「はぁぁぁ?! 解けない? な、なんでですか、三代目ッッ」
三代目の執務室。
中忍の身では、滅多なことでは入れないその部屋に俺はいた。
重厚な机を前にして、最高級の革張りの椅子に腰掛け、三代目は口に咥えた煙管を離し、ぷかりと煙を吐いた。
見詰め合う俺たちの間を、煙草の煙が上り、天井に留まり消えていく。
「ふむ…。どうもあやつがコピーした他国の術をアレンジしたものらしくてのぅ。術者以外が下手に手を出せば、一生そのままの姿ということも…、有り得る」
言葉尻の最後と同時に、煙管箱に煙管を打ちつける。
カンと小気味よい音が響く余韻の中、三代目はいそいそと煙管に新しい煙草を詰め、火をつけ、至福という表情を浮かべ、煙を肺に吸い込んでいる。人事だと思って、このジジイ……!!
恨みがましく見ていれば、三代目の視線が何かを促すように動いた。
それが俺の手元に注がれているのを確認し、俺は唇を噛み締め、筆を動かした。
そう、俺は、今、臨時の三代目秘書もどきをしている。
あの男がこの変な術をかけたせいで、俺は遭ったこともないようなことに巻き込まれる羽目になってしまった。
この姿になって、俺がまず始めにしたことは、変化で上塗りすることだった。
女性が耳と尻尾が生えていると考えると、何だか嬉しいような気恥ずかしいような、得した気分になるのだ、いかんせんごつい男の俺がこんなもん生やしても良い事など何一つないと思ったからだ。
…というか、鏡を覗くたび、自分の目に黒い犬耳が飛び込んでくる映像は正直きつかった。
だが、いざ変化の印を組んでみても、それはことごとく失敗した。
むきになって何度も挑戦したが、どれも失敗し、終いには明日の出勤が危ぶまれるほどのチャクラを消耗しかけた。
どうもあの男のチャクラが俺のチャクラを邪魔しているようなのだ。
相手は予想外男だろうが、変人だろうが、腐ってもエリート上忍だ。
純粋な術比べとなる変化対決は、無駄だと思い諦めた。
一時はこの姿を皆に見られるのかと凹んだものの、俺が犬の耳と尻尾を生やしたくらいで、皆、大して気にしないだろうと、普通の生活を送る気満々で出勤したら、えらい目に遭った。
世の中には、奇特というか、色んな趣味を持った人もいるようで、俺のこの姿を見て、「見たい」「触りたい」「撫でたい」「飼いたい」「食べちゃいたいvv」と何の五段活用だと突っ込みたくなるような理由でストーキングする輩が出てきたのだ。
何の因果か。
そういうことを実践するのは専らが上忍で、俺がアカデミーで授業をしている時も、受付任務をしている時も、行き帰りも、部屋に帰っても、姿気配は一切ないまま絶えず視線を感じ続けた。
そして、悪夢がやってきた。
いつもの視線を感じながらも、特に気にせず授業をしていたとき、間近でばちりと音が聞こえたのだ。
何か嫌な予感がして、咄嗟に生徒を避難させた。最後の生徒が出たのを確認し、俺も出ようとしたそのとき、空き教室となったど真ん中で、暴風と津波が激突した。
その後の教室は見るも無残な姿となっていた。
いきなり乱闘をしでかした上忍は口々に、「取られたくなかったんだッ」「犬好きならこの気持ち分かるだろう?!」と言っていたようだが、俺には分からない。
その二人はイビキ特別上忍に連れられ、今も矯正プログラムの真っ只中らしい。………まともになって戻ってきてください。
怪我人は出なかったものの、事件が起こってしまい、今まで放置していたのがおかしかったんだという声も沸き、俺はアカデミーと受付任務から外され、こうして三代目のお膝元に来てしまったわけだ。
子どもには「イルカ先生じゃなくて、犬先生だぁ!」と無邪気に喜んでもらい、素直にこの姿を受け入れてもらったというのに、大人という奴はいつの間にあそこまで歪んでしまえるのだろうと、俺は黄昏る。
だが、そんなことよりも、俺が何が一番気に食わないかというと、ストーカーが男だったという事実だ。
ごついむきむきの男の視線を今までずっと浴びていたかと思うと、身の毛がよだつ。
この数日間、俺を見つめるこの視線はかわゆい女の子に違いないと、気合を入れて規則正しく高潔な生活習慣を送っていた俺としては、大誤算だ。
かわいい女の子と、ストーカーから始まる恋。
そんなのもアリかもしれないと胸を心躍らせていた俺が哀れで仕方ない。
くそっ、もっと俺に潤いをッ。かわいい女の子の愛をくれっっ!!
はふぅとため息を零せば、突如三代目の煙管が背後に飛んだ。
「っっ!」
カコンと何かに当たる音と微かに漏れた声に驚き振り返れば、鳥の面を被った暗部が間近にいた。
うおおおお、俺、暗部初めて見た、すっげ、すっげ、すっげーー!!
今ではもう慣れたというか、慣れざるをえなかったというか、俺の体の一部分が素直に感情を表現してしまう。
ぶぶぶぶぶぶと大働きだ。
「こりゃ、イルカ。お主のその態度が、あやつらを助長させるんじゃぞ。もっと自覚を持たんか、自覚を…!」
「お主も真面目に仕事せんか。他の奴らにもそう言っておけ」と一喝を受け、暗部は音もなく消えた。
消え入る直前、「イルカたん」と何故か「たん」呼ばわりされた。…意味がわからん…。
だが、三代目の言うことは、俺がこの姿になってから、気の置けない同僚たちに言われ続けたことでもあった。
自覚…。でも自覚っていってもどういう自覚をすればいいか、いまいち分からない……。
気持ちに反応して、尻尾がだらんと下がる。この調子では耳も下がっているに違いない。
駄々漏れな感情が恥ずかしくて、身の置き所がない。
ますます下降していく感情に落ち込んでいれば、ゴホンと三代目が咳を払った。
ちらりと窺えば、三代目は背を向け、「そろそろ休憩にするか」ともそもそ言う。
お茶を入れるために席を立てば、三代目が続けて言った。
「今日は衛門屋のどら焼きじゃ。そこの引き出しに入ってるから、一緒に出してくれ」
衛門屋?! 老舗の甘味処の、その中でも一番好きな甘味に、胸が高鳴った。
ばっと振りかえれば、三代目は苦笑を漏らしつつも、温かい笑みを向けてくれていた。
厳格な里の長とは違った、三代目本来の優しげな表情に、きゅうぅんと胸に温かいものが押し寄せる。
餌付けされているような気もするが、今でも時々昔のように、孫に接するような態度で俺を甘やかしてくれる三代目が大好きだった。
いい年をしてって、自分でも思うけど、俺にとって三代目は祖父に近い。
「へへ、じゃ、俺お茶入れてきます!」
ちょっと気恥ずかしくて、鼻傷を掻く。
目元を和ませ、頷く三代目を目に収め、身を翻した瞬間、
「アンタ、何、見つめ合って、恥らって、尻尾振り回して、大好きオーラを出してるんですかぁぁぁぁぁ!!!! 飼い主はオレでしょうーがッ」
「ふぐッ…!!」
突如現れた男の胸に引き込まれた。肩口に顔面を容赦なく押し付けられ、目に火花が散る。
任務明けのせいか、男の体から泥臭い匂いと一緒に、わずかな血臭が嗅ぎ取れた。
「火影様、オレの忍犬隠して楽しかったでーすか? 急いで帰ってみりゃ、オレの家にはいな〜いし、アカデミー、受付にもいない。紅に聞いて腰が抜けるかと思いましたよ。火影様が毛色の変わった中忍を囲ってるって〜ね」
「ほぉ〜、そういう話になっとるか。お前が馬鹿なことをしでかしたせいで、とんだ被害が出たが、今となってはお前に礼を言わにゃならんのぅ。イルカを堂々と手元におけるようにしてくれて、ありがとうぅのぅ」
「……礼を言われる筋合いはありませ〜んよ。これはオレの忍犬です。今まで預かっていただくばかりか、ご過分な待遇をしてくださり、こちらが礼を言うのが筋でしょ〜ねェ」
ありがとうございました。いやいや、こちらの台詞じゃ。わしの秘書じゃからの。いえいえ、私の忍犬がお世話に…などと、礼の応酬が続く。
口調は穏やかだが、取り巻く空気が殺伐としている。
応酬が長引くにつれ、巻きついた腕が時間と比例するように首と背中を締め付け、息苦しさと痛みで涙が出そうになってきた。
じたばたともがいてみるものの、男と三代目の意識はお互いのみに向いているようで、俺の苦しみに気づいてもらえそうにない。
「―ったく、面倒くせぇなぁ。カカシ、お前の忍犬とやらがあの世に逝っちまうぞ。離してやれ」
小さな音を立てて扉の締まる音が聞こえたと同時に、声が響いた。
その声を聞いて、へなっていた尻尾が立ったのが分かった。
アスマ兄ちゃんだ! アスマ兄ちゃんが帰ってきた!!
声も顔も出せないため、笑顔でお迎えはできなかったが、お帰りなさいと尻尾が代わりに出迎えてくれた。
アスマ兄ちゃんも尻尾の出迎えはまんざらでもないようで、小さく「おう、今帰った」と言ってくれたことが嬉しい。たまに役に立つよな、この尻尾。
息苦しさもなんのその、夢中で尻尾を振っていれば、男の体が離れる。
ふわっと大きく息を吸う俺を見下ろし、男は険悪な瞳で俺を睨みつけていた。何だ、何だ?!
「アンタっていう人は………ッッ!!」
ドスの利いた声が間近で吐かれる。
肩を掴んでいる指先が震えているような気がするのは、俺の気のせいだろうか。
両肩についた腕の間に、顔を俯かせ、しばらく黙っていた男が顔をあげた。
男の動向を窺う俺の目の前で、男は一つ間を置くなり、突然、雷を落とした。
「いい加減にしなさいヨっ! こっちはしぶしぶアンタの言った言葉を守ってやってんのに、アンタはオレとの約束何一つ守ろうとしないってのは一体どういうことッッ?! アンタが言い出したことでショうがッ」
突如、激昂した男に、言葉が飛ぶ。
「オレ、言ったよね? 他の男についていくな、飼い主以外の奴に馴れるような真似すんなって、出かけ間際に言ったよね? アンタみたいな駄犬初めてだ〜ヨ。アンタの心配なんてするわけないけど、アンタみたいな駄犬が忍犬使いでも名が通ってるオレの傘下に入るんだから、オレの名を落とさないかヤキモキさせられちゃった〜よ。おかげで任務はうまくいかないし散々。こんな簡単な任務で手傷負うなんてあり得ない〜ね。アンタはオレの忍犬らしく、侍っていりゃいいのよ。何、勝手に行動してんの? アンタはオレの忍犬なんだよ、ちゃんと自覚を持って行動してよねッ」
…自覚。
男の言葉に、同僚たちの顔が浮かんだ。
『イルカ、もっとお前自覚した方がいいよ。そんなんだから、はたけ上忍に絡まれちゃうんだぜ?』
『そうそう。オレたちとあの方たちは違うんだぜ? もっと自覚した方がいいって』
自覚? それは何の自覚なんだ。
しがない中忍の俺は、高名な覆面忍者の言いなりになっていればいいとでもいうのか?
『イルカ、お主はもっと自覚した方がええのぅ。周りには目が向くのに、自分のことになったらお主の目は曇ってしまう』
この姿になり、三代目の元に転がり込んだ時、ため息混じりに言われた三代目の言葉にが脳裏に過ぎる。
俺の一体どこの自覚が足りないというんですか? だったら教えてください。
どうして、言ってくれないんですか? 何故、複雑な顔で目を背けようとするのですか?
教えてください、三代目。
『アンタはオレの忍犬なんだよ、ちゃんと自覚を持って行動してよねッ』
忍犬? 俺はそんなもん認めちゃいない…! あんたが勝手に言い出したことだろう?
勝手に興味持って、勝手に行動して、勝手に俺を利用しようとしているだけじゃないかッ。
俺は、お前の――
「……具じゃない」
「ん? 何? 謝るの? べっつに謝って欲しいんじゃないの〜よ。忍犬はオレの側から離れずにいるもんだって言ってんの。どーして、分かんないのかねぇ」
肩に置いた手を離し、がりごりと頭を掻く男に言いようのない怒りが突き上げる。
「―道具じゃない…」
「ん? 分かったの? じゃ、帰ろうか。オレ、もうクタクタだ〜よ。アスマ、オレ、先帰るから。火影様、ということでオレの忍犬を返してもらいますか〜らね」
「何を言う! イルカはわしの秘書じゃというとるじゃろうがッ。今からわしはイルカとお茶の時間なんじゃ!」「じいさん、落ち着けって。どんだけ孫執着してんだ…」と、騒ぐ音を無視して、目の前の男が俺に手を出す。
手甲に包まれた、男の利き手。
任務明けのその手は黒く汚れている。
それはいい。里のために働いた手だ。汚いなんて思いもしないし、逆に感謝の念が湧き出る。
だけど、俺にとって、その男の、はたけカカシの利き手は違う意味を持っていた。
「ほ〜ら、帰るよ?」
ふざけた調子で言葉を紡ぎ、動かない俺の手を掴もうと伸ばした手に、恐怖を覚えた。
「ふざけるなッッ」
あの痛みを思い出して、迫りくる男の手を払いのけた。
パァンと鳴る音と、男の茫洋とした目が見開くのは同時だった。
静まる空間で、男と目を合わせる。
男の目は逸らされない。だが、弾かれ落ちた手は、あのときと同様に開閉している。
――俺は、嬉しかったんだ。
ナルトが『カカシ先生な、俺の頭撫でてくれたってばよ』と嬉しさを噛み殺したような顔で、ぶっきらぼうに俺にそう報告してくれた時から、俺は嬉しくて、嬉しくて、まだ見ぬ上忍師に感謝と同時に、ひどく親しみを感じていた。
町の復興は果たしたものの、まだ人の心の中に九尾の傷が癒えぬ中、ナルトを抱きしめ撫でてやる手は、里では、俺の他には、三代目火影さましかいなかった。
いつもどこか寂しそうな顔で、手を繋いで夕暮れに消えいく家族の光景を見ていたナルトが痛ましくって仕方なかった。
もっとナルトを抱きしめてくれる手が増えればいいのにと、何度ナルトを抱きしめ思ったことだろう。
その度、ナルトは強がって「おっさんクセェ」と憎まれ口を叩いていたが、その顔が安堵したように緩むのを見て、俺は安堵するのと同時にひどく悲しくなった。
この子は普通の子だ。九尾の器は事実だけれど、何処にでもいる元気が有り余りすぎる、いたずらっ子で、謂れのない言葉の暴力に傷つく、柔らかい心を持った子どもだ。
この子はきっと、大きな存在になる。あの真っ直ぐな目がそれを証明している。
誰にも負けない強い意志を持つ、あの子の目は、この里を明るく照らしてくれる新しい炎になる。
気付いて欲しい。この子はここにいるのだと、みんなに気付いてもらいたい。
もっとナルトに理解者がいればと、そう思い続けていた矢先、現れたのが、はたけカカシだった。
高名な忍者。手の届かない雲上の人。近寄れない存在。
口々に言う周りの者たちに合わせ、そうだよなと頷いていた自分。
けれど、俺の中でのはたけカカシはひどく身近な存在に思えてならなかった。
ナルトを一人の人として見てくれる人。
ナルトを撫で、慈しんでくれる人。
ナルトに出来た理解者の一人。
焦がれるように親しみを持った相手と会えることになって、あのときの俺はきっと浮かれていたのだろう。
表面上で冷静な自分を無理やり装っていたが、この上忍は筒抜けだったに違いない。
利き手で握手を求められた時、舞い上がった。
涙が出そうなほど嬉しくて、ナルトをよろしく頼みますと、声にならない思いを告げた。
他の二人の生徒のことも片隅にはあったが、ナルトは俺にとって肉親も同然の存在で、蔑ろにしてしまったのは否めない。俺は教師失格だ…。
けれど、男はそれを真っ向から拒絶した。
握り締めた途端、手を振り払われ、一瞬、合った、ひどく動揺した眼差しに、俺は身動きが取れなくなった。
浮かんだのは悲しみだった。
男の動揺した眼差しと、振り払われた手に、俺は自然と理解した。
はたけカカシという男は、中忍と馴れ合うような感傷は持ち合わせていないのだと。
俺の勝手な思い込みによる、親愛の情ともいえる仲間意識は迷惑だと切って捨てたのだ、と。
里の誉れを同列に考えていた自分の思い上がりにも似た感情に、羞恥を覚えるのと同時に、拒絶された悲しみがより一層深まった。
その悲しみに囚われるのが嫌で、その思いを怒りに変えて拒絶の言葉を俺からも口にした。
内心、いつ泣き出してしまいそうか分からないほど、俺の甘く弱い心に、あの上忍が気付かない訳がなかった。
あれから、だ。男が俺に執拗に絡んできたのは。
けれど、それも無理ないことなのだろうと、俺は頭の片隅で理解をしていた。
上下社会が絶対である忍びの世界において、中忍風情が持ったこの馴れ合いともいえる甘い感情を捨てろと、声高に言っているのだ。
この感情がいつ忍びの社会において、危険きわまりのないものに変わるか、男は理解している。
上忍は中忍の命そのものを使う。
中忍は、上忍の命を死守する。
それが、忍びの世界において常識であり、事実であることが、俺にはどうしても理解することができなかった。
教師であるくせに、だ。
俺は、忍びである前に人でいたかった。
どんな非道な任務を完璧に遂行する忍びである前に、人間として生きたかった。
俺の両親がそうであったように、自身もそう心がけていたように。
そして、子どもたちもそう生きて欲しかった。
甘い考え、甘い理想論。
この男は俺を糾弾する。
お前は忍び失格だと、お前のような奴はいらないのだと、俺を追い詰める。
痛くて痛くて仕方ない。
負けないと、自分の信じる道を進むのだと、何度鼓舞したとしても、胸に走る痛みは以前と同様に、それにも増して響いてくる。
道具のように利用し、中忍という立場を分からせようとする男が、ナルトの理解者であるが故に、一瞬にして湧き出た親愛の情が今もなお心の中で繋がっている相手が故に、俺の悲しみはずっと消えてなくならなかった。
だけど、もう……疲れた。
鼻に痛みが走る。
歯を食いしばり、呆然と見下ろす男へ俺は思いをぶちまけた。
「ふざけるなッ、俺は人間だ! 忍びである前に、俺は人間なんだ! お前の道具なんかなりたくもないッ、ましてや忍犬なんて嫌だッ。お前の言いたいことは分かってるんだッ。俺のこの甘い考えが危険だってそう言いたいんだろう?! 中忍は中忍らしく、上忍に使われてろって、そう言うんだろ? 俺の一方的な親愛感なんて迷惑だって言ってんだろ……?!」
男の胸倉を掴み、俺は男の目を見つめる。
男の群青色の目は静かで、何の感情も読み取れなかった。
自分の言葉を全て肯定しているようなその目が苦痛で、顔を俯ける。
「もう………もう、分かりましたから。…俺は…私は、忍びとして失格者です。私の信じた忍びの教えを子どもたちに伝えていきたかった。……けど、はたけ上忍。あなたの言いたいことも分かる。私たち忍びに情はいらない。それは事実だ。過酷な任務をこなさなければならない忍にとって、それは生きる指針ともなる……。私は、教師を、忍びを辞めます」
「イルカ?!」
「お、おい!!」
動揺する二つの声に、小さく笑みが零れ出る。
惜しんでくれる二人の優しい肉親と思っていた人たちへ、心の中で感謝の言葉を呟いた。
ずるずると出る鼻水やら色々を袖で拭い取り、男に向かって深々と頭を下げた。
「はたけ上忍、任務お疲れ様でした。これが、俺の受付任務、最後の言葉です。受け取っていただけますか?」
何の言葉も出ない、固まったままの男に、感傷じみた切ない思いがこみ上げる。
それをねじ伏せて、俺は笑う。
男がここに帰ってきて嬉しいと、あなたの帰る場所はここなのだと、いつでもあなたを迎え入れますと、素直な気持ちを込めて言葉に込める。
最後なのだから、少しくだけったて罰は当たらないだろう。
「おかえりなさい、カカシ先生」
男の目が見開く。それを目に収めて、俺は笑う。
だって、里に住む者は皆、家族なんだから。
俺はいつもそう思って出迎えていましたよ。気付いてましたか? はたけ上忍。
ぺこりと再度頭を下げ、俺は三代目に向き合う。
珍しくアスマ先生がうろたえている。
三代目も三代目で、煙管を噛んでは離すと繰り返し、何か葛藤している模様だ。
「三代目、今、言ったことは全て事実です。私は忍びにあるまじき考えを持った危険分子です。今までお目をかけていただいたのにも関わらず、裏切る行為を隠してきたこと、許されることではありません。どうか、厳重な処罰をお願いいたします」
「裏切るってそりゃ、お前―」
「イルカ、それは違うとわしはー」
言葉を紡ぐ両者の言に小さく首を振る。
言葉を失う二人が埒が明かないと、こちらに詰めよる寸前に、腕が後ろに引っ張られた。
「え」
傾ぐ体を後ろから抱きすくめられ、そのまま両手に手が重なる。
複雑な印と、くぐもるような声。
「オレはそう言う意味で言ったんじゃない…」
ぽつりと今にも泣き出しそうな弱々しい声音に、ひどく動揺した。
声をかける前に、男の口から奇怪な音が零れ出る。
ボフンとあがった煙に目を閉じて、次に瞼を上げた時に感じたのは静かになった周囲の音だ。
もしかしてと、頭に手を持っていけば、そこに鎮座していた耳はなくなり、元の場所に戻っている。
体を捻って斜め下を見れば、そこに黒い尻尾はなく、代わりに銀色の尻尾がそこにあった。
「え…」
元に戻してくれたのではなかったのかと、後ろから抱きついている男を振り返れば、男は俺の肩口に顔を埋めた。
肩口から零れ落ちる銀色の髪の中、髪と同様に銀色をした三角の耳がひょっこり顔を出していた。
「は、はたけ上忍?」
自分の代わりに今度は男が変化している。
男は俺の動揺の声にも顔を上げず、ポーチから出した白っぽい革を自分の首に巻きつけると、その先に繋がっていた細い鎖を俺の手に無理やり握らせた。
「……はい。これがオレの気持ち」
「………は?」
押し付けられたものを見れば、鎖以外の何物でもない。
その鎖が繋がる先は、男の首元の革で、つまり、これは………。
犬の首輪と、リード。
ずがぁぁんと、いまだかつてない衝撃が俺の背筋に走り、手足を痺れさせる。
何の変態プレイですかと、動揺する俺を尻目に、男は俺の肩口に顔を埋めたまま、しがみつくように両手を俺の胸に回す。
「アンタの言っている事、オレにはわかんな〜いよ。オレにとって、忍犬はいつも一緒にいる存在で、寝る時も、飯食う時も、絶えず側にいて、苦楽を共にするんだ〜よ……。アンタが忍犬なんて嫌だって言うから、オレがアンタの忍犬になるしかないでショ」
いつもと違って言葉尻がどこか弱々しい。
「忍犬使いだってのに、忍犬になっちゃうなんて、ホント恥ずかしいったらな〜いね。顔見せらんない〜よ」と問題にするところはそこなのか? と問いただしたい気持ちにさせられる。
何と言っていいかわからず、ぼんやりとする俺に、成り行きを見守っていた三代目が深々と息を吐いた。
「イルカよ。そやつと話をせい。きっとお前の考えてることとは違った結末になるじゃろうて。よって、わしはお主が言った言葉は全て聞かなかったことにする」
「三代目、それは…!!」
一歩踏み込もうとすると、後ろから引き止められた。
振り向けば、肩口からほんの少しこちらを窺う顔の、唯一覗く目元は何故か赤く染まっている。
群青色の瞳は微かに濡れ、縋りつくようにこちらに向いていた。
思わず言葉を失って見続けていれば、アスマ先生が煙草を口に咥え、にやりと笑った。
「面倒なことはオレはごめんだからなァ。二人で腹に抱えてたもん出せや。任務報告はオレがやってやる。コッチの方がいくらかマシだ」
さっさと出て行けと、手を振りかけたアスマ先生に、三代目が突如いきり立った。
「それはならぬ! カカシとイルカを二人きりにさせるなんぞ、恐ろしゅうてできるか、馬鹿もんがッ。隣の部屋を貸してやる、そこで話をしてこい」
むっとあからさまに眉根が寄った男に構わず、三代目は長の威厳を張り付かせた。
「わしの譲歩が気に食わんか。何なら、ここで結界を張って話をさせてもええんじゃぞ? 部屋をあてがってもらえるだけ有難いと思うがよい。ここまでこじらせたのは、お主の言葉の至らなさによるものじゃ」
「…どうせ覗く癖に」「何か言ったかのぅ、カカシや」と、小さな口論を続け、男に押される形で、三代目が許可を出した部屋へと足を踏み入れた。