しっぽ 1
最近、気になる人がいる。
その人のことを考えるだけで胸が高鳴り、甘酸っぱいときめきに満たされて身も心も騒ぐ――なんて、ことだったら、俺の人生そう捨てたもんじゃないなと思えるのに、あいにく俺の人生路線はそっちの方向へ行ってくれなかった。
というのも……
「何、その顔。何一つ満足できないくせに、不平不満は一人前てやつ? これだから『中忍はっ』て言われるんだ〜よ? アンタみたいなのがいるから、大多数の一生懸命頑張ってる中忍たちがバカにされてるの、アンタは何も思わない訳? 受付とはいえ、任務は任務でしょ。やることやりなさいよね。特にアンタは最悪だよね。誰かれ構わずにほいほい笑顔の安売りしちゃってさ、受付って笑ってればいいの? それなら、こっちの要望も聞いてほしいよね。アンタみたいなもっさいのじゃなくて、もっと可愛い子入れれば? だいたいアンタをどうして――」
額宛を斜めにつけ、覗いた眠たそうな目を他所へ走らせ、鼻先まで引っ張った布地の先から、布一枚あるとは思えないほどの明瞭かつ、通る声を響かせているのにも関わらず、声音は何とも人を食ったようなやる気のなさでこちらの神経を逆撫でる男が、俺の目の前に立ち、野良犬だって野良猫だって、はたまたハイエナだって食わない愚痴を永遠と垂れ流している。
隣の同僚が笑顔を浮かべ言う。
「お疲れ様でした。今日から三日間の休養になりますので、ゆっくり休んでください」
それに対し、同僚へ報告書を出した上忍らしき男が笑顔で手を上げる。
「おう、ありがとな」
にこりといい笑みでそれに応え、同僚は次の報告者へと顔を向けた。
何故だろう、同じ空間に居るのに隔離された気分になるこの空間は…。
受付所が込み合う午前10時だというのに、俺の受け持つ机から、楕円を描くように半径1メートルから先、人が寄り付かない。長い列を作る隣の報告者たちへ、「こちらへどうぞ」と笑みを向けてみるが、目も合わない。
隣の同僚だって同じだ。さっきから恨めしげな視線を送っているというのに、そ知らぬ顔で「お疲れ様でした」と言葉をかけ続けているのだ。
始めの頃は「大丈夫か」と気遣わしげな視線くらい向けてくれたのに、今では完全なシカトだ。
……あぁ、慣れって怖いよな…。今となっちゃ、俺は一人…。孤独だ、孤独……。
「ちょっと、アンタ聞いてるわけ?!」
俺と同僚の間に、いつの間にかできていた壁に凹んでいれば、いらついた声が降って来た。
くっそ、あと何時間ここにいるつもりなんだ、テメー……!! お前、上忍だろ?! こんなとこで油売ってないで、高ランク任務行ってこいッ。報告書はオッケーだって、俺、何度も言ったよな?!
思わずキッと睨み返すところを寸でで押さえ、俺は極力穏やかな目元を作り、ゆっくりと男へと視線を向きなおした。
すると、男は俺との視線が合うのも嫌だと言うほどに、目線を明々後日の方へ向け、再びぐちぐちとつまらない文句を言い始めた。
何度も繰り返されてきた同じ状況に、ため息がこぼれ出そうになる。
いい加減、飽きるなりして離れていってくれればいいものを……。
――そう、こいつが俺の目下の悩みどころ。いわゆる気になる奴。
もとい、扱いに困る、というか、何故か俺にだけ嫌がらせしてくる不可解人間。
男の名前は、はたけカカシという。
コピー忍者、千の技を持つ男と二つ名を持ち、里の至宝とも呼ばれる、それはそれは雲上人かというほどの者だ。
本来ならば、しがない中忍である俺とは間違っても知り合いになれない存在だったが、ひょんな偶然から俺たちは知り合いという間柄となってしまった。
俺の元生徒であるナルトたちの上忍師として、この男が任についたためだ。
始めこそ、男の経歴に恐れるよりかはどこか憧れにも似た気持ちを持っていたが、ナルトたちの紹介で実物に会った途端、その憧れも無残に散った。
初対面の印象は『胡散臭い』だった。
人を見かけで判断してはいけないと、幼き頃から言われ続けていたが、それでもこの男はひどかった。
それは寝癖ですかと聞いてしまいたくなる、縦に伸びるぼさぼさの銀色髪に、背骨が曲がっているのではないかと疑ってしまうほどの猫背。
覗いた肌のなんとも不健康そうな真っ白さといい、写輪眼を隠すために額宛で片目を覆い、高名が故に顔を隠すのか、鼻先まで覆う口布は奇怪で、唯一出た瞳はどこを見ているか分からないほどの亡羊さだった。
そして極め付けが、悪書の存在。
日が燦燦と輝く真昼間にも関わらずに堂々とその手に持つ本は頭が悪くなりそうなドピンク色で、しかも18禁の文字がでかでかと踊っていた。
俺とて男だ。そういう本のお世話になったことだってある。だが、しかし、まだ性の入り口にすら立っていない無垢な子どもたちの前で、妙齢の女性の前で、堂々とひけらかすものではない…!!
そんなこんなで、俺の中でこの男の印象はとても悪かった。だが、それを更に上にいくようなことがあるなんて、そのときの俺は露ほども思っていなかった。
『カカシ先生、カカシ先生』と懐く、ナルトやサクラ、サスケの手前、渦巻く不信感を押し隠し、ありきたりの自己紹介をして、ナルトたちをよろしく頼むと俺は頭を下げた。
「…こちらこそ、よろしく」
どこか魂が抜けたような声を受けて、顔を上げれば、手甲を嵌めた利き手を差し出し、握手を求める男がそこにいた。
今思えばその日の俺を簀巻きにして海に流したいほどだが、そのときのバカな俺は、それだけのことに猛烈に感動したのだ。
初対面の相手に利き手を差し出す度量の深さ、そして上忍にありがちな傲慢さがないばかりか、自分から歩み寄れる謙虚さを持ったこの男に、ファーストインプレッションの胡散臭さはたちまちに消え、俺の印象パラメータは好印象へと跳ね上がった。
「よ、よろしくお願いいたします!!」
感激に打ち震えて、満面の笑みと共に握った手はひんやりとしていて、手に当たる五指全ての指先にクナイたこがあり、戦忍の片鱗を感じさせた。
ナルトたちはいい先生にあたってよかったなぁとか、子どもたちを間にこの人とはいい関係になれるかもなぁとか、木の葉の上忍ってやっぱすばらしいなぁとか、そんなことを思いながら、思わず涙ぐんでいれば、それは唐突にやってきた。
「………信じらんない」
ぽそりと落ちてきた、不機嫌な言葉に頭が追いつかず、えっと顔を上げた次の瞬間、事件は起きた。
俺は気づけば、地面に尻餅をついていた。周りにいた子どもたちがあっけにとられて俺を見つめている。俺も俺で、どうして地面に尻餅をついているのか理解できなかった。
俺が分かったことといえば、今まで握っていた手が離れていることと、目の前に立つ男の空気が冷たいものへと変わったことだけだ。
典型的な間抜け面を晒し、男を見上げていれば、男は俺を視界に入れることも嫌だというように顔を背け、忌々しげに言葉を吐いた。
「上忍の利き手をいきなり握るなんて、アンタどうかしてんじゃない? オレだったから良かったものの、そんな軽率な真似、他の奴らにしてみな。腕が飛〜ぶヨ。まったく、最近の中忍は順序ってものがわかってないよネ!」
言われた言葉に目が点となる。
男は俺と握手した手を何度も開閉しながら、ちらりと俺に視線を向けたが、すぐさま視線を背けた。
いまいち俺には理解が出来ない。
後ろでは「最初にカカシ先生が握手求めたんじゃない」と不可解な声をあげていた。
だよな。俺もそう思うぞ、サクラ。
「ま、これに懲りて、オレ以外の奴らの手なんか握るんじゃな〜いよ。アンタみたいな鈍臭い中忍に触れられたら、相手が逆上しちゃうしね〜。アンタもいらない怪我なんてしたくないでショ?」
「なんで、なんで? イルカ先生の手って温かいから冬は大人気だってばよ!」と横でナルトが無邪気にはしゃぐ。
季節限定ていうところが悲しいが、確かにお前の言うことも一理あるよな、ナルト。
「あぁ〜、お前たちが『イルカ先生、イルカ先生』っていうから、どんな人かと思って来てみれば、拍子抜けだ〜ね。こんなことなら、家でイチャパラ読んでた方がどれだけ有意義だったか。…ま、暇つぶしにはなったけどね。一応、礼は言っておこうかな」
「……チッ、ウスラトンカチが…」憎憎しげに呟くサスケ。
うーん、一応、お前たちの師匠になるわけだから、そういう言葉遣いは良くないぞ。だが、
この時ばかりはお前の意見に激しく同意だな、サスケ。
それぞれの言葉にゆったりと言葉をかけ、よいしょと尻についた土を払いのける。
うーん、元生徒の前で不甲斐ないところを見せてしまったなぁと笑っていれば、後ろからサクラが詰め寄ってきた。
「イルカ先生っ、初対面でこんな暴言吐かれてるのに何も言いかえさないなんて、人良すぎですッ!! わたしだったら………! カカシ先生ってば、サイテーッ」
ギッと音が出んばかりにサクラは睨みつけ、突如男に噛み付いた。
女の子は強いな。さすがのあの男もサクラの眼差しには弱いのか、不明瞭な言葉を呟きながら、居心地悪そうに頭を掻いている。
「え、え? サクラちゃん、何? イルカ先生どうかしたのか? カカシ先生の何が最低なんだってば?」
「……この単細胞が。カカシの奴がイルカ先生を侮辱したんだ。それくらい気付け」
「な、なにをぉぉ?!」とサスケに飛びかかるナルトを制し、落ち着けと声をかける。
頬が膨れてるものの、ナルトは素直に引いた。
殴り合いの喧嘩にならずほっとしていれば、ずぼんの裾を握り締め、揺れる瞳でナルトが見上げてきた。サクラは憤り、サスケもどこか気遣わしげな視線をこちらに向けてくる。
いい生徒を持ったなぁと嬉しくなって、三人の頭を撫でる。
大丈夫だと言外に伝えて、俺は男と向き合った。
「なに?」と視線を逸らせて問う男に笑みを向け、俺は言った。
「はたけ上忍のお気持ちはよく分かりました。これからは、そういう態度でお迎えいたしますので、今後、任務以外では話しかけないで下さい。私からは一切お手を煩わしたりしませんので」
ぴしゃんと言い放てば、ぴきりと子どもたちが固まるのが分かった。
それはそうだろう。にこやかな顔をしてても、内心は腸が煮えくり返るほど、俺は怒り狂っていたのだ。
ここまで侮辱されていい顔ができるほど、俺は若さを捨てちゃいない。
絶対零度の笑みを浮かべ、ひたと見つめる先は、決してこちらを見ようとはしない男が一人。
こうして、俺とはたけカカシの初顔合わせは幕を閉じた。
このまま犬猿、もしくは顔も見ぬ間柄になるのだろうと、子どもたちはおろか、俺でさえそう思っていたのに、翌日会った男の言葉で俺たちの考えは真っ向から否定されることとなった。
「『そういう態度』で迎えてくれるんでしょ? 仕方ないから付き合ってあげ〜るヨ。アンタの元生徒である部下たちがうるさいし、アンタもどーしてもって言うから無碍にできないでショ」
報告書を片手にそう切り出した男に、俺は度肝を抜かれた。
いや、本当に口からいろんなものが飛び出るかと、一瞬、口を押さえたくらいだ。
予想外男、はたけカカシ。
こうして、俺とはたけカカシの奇妙な関係は続けられることとなったのだ。
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