「って、そう簡単にイルカ先生の側を離れる訳ないでショーが! あんのくそ女狐めッ」
ぐわっと目を見開き、カカシは眼下の二人へ眼差しを送る。
イルカの家を出されてからすぐ、カカシは物置小屋と化した自宅で必要なものを取り揃えるなり、とんぼ返りでイルカの家へと戻った。あれから早くも数日が経過している。
ここは、イルカの生家の屋根裏だ。
今となっては懐かしい。イルカがカカシへ猛アプローチをしてきた時、一体何を企んでいるのだとイルカ周辺を探っている内に見つけたイルカの生家。
昔の資料もイルカの腹を探る上で重要なことだと、夜な夜な忍び込むのも面倒くさくなって、カカシは屋根裏を改造して、寝泊まりができるカカシ専用の部屋をこっそり作った。
イルカと接している間に気付けばイルカに惚れ、今ではここは立派なイルカのメモリアル保管室となっている。
生家にあったものでは飽き足らず、ツテとコネと強奪を駆使して集めた、幼児から現在に至るまでのイルカの生写真も、小さいとき使っていただろうくたくたになったタオルケットも、一緒に寝ていただろうウサギのぬいぐるみもイルカの思い出が染みついているあらゆる物を、完全密封の元、完璧に保存してある。
恋人になれた後も、イルカの映像や写真やそれにまつわる物は増え続け、今や屋根裏全てがカカシの夢の空間に変貌している。
稀にイルカが里外任務で留守をするときに、カカシのイルカ欠乏症を防ぐシェルターとして使っていたが、まさかこういう使い方をするとは、カカシ自身思ってもいなかった。
部屋ごとに無数に空けた監視用穴の一つを覗き込み、料理を作る二人を油断なく見張る。
今のところ、ツバキのくノ一直伝のアプローチ法は、ツバキを子供と思い込んでいるイルカには通じていないようだが、いつ実力行使に出るか気が気でない。
今もツバキは堪えず上目遣いでイルカを見上げ、分かりやすい媚を売っている。
視線で人が殺せたらと腹の中で毒づく。鼻をくすぐる料理の匂いに、イルカのナスの味噌汁が飲みたいと、目にしょっぱい汁が浮かんできたが、そこは歯を食いしばって我慢した。
いいさ、いいさ。イルカの手料理を嗅ぎながら食べる兵糧丸も乙なものさと、がりがり噛み砕いていれば、先ほどから「先輩、先輩」と声を掛けていた男が、一際大きく声を張り上げた。
「せんぱーーい!!!」
人の感傷を邪魔しやがってと、隠しもせずに舌打ちを盛大に鳴らす。
視線をイルカから離すのも惜しく、刺々しい声音で「なに」と問えば、テンゾウは非常に情けない声をあげた。
「僕、帰ってもいいですか? 任務明けで正直辛いんで、早く休みたいんです」
出てきた言葉に、カカシの脳内血管はブチ切れそうになる。
わなわなと震える唇をどうにか止め、カカシは振り返って笑顔を向けた。
「なぁ、テンゾウ。オレがここにお前を呼んだ理由が何か分かるか?」
本来ならばカカシ以外の生物が入ることを禁じ、強固な結界で何重にも封鎖し、防音防振全ての気配を消すことができるこの空間に、わざわざお前を呼びつけた理由が分かるかと、カカシは静かに問う。
すると、テンゾウは眉毛をぴくりとも動かさず、「よく分かりません」と平然と答えた。
つい腹が立って、背後に作った影分身にテンゾウの背中を蹴ってもらう。
「な、何するんですか! 今の本気でしたよねっ」
僕は何もしていないと無実を主張するテンゾウに、カカシはだからこそだと鼻を鳴らした。
「あのね。お前、もう少し状況把握能力を鍛えなさいよ。イルカ先生を愛しまくっている象徴でもあるこの部屋に入れて、かつそんなイルカ先生の元を離れているオレに代わるかのようにいるあの小娘を観察しているオレ。ここから導き出る答えは?」
真面目な顔でひたりとテンゾウを見つめれば、テンゾウは目を見開き、小刻みに震え出した。
「……もしかして先輩は、自分の私生活を晒してまで僕に状況把握の修行をつけてくださるお考えですか?」
くたびれ、死んだ魚のような目をしたテンゾウの瞳が、急に光り輝き、カカシへ熱い眼差しを送る。
カカシは慈しみの笑みを浮かべ、テンゾウに言った。
「お前はオレが見込んだ後輩だからーね。期待してんのよ」
その一言に、テンゾウは感じ入ったように瞳へ涙を浮かべ、声にならない感動を眼差しに込めて送ってきた。相変わらず、扱いやすい男だと思う。
テンゾウはしばらく余韻に浸っていたが、きりっと表情を改めると、カカシの横につき、覗き窓から鋭い眼光をツバキへと向けた。
「状況から察しますに、裏がありそうですね。里内でも嫌になるほど先輩とうみの中忍の暑苦しい関係を引き離して得をする者……。一般の忍びならびに木の葉住人たちの切なる願いにも合致しますが、先輩をうみの中忍から引き離す手腕を有する者をよこすとなると、上層部、または火影さまの策略かと」
余計すぎる言葉を使いながらも、テンゾウの読みは正しい。
どつきたい気持ちをそっと押しとどめ、優秀で簡単にカカシの口車に乗ってくれるテンゾウを駒にするべく、カカシは一つ頷いた。
「さすがだーね、テンゾウ。オレもその考えに同意だ。そこでだ。お前だけに頼みたいことがある」
はっと息を飲み、テンゾウはゆっくりとカカシに振り返る。
「僕にだけ、ですか?」
歓喜に満ち溢れ、震える声音に、カカシはテンゾウの肩を掴み、目を見つめて肝心な要件を告げた。
「あのツバキという女の素性を調べてもらいたい。相手は火影、上層部が指名した女だ。木の葉広しといえども、お前ほど情報収集に秀でた忍びはいないとオレは思っている。頼まれてくれるか?」
「……先輩」
よほどカカシの言葉が胸に響いたのか、テンゾウは生まれたての小鹿のように震えていた。
「分かりした。他ならぬ先輩の頼みごと。必ずや、あの女の正体を探り出してみせます!!」
身の内からやる気を迸らせ、忠実な僕と化したテンゾウを満足げに見やり、カカシはぽんとテンゾウの肩を叩く。
「じゃ、明日には調査報告できるよう頼むーね。任務よりオレのを優先させてね」
無茶ぶりもいいところだが、カカシの下僕と化したテンゾウは、居酒屋の店員のごとく機敏に了解の声を発し、一瞬にして姿を消した。
ちょろいと胸の内で呟き、カカシは再びツバキの監視へ戻る。
もし嫌がるイルカに不埒な真似をしようとしたら、その場に即刻踏み込んで阻止してやるつもりだ。だが、イルカがツバキの色香にふら付いた、その時は。
「……お仕置きだからーね、イルカ先生」
あっては欲しくないが万が一にもあった場合、それ相応の報いを受けてもらうと、カカシは暗い欲望を燃やした。
******
「……あれから半月、か」
浴槽をスポンジで洗う手を止め、イルカは一つ息を吐いた。
今日はツバキが料理当番で、イルカが風呂掃除と食器洗い当番の日だ。カカシがここに帰らなくなって、驚くほどツバキはここの生活に馴染んだ。
昔からいるような自然な空気で穏やかな生活を楽しんでいるツバキに、心底良かったと思えたが、ふとイルカは無性に寂しい気持ちに駆られた。
カカシがここにいない事実がひどく切ない。
ふとした瞬間にカカシの名を呼ぼうとしている自分をことあるごとに見つけ、そしてその姿を無意識に探し、代わりにツバキを認めた時の軽い失望感を日々感じている。
こんな風に思うことはツバキの気持ちを傷つける行為にしかならないのに、無意識にしてしまうためイルカには止めることができなかった。
泡立った浴槽をシャワーの水で洗い流し、その音に紛れて小さく呟く。
「結局、心底惚れてんだよなぁ」
ことあるごとにカカシは自分の方がイルカを思っていると主張してくるが、イルカにしてみれば自分の方がその思いが強いと思っている。甘いことを言えば調子に乗ることが予想されるため、この先言う機会はないだろうが。
カカシと離れて暮らす原因になった件も、正直に言えば、カカシの行動はほんの少しイルカを喜ばせた。だが、それ以上に、カカシの在り方が切ないほどに痛くて堪らなかった。
カカシはいつも言う。
イルカがいればいい、と。
傍若無人にふるまうことはしょっちゅうなのに、基本的に人の感情の機微には鋭いから、イルカが嫌がることを知ってか、冗談めかして言ってくる。
けれど、そのときのカカシは頼りない顔をしている。本気なのに冗談にしなくてはならないから、とんでもなく情けない顔でイルカを見つめるのだ。
それを見る度にイルカは、カカシに問い詰めたくなる。
あんた、俺が死んじまったらどうするんですか? 一人で、きちんと生きてくれるんでしょうね?
いつも寸でのところでその言葉は口から出たことはないが、常にその問いはイルカの胸を占領した。
自分たちは忍びだ。
明日を約束できない定めの者だ。
命を落とす状況にかち合う確率の高低差は存在するだろうが、イルカだっていつ死んでもおかしくない。
それなのに、カカシは言う。
アンタだけ。アンタしかいないと。
熱っぽく、切なく縋るように、イルカへ何度も言う。
勘弁してくれよとイルカはいつも思う。でも、カカシの本気が伝わるから、イルカは考えてしまう。
もしイルカが先に死んだら、カカシはどうなるんだろうと。
イルカと出会うまでは多数の女と遊びまくって、ポイ捨て、刃傷沙汰もざらで、女誑しの人でなしのロクでなし、情がない冷血人間と、散々ぱら噂で聞いていた。
だから、カカシと付き合う時は、浮気の一度や二度は当然あるものとして考えていた。
だからこそ、イルカはそこまで考えなくてはならないなんて思いもしなかった。
自分が死んだ後のカカシの心配をしなくてはならないなんて、そんなバカみたいな状況を真剣に思い悩まなくてはならないとは、露ほどにも思っていなかったのだ。
一つため息を吐き、イルカはシャワーのコックをより大きくひねる。
水の勢いが増したシャワーを動かし、排水溝に泡が渦を巻いて流れ込むさまを見つめ、もう一つ息を吐いた。
あの一件でカカシの気持ちは本物だとまざまざと思い知らされた。そして、家にカカシがいない今だからこそ、邪魔されることもなく、真剣に考えることができた。
そこで考えた末に出た答えは、荒唐無稽なものだった。
カカシよりも絶対、先に死なないようにする。一秒でもいいから、カカシより長生きして、カカシを見送る。
でも、それでも無理な時は……。
「俺がカカシさんを、、、」
シャワーが浴槽を打つ音に混じって呟いた。
無理だろうと理性が言う。でも感情は、可能だと囁いている。
瀕死のイルカがカカシの目の前に出現することができれば、カカシは全て悟って受け入れてくれると確信してしまう。
「……生徒たちに顔向けできねーなぁ」
生に執着しろ、仲間を助けろと散々口酸っぱく教えている身だというのに立場がない。
「いやー、だって、里のこと考えても、残して逝けねーだろ」
写輪眼カカシを失う里の痛手は多大なものになるが、イルカを失くしたカカシを残していく方が里の損失が大きいと真剣に思う。
だいたいカカシのことだから、平気で禁術を使いそうだ。しかも、禁術の中の外法を使って、イルカを蘇らせそうで本当に恐い。
それで、外法なものだから、蘇ったイルカを維持するために、すごい人数の人の命やら生き血が必要になって、カカシは嬉々としてそれを集めにいくのだ。
「二人の愛の為ですもの。許してくれますって」
血に塗れたまま、いい笑顔を見せるカカシが想像できて、イルカは頭が痛くなる。本当にこれは問題だ。是が非でも、瀕死になったらカカシの前に現れるようにしなければと、イルカは決意を固める。
そこまで考えて、顔を覆う。その拍子にシャワーの水が袖口を掠め、その冷たさにより自分の熱を自覚してしまう。
口を真一文字に引き結んで、蛇口を閉めた。浴槽はすでに泡は消え、流れ込むシャワーの水を無意味に排水溝へと誘い込んでいる。
水がもったいねぇと嘯き、ぽつりぽつりシャワーの口から出る水を払い、所定場所に戻すと、しゃがみ込んで大きく息を吐く。
まだ熱が引かない顔を意識しつつ、膝を抱えて、顔を押し付けた。
はっきりいって恥ずかしい。
傍から見れば無理心中だ。
死んだ後のことだから、正確にいえばイルカが気にすることはないのだが、それでも残す者たちの心情を考えると、非常に身に抓まされる。
「……カカシさんはどう考えてんだ?」
純粋に疑問に思う。
カカシの場合、自分が先に逝けて良かったーと安堵の表情でさっさと逝きそうだし、逆に、イルカが考えているようにアンタもきなさいと涙目で連れに来そうでもある。
イルカはカカシがいなくなったらしんどいけど、カカシを思いながらそれなりに生きようとするつもりなのだが、カカシの行動が予測できない。
「まぁ、本人に聞ける訳もねーし、そのときが来るまで分かんねーか」
気が重くなる類のものなのに笑みがこぼれ出てしまうのは、どちらにしろカカシと何かしらで繋がっていることが当たり前に思えるからだろうか。
「まぁ、できるだけ遠い未来であって欲しいよな」
ナルトの火影就任までは是が非でも生きたいと頷きつつ、腰を上げた。
風呂の栓をし、湯の蛇口をひねる。
決められた湯量になると勝手に止まる、最新式のユニットバスはイルカのお気に入りでもある。
風呂は大きい方がいいとカカシが激しく主張したため、浴室浴槽は改装した。風呂では手足を思い切り伸ばして使いたいから特に異論がなかったのだが、風呂の使い方で、双方で齟齬が生じたことを知ったのは、改装した直後だった。
「……あの人は、まったく」
ここで起きた数々の情事を思い出し、おさまっていた熱が顔に再び集まる。
ツバキに遠慮して自分で処理していなかったためか、兆しを見せる己のものに気付き、慌てて浴室から出た。
風呂の戸をしっかりと締め、その記憶も閉じようとうんうん唸っていれば、背後から小さな気配を感じた。
「ツバキ、どうした?」
振り返れば、予想通りツバキが廊下からイルカを見上げている。
考え込むようにイルカの顔と足元を交互に眺めた後、決意したようにツバキはこちらへ踏み込んできた。
「イルカさん、来て、ください」
有無を言わせずイルカの手を握り、ツバキは廊下に出る。色々と浴室で考え込んだため、料理が冷めると痺れを切らしたのかなと呑気に考えていたイルカは、その後のツバキの行動に驚愕することになる。
ツバキがイルカの手を握り進んだのは、夕飯の準備ができた食卓ではなく、イルカとカカシが寝ていた寝室だった。
和室にダブルベッドが置いてあるだけの殺風景でもあり、あからさまな感じの部屋に踏み入るなり、ツバキは小さい体に似合わない力でイルカをベッドの上に投げた。
「は? ツバキ?」
一体何が起きてるのだと理解できないまま、柔らかいベッドから身を起こそうとすれば、ツバキはそれを制するようにイルカの体に跨る。
思ってもみない状況にぽかんと口を開けていれば、ツバキはイルカの肩を押し、自身も上半身を屈めると、鼻先が触れ合うほど顔を近づけて言った。
「イルカさん、私を抱いてください」
軽いですが、ようやく誘惑されました!
そして、うっかりリンクしていた時にあげていた4とは話が変わっております。ややこしくてすいません。しくじった!!
そして、テンゾウさんの喋り方がよく分かりません……orz