「ほんじゃ、おつかれー! また明日も頑張りましょうね〜」
「はい、お疲れさまです。また明日」
「おつかれー」
ふらりふらりと体を左右に揺らせるマキの肩を担ぎ、コヅエ先生を送るというササと別れた。
別れの挨拶をした後、一度もこちらを振り向かずに、楽しそうに歓談する二人は、春の香りを漂わせている。
それに引き替え、俺は……。
「あー、もうちょぉぉぉっと飲めば良かったかなぁ。何ならこれから二次会する? にっじかぁい」
などと、まともに歩けない癖して、まだ酒を飲みたいと宣う酒乱を送り届けねばならぬとは!!
真っ先にコヅエ先生はおれが送りますと、先手を打ってきたササに嫉妬の嵐が吹きまくる。
ササめ、この借りは必ず返す!!
一人、ササへの復讐に燃えていると、マキは勝手に歓楽街への道を歩もうとするのに気づいた。この、酒乱め!!


「マキ。今日はもうお開きだ。お開き! さっさと帰らねーと、オリさんが心配するだろ。しゃんしゃん歩けよ」
「はーー? オリなんて人はしっりませーん。そんな人、見たこと、あっりませーん」
そう言って、ケタケタと笑うマキに、これは喧嘩したなと見当つける。
マキには、はたのオリさんという恋人がいるのだが、不思議なことにマキは恋人じゃないと常々言い張る。
オリさんの家にしょっちゅう行っては、身の回りの世話を見たり、毎晩一緒に飯食ったり、休日には二人で出かけているくせに、こいつは一体なにを言っているのだろう状態だ。
オリさんはとても穏やかな人で、そういうマキを見ても、「恥ずかしがってるマキってかわいい」とノロケてくる具合だ。
だから、喧嘩といっても、いつもマキが一方的に怒って一方的に反省して、一方的に仲直り宣言をしている。
二人を見ていると、変なカップルだと常々思う。


「あのなぁ、マキ。たまに飲んで憂さ晴らしするのはいいけど、今日みたいに自棄酒して、足腰立たなくなるまで飲んだりすんなよ。俺がいるからいいものの、お前、一応女なんだから、危ないぞ? オリさんだって、相当に心配してるんだからな」
前々から思っていたことを、マキに伝える。
今頃、家の前でマキの帰りをうろうろと待っているオリさんを思うと、非常にやるせない。
「んなの、わかってるわよ。イルカがいるから、ここまで飲めるに決まってるでしょ」
むっと顔をしかめたマキを、意外に思う。俺って、マキから信頼されてんだな。
男としてどうよと思うが、相手は、お互い鼻水垂らしていた頃から遊んでいたマキだ。俺もそうだが、マキも俺に対して、男女の関係として見れないのも当然かと思う。
「……まぁ、分かってるならいいんだけど」
ちょっと照れくさくなって、鼻傷をかいた。
大通りをゆっくりと歩き、住宅街が密集するマキのアパートへの道を進む。
空には満月が輝いていて、街灯が少ない道も、明るく照らしてくれていた。


「ねぇ、イルカ」
夜の空気に包まれた道を言葉もなく歩んでいると、隣のマキから声がかかる。
んと、小さく返事をすれば、マキは息を吐き、小さな声で呟いた。
「ちゃんと彼女の気持ちを分かってあげなよ」
また話を蒸し返すのかと、咎めるように視線を落とせば、理性が宿った瞳をこちらに向けていた。
酔いが醒めたのかと、相変わらず肝臓の動きが素晴らしいマキを茶化そうとすれば、マキは立ち止まって、俺の肩から腕を抜いた。
「彼女ね、きっと、イルカのことが大好きなんだよ。好きで好きでたまらなくて、本心を告げたいけど勇気が出なくて、イルカの面倒をいつでも見たいけど、それを口に出すのは恥ずかしくて!!」
最後、叫ぶように言った言葉に、思わず周りを見てしまう。今、時刻は0時になろうとしている頃だ。
近所迷惑だと、人差し指を立てて静かに話せと身振りで示すが、マキは全く意に介してくれない。
仕舞には、どこぞの舞台女優かと突っ込みたくなるほどの朗々たる声を響かせてきた。しかも、拳を握りしめての熱演ぶりだ。
慌てる俺の目の前で、マキはずばんと指を指し叫ぶ。
「あなたには、分からないでしょうね!! この切ない思い! にぶちんのあなたには到底分からないでしょうね! この私の葛藤が!! いつも笑って全部許してくれるあなたの優しさに、私は甘えてばかりで! そこでもっと言ってくれたら! もっと強く窘めてくれたら、私だって、私だって…!!」
周囲の住宅から明かりが灯り始めたのを見て、シーシーと唇に手を当て、マキに近づけば、マキは一つ大きく肩を揺らした後、うわーんと突然泣き出した。
「あぁぁぁぁぁ、オリのばかぁぁぁ。私が素直になれないのはあんたのせいだぁぁぁ! 私が言う前に全部言っちゃうから、私何も言えないじゃないのぉぉ」
おーいおいおいと、地面に伏して泣き始めたマキに、背中から冷や汗が吹き出た。
その頃には、窓が開く音がして「うるせーぞ」とか「何、女泣かしてんだ!」とか、近隣の方々のお怒りの言葉が浴びせられる。
「す、すいません、本当にすいません! こいつ酔ってまして、本当、すいません!! ほら、マキ行くぞ、帰るぞ!!」
正気に返ったと思ったのは、目の錯覚だったかと、マキの泥酔っぷりを呪っていれば、マキは「嫌よ離してよ」と暴れ出した。
くっそ、ここ何ヶ月かの俺、天誅殺に見舞われているのかと、悪態をつきつつ、地面と仲良くしようとするマキを無理矢理立たせた瞬間。


「オリのバカァァァ!!!」
俺の右頬に、思いっきり固いものがぶつかり、振り抜かれた。
完全に油断していたのもあるが、マキもマキで酔っている癖に腰に力を溜め、捻り気味の突きを放ってくるので質が悪い。
もろに受けた俺は壁まで吹っ飛び、激突した。
あぁ、この感触。なんか、懐かしい。
一瞬、毎晩世話になった壁の固さを思い出し、イっちゃった考えをしてしまう。
「あぁぁぁぁ、オリー、オリー」と、再び地面に座り、泣き出したマキに、泣きたいのは俺の方だと身を起こしたとき。


「マキ? どうしたの、マキ」
こちらに駆け寄ってくる気配を感じた。
マキも現金なもので、それが自分が求めていた人物と知るなり立ち上がり、顔を輝かせて両腕を広げる。
オリさんは、マキの望みを叶えるべく、その腕に素直に飛び込んで、マキを思い切り抱きしめた。
ごろごろと喉を鳴らしそうな勢いで、幸せそうに目を細めたマキを見て、俺はようやくお役御免だと息を吐いた。
でも、右頬がかなり痛い。一体、俺が何をしたというのだろう。
一人たそがれる俺に気づいたのか、オリさんはマキを抱きしめたまま、すなまそうな顔で頭を下げた。
「ごめんね、イルカくん。また、マキが面倒かけちゃったみたいで……。血、出てるけど、大丈夫?」
常識人なオリさんの一言に、俺は癒される。
「あ、大丈夫です。大丈夫です。こんなの舐めとけば治りますから。あの、マキを任せてもいいですか?」
一応尋ねれば、オリさんは大人の余裕を保ったまま、もちろんと頷いてくれた。
それにほっと胸をなで下ろしていれば、オリさんはマキを見つめて、嬉しそうな困ったような笑みを浮かべている。
何となく気になって見つめていれば、オリさんは俺の視線に気づき、「ごめんね」ともう一度呟いた。
「イルカくんには、とんだとばっちりをさせちゃったね。マキね、恥ずかしがり屋さんだから、色々と素直に言えないことがたくさんあるんだ。僕も、辛抱強く待てばいいんだけど、つい先に口出しちゃって、マキの言いたいことを奪っているんだ」
安心したのか、すやすやと寝息を立て始めたマキの髪の毛を撫でながら、オリさんは言う。
はぁと、相づちを打つと、オリさんは「難しいんだ」と笑う。
「マキは言いたいこと言えないんだけど、表情豊かでね。顔を見ていれば、だいたいマキの言いたいことが分かるんだ。だから、ひどい態度や言葉を取っても、その後の表情で本気か照れ隠しか、つい口走って言ったことなのかとか、分かるんだ。だから、マキが僕のこと大好きって、愛してるって言ってくれているのも分かっちゃうんだよね」
てらいもなく言い切った言葉に、こちらが赤面してしまった。
何というか、ごちそうさまですと言うしかない。


「まぁ、でもこんなになって、イルカくんに度々迷惑かけることも悪いから、僕もちょっとは我慢することを覚えるよ。ーー今日は、ありがとうね」
オリさんが深く礼をするのを見て、こちらも慌てて礼を返す。
俺の慌てる素振りがおかしかったのか、オリさんは笑いながら「おやすみ」と手を振ってきた。
「おやすみなさい」
こちらも手を振り返して、マキを真正面から抱えて家路へと帰る、オリさんの後ろ姿を見送った。
二人の姿が夜の闇へと消えたのを目に収め、回れ右をして、俺も家路へと足を向ける。


マキとオリさん。
仲がよくて、何の悩みもないと思っていたが、お互いにいろんな葛藤を抱えているのだなぁと知る。
マキがやけに俺の噂の彼女について突っ込むと思えば、マキは自分と噂の彼女を同一視していたようだ。
「……どう考えても、あり得ないだろう」
カカシ先生が、マキと同じ考えを持っていると想像して、ないないないと手を振った。
想像するほどに馬鹿馬鹿しくて、小さな笑いがこぼれでる。
マキがオリさんを大好きなように、カカシ先生も俺のことが大好き、なんて。
ひとしきり笑った後、なんとなく胸にすきま風が吹いたような寒々しい心地になった。
「大好き、か」
あーぁと、上空に浮かぶ満月を見上げて、息を吐いた。
直後。


「――どういうこと?」
ぽつんと聞こえてきた、静かな声に、鼓動が跳ねる。
思わず振り返った先には、男がいた。




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カカシ先生の出番が少ないですね…。







白光4