春
桜が咲く頃になると、必ず訪れる場所がある。
裏山にある、ひっそりと咲く桜の古木の下。
周囲は藪や林に囲まれ、見通しの悪いそこには、柔らかな草と平べったい石が一つある、日当たりがいいだけの場所。
何の変哲もないその場所に、興味を覚えたきっかけは今からどれくらい前のことだろう。
任務が終わった後の帰り道。
ふとした思いつきで裏山を登った。
日があるうちに任務を終え、暇を持て余したせいか、それとも春の陽気に誘われたせいか。
今となっては思い出せないが、俺は裏山の道なき道を駆けた。
そのとき、偶然見たのがその場所。
そして、柔らかい草の上の日溜まりに、丸まっている奇妙なものを見た。
その瞬間、駆けていた足が止まった。
年の頃は同じか少し下。黒い髪に、鼻に真一文字の傷がある少年が、体を丸めて眠っている。
その頭と尻に、黒い耳としっぽをつけて。
変な幻術にでもかかったかと解と印を組めば、その子供は幸せそうに閉じていた目をくわっと開き、体を起こすなり、こう言った。
「フーーッゥ」
そのときの俺は、幼いながらも大人に混じってBランクの任務を遂行していて、同い年の子供との接触は皆無に等しかった。
どう反応していいか分からないというよりは、子供とはこういうものなのかと、目の前のものを冷静に分析していると、その子供はもう一度「フーッ」と声を上げ、俺がいた場所とは反対方向へと背を向け、走り去ってしまった。
その後ろ姿を見送りながら、子供って変なのと思っていたが、今、思い返せば、十分に動揺していたのだろう。
それが証拠に、家に帰った俺は、あの少年の真似をした。あの子は黒い髪だったから黒耳と黒しっぽなのだろうと、銀髪に合わせて耳としっぽを銀色にした。
そのとき、偶然任務から帰ってきた親父がこっそり隠し撮りした写真のおかげで、後々、俺はとんでもなく恥ずかしい目に遭うことになった。
そんなこんなでそのときの奇妙な邂逅は、俺の何かを引っかき、時間のあるときはそこへ立ち寄るようになった。
最初こそ、とうてい友好的ではない声を発し、逃げる後ろ姿ばかりを見送っていたが、何度も顔を合わせるうちに、子供は俺が現れても逃げなくなった。
そして、あの子供と会える会えないを繰り返しているうちに、だいたいの法則を見つけることができた。
あの子供と会えるのは、天気の良い日の、昼頃。
昼までに任務を終えることは困難なことだったが、俺はどうしてか躍起になって任務を終わらせていた。
そして、耳としっぽを生やした子供が草むらで寝ている側の、平たい石の上に横になる。
同じ時間だけ眠るときもあったし、俺が先に帰ることも、子供が先に帰ることもあった。
特に何かを話す訳でもなく、するでもなく、お互いの定位置となった場所に寝転がり、温かい春の陽気を体中に浴びる。
まさに年寄りの縁側の日向ぼっこの風情だと、今ではそのシュールな光景に言葉を無くしてしまうが、当時の俺はそれが子供との交流の仕方だと本気で思っていたのだから、昔は若かったということになるのだろうか。
けれどあるとき変化が訪れた。
いつものように任務を昼までに終わらせた俺があの場所にやってくると、いつもは草のベッドで眠っている子供が、俺の定位置であるはずの石の上に寝転がっていたのだ。
明確な取り決めはしていなかったが、何となく面白くないものを感じた。
仕方なく、いつもは子供が寝ている場所へと寝転がる。ほどよく温もった柔らかい草のしとねは、想像していた以上に気持ちよく、あっという間に睡魔が忍び寄る。
いつも少々無理して任務を終わらせている俺には抗いがたく、そのまま深い眠りに落ちかけたとき、背中に温かいものが触れた。
忍の習性でびくりと体を跳ねさせる俺を宥めるように、背中に張り付いたものは柔らかく体を擦り寄せる。
閉じていた目をゆっくり開け、背後を見れば、子供が俺の背中に顎を乗せ、目を閉じていた。
初めての接触に戸惑う俺に、子供はうっすらと目を開け、ごろごろと喉を鳴らした。そして、目を細めながら一つ鳴く。
「にゃー」
ごろごろと喉を鳴らしながら、再び目を瞑って眠る体勢をとる子供を見て、ぎゅっと胸を引き絞られた。それと同時に胸が温かいもので満たされた。
「……一緒に、寝たかったの?」
脅かさないように、ひっそりと尋ねた言葉に、子供は背中に顔を擦り寄せゴロゴロと一際大きく喉を鳴らせた。
胸が違った意味で引き絞られた。鼓動が激しく波打ち、目の前の子供がとても可愛いものに思えた。
子供が石に寝ていたのは、子供流のお誘いだったんだろう。柔らかい草の上で一緒に寝ようと、遠回しに誘ってくれた。
照れ恥ずかしさもあるけど嬉しくて、初めて子供と分かり合えた気がして、俺は笑った。
背中に乗る子供の体をさらって、隣に寝転がせて、顔を合わせる。
俺の突然の行動に黒い瞳を大きく見開いたけど、止んでいた喉を再び鳴らし、子供は目を細めて俺の顔を舐めた。
「くすぐったいって、こら」
ごろごろという音に合わせて、俺の笑い声が弾ける。
それから、俺と子供は一緒に寝るようになった。肌寒い風が吹いてきたら、お互いを抱きしめて、子供の腕を枕にしたこもあったし、子供が俺の腹を枕にしたこともあった。
言葉はなくて、でも言葉なんかいらなくて、俺と子供はただ一緒に眠った。
春の日差しの中、お互いの呼吸と気配を感じながら、柔らかくて心地いい時間を過ごした。
終わりなんて見えなくて、この時間がずっと続くと、俺は疑いもせずに信じていた。
けれど、災厄は前触れもなく降ってきた。
親父の死から始まり、オビトの死、そして先生の死。
立て続けに起きた事柄を俺に回避する術はなく、変わらざるを得なかった。容赦なく進む流れに、俺は押し流された。
望めば望むほど、あの場所は遠くなり、それでも恋しくて、何度夢に見たことだろう。
そして、あの子供。
災厄は誰の身にも等しく訪れた。
その災厄に飲み込まれていないことを祈りながら、名前も知らない子供を思う。
その頃には、あの子供がいかに特殊な者だったことが分かっていた。
普通の子供にはない耳と尻尾をつけて、まるで本物の猫のような仕草をしたあの子供。
情報を求めようにも、その頃の俺は長い里外任務についていて、調べようにも調べることができなかった。
戦いに身を置く俺がようやく里に帰れたのは、それから長い年月が経っていた。
火影さまに上忍師となれと言われ、里に身を置くことができる幸運に感謝した。
挨拶もそこそこに真っ先に向かったのは、あの場所。
十何年も訪れていないそこに足を踏み入れ、目の前に広がる景色に言葉を失った。
ちらちらと花弁を舞わせていた古木は枯れ木の様を示し、記憶にあった柔らかい草はどれも枯れ果て萎んでいる。平べったい大きな石は記憶のままだったが、冬空のどんよりとした雲の下、冷たい印象だけを与えた。
記憶の中のあの場所と、目の前にある場所が同じ場所だとは信じられなかった。
まるで違う場所に思い出を否定されたみたいで、俺はその場所から背を向けた。
あの子供とはもう会えないのか、あの子供自体、あの場所自体、俺の都合のいい夢だったのではないかと思ったのも束の間、里に群生する桜の木に小さな芽を見つけ、目が覚める。
俺が通い詰めていた季節は春だった。
春に行けば、あの記憶の通り、桜が咲く季節に行けば、あの子供ともう一度会える?
それから俺は里の桜の開花を指折り数えて待った。
桜の芽が膨らみ、うす赤い蕾になる。
時折南風が吹き、温かさを感じ始めた頃、ちらほらと花が咲いた。
けれど、こういう時に限って、厄介な任務が入る。長期は無くなったが、短期、中期の任務が続き、気付けば桜はとうに散り、季節は夏になっていた。
一縷の希望をかけて、あの場所に行くが、やはりあの子供はおらず、記憶と違うその場所は俺によそよそしい印象しか与えてくれなかった。
そうして、一年、一年と、不運な巡り合わせで、春にあの場所へと訪れることができなかった。
けれど今年こそはと毎年思い続けた矢先、今年の春、俺の下に下忍がつくこととなった。
上忍師になれば、任務もぐっと減る。
まさに千載一遇の機会だと思った。
下忍合格を告げた子供たちが沸き返る中、子供たちは俺を引っ張り、報告したい人がいると満面の笑顔で告げてきた。
今、季節は春真っ盛り。
そして、里の桜は満開に咲き誇っている。
桜が満開の道を歩きながら、子供たちは今から会いに行く人の話をする。
ようやく掴んだ季節と機会に、本当ならば子供たちの誘いを断って、あの場所に行きたかった。でも、子供たちの熱心な希望を断ることも忍びなく、俺は子供の後ろについて歩く。
きゃーきゃー騒ぐ子供たちの頭上で、祝福するように咲く満開の桜を仰ぐ。
薄い青空からは、春の日差しを含んだ陽光が降り注ぎ、薄い桜色の花弁が光に当たり、白く輝かせる。
時折吹く風に乗り、ひらひらと花弁が降る中、歩を踏みしめた。
全く違う場所なのに、いつか見た光景と重なる気がして、胸が震えた。
確信に似た思いが沸き起こる。
きっと会える。
今日、俺はあの子供と会う。
会えなかった年月は長かったけれど、この気持ちを風化させることはできなかった。
それは、こう言い代えてもいいんじゃないか。
胸に浮かんだ言葉にとくんと鼓動が鳴る。
今すぐあそこへ行って、あの子供と、今では大きく成長したであろうその人に会いたい。
押さえ切れない感情が突いて出た。
やはり日を改めてもらおうと、子供たちに声を掛ける寸前、
「あ、イルカせんせーーーー!!!」
黄色い元気な子供が前方に見えた背中に大きく手を振り、駆け出した。それを皮切りに、黒と桜色の子供も走りだす。
呼ばれた男が振り返る。
「ナルト」と声を上げ、続く子供たちの名前を口に出して、大きく両腕を開いた。
瞬間、息を飲む。
目にとらえたのは、黒い瞳。そして、あの頃の面影を残した顔と、鼻の上に大きくまたがった傷。
子供たちの声に、歓声をあげて笑う顔は、一度たりとも忘れた事はない、あの子供の笑顔だった。
「カカシせんせー」と声が掛かるより早く、男の前に姿を現し、腕に閉じ込めた。
驚く気配に構わず、ぐっと抱きしめる。抵抗するような素振りも見せたが、力任せに背中を抱いた。
途端に鼻に香った、あの場所の草の匂いに胸が熱くなる。
胸にいるこの人は今も変わらずあの場所に通っていたのか。自分と同じようにあのときの時間を求めていたらいいのにと、痛む鼻を誤魔化しながら、空を見上げる。
今、季節は春。
桜といわず、里中の花が咲き誇り、その生を煌めかせている。
一重に恋しい人の眼差しを得んがために、その心を乞うように、花開き、恋するあの人との邂逅を待ちわびている。
春は恋の季節だ。
俺の長かった冬を終わりを告げる春の陽射しに感謝する。そして、言えなかった言葉を今、あなたに送ろう。
『俺の名前は、はたけカカシです。あなたの名前は?』
おわり
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ここの子イルカちゃんは中途半端猫コスですッッ。抱っこしたいッッ!!(危ない…)