ビンゴブックに載った男2
イルカ先生と出会う切っ掛けをくれたのは、オレが初めて受け持つ下忍の子供たちだった。
合格したことを恩師に報告すると沸き立つ子供たちに連れられたそこにかの人はいた。
中忍のうみのイルカと名乗った青年は、顔のど真ん中に大きく横切る傷があること以外、特に記憶に残らない平凡な容姿をしていた。
黒髪を頭のてっぺんで縛り、正規服を歪みもなく身に着け、ぴんと伸びた背筋は、まさに謹厳実直を絵にかいたような印象で、こちらを真っすぐに見つめる黒い瞳は、薄暗いものを持つ者からしたら非常に刺さるものがあった。
当たり障りのない挨拶をお互い交わしつつ、そこはかとなく苦手意識のようなものを覚えたオレの第一印象は、次の瞬間、覆されることとなった。
「お前らっ、良くやった。おめでとう!!」
オレへの挨拶が終わるや否や、目の前の青年は子供たちの目線に腰を下ろすと、両手を広げ力いっぱい抱きしめた。
オレに向けていたきつそうな印象はどこへやら、三白眼気味の眦を垂れさせ、あろうことか瞳に涙を浮かべているから驚いた。
「もうー、先生ってば」
「大げさだってばよぉ」
「……ふん」
腕の中に素直に収まる子供たちは、全幅の信頼をもって自分たちの体に縋りつく恩師へ恥かしさと誇らしさが入り混じった表情を見せている。そればかりか、鼻を啜りだし始めた恩師を逆に慰める始末だ。
思わぬ成り行きに呆然としていると、今度は子供たちの頭を撫で始めた青年は、オレに向かってくしゃりと笑った。
「お目汚ししてすいません。朝からずっと緊張しっぱなしで、特にはたけ上忍が課す試験は厳しいと火影様から言われていたもので、本当、どうなるかと……」
うぅっと顔を伏せてぐすぐすと鼻を鳴らす恩師に、子供たちは明るい声で笑いだす。
笑いごとじゃないんだぞ、試験受ける中でお前らが一番胃にきたんだからなと打って変わって怒り出す中忍先生。
子供たちに合わせてころころと変わる表情は、オレの周りには全くいないもので、奇妙なものに出会った心地になった。
そして、その中忍先生は
「あ、もし宜しければ、はたけ上忍もこいつらの下忍祝いに付き合ってくれませんか? 合格したら一楽に連れてってやるって約束してたんですよ。今なら俺の奢りですよ」
と、何の下心もない真っ新な申し出をオレにくれた。
今まで生きてきて格下に奢られるなんて経験はなく、というか、そんな軽いノリで誘われたことは初めてで、里の外ではあり得ない生ぬるい馴れ合いに一瞬言葉を無くした。
どう反応していいか分からず固まるオレに、子供たちはうみの中忍に引っ付きながら「あれー、他のやつらは?」などと呑気に質問している。
「あー、あいつらは新しい上忍師の方々に連れられて合同で焼き肉へ行くということだ」
「肉?」
「!! だめだ、サスケ! そんな目で見ても俺の懐具合では高嶺の花すぎるっっ」
「そ、そうよ、サスケくん!! イルカ先生がせっかくお祝いしてくれるんだから、一楽に決定よ!! あんなイノブタがいるようなところより絶対一楽よ!! ね、ナルト!!」
「そうだってば!! なんたって、前から約束してたもんなっ。イルカ先生が奢ってくれる一楽スペシャル」
「おう、もちろんだ! 二班抜けたから、軍資金は潤沢だぞ。今日は餃子も他もろもろもつけてやれるぞ」
「あ、私、杏仁豆腐食べていいですか?」
「……餃子とチャーハンつきで」
任せろ任せろと笑う中忍先生の懐事情が如実にわかる会話を聞きながら、ぼうっとしていると、中忍先生は立ち上がってオレと向き合った。
「というわけで、はたけ上忍いかがですか? 何なら一杯付けますよ?」
にしゃりと子供のように笑い、杯を煽る仕草を見せた中忍先生に、気付けばオレは頷いていた。
そのあと、オレは本当にイルカ先生に奢ってもらった。
会計時にここは上司の自分が出すべきかと一度は提案してみたが、イルカ先生はこの日のために貯金していたのでぜひともここは出させてもらいたいと意気込まれ、任せることにした。
その日食べた一楽というラーメンの味は今でもオレの中で特別なものとなっている。
生まれて初めて持つ下忍の生徒と、その恩師と食べたラーメン。
始終笑い声が絶えなくて、時折イルカ先生のげんこつが飛び交ったりもしたが、子供たちの失敗談などを中心に話は盛り上がった。
子供たちの必要最低限の情報は火影さまから聞いていた。
けれどイルカ先生の話を聞くことで、書類上の情報は肉をつけ血を通わせ、一人の人間として目の前に現れた。
そして、ことりと胸に落ちる。
オレがこいつらを育てるのだ。
ひゃっひゃっひゃと馬鹿笑いしながら箸を振り回す、うずまきナルト。
それを鬱陶しそうに見ながら餃子をひたすら食べ続ける、うちはサスケ。
ナルトを鬱陶しそうに、サスケのことは頬を染めて見つめる、春野サクラ。
見えなかった道が今ははっきりと見えた気がした。
久しぶりに定住することとなった里に戸惑いが勝っていた心が、このとき定まった。
*******
「じゃ、あんたはそれから一楽へ行ったの? 後からこっちに合流しても良かったのよ?」
上忍待機所で、オレと同じくして今年上忍師となった夕日紅が昨日のことについて話してくる。
「んー。試験が長引いたしーね。たぶん合流はできなかったとおもうーよ」
愛読書のイチャパラをめくりながら応答すれば、紅はふーんと何か納得がいかないような素振りを見せる。
だがオレとしては今は読書に集中したい。すでに読み切っている本だが、イチャパラは何度読んでも新しい発見と胸を打つ情動と興奮をもたらしてくれる。
もう話は終わりだと一度も紅に視線を向けないことで示していれば、紅の隣に座っていた猿飛アスマこと髭が口を挟んできた。
「イルカと一楽に行ったらしいぞ。うちのイノが、サクラがあのうちはの小僧を独占したと朝からキーキーうるせぇったらなかったぜ」
よほどうるさかったのか声にうんざりとした色が混じる。
髭の班は早くも髭と打ち解けたみたいで何よりだ。強面の顔だから初対面時は子供に敬遠されがちなのにーね。
「あら、もしかして余計なお世話だったかしら。イルカ先生と子供たち食べに行く約束があったりして」
どうやら二班で焼き肉へ行こうと誘ったのは紅らしい。
少し後悔し始めた紅に、髭が笑う。
「いいや、おめぇの誘いは助かったはずだぜ。オレのとこのチョウジは食うからな。シカマルも言ってただろ。『お誘い助かりました』って、たぶんそういうことだ」
「そう? なら、いいんだけど」
「イルカの奴もなぁ。薄給の癖にガキに奢りまくるからよ。合格して嬉しいのは分かるが自分の食費削ってまで捻出しようっていうのはやり過ぎだって言ってるんだがな」
給料日前になるといつも青白い顔してやがるとぼやいたアスマの言葉につい顔が上がる。
「……イルカ先生と仲良いの?」
突然問いかけたオレに、アスマは一瞬虚をつかれたような顔を見せたが素直に答えてくれた。
「あー、まぁ、昔馴染みだ。親父とイルカの親が仲良かったからよ。赤ん坊の時から知っている」
意外にも親しいようでそれに何故だか引っ掛かりつつも、オレはもう一つ気になったことを質問する。
「イルカ先生、そんなに薄給なの?」
続けての問いかけに、アスマばかりか紅も一瞬挙動不審な様子を見せたが、アスマはオレの望む答えをくれた。
「里在住の内勤者はな。危険手当がつかない分、きついって聞いたことあるぜ。まぁ、イルカの場合は奢りすぎが原因だ。生徒誘っちゃ一楽に行っている姿は頻繁に見る」
アスマの言を聞き、少し焦った。
あのとき、目を輝かせてぜひとも払わせてくれと言い募ってきたから、口で言うよりも懐具合に余裕があるのだと勝手に思ってしまった。
オレ、確か結構食ったよな。子供たちが馬鹿みたいに食うからつられて食べて、あまつさえ勧められるがまま酒もおかわりした気がする。しかも、子供たちを帰した後、続けて二人で飲みに行き、そこでも奢ってくれた。
昨日の、普段ではあり得ないほどの自分の飲み食いぶりにじんわりと嫌な汗が出る。
自慢ではないがオレは金持ちだ。忍術書や巻物、忍具には金をかけるがそれ以外は使うところがないため、放置している預金通帳には年々溜まる一方だったりする。
なけなしの良心がしくしくと痛み始めていると、何かを察知した髭が声を掛けてきた。
「カカシー。おめぇ何顔色変えてんだ? もちろん、昨日の7班とイルカとの食事はおめぇが奢ってやったんだろ?」
にやにやと笑みを浮かべ、見当はついているだろうに煽ってくる髭の性格悪さに内心臍を噛む。
髭の煽りに紅も敏感に察知して、オレに視線を向ける。
「は? え、ちょっと待って、もしかしてあんた」
凝視する二人の視線の直撃を横を向くことで回避はしたが、事実は変えられないためぼそりと白状する。
「ん、んー。……奢ってもらった」
「はぁぁあぁぁぁぁぁ?!」
信じられないと紅が叫び、アスマは腹を抱えて笑い出す。
「ちょっと、あんた、正気? 何、下の者に奢らせてんの。金なら腐るほど持ってる癖して」
「いや、だって、ぜひとも奢らせてくれって言うから、そうかぁーって、ね?」
笑って胡麻化してみるが紅はけんもほろろに反論してくる。
「あんたね!! 中忍の、しかも里在住の給料舐めるんじゃないわよっ。これだからエリート忍者は常識がないって言われるのよ! 中忍と上忍の給料の差は蚤とクジラぐらいなんだからね!?」
蚤とクジラ。
あまりといえばあまりな比喩に、まさかと疑えば、紅はやけに厳しい目でオレを見た。
「私たちくノ一が中忍の頃、どれだけ美容面で苦労したか分からないでしょう? 上忍のおねぇさまが使う化粧水の使い残しをかけて決闘してたんだからね? ほんの一滴、されど一滴って、血眼で奪い合っていたのよ? ねぇ、分かる? 分からないんでしょうね、エリート上忍さまは」
無表情の顔で言い募る紅ははっきり言って恐ろしい。
紅の体の中から何かが這い出てきそうな錯覚に襲われて、さっと目をそらして怒りを回避するに最適の言葉を出す。
「当分の間、イルカ先生に差し入れしてくる」
「……まぁ、及第点だわね。奢らせるのは、あんたのあっちの後輩だけにしときなさい」
どこから聞いたのか、暗い方面の後輩を例に出す紅に苦笑がこぼれ出た。
「……何よ、髭」
オレと紅の会話を横からおとなしく聞いているかと思いきや、顔が思い切りにやけている髭が目障りでつい睨んでしまう。
「いやな。おめぇにしちゃ珍しいと思ってな」
紅にこてんぱんにやり込められているオレを楽しんでいたのかと思っていたのに、予想外な言葉に一瞬止まる。
珍しい? 何が?
オレの戸惑いを察したのか、アスマはにぃっと口端を大きく横に広げると同時に、新しい煙草をくわえた。
「格下で、あまつさえ初対面の奴に誘われて飲みに行く。おまけに素直に奢ってもらわれるたぁ、らしくねぇよなー、万年欠席のカカシくん」
里や個人で催される宴にほぼ欠席していたことを揶揄された。
人聞きの悪い。ほぼ欠席であって、顔を出すときもあるでしょうが。
反論すれば鼻で笑われた。
「顔を出しても、すぐ帰るだろうが。たまにはオレたちにも付き合えってんだ」
「……気が向いたらね」
結構本気で誘ってくるアスマに、視線を逸らす。
アスマも紅も酒癖が悪いから嫌なのだ。オレは静かに酒が飲みたい派だ。
オレの言葉に怒るかと思いきや、アスマは何だか嬉しそうに笑っていたから気持ち悪かった。
こいつ、潜在的にマゾではあるまいな。
待機時間も終わり、オレは一人でアカデミーの校舎をぶらつく。
用があるとはいえ、関係者ではないオレがアカデミーの敷地に入ることは少し緊張する。
記憶の中にアカデミーという学校の存在がないに等しいのも相まって、少々腰が引けてしまうのだ。
夕方の日が差す教室には子供はおらず、小さな机と椅子が物も言わずに佇んでいる。
教室の床に多く見られるひっかき傷から、普段は騒がしいことが想像できて、ほんの少し寂しい心地になった。
オレの用であるイルカ先生は、オレが覗いた教室の隣の部屋にいた。
窓の施錠確認の当番らしい。
職員室でイルカ先生の居場所を尋ねれば、残っていた男性教師が浮ついた声で教えてくれた。
二階建ての校舎の窓近く、自身も真っ赤に染まりながら、夕焼けに色づいたグラウンド場と正門を越えて立ち並ぶ町を、イルカ先生は静かに見下ろしていた。
身動きもせずに、そこだけ時が止まったように佇むイルカ先生の気を引くため、オレは教室のドアを軽くノックする。
コンコンと小さな音を立てたそれに、イルカ先生は我に返ったように体を反転させた。
「どーも、昨日ぶりです」
ひらっと手を振り挨拶すれば、オレの姿を認識したイルカ先生の目が見開いた。
「は、はたけ上忍? えっと、昨日はお付き合いいただきありがとうございました。何かごよ」
オレに向かって一歩踏み出した途端、イルカ先生の腹からすごい音が鳴った。
うごごごご、とか、ぐごぉあぁぁぁとか、そんな感じだ。
イルカ先生は腹を両手で押さえて、夕焼けとはまた違う赤い色で染まる。
「ぅぇっと、あの、す、すみま」
ぐおおおおおおっと、謝罪の途中で再び雄たけびをあげた音に、今度はこらえきれず笑ってしまった。
「ぷ、あはははは! すごい音ですね。イルカ先生の腹の虫は生きがいいようだ」
からかうように言えば、イルカ先生の口が開いたり閉じたりを繰り返し、結局閉じてしまう。
下に俯き、腹を抱えてぷるぷると震え出したのを機に、オレは要件を告げる。
「で、笑ってしまった詫びも兼ねて、一緒に飯食いに行きませんか? 奢りまーすよ」
オレの誘いに、顔を上げたイルカ先生の目は真ん丸に見開いていて、何だかおかしかった。
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カカイルの馴れ初め?話