「もういい加減下ろしてくださいよ! 自分で歩けます」
嫌だというのに横向きに抱きかかえられ、強引に歓楽街を突っ切ったカカシさんにもう勘弁ならぬと主張した。
だいたいこの人はやることなすこと派手過ぎる。突然、飲み会に乱入してくることといい、わざわざ人目の多いところを選んで、密着具合を見せつけることといい……。
「俺だって、あんたとの仲は隠すつもりねぇのに…」
ぶーたれて文句を言ってみたが、カカシさんには聞こえていなかったようだ。
「ん?」と幸せそうな笑みをだだ漏れさせて俺を見下ろしている。
このことについては、要相談だなと心に決め、いい加減下ろせと服を引っ張る。すると、浮かれていたカカシさんの眉根が寄り、非常に悲しげな表情を浮かべた。
う…、縋るような目がかわ――いや、いかん! ここでオッケーしたら、俺は二度と地面を歩けなくなるぞっ!!
基本、私生活は感情の赴くままに行動するカカシさんは、一度気に入れば、それが日常となるように巧妙に仕向けてくる。
一度許せば、あれよあれよという間に、日常生活になっていたと、後から気付く具合だ。毎晩の風呂しかり、これ以上、羞恥事項を増やしてなるものかと、俺は闘志を燃やす。
毎朝、姫抱っこで登校する自分なんて、断固拒否だ。
「カカシさん、境界線です」
顔に笑顔を張りつけ、譲るつもりはないと毅然に言った。
すると、カカシさんはどことなく髪の毛まで萎えさせて、「はい、境界線です」と、しぶしぶ俺を下ろしてくれた。
しょぼーんと目に見えて気落ちするカカシさんに、ため息を吐き、はいとカカシさんの前に手を出す。
「手を繋いで帰るってのは、嫌ですか?」
鼻傷を掻いて提案すれば、カカシさんは嬉しそうに首を振って手を握った。爪を立てて。
手の平に、容赦なく爪が食い込み、いってぇ! と、心の中で悲鳴をあげる。
でも、手加減してくれるそれを涙を飲んで我慢した。
これなら姫抱っこの方が良かったのではないかと気弱な自分が出てくるが、それは俺の人格を一生棒にする話にも近いため、俺はこれでいいのだと己を納得させる。
きゅっきゅと、緩急つけながら爪を立てるカカシさんの手を握り、自宅に向かって歩く。
街灯が少ない道は暗く、上空にかかる三日月の光さえ地上には落ちてこない。でも。
隣を見て、明るいなぁと思う。
カカシさんは、暗い夜道でもきらきらと光って見える。
始めは銀色の髪が光っているのかと思ったけど、反射するほどの光量がないところでも光っているから、どうも違うらしい。
他の奴に聞いたことがないから分からないけど、俺にはカカシさん自身が光を放っているように見える。
存在というのか、カリスマ性と言い換えるのことができるのか。カカシさんの周囲には白い光が常に覆っていて、日が出ている時でも、夜になれば特に、カカシさんがいるか、いないか、瞬時に分かる。
そこまで考えて、こんなこと人に言えないよなとぼやく。
どこにいるか一目で分かるなんて、惚気以外の何物でもない。
俺って案外ロマンチストだったんだなぁ。
自分の知らぬ一面に照れていれば、カカシさんがこっちを見ていた。眉根が寄って、目も面白くなさそうに細めている。
「ど、どうしたんですか?」
疾しいことを考えていた訳ではないが、本人にあんたのことを考えてたと言うには恥ずかしくて、取り繕うように聞いた。
「……イルカ先生。ナルトのこと考えてたんでショ」
飛び出た言葉に、思わず瞬きする。
「はい?」
一体、どこからナルトが出てくるんだと不思議に思っていれば、俺の「はい」を肯定に捉えたらしい。
カカシさんは足を止めると、おもむろに口布を下げた。そして、俺を引き寄せるなり、がじりと首筋に噛みついた。
「って、痛ぇぇぇ!! 何すんだ、あんた!!」
遠慮のない噛み方に思わず手が出た。
ごんと脳天に落とした拳にも負けず、カカシさんは首筋に噛みついている。
ふっと鼻をついた血の臭いに、境界線はどうしたと叫ぶ寸前。
カカシさんは首筋から顎を解き、拗ねたように言った。
「境界線です。血が嫌いでも、ここだけは聞けません」
何だそれと、一瞬言葉に詰まる。
首筋周辺のアンダーに冷たさを感じ、また思い切りやってくれたなとポーチから清潔な布を取り出して、患部を圧迫する。
一つため息を吐いて、カカシさんと向き合った。
「理由、教えてくれますか? ここだけ血を出さなきゃいけない理由。残念ですけど、あんたの考えは俺には理解できないことの方が多い」
まずは理由を聞いてからだと、腰に手を当てれば、カカシさんは「だって」と視線を落とした。
「あんた、ナルトのためにでっかい傷こさえてるじゃない。それに対抗するには数で勝負するしかないでショ」
あんなでかい傷をもう一個つけたら、あんた死んじゃうかもしれないしと、拗ねるように、カカシさんは道路に転がっていた小さな石を蹴る。
それに、んんと眉根を寄せて、考えをまとめる。
つまり、なんだ。ナルトを庇ってできた傷も、カカシさん的には浮気をされたようなもので、それを乗り越えるには、自分も痕になる傷を残さねばならない、と。
頭で整理して、ふと疑問に思う。
「あの、俺、任務中に痕になった傷がいくつもありますが、それはどう思っているんですか?」
俺の言葉に、カカシさんは訝しげに眉を寄せる。
「何言ってるの。お仕事での傷と、私生活の傷じゃ、全然意味合い違うじゃない。そんなこというなら、オレだって傷だらけだーよ」
今更何を言っていると、反対に睨まれ、ついすいませんと謝ってしまう。でも、それを言うなら、ナルトの傷だって。
「あんたね…。今まで気づいてなかったの? ナルトを庇った時のあんたは忍びじゃなくて、うみのイルカだったの。忍びなら、人を背中で庇う選択は絶対しないよ」
もっと早くにあんたと会っていればこんなことにはと、ぶつくさ文句を言うカカシさんに、あぁ、なるほどと今更ながらに納得した。
確かに、元同僚と敵対して思うように戦えなかったとしても、大手裏剣からナルトを守るために背中で受け止めるような、非効率で危険なことをする必要性は全くない。忍びは常に効率と合理性を持って任務に当たる。
と、いうことは、あの場にいた俺は忍びではないただのうみのイルカで、忍びとしての理性を忘れるほどに、ナルトを思った証で。
背中の派手な傷は、忍びとして少々情けないと思っていたが、カカシさんのおかげで見方が変わる。
俺ってなかなかやるじゃないかと、忍び笑いを漏らせば、「それ!!」とカカシさんが指をさして噛みついてきた。
「それ?」
「そう、それ!! あんた、ナルトのこと考えているとき、いい顔してんの! 子供とはいえ、ムカつくの。あんたの一番はオレじゃないと、我慢できない」
毛を逆立てるようにこちらを睨むカカシさんから、つい顔を逸らす。
あーぁ、本当にこの人は真っ直ぐにものを言うよなぁ。
火照る顔を擦って熱を散らせ、俺も少しはカカシさんを見習うことにした。
「分かりました。首筋のみ、血出してもいいですよ。ただし、出血多量で死んだりはご免ですから、加減してくださいよ」
ぱぁぁと顔を輝かせ、「はい」と返事をしたカカシさんの元へ近づく。
唇についた血を親指で取ってやれば、手を摑まえられ、舐められた。
「……あんた、俺の血なんて飲んで腹下したりしないんですか? 衛生面上、かなり悪いと思うんですけど」
俺の傷はカカシさんが消毒してくれるからまぁいいものの、人の血を飲むことが、体に悪そうな気がしてならない。
カカシさんは首を傾げ、お腹をさする。
「腹下したことないし、飲むっていってもちょっとだけしか飲ませてくれないじゃない。舐める程度の量で、どうにかなるわけなーいよ」
飲んでいいと言ったら、ごきゅごきゅ飲まれるのだろうかと、首筋に食らいついたカカシさんに血を吸われる様を想像して、全身に寒イボが立つ。
ぞくぞくする全身を腕をさすることで宥めていれば、それにとカカシさんが続けた。
「あんたの血って、なんでか知らないけど、昔から甘いんだよーね。そんで、すっごく優しいの」
にこっと笑って、歩き出した背中を思わず見送る。
昔? あれ、そういえば、カカシさん、ナルトの傷には数で勝負って…。
鼻歌を歌いだしそうなほど上機嫌なカカシさんの背中を見つめて、もしかしてとある可能性を見出して、駆けた。
「カカシさん! 俺とカカシさんて、昔に会ったことあるんですか!?」
「んー、今日は何作ろうかなぁ。イルカ先生もオレも結局夕飯食べ損ねたし」
「ちょっと、カカシさん!!」
カカシさんは素知らぬ顔で、今晩の夕飯の献立を諳んじる。
それでも食らいつくけど、カカシさんは言うつもりはなさそうだった。
「なーんで、教えてくれないんですか! ケチ! 境界線!!」
「この場合の境界線は無効で〜す。イルカ先生に言っても、全然覚えてないことだろうし」
むぅと唇を突き出せば、カカシさんは笑った。
「ま、言えることがあるのは、イルカ先生がオレの初恋で、プロポーズした唯一の相手ですよ」
顎を持たれ、カカシさんの顔が近づく。
キスされるのかと神妙に待っていれば、カカシさんの唇は鼻の真ん中当たりに触れて、甘噛みされた。
その場所には……。
ん? と、眉根を寄せる俺に、カカシさんはくすくすと笑い声を漏らし、「今日はカレーにしよう」と、走り出した。
何か分かりそうで、でもあと少しのところで分からなくて、俺は走るカカシさんの背中を追いかけて、駆けだした。
「もう! そこまで言うなら、全部教えてくださいよー!!」
「だーめ。でっかい傷こさえたお仕置きです。イルカ先生もオレみたいに不貞腐れればいいんですー」
振り返るカカシさんは、幸せそうに笑っていて。
暗い夜道の中、光を零すように走り抜ける様はまるで流れ星のようだ。
その行く先にある場所が、自分の部屋だという事実が嬉しい。
家についたら、口を割らない流れ星を腕の中に捕まえてやろうと思う。
どこにも行けないように、あんたが落ちるのはここだけだと知らしめるように。
俺だけの、綺麗な流れ星。
白い白い光に包まれた、俺だけの大切な人。
俺もあんたにとっての流れ星であったらいい。
あんたの望みを叶えられる、あんただけの願い星に。
……うぅん。最後、ちょっと書き直すかもしれません…。