しっぽ 2

「―それで、オレはこう言った訳です。『仲間を大切にしない奴はそれ以上のクズだ』と…。ま、アンタみたいな野暮ったい男には逆立ちしたって言えない台詞ですヨ〜ね。それに」
その話は昨日聞いた。いや、一昨日もその前日も、一週間前にも聞いてるよ。
ひくひくとこめかみが引きつるのを感じながら、「そうですか」「はぁ」などとやる気のない相槌を打つ。
始めこそ、ナルトたちが受けた試験内容を知れて嬉しかったが、さすがに10回を超えたあたりで飽きがきた。
嫌がらせなんだろうなぁと考える。
いくら気になる生徒だからといって、同じ話を何十回もされては辛いものがある。
地味ながら狡猾な搦め手だと認めざるを得まい。



あれほど聞きたいと思っていた話を耳たこになるまで聞かせて、根をあげるのを待つ腹とは…ッッ!
俺の大事な生徒だと分かった上での、この嫌がらせ…。
さすがビンゴブックに載るだけある。教師心理をついた見事な戦術だ。
恐るべし、写輪眼カカシ…!



くぅぅと唇を噛み締めれば、男はますます力んで話し始めた。
お、おのれ、ここが攻め時だと分かっての所業かッ。くそぅ、だから上忍って嫌いなんだよ。ちっとも攻撃の手を緩めてくれないんだから…!
勘弁してくれと眦に涙が滲みそうになった頃、出入り口で姦しい、もとい華やかな声音が聞こえてきた。
「あ、カカシ〜。最近、どうしたのぉ? ちっともわたしたちの相手してくれないじゃない」
栗色の長い髪をしたくのいちが男を見つけた途端、顔を綻ばせ、駆け寄ってきた。
それに乗じて、女の周りにいた友人らしきくのいちも我先にと男の周りを占拠し始める。



あぁ、今日は厄日だと、内心呻く。
目の前の男の相手をするのも憂鬱だが、それ以上に憂鬱なのは高名な男に群がる取り巻きどもの存在だ。
取り巻きたちは何故か、被害者である俺に嫉妬や恨みがましい視線をくれて、心無い言葉を投げつけてくるのだ。



男はまだいい。明確な敵意と、思わず「え、何その捨て台詞ッ?!」的な斬新な一言だけを置いて去っていく。だが、女はそうはいかない。
睨むのは当たり前、陰口、根も葉もない噂を場所を選ばず、くのいちたちに伝播されるのだ。
そして、単体で又は目の前の男と一緒になって、話したこともない初対面といえる俺に向かって、それはそれは手厳しいことを言ってきたりする。
『むさい、もさい、きもい、薄給、親父臭い、口も臭くて加齢臭漂ってそうじゃない〜? 帰る家はゴミ部屋でしょうね、ゴミ部屋。ついでに自分も可燃ごみで捨ててきたら? あ、粗大ゴミか、役に立たないポンコツっぽいものねぇ』などなど…。
初めてくのいちたちにくってかかられた時は、頭をとんかちで殴られ、倒れたところを巨漢にぎたぎた踏み潰されて、半分腐りかけた生ゴミと一緒に放置されたような衝撃が俺を襲ったものだ。
『なにおぅ、俺の口の匂い嗅いだことあるのか、部屋見たことあるのか、お前らッ、これだから女なんて、女なんて……ッ』と、ちょっと消えないトラウマみたいなものも植えつけられてしまったかもしれない。
けど、夜にちょっぴし思い出して男泣きしちゃうくらいだから、傷は浅いよな。うん、浅い浅い。



今はそれなりの場数を踏み、少しは耐性がついてきたが、やっぱり慣れることはない。
はたけカカシの取り巻きといえば、やっぱり同じ上忍で、美男美女揃いという、極め付けだ。
若くて綺麗で、しかも階級が上の女性から散々に言われてみろ。
誰だって儚くなりたくなるじゃないか。



諦めきった笑みを微かに浮かべれば、「なに、カカシに色目使ってんの、気色悪い!」と過激に勘違いされ、暴言を吐かれた。
この方々は俺が何をしても、気に食わないのだろう。
あぁ、どうして俺、こんなに女の人に嫌われてるのかな。この男と知り合うまでは、「うみのさんの笑顔見てると心癒されますv」と言ってくれるくのいちだってそれなりにいたのに…。



人生って楽あれば苦ありっていうけど、俺の場合、苦あれば苦ありだよなと、遠い目で黄昏ていれば、俺の視線の先、受付の出入り口に、軽くウェーブのかかった長い髪を持つ女の人がこちらを窺っていることに気付いた。
それが以前、「イルカ先生って呼んでもいいですか?」と頬を染めて言ってくれた、年下だけど上忍の、もりのカオリさんだということに気付く。



目を伏せ、何か考える仕草を繰り返すカオリ上忍に、もしかして俺を心配してくれて心を痛めてるのかと期待が膨らんだ。
弟が俺の元生徒だったこともあって、受付で顔を合わせる度にそれなりに会話をしていたが、「今度、一緒にお昼でも」とはにかみながら言ってくれた事もある。
は! もしかして、今日のお昼の約束でも??
時計に目を走らせれば、昼休みの時間帯だ。
隣と一番奥の同僚たちはすでに席を立ち、代わりの受付要員が座っていた。
いつの間に交代したのか、気づけなかった。



昼休みだけを受け持つ新人くんは、報告者を待つ間、持ち込んだ書類に一心不乱にペンを走らせている。その量のなんとまぁ多いこと。
机のほぼ半分を埋める量に、俺は密かに同情した。
大変だなぁ、新人って仕事が多いよな。
代わりがいるのを確認し、俺は机の下で拳を握り締める。よしッ、今日こそがつんと言ってやるんだ。
「うっとうしい、お前の話は聞き飽きた。顔を洗って出直して来いッ」と。
そして、俺は心配げなカオリ上忍の前に颯爽と降り立ち、ランチに誘うんだ。
その先の二人はきっと幸せな道を歩むに違いない…!
ど、どうしよう、これが切欠で結婚前提に付き合い始めちゃったりして…!!
キノコが義理の弟かぁ、あぁ、もう何だか照れるよなぁ。
先生がお義兄さんになるんだぜ? あははっははは、もぅ、何か恥ずかしいなぁ。
結婚式は白無垢がいいよなぁ、ドレスもいいけどやっぱり和服ってのに憧れるよなぁ。
カオリさん、きれいだろうな…。



一瞬、妄想の世界へと旅立ちそうになる。
だがそこはぐっと抑えて、俺はきりりと精悍な顔を作り、男へと向き合う。
待っててください、カオリさん!
胸に熱い気持ちを滾らせ、息を吸った瞬間、



「うっとうしいねぇ」
びぎんと空気が割れる音ほどの冷たい声音がその場に響いた。
言うはずだった俺の言葉。言ったのは、もちろん俺ではない。
体に圧し掛かる重さが呼吸を狭める。
油断すれば、眩暈まで起きてしまいそうな圧力を感じるのは俺だけではないようで、さきほどまでかしましく悪言を放っていたくのいちたちでさえ、息を詰め、顔色を青ざめさせていた。
目の前にいる男が、気だるげに頭を掻く。
これだけ凶悪なものを放っておきながら、本人の態度はいつもと変わりない。
それが、ますます恐怖を呼び込む。
男は後ろを振り返らずに、機嫌を損ねた原因の名を呼んだ。
「話はついてるはずだ〜ヨ。いまさら、野暮なことはナシにしようよ。ネェ、もりの上忍?」
カオリさんの顔は引きつり、一気に血の気が引いていた。
がたがたと震えるのは、男の意識が一点に集中しているためか。
だが、気丈にもカオリさんは怯える目を男に向け、口を開こうとする。
「で、でも…や、やっぱり私は、あきらめ…きれな――」
カオリさんの言葉が途切れる。
途端に増した圧力に、隣から音が聞こえた。
息が苦しいためか、音さえも明確に聞き取れない。
方向からして、あの新人くんだろうが、目で確認する暇さえ与えてくれない。
喉を刃物で掻っ捌かれるような、心臓を握り締められたような危機感が身を襲う。
吹き出した汗で視界が滲み、目が痛い。勝手に震えが走る。
奥歯を噛み締め、何とか見開いた目でカオリさんを窺えば、カオリさんはもはや息をしているのか分からぬ顔で、目と口を見開き固まっていた。
まずい。男の二つ名をこんなところで実感するなんて思いもしなかった。
この男ならば、殺気だけで人を殺せる。
頭に浮かんだのは直感というより本能じみた確信で、俺は後先も考えずに
潰れそうな肺にある、なけなしの空気を吐き出し、声をあげた。



「――か、かし、せ…ぃ…!!」
出たのは呻き声に近い不鮮明な音だ。
少しでも注意を反らせるため、ナルトたちが呼ぶ名を口にしたが、聞き取れないなら意味がない。
声を出すために全て使い切った酸素は足されることなく、喉が絞まる。
もう少し持つかと思ったが、どうやら駄目らしい。
頭が痺れる感覚を最後に、視界が暗くなった直後、頬骨に固いものがぶち当たった。
「いっ!」
わめく暇すら与えられず後ろ首を捕まれ、顔に押し付けられる荒い感触に驚きふためく。
てっきり先に倒れた新人くんと同様な運命を辿ると思っていたために、驚きもひとしおだ。
顔は痛いが、圧力が消え、楽に呼吸ができることに気づき、疑問が生まれては消える。
「消えなヨ。オレ、約束守れない奴って、ダ〜イ嫌いなの。里の中で問題起こしたくないじゃない? だから、アンタが俺の前から自主的に消えてよ」
驚くほど近くで聞こえた声に、顔を起こそうと身をよじるが、首から押さえつけられている力がそれを阻む。
声が聞こえてからワンテンポ遅れて走り出す気配に、カオリさんが去ったことを知る。
走り出す瞬間、小さく漏れ出た声は彼女が泣いていることを意味していた。
今すぐ追って慰めたい気持ちに駆られたが、新たに背中へ痛いほど力を込められ、身動きすら取れなくなった。
自由になる両手で顔に当たるものを遠ざけようとしたり、ところ構わず腕を振るってみるが、まったくビクともしない。
抵抗しても無駄だと悟った頃、俺の身動きを封じているものが何なのか、ようやく思い知った。
手に触れる、引き締まった弾力のある感触。
顔に当たる生地は良く知ったもので、時折ごつごつと当たるそれは任務中何度となくお世話になったものだ。



――間違いない。俺は、はたけカカシの胸に抱かれている。



ひぃぃぃぃいぃぃぃぃぃぃぃ!!
明確な言葉にした途端、顔が熱くなった。
どうして、さっきまで殺気駄々漏れで危険極まりなかった男に抱きしめられなくちゃならないんだ!!
さきほどとは違う意味で暴れていれば、俺を胸に閉じ込めている男はひやりと首筋が冷たくなる声音で言った。
「あんたらもうっとうしんだ〜よね。何、勘違いしてるかしらないけど、オレたちはこう見えて仲良くやってんだ〜ヨ。事を荒立てるのは文句言われそうだから、今まで黙っていたけど、さすがに、ネェ…」
「やりすぎじゃない?」と言葉が投げかけられたのと同時に、ざっと気配が飛びのく。
展開が予想外すぎて全く読めない。
男の言っていることは何だ? 冗談か? いつ俺たちが仲良くやったんだ?!



「わ、わかったわ。もう邪魔しない…。口にするのも止める。それでいいんでしょ?!」
うろたえた声が聞こえた。震えているのは、男に対する恐怖だろうか? 
あれだけカカシ、カカシとご機嫌を取っていたというのに、ずいぶんと安い思いだと内心げんなりした。
いくら嫌な男とはいえ、好意を持って近寄ってくる輩がただの興味本位だけだったと知るのは辛いものがある。
これも有名税ってやつだろうか…。
女の言葉を無視してというよりは興味を無くして、俺の髪で遊び始めた男についさっき浮かんだ同情心は露と消える。
えぇい、人の髪、いじくんなッ! 何が楽しいんだ、離せ、どうでもいいから、離しやがれッッ。
「ちょ、ちょっと離してくださいよッッ」
結い上げていた髪の毛先から、うなじに指を移動され、くすぐるように触れられ、ぞっとした。
ひぃっと小さくあげた声に、顔にあたる部分が小刻みに揺れる。
男はどうやら嘲笑しているらしい。
「今更、アンタの言うこと聞くわけないじゃない。まったく、アンタは本当に鈍いねェ」
「亀よりも鈍いね」と言う男の言葉に噛み付こうとして、ばたばたと足音を立てて受付所を出て行く気配に一瞬気を取られる。
その直後、



「このホモどもがッッ! 女を舐めるんじゃないわよッ」



耳を疑いたくなるような言葉が、脳を直撃した。
ほ、ほも? ホモ? 誰が? え、俺とこいつ?
さぁぁっと一気に血の気が引いた。
ドン引きだ。さむイボが一瞬にして全身を覆った。
一体、どこにそんな要因が見えたんだ?!
俺とこいつは犬猿の仲だろうがぁぁぁぁぁぁ!!!!
どんな色眼鏡で見てんだ、あんたらはッ!



ちょぉぉおっと待てぃと物言いをつけたかったが、さすがは上忍。捨て台詞を残した直後に、その気配は跡形もなく消えていた。






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