ビンゴブックに載った男7
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そこまで思い出して、自分の思いを真正面から突き付けられた翌朝の惨事が蘇り、ちょっと冷静になる。
まさか、この年で夢精をするとは思わなかった。
というか、物心ついた時から大人に混じっていたせいで玄人の姐さんがたにお世話になるのは早く、何気に初夢精だったりする。
その日夢に出てきたのは、オレが浮かれる原因を作ったイルカ先生その人で。
夢の中のオレとイルカ先生はただ一緒に、いつものように酒を飲んでいた。
会話の内容は記憶になくて、それでもゆったりとした時間が流れ、すごく居心地のいい空間だったことは覚えている。
イルカ先生は煮魚を食べていて、オレは酒を飲んでいた。
きれいな箸さばきで煮魚の身をほぐしては口に運ぶ様を、夢のオレは何となしに見ていた。
魚の身は煮汁をふんだんに含んでいて、口に運んだ瞬間、煮汁が重力に従い唇に伝った。
イルカ先生は小さな声で「あ」という声を上げて、下唇に伝った煮汁を舌で素早く舐めとり、一部始終を見ていたオレに気付いて、恥ずかしそうに頬を染めた。
瞬間、オレは目を覚まし、下半身に起きた惨事を目撃したのだった。
我ながらマニアックすぎである。
というか、あれしきのことで普通夢精するかと己に問いただしたい。
昔、任務後の慰労会で、自分の初夢精は何だったかで盛り上がったが、オレのような夢を見たものはいなかった気がする。
近いところで、近所のお姉さんの後頭部を見て催したという奴がいたが、そのときは変態かよ、それか純情君かと大笑いされていた。
かくいうオレも同じになって笑っていたが、今となっては笑えない。
いつか会ったら、あの時は悪かったなと詳しいことは話さないで謝ろうと思う。
ま、とにもかくにも、その一件でオレは気付いた。自覚した。
イルカ先生を好ましく思うオレの気持ちはずばりそっち方面のものなのだと。
男なんざどう足掻いても即物的なもので、今まで好ましく友を見る目で見ていたというのに、自覚すれば下半身に直結することの何と多いこと。
二人で飲みに行って、ちょっとした仕草にやられて前かがみになるなんてざらになった。
性欲旺盛だった思春期よりもひどい反応具合に、内心冷や冷やだ。
友だと思っていた男に欲情されているなんてイルカ先生にバレたら、蛇蝎の如く嫌われるに決まっている。
オレとしてはどうにかこうにかして、イルカ先生の気持ちをオレの気持ちと同じにしたい。
でもなぁ、根っからの異性愛者っぽいからなー。
軽い色事の話でもいっぱいっぱいになるような人だから、同性愛だなんてハードルが高すぎてどんな反応をしてくるか予想がつかない。
オレに対して好意は持っているのは間違いないが、ここから恋人的な、伴侶的な思いを抱いてもらうためにはどうすればいいのやら。
手っ取り早く体から落としてみる?
自問自答して、駄目だと即否定する。
体だけ落とすなら簡単だけど、オレが欲しいのはイルカ先生の気持ちなんだよね。
快楽で言いなりになるイルカ先生はひどく劣情を刺激するが、それは妄想だけで充分だと結論が出てしまっている。
何かうまい手はないものかと、思わず大きなため息が出てしまった。
「す、すいません。調子に乗りました……」
突然、イルカ先生から謝罪の言葉がこぼれ出る。まずい、物思いに耽り過ぎて聞いてなかった。
オレの隣では何か苦悶の表情で落ち込んでいるイルカ先生がいて、カウンター内では親父がちょっと驚いた目をこちらへ向けていた。
全く話を聞いていない状態だったことに気付き、内心で大慌てしていると、親父がひどく同情めいた眼差しをくれる。
「……イルカ先生がな、幼少時にビンゴブックに載ったことがあると両親から言われたと、話していたところだ」
え、何それ、初耳。
勢いよくイルカ先生の方へと顔を向けると、イルカ先生は痛々しいまでにひきつった笑みを浮かべている。
「い、いやー、俺も冗談だとは思ったんですけど、その、両親が俺につかなくてもいい嘘をつくのもおかしい気がして、話の種的に、ビンゴブックってどうやって選考されるのかなぁと興味を持って。えっと、カカシ先生は毎年載るしおやっさんもきっと名の売れた上忍だったろうから、そこら辺のところ詳しいかなと聞いてみたくなって。あははは、は。……すいません、出直してきます」
しょぼーんと肩を落として、波が引くように実に自然な態で店から出て行ったイルカ先生をただ茫然と見ていた。
「……カカシん坊」
親父から声が掛けられて我に返る。
「え、は? イ、イルカ先生は!?」
店の出入り口を見ていた目を引き戻し、奥隣りを見てもイルカ先生はいない。
一体何が起きたのか分からずに混乱していると、親父は深いため息を吐いた。
「……カカシん坊よぉ。おめぇが真剣なのはよく分かったが、あれはいただけねぇなぁ。イルカ先生の亡きご両親との思い出を話している場で、突然ため息を吐くなんざ……」
はぁっ!? そんな重要な場面だったの!?
「え、な、は、え!!?」
言葉にならない焦りに支配されているオレを、親父は駄目な息子を見るような眼差しで見てきた。くそ、これだから元同僚で元世話係役だった奴は苦手だ。
親父はこれみよがしに再びため息を吐きながら、何故かオレに小銭を渡してきた。
何だこれと問うより早く、親父はやれやれと言い出さんばかりに話す。
「イルカ先生の釣り銭だ。今から行って届けてやれ」
まさかの援護射撃に目が見開く。
「親父……」
思わぬところから現れた味方に、思わず感謝の念が沸き上がる。親父はそんなオレを見て、ものすごい生ぬるい眼差しを向けてきた。
「イルカ先生が出てからもう三時間は経っているが、当たって砕けてこい」
「はぁぁあぁぁぁぁ!! もっと早くに声掛けて!!」
閉店だからさっさと去れとばかり手で追い払われる。
暖簾を外しに出る親父から外へと出され、「今日のお前の分はつけておく」という言葉を最後にぴしゃりと戸を閉められた。
外はすでにとっぷりとした闇に沈んでおり、周囲に人の姿はなく静まり返っていた。
星を見れば、どうも深夜に近い時間帯のようで、どれだけ自失していたのかを思い知らされる。
脳裏に過った、肩を落とした後姿のイルカ先生を見て、焦りが高まる。
これが切っ掛けで疎遠になるなんて堪ったものじゃない。
オレがどれだけ慎重に慎重に周りの交友関係から引き離し、ほぼ独占状態にしたと思っているのか。
「……逃がす気はないからーね」
こうなったら何気に押しの弱いイルカ先生の同情心を煽って、行くところまで行ってやる。
親父から手渡された小銭を握りしめて、イルカ先生のアパートへと全力で駆けた。
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次はイルカ先生視点でのお話です。ダイジェストテイスト。