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「……イルカ先生。シャンプー替えました?」
「へ?」
放課後。
職員室で明日の授業の下準備をしていた時、くのいちの先生に話しかけられた。
一瞬、何を言われたのか分からず、ぽかんと口を開けていると、真向かいに座る腐れ縁が口を出してきた。
「にっぶいわねー。くのいちが羨むほどのキューテイクルの光を放っていたあんたの髪が、ぼっさぼさの石鹸で洗いましたよ的な質の悪い髪質になったから、不思議に思ったの」
眉根を寄せて、幼馴染のいとのマキが上部を指さしてくる。
「か、髪?」
思わぬことに、隣の同僚に視線を向ければ、俺と同じように首を傾げている。
普通、気付かないよな。


じっちゃんに泣きついてから、俺の日常生活は平穏を取り戻した。
どうやって男のキチガイじみた行動を止めたのかは予想もつかないが、夜に会うこともなくなり、怪我もなくなり、俺にとっては万々歳の日々だ。
一楽を奢ってくれと強請るナルトに探りを入れた限りでは、男は上忍師から外されておらず、七班の指導を続けているらしい。
まぁ、とにかく、じっちゃんから言われたこともあるし、俺は男とはなるべく関わらないように、受付任務も極力減らしていた。
これぞ俺が求めていた生活だと、手放しで喜んでいたのに、頬に手を当て俺を見詰めるくのいちの先生は、続けてこう言った。
「それに、肌艶も最近悪いですし。……何か心配ごとでも?」
首を傾げるくのいちの先生に、俺は驚くばかりだ。
男との関係に悩みに悩んだ時は気付かれず、問題が解決した後に声が掛かるとは。
俺のポーカフェイスはそれほどに優秀だったのかと、一人悦に浸っていると、マキが後に続いた。
「……あんたさ、食生活どうなってんの? その肌艶の悪さは不摂生だと、私は見てるんだけど」
目を半眼にしてこちらを見詰めるマキは、さながらスーパーの生鮮食品売り場で、新鮮な野菜を得ようとする主婦並みに鋭い。
「え? えーと、カップラーメンで済ますことが多いけど……」
子供たちに食生活の重要性を説いている口で、己の自堕落な食生活を告げることが激しく良心を傷めつける。だが、横に走らせた視線の先、俺と同じく独り身の同僚も、さっと視線を伏せていることからして、男の一人生活なんざそういうものだと力を得る。
「ふーん。教師、失格ね」
「それは……。いただけませんね」
女性二人の至極正論な言葉に、俺の良心は血を噴く。くそ、ここは敵地か!
道連れ要員として、隣に目を光らせば、同僚の頬がひくりと動いた。
逃げる素振りを見せる同僚の肩を掴もうとすれば、それより先にくのいちの先生が俺を覗きこみ、満面の笑みを見せてくる。
突然の笑みに訳も分からずこっちも愛想笑いを浮かべれば、くのいちの先生は「今日、この後空いてますか?」と切り出してきた。
「なにぃ?!」と隣の同僚が焦った声を出すのを聞きながら、俺は「空いています!」と拳を握る。
何たって声を掛けたのは、アカデミー教師の非常勤で、なかなか会話することができない女性で、教師の中でも一番若くて断トツで可愛くて、おしとやかで、嫁さんにしたいNO1の、コヅエ先生だったのだから!!
「ずっりぃぞ、てめ! おれもいく、おれもいく」と、横から掴みかかってきた手を適当にあしらいつつ、春がきたーと胸を高鳴らせた俺に、冷水を浴びせかけたのはマキだった。


「じゃ、決まりね。本日、7時。場所は酒酒屋。メンバーは、私とコヅエ、ササ。そして、イルカ、あんたよ!!」
席を立ち、大仰な仕草でこちらに人差し指を向けてきたマキに、「はぁぁぁ?!」と素の声が飛び出る。
ちょっと、待て! コヅエ先生は俺と二人きりで――。
「はい! 私、イルカ先生に聞きたいことがあったんです。それに、ササさんとも色々とお話したかったですし……、嬉しいです」
突然、話を振られたササは、はにかむコヅエ先生の笑みを受けて、頭を掻いて照れ臭そうにしていた。
おいおい、何だ、それ!!
「さぁ、楽しい飲み会のためにも、さっさと仕事終わらせるわよ!!」
『はい!』
マキの号令に、元気よく返事を返す二人の声を聞きつつ、自分が噛ませ犬だった事実に静かに凹んだ。


残業を終え、酒場に繰り出すぞと拳を振り上げるマキに、いいよ、俺は行かないよと、すでに良い感じに盛り上がっているササとコヅエ先生を前にごねていれば、マキに首を絞められて連行された。
居酒屋のざわついた活気が、ささくれ立った心をますますささくれ立たせる。
座敷に通され、適当に注文した後、早くもビールジョッキと突き出しが四人分運ばれてくる。皆に行き渡った後、マキがジョッキを掲げた。
「はい、今日も一日お疲れ様ー、かんぱーい!」
『かんぱーい!』
「……かんぱい」
かちんかちんと冷えたジョッキを突き合わせ、豪快に飲み込み、ぷっはーと大きく息をつくマキに続き、ササとコヅエ先生もお互い顔を合わせて笑い合っていた。
二人の仲良さげな姿にやさぐれつつ、突き出しのきんぴらを口に放り込んでいれば、マキは「で」と静かに問いかけてくる。


「は?」
唐突に話を促され、俺は顔を歪める。
隣に座ったマキはすでに酔っ払っているのか、俺の腕を小突きつつ、にやりと笑みを浮かべた。
「イルカー。あんた、女に逃げられたでショ」
マキの一言に、含んでいたビールを吹き出してしまった。
「うお、きったねー!」
真正面に座ったのがササで良かった。
おしぼりで卓を拭くササとコヅエ先生を尻目に、マキへ向き直り、俺は素っ頓狂に叫ぶ。一体、全体どうしてそんな発想がでてくるんだ。
「はぁ? お前、何言ってんだ?!」
否定の感情を大にして言った言葉を、マキは照れ隠しだと判断したらしい。
「あー、やっぱり図星ぃ〜? イルカ、今ならまだ間に合うって。あんたの不摂生かつ、髪が急に汚くなったのって、一週間前くらいじゃない。まだまだどうにでもなるわ」
ぽんぽんと力強く両肩を叩かれ、俺は何と言っていいか分からなくなる。
「そうですよ、イルカ先生。曲がりに曲がったイルカ先生の肌と、ぱさぱさだった髪をあれほど美しくしてくれた彼女さんですもの。今なら、絶対間に合います。ここは勇気を出して、攻めるところですよ!」
コヅエ先生も、何故か瞳を輝かせて力説してくる。
いやいやいや、違う。二人とも違うから、マジで!!
「あー、そいやー。そのときのお前って、ちょっと引き締まってたよな。それも彼女とやらのおかげだったのか?」
続いて飛び出てきたササの言に、目が見開く。
痣だらけの体だったために、人の目を避けて着替えをしていたというのに、いつ目撃されたんだろう。
いやいや、それより同僚が傷だらけなのに、何もアクションを起こさないこいつってもしかして薄情者? 子供たちには優しいササ先生と慕われている癖に、同僚には一瞬たりとも心を傾けられない冷血人間だったのか!?
やだ、俺の教師人生、同僚運ないと、顔を青褪めさせていれば、ササは「ちげー!」と全力で否定した。
「アンダ―姿のお前見て、思ったんだよ! 誰が、野郎の裸をマジマジ見るかって」
あぁ、なんだ、そういうこと。
バレていないことにホッとしつつ、俺は改めて口を開く。
「ご期待に添えず悪いけど、彼女なんていないよ。俺は寂しい独り者です」
そもそも前提からおかしいとビールをちびちび飲んでいれば、女性陣から顔を顰められた。
「いや、そんな顔されても、いないもんはいないんだって。俺が女性と歩いてるところなんて見たことないだろ?」
俺の一言に「あー」という納得の声があがる。あ、なんだ、これ。自分が言ったとしても、ちょっと悔しいぞっ。
内心の複雑な気持ちを押し殺し、だろと肩を竦めれば、ササがまぁなと頷いた。
「はたけ上忍と一緒に歩いているところはよく見かけたけど、女性はねぇな。マキ先生もコヅエ先生も、一体どうしてそんな話になったの?」
ササの言葉に、一瞬、動悸が速くなる。不意打ちに名前を聞いたからだと、そう自分に言い聞かせた。


ササに問われ、二人はお互いの顔を見合わせて、だってねぇと言葉を漏らす。
「本当にあり得ないくらい、髪綺麗だったんだもの」
「肌も本当に滑らかで、私、イルカ先生に美肌の秘訣をお聞きしたかったんです」
ねぇーと、二人で首を傾げる様は、腐れ縁のマキがいたとしてもちょっと可愛いと思ってしまった。
「じゃ、彼女関連は抜きでいいから、その秘訣を教えてよ、イルカ!」
「ぜひお願いします、イルカ先生!!」
女性陣の懇願の眼差しに晒されて、心持ち後ずさる。
秘訣と言われても、あのときは……。


男に痛めつけられていた時のことを思い出す。
俺は失神するまで暴力を受け、気付くのはいつも朝だった。
と、いうことは、だ。
色々思い返して、今まであえて考えていなかったことを思わず直視してしまい、気付けば体中に熱が走っていた。


「うわ、やっだ、やらし!! あんた、何、顔真っ赤にしてんのよっ」
「もう、イルカ先生! 彼女いないって、絶対嘘でしょ! なんで秘密にするんですかっ」
「うっわー。お前、絶対、むっつりスケベだろ」
顔を手で覆い隠し、三人の言葉に首を振りつつ、俺の身に起きたであろう映像を急いで消そうとするが、脳裏に焼けついてなかなか消えてくれない。
そうなのだ。
俺は毎晩風呂に入れなかったのに、毎朝起きる度に身綺麗だったのは何故かという話になる。しかもご丁寧に、新しい下着と寝巻に着替えさせてくれてくれたのは、一体誰だということだ。
考えなくても答えは出る。
カカシ先生。
それ以外、誰が俺の部屋まで運んで、風呂をすませて着替えまでさせてくれるだろうか。


「なぁ。意識のない男一人を風呂に入れるのって、大変だよな」
ゴンと卓に額をつけて、聞いてみた。
一瞬、三人の息を飲む音がして、戸惑う気配と何かを身振りしている気配が伝わる。
「――なぁ?」
答えてくれよと頬を横につけて、真正面のササを睨めば、ササは一瞬視線をさ迷わせたが、両手を膝につけ言い切った。
「当たり前だ。そんな七面倒臭いことする奴の気が知れねぇよ。重いし、でかいし、面倒だろ」
思っていた通りの言葉に、だよなぁとため息を吐く。
水滴がついたジョッキに触れながら、カカシ先生を思った。
カカシ先生が俺に闇討ちをしかけてきたのは、カカシ先生が里にいる時だ。
それは、任務後でも出立前でも関係なく、里にいる時は必ず姿を現した。
時には、任務の凄惨さを物語る格好で現れ、度肝を抜かされたこともあるし、明らかに負傷した態で俺の前に姿を現した事もあった。
でも、恒例の暴力に晒され、気絶した後に起きれば、俺の体は身綺麗にされ、手当てされており、一枚のメモと朝食が残されていた。
矛盾しまくるカカシ先生の態度に、納得のいかない疑問が後から後から浮かぶ。
一体何でだ? 疲弊している時まで、どうして俺の面倒なんて見るんだ? なんで放っておかなかったんだ?
もう関わらないと決めたのに、三代目からも言われたのに、未だ気になり続ける己の優柔不断さに嫌気が差した。


「うあぁぁ、ぁぁぁ、ぁぁっぁ」
額当てをずらし、俯きざま、卓に額をぶつけた。
ガンガンガンと確かな振動と痛みを感じながら、うろうろと迷っている己にどうしたいのか尋ねる。
「やだ、イルカ、こわい!!」「しっかりしろ、傷は浅いぞ!」「だからイルカ先生、ここは攻め時ですってば!」と、周囲で騒ぎたてる声が聞こえたが、無視してガンガンと額をぶつけていると、
「……あのぅ、お客様?」
気まずそうに声を掛けられた。
ぱっと体を起こせば、固い笑みを浮かべ困っている店員さんがいた。その手には注文した料理が載せられている。
「あ、すいません。どうぞ」
もうしませんと両手を上げ、料理の場所を譲れば、店員さんは何か言いたそうな目で俺をちらりと見た後、全ての料理を卓に載せて去っていった。
「……好感度、下がったかな」
「下がりまくりでしょ。というか、引いたわよ、絶対」
マキの確信に満ちた言葉に、はぁーと重いため息が出る。
酒酒屋は安くてうまい、中忍にとって救いの居酒屋だ。出入り禁止になることだけは避けたい。


運ばれてきた料理の中から、揚げ豆腐をつまみつつ、俺はマキに尋ねた。
「なぁ。髪にキューティーなんたらをできるようにするのって、大変か?」
鳥の唐揚げを抓もうとしたマキの手が一瞬止まり、直後、片膝を立てて箸を握りしめた。
「あったりまえよー! あんた、キューティクルってもんは剥げたら、なっかなか元に戻らないのよ?! 髪洗っても乾かしてないであろうあんたの死滅寸前のキューティクルを、見事に復元して、あまつさえ天使の輪までこさえた、彼女の努力は並大抵のもんじゃないわっっ」
ぐわぁと目を見開き、力説してきたマキに、ちょっと引く。
へぇと引き気味に相槌を打てば、斜め前からコヅエ先生も熱く語り出してきた。
「しかも、イルカ先生の場合、お肌もですよ! 不摂生祟って、乾燥、油の混合肌荒れっ。ニキビというよりは出来物もあちらこちらにあったにも関わらず、劇的なまでの素肌美人になってるなんて、私、びっくりして何度も見ちゃったんですから! 一体、どうやってあんな肌美人になったのか教えて欲しいですっ」
両拳を握り、悔しそうに振るコヅエ先生の言に、何と返していいか分からない。
でも、とりあえず分かったことは……。
「……お前、愛されてんなぁ」
うん。そうそう、愛され……。


「はぁぁぁ!?」
頷きそうになった首を寸でで止め、とんでもないことを言ってきたササを凝視する。
「なんで、驚くんだよ。話聞く限り、そうじゃね? 自分の時間割いて、キューティクル作り上げるわ、肌の改善するわで、随分とお前に尽くしてるじゃねぇか。おれにはよく分からないけど、大変そうだし」
ねぇと、女性陣二人に同意を求めたササに、二人は激しく頷いた。
そ、そんなバカな!!
思ってもみないことに慌てふためいていれば、マキが冷たい眼差しを差し向けた。
「あのね、イルカ。あんた、今まで何を見てきたの? にっぶーい、相当にっぶーい、目の前であんたにあからさまなモーションをかけている女がいても、ガン無視するほどに鈍いあんただから、まぁ想定内っちゃ想定内だけども。この彼女に対しては、きちんとした態度取って、イエスなりノーなりきっちり返答しなくちゃ駄目よ! 優柔不断な態度は厳禁だからね」
ドンと卓を叩いて言い聞かすマキに、言葉が出ない。
これは新解釈だと楽観的な俺が顔を出すが、すぐさまないないないと否定した。
愛されてるなら、なんで俺は気絶するまで殴られなきゃなんねーんだ。


あり得ないと手を振る俺に、マキとコヅエ先生は猛反発してきた。
「なんで、あんたはまったトロクサい、鈍い発言してんのよ! ここまでくると、女の敵だわ、敵っっ」
「イルカ先生、しっかりしてください! 好意を寄せていないのに、そこまで面倒見てくれる方なんて、この世に存在しませんから!」
今にも卓を叩きつけそうな二人の燃え上がりように、ため息がこぼれる。
全く話にならない。
ぷいっと顔を背けて、女性二人の言い分を無視した。
女性って、どうしてこうも恋やら愛やらに結びつけようとするのだろう。
結局、俺は飲み会の間中、隙あらばねじ込もうとしてくる女性陣二人の新解釈を無視し続けた。





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オリキャラが乱舞してすいません…。前向きなイルカ先生、大好きだ〜。








白光3