ビンゴブックに載った男5
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「昨日は突然抜けて、すいません。でも、おかげで何となくですが解決の糸口は掴めましたよ」
薄っすらとくまの残る顔に笑みを浮かべ、オレに笑いかけてくるイルカ先生。
オレはといえば、覆面で大部分隠された顔を顰めて恨み言を吐き出す。
「それはありがたいんですけども……。イルカ先生、かといって昨日のあれはひどすぎると」
「あ、見えてきましたね。それでは、はたけ上忍、引き合わせよろしくお願いします」
件の依頼主の邸宅が見えてきたところで、イルカ先生は私語は後程とばかりに話を打ち切ってきた。
面白くないが、こちらの任務も切羽詰まっている案件なので、ひとまず胸のもやもやは後回しにして意識を切り替える。
今日はオレとイルカ先生の二人だけで依頼主と話し合うことになっている。
基本、受付から任務を手渡された後、任務を任された者と依頼主間で話は進めるが、依頼主と任務遂行者がどうしてもそりが合わない場合、受付員が介入してくる場合がある。
任務遂行側からすれば、それは忍びとしての未熟さの表れだと不名誉とされている。
オレとしては任務の完遂第一なのでうまいこといくならどんどんやってくれという気持ちなのだが、この度の部下はそうは思っておらず、イルカ先生が介入することをひどく嫌がった。
どうやらオレという名が売れまくっている、写輪眼カカシの名を落とす一端となることに忌避感を覚えていたようで、イルカ先生は部下たちの遠回しな訴えを聞いた後、なるほどとおもむろに頷いた後、度肝を抜く発言をした。
「わかりました。でしたらこれは受付を介さず、あくまで一個人として、うみのイルカというお節介な人間が勝手なことをしたということで話を進めましょう」
堂々とあまりに規格外のことを言うから、部下と一緒に思わず黙ってしまった。
そういうことならとイルカ先生が介入することを納得し始めた部下たちを帰し、オレはイルカ先生と依頼主の元へ向かうことになったのだった。
受付、もっと言えば里を通さず任務に介入することが本当に出来るのかと道すがら問い詰めれば、表向きは可能だとあっけらかんと言うからますます閉口した。
どうも受付介入はとことん嫌われているようで、それでも任務失敗は里としても許されないため、折衷案として表向きには内緒で、裏で里に報告という形を取っているらしい。
任務遂行者たちもそこのところは何となく分かっており、悪目立ちしなければそれでいいという基本姿勢なため、それでいいのだということだ。
……何というか、面倒臭いね。
両開きの門扉を潜り、見事な庭園のど真ん中を突っ切るように置かれた飛び石を踏み、本宅へと足を進める。
瓦屋根の重厚感のある黒で統一された木造建物。
依頼主は華美さを好んではいないようで、装飾品も控えめなものが多い。
代わりに、玄関や廊下などには季節の花が生けられており、依頼主の育ちの良さが滲んでいた。
よく手入れされ鈍くあめ色に光る廊下と、年の重なりをそのままに大事にされてきた柱を横目で見つつ、使用人に案内されるまま依頼主の元へと進んだ。
イルカ先生もそれなりの審美眼を持っているのか、ところどころ飾られた壺や掛け軸を見ては唸り、廊下側から見える枯山水の庭に深く感じ入っている様子だった。
「旦那さま、失礼します。木の葉の方を連れてまいりました」
「……入れ」
このところ毎日悩まされていた声が耳に入り、内心で大きくため息を吐く。
「どうぞ」と襖を開けられ、入室を促す使用人の言に従い、上座に座る依頼主の対面へと向かう。
イルカ先生は初めてのこともあってか、座敷に入ってすぐに依頼主へ向かって一礼した後、オレの後をついてきた。
その手には土産を持っている。里で有名な老舗の和菓子屋のものらしく、結構いい値段のするものだ。……これも自腹なのだろうか。
後でオレが払おうと思いつつ、二人そろって依頼主へ向き合ってまずは頭を下げた。
「この度は貴重なお時間をいただき、ありがとうござ」
「御託はいい。で、わしが納得のいく警備体制は整ったのか? うちの大事な一人娘を送り出す晴れの日だ。少しでも瑕疵をつけようものなら許さんぞ」
挨拶すらもできないうちの強めの言葉に、内心ざわめきが止まらない。
くそ爺と心の中で吐きつつ、ひとまずイルカ先生を紹介しようとすれば、依頼主は上から目線でオレからイルカ先生へと視線を動かし、鼻で小さく息を吐いた。
あからさまにイルカ先生を侮蔑する態度に、さすがに不快さを隠せず一言言おうとすれば、それよりも先にイルカ先生が動いた。
「うみのイルカと申します。この度は面会をお許しいただきありがとうございます。こちらはほんの少しの気持ち程度ですが、里で人気の和菓子です。店の方からお嬢様もお好きだとお聞きしましたので、どうぞご賞味ください」
包んでいた風呂敷を解き、菓子箱の正面を自分に向けて不備がないかを確認すると、時計回りに90度回し、続けて90度回して依頼主側へ正面にすると、そっと差し出した。
依頼主はそれを見て、ほんの少しぎこちない動きをしつつも菓子に罪はないとばかりにそれを納める。
あのなんでもかんでも難癖をつける依頼主が、何も小言を言わずにこちらの手土産を受け取ったことに驚いていると、イルカ先生は穏やかな声で依頼主へ話しかけた。
「私もあの和菓子屋さんにはお世話になっているんです。職業柄、季節の挨拶など多いですからね。夏の手土産の定番と言えば水羊羹ですが、あそこは一風変わっていて、毎年涼し気な細工をされているのが心憎いですよね。この度お邪魔した時も、金魚を題材にしたものがあってお嬢様にお送りしたかったんですが、きっともうご購入しただろうなと思ってこちらにしたんです」
「……ふん。うちの娘はあの店を特に贔屓にしておる。すでに知っておるわ」
「そうでしょうねぇ。店主さんも言っておりました。自分のところを贔屓にして下さる方がお嫁に行くから、この度は新作のお披露目を早めたと。……お嬢様は慕われておりますね」
しみじみと語るイルカ先生に、依頼主の表情が少し動く。
寂しさを少し滲ませたその表情が珍しくて、ついまじまじと見てしまった。
それに気付いたのか、顔を真っ赤にしこちらを睨みつけられてしまう。続けて恒例の罵声が飛ぶ直前、ふわりと穏やかな声音が響いた。
「お嬢様はここから山一つ越えた松の州に行かれるんでしたか?」
怒鳴る間際の微妙な空白をつかれ、依頼主の気勢が削がれる。
「……そうだ」
「ここから早馬でも10日はかかりますから、長い旅路になりますね」
「そうだ、だからわしは!!」
「あ、そういえば、ご存じですか? 松の州にもこちらの和菓子屋さんの弟さんが出店しているんですよ。腕は兄弟揃って卓越していますけど、それぞれお互いにない良さを持っているそうです。あちらではどんな夏菓子があるんでしょうかね」
依頼主が怒鳴ろうとするとイルカ先生は巧みに話を変える。
ころころと変わる内容はとめどなく、あっちにいったかと思えばこっちにいったりと忙しない。
依頼主も怒ろうとして怒れず、話についていくのが精一杯のようだ。
けれど、それも終わりとなる。
「何なんだ、一体!! 人を呼びつけて、旅程について話し合うかと思えば、くだらん話ばっかりしおって!! わしはお前たちの雑談に付き合っているほど暇ではないんだぞ!!」
卓を叩き、顔を真っ赤にし、唾を吐き出さんばかりに怒鳴りつけてくる。
ふーふーと口からは荒々しい呼気がついて出ており、その怒り具合は尋常ではない。
ところがどっこいイルカ先生は、依頼主の怒った顔もそっと受け流し、にこりと笑みまで浮かべてこともなげに言った。
「そうですね。お互い、親交も深め合ったことですし、先に進みましょうか」
「なっ、貴様!!」
全く意に介していないイルカ先生の様子に、愚弄されたのかと依頼主がなおも憤る。
我慢も限界とばかりに体を浮かせて立ち上がろうとした依頼主へ、イルカ先生は笑みを浮かべたまま一人の名を告げた。
「美作 大五郎(みまさか だいごろう)」
告げられた名に、依頼主の怒気に染まった顔が一気に青くなる。
目を大きく見開き、信じられないものを見るように依頼主はイルカ先生を見つめた。
イルカ先生はほんの少し笑みの種類を変えて、労わるように依頼主を見つめた。
「あなたの母方の祖父、ですね。詳しく言うなれば、火の国では禁制にされていた植物を栽培し密売し、木の葉の忍び、はたけカカシがいたチームにより粛清された咎人」
淡々と告げられた言葉に、依頼主の体が震える。そして、次の瞬間、オレを見た。
依頼主の茶色い瞳に様々な感情が閃いては消える。
それは怒りや憎しみだけでなく、もっと複雑なものも見える。
苛烈さまでには至らない。それでも奥底にある熾火を、ずっと持ち続けたその目。
忍びという因果な商売をしているせいか、オレにはとても馴染み深い。
それは、加害者遺族の者たちが持つ眼差しだ。
ここにきて、依頼主のオレに対する当たり具合がようやく飲み込めた。
残念ながらオレに記憶はないが、オレが手掛けた任務の中に、この依頼主の祖父がいたのだろう。
これは参ったとにべもなく思う。
あくまで任務として請け負ったため、任務に対する感想はオレ自身全く持ち合わせていない。
形だけの謝罪ならばいくらでもしてもいいが、本人にとってそれは全く望んでもいないことだろうし、これは一体どうすればいいのだろうか。
任務降板が一番手っ取り早い方法だろうかと、これからのことを算段していれば、オレの思惑はどこへやらイルカ先生は怯みもせずに淡々と依頼主へ話しかけた。
「あなたは、祖父の仇ともいえるはたけカカシを指名して依頼をした。本来ならばこちら側として却下できるものでしたが、あなたの祖父がはたけカカシと関わった任務は、里が九尾の狐に襲われる前。詳しい資料は焼失しておりましたので、確認が遅れました。私は木の葉の受付員として、この場であなたの依頼を取り下げることも可能です」
イルカ先生の一言に、依頼主の視線が散らばる。
「な。い、一度請け負った依頼を取り下げることなど無責任」
「八つ当たりをするためだけに、うちのはたけカカシを指名したあなたに言う資格はない」
依頼主の言葉を遮り、ぴしゃりとイルカ先生が言い切った。
一歩も譲らぬ姿勢を見せる毅然とした態度と、仕事上とはいえ、うちのはたけカカシと擁護してくれるイルカ先生に、不謹慎ながらも顔がにやけそうになった。
守られてるって感じがする。立場上、守られるなんてほぼなくて守る一方だったせいか、こそばゆくも面映ゆい。
こういうのもたまにはいいもんだーね。
顔は無表情を保ちつつ、心の中でうきうきしていれば、依頼主が卓を拳に叩きつけた。
「な、何が貴様に分かる!! これまで生きてきたわしの思いが!! 犯罪者を持った遺族がどんな目に遭ったか、どんなに蔑まれ煮え汁を飲まされたか!! 依頼されればどんな汚いことをも平然とやるお前らに分かるわけがあるまい!!」
息を荒げ、目を血走らせる依頼主に、イルカ先生は動ぜず座ったままだ。
何も言わないイルカ先生に対して依頼主の口調は激しくなる一方だった。
オレの批判ならまだしも全く関係ないイルカ先生にまで及ぶにあたって、オレも見切りをつける。
支離滅裂になる罵詈雑言を前に、卓の下でもういいと撤退する旨を告げれば、イルカ先生の手がオレの手を握った。
思わぬ接触に驚いていると、イルカ先生はオレの手のひらに文字を書き連ねる。
『もう少し、この場にいてください。お願いします』
横目でイルカ先生を確認すれば、視線は依頼主へ固定されたまま外れず、ここから動く意思はないのだと告げていた。
依頼主は席を立ち、手を振り、足を踏み鳴らす。
怒りを叩きつけるように、今まで溜めていたものを吐き出すように叫び続けた。
そこでふと気づく。
依頼主のこれほどの騒ぎっぷりを経てなお、屋敷内は静まり返ったままだ。
使用人が騒ぎに気付いて駆け込んできてもおかしくない状況だというのに、動く気配は微塵も感じられなかった。
よくよく注視してみれば、この座敷のみに薄っすらと簡易結界が施されていた。状況から考えるに防音の結界でも張っているのだろう。
ごくごく簡単な結界とはいえ、一体いつの間にと、イルカ先生の手際の良さに驚き感心する。
依頼人が怒鳴り散らかすのに慣れたせいか、小さな違和感を感じなくなっている。
ここ最近弛んでいるなぁと己の未熟さを噛みしめていれば、怒鳴り続けていた依頼主の声が止まった。
オレではないどこか違う場所を見ながら、肩を上下させている。
溜まっていた鬱憤を全て吐き切ったのか、依頼主の口から言葉が出ることはなかった。
どこか呆然としたまま突っ立っている依頼主の側へ、イルカ先生がゆっくりと近寄った。イルカ先生に気付いた依頼主が体を強張らせ、再び口を開こうとしたところで、イルカ先生は静かに首を振り、依頼主の腕を宥めるように擦る。
「それだけではないのでしょう? きっともうこんな機会は巡ってこない。ここまで言えたのですから、後は簡単ですよ」
イルカ先生の言葉に依頼主の口が閉じ、きゅっと眉根が寄った。
全身を強張らせていた力が抜けると同時に、縋りつくようにイルカ先生の手を握る。それを握り返してやりながら、イルカ先生はオレを見た。
謝罪のような、感謝のような。
眦を下げてオレを見つめるイルカ先生の言いたいことが分からず、もどかしい気持ちになる。
依頼主はイルカ先生に付き添われるようにオレの前に来るとその場に座り、深々と頭を下げた。
突然のことに驚き、目を見開くオレを尻目に、依頼主は畳に頭を擦り付けている。
ひとまず頭を上げさせようと手を伸ばすと同時に、依頼主が呻くように言葉を吐いた。
「今までの無礼、本当に申し訳なかった。許せとは言わない。だが、これだけは言わせて欲しい」
震える声で、それでも意志のある声で続ける依頼主に、出していた手を止め、待った。
依頼主はゆっくりと顔を上げ、オレを真正面から捉えると同時に、泣きそうな顔をさらけ出す。
ぐっと奥歯を噛みしめた後、依頼主は続けた。
「祖父は、美作大五郎は、アンタが思っているような極悪非道な面だけを持っている訳じゃない。家族思いで、愛情深い一面もあったんだ。孫のわしはアンタの知らないあの人のことを知っている。祖父がしたことは許されないことは分かってる。でも、それだけじゃなかったことだけは知っていてもらいたかった。あの時、祖父を下種と蔑んだアンタにそれだけは伝えたかった」
依頼主の言葉に、すぅっと血の気が引く。
加害者の遺族を前に、禍根の残るような発言をした己の拙さに頭を抱えたくなった。
ここまで聞いてもまだ美作大五郎という人物については思い出せないが、潔癖な感が滲み出ているその言葉からして、中忍なり立ての頃のくそ生意気だった時のものだろう。
過去のやらかした案件が今になって牙を剥いたことを思い知り、心中、自業自得だったのかと冷や汗をかきまくっていると、依頼主がぐっと手を握ってきた。
オレの手を両手で覆うように握りしめ、依頼主は涙が滲む目でオレを見上げる。
「それと、祖父を止めてくれて、ありがとう。罪を、どうしようもない所業を、あれ以上重ねずに済んだのは、アンタたちのおかげだ。――ありがとう。ありがとう」
依頼主は握ったオレの手に額づかんばかりに頭を下げる。
ありがとう、ありがとうと、未だ続く感謝の言葉を前に、オレは言葉を失っていた。
罵倒されることは慣れている。蔑まれることも慣れっこだ。恨まれることだってざらにあるし、存在を否定されることも、憎まれることも日常的だ。
ただこうして感謝されることはほとんどない。
しかも、加害者の遺族から心からの感謝をもらったことなど一度もなかった。
イルカ先生を見た。
きっと今のオレは情けない顔をしているんだろーね。
イルカ先生は依頼主の背中を擦りながら、にこっと笑う。
そのときのイルカ先生の言いたいことはピンときて、オレは擽られるような思いに駆られながら、依頼主へ声を掛けた。
「分かりました。あなたの言葉、しかと胸に留めます」
オレの言葉に、依頼主はすすり泣きから声を上げて泣き始めてしまい度肝を抜かれた。
慌てるオレに、寄り添うイルカ先生。
何だかんだとあった後、泣き止んだ依頼主と再び警備の話し合いをし、以前出した旅程警備を採用することとなった。
帰る時分、依頼主はわざわざ外の門まで見送りに出てくれた。
泣きはらした目をしてはいたが、来た時とは違い、穏やかな顔で頭を下げ、「娘のことよろしくお願いします」と真摯に告げられた。
それに言葉を返し、イルカ先生と歩き出したのは、薄っすらと夜の帳が下りる頃合いだった。
かれこれ3、4時間はあの屋敷で過ごしていたのだと気付き、驚いた。
体感時間と時の流れが一致しないということは、よほどあの屋敷での出来事はオレにとって未知なものだったのだろう。
話し合いも無事に終わったし、明日にでも部下たちには報告するとして。
ちらっと隣のイルカ先生を見る。
イルカ先生はオレの視線に気付いたのか、随分ぎこちない笑みを浮かべ、ぺこりと頭を下げた。
「今日はどうもお疲れさまでした。俺はこれから野暮用がありますのでこの辺で」
「って、行かせると思う?」
話しながら歩き出そうとしたイルカ先生の腕を掴み、進行を阻む。
「……ですよね~」
あはははと力なく笑うイルカ先生を強制的に連行する。
行先は言わずもがなの、あのときの居酒屋チェーン店の奥座敷だ。リベンジだ。倍返しだ。
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イルカ先生はやる気満々だった!!