だったのだ。
人としての精神は欲情しまくっているのに、獣のオレは可愛らしい欲求ばかりで、何度涙したことか。
不意に、前触れもなく人間になった時は歓喜した。これで、イルカと思う存分乳繰り合えると信じて疑わなかったのに、再び、オレは地獄に落とされた。
元に戻ったら報告に来いという三代目の言いつけもあり、とりあえず報告しに行けば、そのまま即、子供たちとの任務に行けと言われた。
書き置きも何もせずに出てきたし、イルカと色々話したいこともあり、オレが渋ると、三代目は火影命令の一言でオレを子供の元へと強制的に送りだした。
久しぶりに会う子供たちは元気いっぱいで、オレが留守の間、それなりに寂しかったのだと可愛いことを言ってくれた。
子供たちの気持ちも嬉しくて、イルカにはまた後で言えばいいかと思ったのがそもそもの間違いだった。
この度、子供たちに任された任務は、とある金持ち屋敷の草むしりだった。オレたちに任されたのは屋敷の外周の草引きで、金持ちの慈善事業の一環で、屋敷に面している通りの清掃活動も範囲に入っていた。
広過ぎるだ、人が通って邪魔だなどとぶつくさ文句言う子供たちに、適当に発破をかけていれば、女の声がした。
「カカシ、会いたかったわ」
声の主は、あの長期任務に共にあたったくの一だった。
長い黒髪の女で、イルカの髪質によく似ていたから、時々、触らせてもらって、ストックしたイルカの記憶を強化することに使っていた。
手を出す訳でもなく、時々呼んで髪を触るだけの関係だったのだが、女はオレを見るなり、頬を染めて秋波を送ってきた。
「私、実は初めてだったの。カカシが我慢強く、私のことを大切にしてくれて、本当に嬉しかった」と、一体何の話ということを言ってきた。
会話の内容から、敏いサクラとサスケはオレに対してとんだ冷たい目を向け、ナルトはナルトで、「カカシ先生の彼女か?」などと、勘違いした女の気持ちを盛り立ててくれた。
「今日、私、里に戻ったの。何も言えなくてごめんなさい。ずっと待たせて、悪かったわ」
と、どうしてそうなったという発言をぶちかましてきて、オレは慌てふためいた。
「違うから」「誤解だから」「オレはあんたに興味ないから」と何度言っても、女は子供たちの手前で恥ずかしがっているのだと超理論をかまし、何を言っても聞き入れてくれなかった。
そんなこんなでオレが女に絡まれている間、子供たちは黙々と作業を続け、任務を終えた。
受付所へと報告しに行く時にも、女はオレについてきた。
「オレには好きな人がいる。その人の髪とあんたの髪質が似ていたから、あんたの髪に触れたんだ」と、説明するオレに、女は照れないでいいのと微笑むばかりだった。
埒が明かないと、蔑んだ目でこちらを見る子供たちの視線から逃れるために、電柱の陰に隠れた。すると女はオレにしなだれかかり、甘える仕草で顔を寄せてきた。
冗談ではない!
女の肩を掴んで、身を遠ざけると、オレは女に言った。
「自惚れるな。オレには惚れた人がいる」「それはあんたじゃない」「彼女面してオレに近付くな。迷惑だ」と少々きつい言葉を放った。
すると、女はオレの言葉が少しは届いたのか、顔色を変えた。
そのときだ。ナルトがイルカの名を呼んだのは。
何か背後で叫んだ女を無視して、イルカの元へと飛んだ。ここでイルカと会えたことが嬉しくて、話をしたくて声をかけたイルカは、どこかおかしかった。
オレから視線を逸らし、オレの呼びかけを無視した。そして、オレの誘いから文字通り逃げた。
イルカの行動に、どうしていいか分からなくなった。
オレとイルカは、うまくやっていた。オレは獣だったけど、オレが抱きついても、押し倒しても、顔を舐めても、嫌悪の感情は見せず、くすぐったそうに笑って受け入れてくれた。
我儘な態度も取ったし、いっぱい叱られたけど、それでもイルカはオレの名を呼んで、嬉しそうに笑ってくれた。
ずっと側にいると、幸せにすると言ってくれた。
だから、獣じゃなくなっても、オレがオレになっても、イルカはオレを受け入れてくれると思っていた。オレが、獣の間も意識があったこと、イルカのことがすごく好きだったこと、それを伝えれば、イルカはオレと共にいてくれると信じて疑わなかった。でも。
ため息を吐いて、イルカの首筋に鼻を埋める。
思い出してきて悲しくなった。
一転してオレを避け始めたイルカの気持ちが分からなくて、不安で寂しくて、でも諦めることもできなくて、オレはイルカと暮らした家を、三代目から無理矢理買い取って、そこでイルカを待つことにした。
何日も、何日も。
イルカが帰ってこない家に帰り、イルカを待つ日々。
イルカとの思い出が濃く残る家で、思い返しては少し泣いて、くじけそうな気持ちを奮い立たせて、イルカの帰りを待ちわびた。
あのときの心細さがぶり返って、鼻に液体が流れてくる。鼻を啜れば、イルカの匂いが鼻をくすぐった。
そのことに安堵しながら、頭を擦りつける。
イルカは帰って来てくれた。
オレが待っているこの家に、帰って来てくれた。
オレが言おうと思った言葉よりも遥かに嬉しいことを言って、イルカは二度目の、でも今度はオレのための言葉を、土下座して言ってくれた。
そのとき、シロの気持ちが分かった気がした。
確かに嬉しい。確かに、幸せだ。
シロに対して、オレは複雑な感情を抱いている。
イルカを好きになった切っ掛けをくれて、そして、イルカの初恋相手で、イルカの愛の言葉をオレ以外に唯一もらった相手。
犬だからと、安易に考えられない。
子供の時のオレから見ても、あの二人はとても幸せそうだった。あの二人が寄り添う姿は、今もオレの胸を苦しませる。
でも、今日からはオレがイルカの伴侶だ。犬のシロはもういなくて、イルカはオレのものになったんだ。
イルカの肩口に頭を乗せて、イルカに抱きつく。これはオレのものなんだと、星になったシロに見せつけるべく、オレは所有権を主張した。
うんうん唸って身じろぎするイルカにしがみつき、シロが贈った四つ葉のクローバーより、もっと貴重で高価で、絶対イルカが失くさないような物を贈ろうと決めた。
なのに。