ビンゴブックに載った男3
戸惑うイルカ先生に仕事は終わったか尋ねると、終わったということなので強引に飯屋に連れてきた。
上忍御用達の小料理屋。
忍びにとってはまだ日が高い時分だから、きっと空いているだろう。
「親父、二人よろしく」
暖簾をくぐり、横戸を滑らせて、暖色色の店内へと入る。
思った通り客はおらず、オレたちの貸し切り状態だ。
ここに来るまで逃げようと素振りを見せるイルカ先生を捕獲するため、オレの右手はイルカ先生の手首を握りしめている。
オレの後に続けて入り、カウンター席のみの店内を物珍し気に見回すイルカ先生。
問答無用でオレの奥隣に座らせて、親父と向き合った。
「何か食わせてやって。あ、イルカ先生苦手なものある?」
「え? えっと、その混ぜご飯がダメなだけで、あとは大丈夫です」
「そ。そういうわけだから親父じゃんじゃん出して」
親父はカウンター内で一つ頷き、黙々と料理の準備をし始めた。
あらかじめ作っていた鍋の中身から芋の姿を見て、今日はいも煮かと少々落胆する。
魚の煮付けを久しぶりに食べたかったが、まぁそれは次回のお楽しみだ。
「先生、飲む?」とビールでも注文しようかと顔を向ければ、イルカ先生は緊張した面持ちでオレをじっと見つめていた。
「? どうしたの?」
気安く声を掛ければ、イルカ先生は我に返ったように視線を逸らせ、そわそわと体を揺する。
「あの、その。今、俺がいえ、私がここにいる状況を呑み込めていないというか、昨日散々ぱら失礼な態度を取ってどう接していいのか分からないというか、昨日のことを色々思い返すたびに重ね重ね失言と礼を失した態度に胆が冷えるというか、それなのに叱責されないばかりか奢ってくださるということでもう何が何やら、ちょっとついていけなくて、それでもまず先に言わせていただきたいのは」
せわしなく視線を動かし、落ち着きない様子を見せていたイルカ先生が一旦言葉を区切るなり、体ごとオレへ向き直る。そして、あの真っすぐな瞳を向けた途端、席を立ち、腰を90度に折って頭を下げてきた。
「昨日は本当に失礼いたしました!! 申し訳ありませんでしたっっ」
さすが現役アカデミー教師と言えよう。
腹から出る声の大きさと通るような声質は、オレの鼓膜を直撃した。
カウンター内の親父も同様なのか、滅多に動かさない表情筋がひくひくと蠢いている。
きーんという耳鳴りをどうにかやり過ごし、未だに頭を深く下げているイルカ先生へと話しかけた。
「ちょっとイルカ先生。顔を上げてください」
「はい」ときびきびした声でオレに応え、顔をあげるイルカ先生。
こちらに向ける顔にはある種の覚悟が出ており、オレはほんの少し悲しくなる。
「はい、ここに座ってください」
ぽんぽんとオレの隣の席を叩き、イルカ先生を座らせた後、オレも体の向きを変えてイルカ先生と向かい合った。
「正直に言うと、オレはがっかりしました。まさか昨日の今日でこういう態度を取られるとは全く思ってもいませんでした」
オレの言葉にイルカ先生の気配がしゅんと下降する。ついでに表情もどこかしら落ち込むから思わず吹き出しそうで腹筋に力を入れる羽目となった。
こんなに素直な感情が出る忍び、初めて見た。
時間をかけるとこちらの腹筋がどうにかなりそうで、オレは手早く本音を告げる。
「イルカ先生、オレ、嬉しかったんですよ。昨日、イルカ先生が誘ってくれて、あまつさえ奢ってくれて。子供たちを帰した後も二人で飲みに行ったのもすごく楽しかったんです」
「え」
オレの言葉にイルカ先生が面食らったような表情を見せる。
戸惑い、驚き、耳の故障? と、イルカ先生が何を考えているのか見当つけながら続ける。
「そりゃ、最初は驚きましたよ。オレ、一応名前が売れてるし、新手の媚売りかと一瞬思いましたけど、自分のことを売り込む気配は皆無だし、話すのは子供たちの話ばかり。それどころかオレの試験は一人たりとも合格者が出ていないとか、一体どんな上忍なのか不安に駆られたとか、聞きようによっては落とすような発言するし」
「あ、あああれは、違います、そういうことではなくて!!」
必死に言い募るイルカ先生に分かってると頷いて、息を吐きだす。
「イルカ先生と話して飲んで、子供たちの話も聞いて、時には二人して子供たちを嗜めたりして、何というか……。初めての経験で、くすぐったくて温かくて、自覚したというか。ま、とにかく、オレはイルカ先生に謝ってもらいたくて誘ったんじゃないんです。どちらかといえば感謝しているんですよ」
はたと気付いて、言葉を止める。
何だか柄にでもないことを言っているような気がする。
ちらっとカウンター内に視線を飛ばせば、親父がにやっと笑った気がした。
もしかしなくても恥ずかしい発言をしてしまったようだ。
照れをごまかす為に咳を払い、ともかくと感謝してるから給料日までオレに奢らせなさいと続けようと、イルカ先生に視線を戻して仰天した。
慌てふためいていたはずのイルカ先生はなぜかオレを見つめたまま涙を流していた。
「え? え!? イルカ先生? え!?」
心臓がかつてない動きをして跳ねた。
忍びとして数限りない修羅場を経験した結果、女の涙を見る度嫌悪すら覚えていたオレが、男の涙に明らかに動揺している。
ぽろぽろと大粒の涙を零していることに今まで気付いていなかったのか、イルカ先生はオレの慌て具合でようやく気付き、すんませんと謝罪して腕で顔を覆った。
ぐいぐいとあまりに無造作に涙をこするもんだから、気を利かしておしぼりを投げてきた親父の助けもあり、こする腕を掴んで止めさせ、その顔におしぼりを当ててやった。
「ほら、力任せにこすらなーいの。明日の朝、腫れちゃうでショ」
おしぼりを受け取り、すんませんとぐずぐず鼻を鳴らし、イルカ先生は涙を拭きとった。
しばらくすると涙は引いたのか、おしぼりを退けて、イルカ先生はちょっと恥ずかしそうに頭を下げた。
「さっきからすいません。今、ちょっと俺、精神的に不安定というか、弱ってて」
すんと鼻を啜るイルカ先生に、ふと思い出す。
確か、ナルトが禁術の収められている巻物をそそのかれて盗み、犯人に殺されそうになったところを身を挺して守ったのがイルカ先生だった。
そのとき負った怪我は結構な重症で、運が悪ければ即死、一歩間違えれば下半身不随になりかねない怪我だったとか。
命に係わる怪我を負うとなると忍びでも平静ではいられない。ましてや普段、内勤従事しているイルカ先生ならば、その衝撃も深いものがあるのだろう。
怪我を負って、一週間も経っていない事実に少し血の気が引く。
え、この人入院しなくていいの? つぅか、酒飲ませちゃやばいでショ。
痛む様子をちっとも表に出さないから失念していた。
というか、ここに来るまで引きずる勢いで連れてきたんだけど。
また違った意味で鼓動が早くなる。
内心で焦りに焦りまくっていると、だいぶ落ち着いた様子のイルカ先生が口を開いた。
「俺、この時期になると気分が落ち込む傾向はあったんです。でも、今年は特に。嬉しいはずなのに寂しくて、心からおめでとうと言えるのに、胸の中にぽっかりと穴が空いちまって……。情けないことです。自分の感情に振り回されるなんて忍びとして失格だって分かってはいるのに」
ぽつりと告げられた言葉に、焦りが凪ぐ。
どこか自嘲するように、イルカ先生は目を伏せて小さく笑った。
「昨日の失礼な態度も言い訳にしかならないのですが、あの子たち……あの子が合格して嬉しくなって箍が外れて浮かれたんです。そのあとに来る寂しさの予感もあったから、なおのこと抑えが効かなくて、はたけ上忍に馴れ馴れしい態度を取ってしまいました。すいません」
再び頭を下げてきたイルカ先生を止めようとしたけど、先生はけじめですからと真っすぐな瞳に見つめられてしまい何も言えなくなった。
イルカ先生はきっちり五秒、頭を下げた後、顔を上げると、謝罪は終わりですと晴れやかな顔で言った。
人によっては不快になる宣言だが、オレとしては謝罪を端から求めていないため大歓迎だ。
しばらく、お互い無言で、カウンターへと向き直る。
いつもなら親父はそう待たせもせずに料理を出すのだが、何故かこのときばかりは一向に出ない。言外に話を聞いてやれと言われた気がして、親父の指図に従うようなのが癪だが、オレ自身気になっていたこともあり口を開いた。
「ねぇ、イルカ先生。もう少し詳しく聞いてもいい? その、なんで泣いたのかを。傷が痛んだ、とか?」
我ながら、傷が痛くて泣くとは、なんと子供じみた聞き方をしてしまったものだ。内勤中忍馬鹿にしているように聞こえないか?
失言に悔やんでいれば、隣から軽やかな笑い声が聞こえた。
「そんな子供じゃあるまいし、俺、中忍で立派な成人男性ですよ。元戦忍ですし、怪我なんて慣れっこです。というか、はたけ上忍はご存じだったんですね。俺の名は伏せられての情報開示かと思ってました」
確かにナルトを庇った中忍の名前は伏せられていたが、オレは上忍師になるかもしれないということで火影さまから直接話を聞いていた。
「ま、ナルトに関連することですから」
「……ですよね」
ほんの少し暗くなる声色に、イルカ先生の情緒不安定の源を見た気がした。
だから、手っ取り早く切り込む。
「ナルト、ですか。あなたがそうまで心を動かす原因は」
オレの指摘にイルカ先生の気配が硬質化する。だが、それも一瞬だ。ふっと小さく息を吐き、イルカ先生は小さな声で「参るなぁ」と呟いた。
「おっしゃる通りです。一教師として、特定の子を贔屓してはいけない。そんな当たり前のことは分かっているのに、俺は、それができなかった。――あの子は、俺なんです。ただ誰かに認めてもらいたくて必死に足掻いていた俺だった」
危ない発言に少し眉根が寄る。
他人を同一視する危険は、自分と他人両方に及ぼす。お互いに見つめあっている時はいいだろうが、一度掛け間違えれば齟齬が生まれる。そこから先は悲惨だ。
お互いがお互いを許せずに執着していた分だけ憎しみが募り、決して自分と同じものには成れないが故にお互いが破滅するまで突き進んでしまう。
冷静な忍びの部分が警鐘を鳴らす。
目の前にいるうみのイルカは、自分の部下にとって危険な芽に成りうることを。ましてやナルトは九尾の狐を腹の中に封印している特殊な子供。そして、オレの恩師の子供だ。
オレの剣呑な気配に気付いたのか、うみのイルカは一瞬体を震わせたけれど、再び小さく笑うと首を振った。
「はたけ上忍の危惧はもっともですが、すでに注意され済みです。それこそ何度も何度も耳にたこができるまで聞かされましたよ、三代目にね」
思わぬ言葉に剣呑な気は霧散する。
イルカ先生は力なく笑いながら、すんと鼻を啜った。
「俺がナルトと初めて出会ったのは、15の頃でした。まだナルトは年端もなくて、一人ぼっちでブランコこいでましたよ。当時住んでいたアパートへの帰り道に公園があって、通る度に見かけました。夕方になって、他の子供たちが親に連れられて帰っていくのに、あの子だけはたった一人でブランコをこぎ続けていた」
遠くを見るように前方を見つめるイルカ先生はその日のことを思い出しているのだろう。
今日と同じように真っ赤に染まった夕暮れ時。
赤く染まった公園のブランコをこぎ続ける子供。
その視線は親と一緒に帰る子供の背に向けられているのだろう。
夜の帳が落ちても、子供を迎えに来る者は誰もいない。それでも子供は何かを待つようにブランコをこぎ続けていたのだろうか。
「……気に、なったんです。どうしてあんな小さい子が一人でいるのか。どうして誰も見て見ぬふりをするのか。気になって、調べて。理解しました。あの子が、あのうずまきナルトなのだと」
膝に置かれた手がぐっと握りしめられた。眉根を寄せ、苦いものを見るように目が細くなる。
「俺は、それを知って逃げました。いつも帰っていた道も遠回りして、公園に行かないようにした。擦り傷だらけのあの子を、寂しそうに何かを見ていたあの子を忘れようとした。何も見なかった、何も知らなかったことにして、俺はあの子から逃げました」
はっと小さくイルカ先生は呼気を吐き出す。思いつめた表情は今もなお囚われているようで不安に駆られる。
親父もどこか窺うようにイルカ先生を見ていて、この店に来たことは失敗だったかと内心苦く思った。
忍びを引退しようが、親父は木の葉の里に帰依していることに変わりない。
ましてや現役中は暗部におり、火影さまに対する忠誠心は人一倍高い世代の生き残りだ。
イルカ先生の発言次第では、行き過ぎた忠誠心によって私刑に処される可能性もある。
場所を改めるべきだ。イルカ先生がこれ以上不利にならないように席を立とうとしたが、その前にイルカ先生は口を開いた。
「でも、出来なかった。出来なかったんです」
イルカ先生の視線はいつからか、下を向いていた。両手をきつく握りしめ、奥歯を噛みしめ、何かをこらえるように言葉を振り絞っている。
「気になって気になって、止せばいいのに戯れに飯を奢ってしまった。お菓子もやったこともある。頭を撫でて笑ってやったこともある。関わったら関わっただけ苦しいことは分かっていたはずなのに、毎晩毎晩あの日のことを夢見ては悲鳴をあげているのに、俺はあの子との関りを断てなかった。またねって笑うあの子の言葉を聞く度に止めようって思うのに、足は勝手にあの子の元へと向かった」
力を入れ過ぎて白くなる指先に、緊張させる体に、当時の葛藤が透けて見えた。
イルカ先生やオレたちは、喪失の世代に生きている。
新たな火影を迎え、里が豊かになる半面、戦も多かった。
そして、あの事件が起きた。
栄えた里。
親を、師を、友人を。
突如として現れた破壊の権化は、里を蹂躙し、燃やし尽くした。
あのとき生き残った者たちすべてに等しく、九尾の狐は恐れと同時に強い憎しみをもたらした。
「自分でも何をしているのか分からなくなりました。憎いのに手を伸ばしてしまう。辛いのに優しい言葉を吐き出してしまう。心の中では憎んでいるのに、気にかけてしまう。反吐が出た。自分に。本心に掠りもしない言葉を吐く自分が。縊り殺してやりたいのは自分だった!!」
悲鳴のように叫んだイルカ先生に、何も言うことが出来なかった。そして、親父も。
荒くなった呼気を宥めるようにイルカ先生は息を吐き、ぽつりと言葉を吐く。
「そのときです。三代目にアカデミー教師を目指さないかと声を掛けられました」
ふいに落ちていた視線がオレを見た。
自嘲するように、それでもどこか困ったような笑みを浮かべて、オレに視線をくれる。
「それと一緒に、『あやつとお前は違う』という言葉も」
イルカ先生に掛ける言葉は何も思いつかなくて小さく頷けば、イルカ先生は吐息を吐きながら体を弛緩させる。
「その当時は、三代目の言葉の意味は分かりませんでした。……それから、三代目の声掛けもあり、結果、俺はあの子から遠ざかりました。教師になるために規定任務をこなして、勉強し直して、ようやくアカデミー教師になってから、またあの子と再会しました」
懐かしむように目を細めて、イルカ先生は小さく笑う。
「相変わらず痩せっぽっちで、生意気で不器用で。あいつ、俺のこと全然覚えてなかったんですよ。あれだけ飯奢ってやったのに、全部忘れているから拍子抜けしました。……そこから、あいつとは教師と生徒として関わり合っていって、三代目と顔を合わせる度に同一視はするなと苦言をもらいながら、当たり障りのない日常を送りました。あいつに対して燻る思いは晴れないまま」
視線を落とし、イルカ先生は呟く。
「結局、昔と変わってなかったんです。年食った分だけ表面取り繕うのがうまくなっただけで、あいつに対しての思いはちっとも変わらなかった。教師としてあいつのことを見ようとして、結局その日の悪夢でぶち壊される。何度も何度も、何度も。そうして、アカデミーの卒業試験が始まって、ナルトは試験に落ちて、ミヅキ……元同僚に誑かされました」
例の事件だ。
イルカ先生の背に重傷を負わせた、あの。
「あいつが禁術が記された巻物を盗んだと聞いて、あいつが隠れそうなところへと飛んでいきました。案の定、あいつ、事の重要さを全く理解していない呑気な有様で、卒業試験で出た術を必死に練習してました。ほっとすると同時に怒りがこみ上げましたよ。あいつと、あいつを騙した元同僚に。そこから元同僚と戦闘になって、あいつに言うんです。『化け狐』『イルカだって、お前のことを恐れ憎んでいる』って。……俺は即座に否定できなかった。それは俺の中に確かにある思いだから。ただ、元同僚と話していくうちに、見えないものが見えてきた。俺が見ていなかったものが見えた」
視線を上げ、イルカ先生は真っすぐ前を向いた。あのオレが苦手な何もかも見通せるような、ひたむきな視線だった。
「あいつの、ナルトの頑張りを。ナルト本人が何を考え、何を思って行動していたのかを。馬鹿みたいですけど、元同僚に真っ向から言われて気付いた。ナルトは化け狐なんかじゃない。あいつは里を壊滅させた憎い九尾の狐なんかじゃない。ただただ昔の俺と同じように理不尽な何かに抗い、懸命に生きている一人の少年なんだと」
イルカ先生の視線が横に流れる。それに合わせて顔を向け、オレを捉えると苦く笑った。
「そこで理解しました。三代目の言葉。『お前とナルトは違う』という言葉。俺は、無意識にナルトに昔の自分を重ねて見てたんです。過去の自分を癒すために、今までナルトへ善意を施していた。汚い真似を、していた……。そう自覚して、ようやく俺はナルトを一人の人間として見ることができました。遅すぎて恥でしかないですけど、だから、大丈夫です。はたけ上忍の危惧したことはもう決して起こしません」
黒い眼が確かな思いを伝えてきて、体が痺れた気がした。続けて胸も苦しくなって、そこで自分が息を止めていたことを知る。
表面では平静を保ちながら、止まっていた息を小さく吐いた。
……何というか。
軽い気持ちで聞いたことを少しばかり後悔した。
本当はもっと親交を深めて聞くべき話だった。
自分の弱さや醜さを、自分の身に抱えた本心を、会ってから二日目の者に話すべきことではない。だが、イルカ先生はオレにありのまま、隠しもせずに話してくれた。
それは彼がうずまきナルトを心から案じているから。
オレがナルトにとって一番関り深くなる、上忍師だからこそ、話してくれた。
悔しいなと、どこか曖昧な場所でぼんやりと思った。
オレだからこそ話してくれたのではなく、上忍師の肩書きがある故に話してくれた事実が味気ないものに思えて仕方ない。
「……長々と語ってしまいすいません。その、だから、安心してく」
「ちょっと待ってーよ。話はまだ終わってないでショ? オレはイルカ先生が泣いた訳を聞いたんだけーど?」
最後まで言わせると帰ってしまいそうな空気を出してきたイルカ先生の言葉を遮る。
予想通りイルカ先生は体を引く素振りもするから、オレはその手を強引に掴んで引き留めた。
「え、その」
オレに引き留められて何だかとっても居心地悪そうにするイルカ先生。
あらいやだ。もしかしなくてもイルカ先生ってば言いたいこと言った後は有耶無耶にして帰るつもりだった?
「あと、オレはイルカ先生とご飯を食べにきたーの。今日、始めに言ったでショ。飯奢りますよって」
うろうろと視線がさまよいだしたイルカ先生にダメ押しをするかのように、親父が盆をイルカ先生の前に置いた。
盆の上には、大盛のご飯と焼き魚、いもの煮物、酢の物、付け出し、みそ汁と、立派な魚焼き定食が並んでいる。
散っていた視線が定食に止まり、凝視し始めたのを見て、オレは笑って捕まえていた手を叩いた。
「はいはい、とりあえず食べて。親父、オレも同じのね」
親父は特に返事することなくそっとオレに盆を手渡してきた。
今日の魚はアジか。
うきうきと箸を手に取り食べようとすれば、イルカ先生がちらっとこちらを窺うからどうぞと頷けば、噛み殺したような笑みが口元に浮かぶ。でも、次の瞬間、我慢できないとばかりににしゃりと笑み崩れて、「いただきます」と手を合わせるなり黙々と食べ始めた。
魚の身を食べてぱぁぁと目を輝かし、煮物を食べては気配に花が混じる。それと一緒にご飯を食べれば、至福というように顔をほころばせるから、いつもよりも美味く感じてしまう。
「おまけだ」
カウンター内の親父も何か思うところがあったのか、滅多にしないサービスをしている。
イルカ先生の膳に置かれた、かぼちゃの煮つけが入った小鉢に、イルカ先生は満面の笑みで「いただきます、ありがとうございます」と親父に頭を下げる。
それがあまりにも嬉しそうだったので、イルカ先生がすでに食べ終えている煮物の小鉢をあげようとすれば、その前に親父が何も言わずに煮物を補充していた。
目を見開いて、感謝と喜びのまなざしを親父に向けるイルカ先生。
親父は何も言わずに背を向けて別の作業に取り掛かっていたが、親父の耳がどことなく赤くなっているように見えた。
「店主さん、ありがとうございます!」
「……親父と呼べ。みな、そう呼ぶ」
「はい、親父さん。ありがとうございます!!」
背を向けたままの親父に、イルカ先生は好意を隠しもしない様子でまなざしを向けていた。
……なんか、面白くない。
それから、欠食児童張りに必死になって飯を食べるイルカ先生に腹いっぱい食わせ、オレたちは店を後にした。
帰り際、「明後日くらいまた来い。うまい酒、用意してやる」などと親父がイルカ先生に向かってデレてきたので、オレはぞっとした。
対するイルカ先生はしょんぼりとした顔で金欠でと言葉を漏らすものだから、しばらく奢ると思っていた手前、また明後日ここに来ることが決定つけられてしまった。
「待ってるぞ」と脅しにも近い言葉を親父からもらいつつ、イルカ先生が非常に恐縮した様子でぺこぺこと頭を下げ出したので、オレは物分かりの良い上司の面をしてこの場を収めた。
「で、さ。イルカ先生、まだオレは泣いた訳を聞いてないわけですが?」
帰り道。
イルカ先生のアパートとオレが住む上忍寮の方向が同じなため、共に歩きながら気になっていたことを聞いてみた。
「見逃してくれませんでしたか。……さすが上忍」
案外強かなイルカ先生の思わぬ一面を知り、笑いながらオレも返す。
「それはもう、一度狙った獲物は逃がさないばかりか閉じ込めて服従させるのが上忍クオリティですからね」
「ウワー、負け戦ダッタカー」
「先生、棒読み過ぎ」
お互いくすくすと笑う。
深夜にはまだ遠く、それでも人通りのない住宅地は妙な静けさをもたらしている。
オレたち以外誰もいない道で、イルカ先生は観念したようにそっと話始めた。
「嬉しかったんですよ。俺はあの子たちから離れてしまって、もう関われないと思っていたから。だから、はたけ上忍が俺と子供たちで一楽に行ったことをあんな風に思ってくれていたんだと知って、無理に関係を断たなくてもいいと許された気がして、つい。……安堵したのもあって、情けないとこ見せました」
はははと照れ笑いしながら、鼻傷を掻く。
イルカ先生はどうも初対面時の印象も持ち合わせているようだ。とても真面目で、真面目過ぎて融通が利かないくらいの石頭。
「そんなこと考えてたーの? 言っとくけど、あいつらは問題児だーよ。元担任のアンタにはきっちりと子供たちを見守る義務がある」
オレの強い言葉に驚くイルカ先生へ、言っていなかった子供たちとの初対面時の話をしてやれば、イルカ先生の拳に力が込められた。
「あいつらぁぁ」
ふふ、これであのがきんちょどもの制裁としよう。
一楽で見た、イルカ先生の拳は見惚れるほどの威力だった。
オレは淡泊なように見えて、実は執念深い。
頭に落とした黒板消しの恨みは今もなお忘れていない。
三日三晩不眠不休で任務に当たった直後の子供たちの初対面であり、あのとき上忍としてはあり得ないが気が抜けていたのは間違いない。それを如実に抉ってきた子供たちの可愛い悪戯は、笑って許せるほどオレの度量は深くなかった。
いつか千年殺しもお見舞いしてやろうと暗い愉悦に浸っていると、イルカ先生はふいに心許ない表情になってオレを窺ってきた。
「ん、どうしたの?」
柄にでもないほど優しい声を出す自分を、らしくないなぁと頭の片隅で思いつつ尋ねれば、イルカ先生はどことなく期待を滲ませた目でこちらを見上げてくる。
こんな時に何だが、オレの方がイルカ先生より背が高いらしい。
背筋がいいから同じくらいかと思ったけども、こうして隣り合うとよく分かる。
オレを見つめたまま中々話し出そうとしないイルカ先生に、ダメ押しで首を傾げて促せば、ようやくイルカ先生の口が開いた。
「……俺、本当に関わってもいいですか? 迷惑じゃ、ないですか?」
ご飯を食べて血色が良くなった唇が少し震えている。
乞い願うような、切ない祈りが混じったその声音に、オレはどうしてか少し切なくなった。
「オレ、言ったでショ。あいつらは問題児だって。イルカ先生の協力が、オレとしても必要です」
自分の訳の分からない切なさを胡麻化しつつ、大丈夫と言葉に込めて言う。
アンタはアンタのまま子供たちと、ナルトと関わっていってよ。きっと大丈夫だから。
すると、イルカ先生はぐっと奥歯を噛みしめた後、頷いた。
「ありがとうございまず……!」
にかっと笑いたいのに、イルカ先生はとある事情で笑うに笑えない、非常に難しい表情をさらけ出している。
眉根は何かを我慢するかのように中央に寄っているし、頬は強張り、目元は吊り上がり、横に引き結んだ口元は非常に険しい。
オレの言葉の何に琴線が触れたのかよく分からないけど、イルカ先生の目からは今にも涙が落ちそうで、それを必死にこらえているための非常に難しい表情だ。
我慢しているせいか鼻水まで落ちてきたのか、すんすんと忙しなく啜りだしてきたので、オレは親切心で声を掛ける。
「イルカ先生、いっそのこと泣いてもいいんだよ? 幸い夜だし、いるのオレ一人だし」
何なら胸貸そうかと両手を広げれば、イルカ先生は勢いよくオレとは逆方向に顔を向ける。
「……男は、ぞう、がんだんに泣いちゃ、いがんのでず」
すんすん啜りながら言う言葉ではないと思う。
「えー、いいじゃないですか。男でも泣きたい時は泣きたいじゃない」
「げっこうでず」
オレの言葉をけんもほろろに拒絶するイルカ先生。
ねぇと近づけば、音が出んばかりに顔を逆方向に向けるから、途中から親切心はどこへやら構うのが楽しくて、イルカ先生のアパート近くまで攻防を繰り広げてしまった。
最後の方にはいかにイルカ先生を泣かせてやろうかとオレが泣かそうとする始末で、イルカ先生もオレの思惑に何となく気付いたのか意地でも泣いてやるもんかと強情になっていた。
喧嘩別れに近い最後になってしまったけど、それはどこか気安くて、じゃれ合いにも似ていて、一人で帰る道のりをいつもとは違った浮かれた気分にさせてくれた。
また明日もご飯食べに行くよと分かれ間際に言ったオレの言葉に対して、「カカシ先生の懐状態に大打撃を与えさせてやりますから!!」と額に青筋立てて言われた言葉も浮かれる原因だと思ってる。
「カカシ先生、かぁ」
住宅街の空を見上げて呟く。
街灯がちらほらと灯るここでは、星は全くといっていいほど見えないけれど、確かにあの夜空には満天の星が広がっていることを確信させた。
戻る/
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ナルトとイルカ先生の関係を考えた結果出た、管理人の持論。独断と偏見なので、うんm(_ _:)m