ビンゴブックに載った男8
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「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ、失敗、した……」
己のしでかした大失態に改めて頭を抱え、布団に突っ伏した。
カカシ先生との貴重な飲み会でやらかした、「お前、何調子に乗ってんの?」的な俺の失策話の衝撃が計り知れず、アパートについてから機械的に風呂へ入り、溜まっていた汚れ物を洗い、普段はしない掃除をして平静さを取り戻そうとしたが、やはり無理だった。
「あ゛あ゛あ゛、俺のばかぁぁぁぁぁ、つぅか、これはやらかした。今回ばかりはもうどうしようもないほどやらかしちまったぁぁぁぁ」
う、あ、あ、あと八つ当たり気味に硬い枕に頭突きをする。
だが痛いだけでちっとも気は晴れない。うあぁぁぁと意味のない声を上げて、嘆くしか今の俺に出来ることはなかった。
俺は今、もうどうしようもないほど分不相応な恋にのぼせ上っている。
俺の恋した人は、元生徒の上忍師、はたけカカシその人だ。
はっきり言って一発目からして、もうこの人何なのと言いたいくらい、かっこいい人だった。
初対面時はそりゃ、顔の大部分を覆い隠す格好のあの人に警戒心が先に立ったが、その時少々荒れ気味だった俺の不敬すぎる誘いに快く乗ってくれるばかりか、常に優しい笑みを湛え、ゆったりとした声で相槌を打ってくれ、そればかりか中忍の俺に対し気さくな態度を取ってくれた。
おまけに話は面白いし、博識だし、何気なく子供に目を配る気遣いと言い、優しい眼差しといい、頼れる大人の男をそのまま体現したような人で、俺はただただ感心と尊敬をするしかなかった。
調子に乗った俺は、子供たちとのお祝い会の後も飲みに誘い、差しで飲むという俺的に僥倖、他の者から見たら暴挙に出てしまっていた。
その飲みも実に楽しく有意義な時間を送らせてもらったが、アパートに帰り一人になると、とんでもないことをした己の所業にのたうち回った。
ついでに、文字通りのたうち回ったため、まだ治りきっていなかった背中の傷に打撃を与えてしまい、もんどりうって震えたのは余談だ。
その翌朝の登校は実に憂鬱だった。
そして、職員室に入った直後、憂鬱は正真正銘の鬱になった。
「イルカ先生、はたけ上忍と二人きりで飲んだんですか!?」
「次回はぜひ私もご一緒させ」
「って、言わせると思ってんの! イルカ先生、私、私とぜひ!!」
「違うわ、私とよ!!」
「いった! 足踏むんじゃないわよ、ブス!!」
「はぁぁ!? そっちこそラクダみたいな顔して何言ってんのよ!!」
きゃーきゃーきぃきぃ。
アカデミーの女性陣に囲まれたかと思えば、その周りで熾烈な女の争いが始まった。
目の前の現状に顔を引きつらせながら、そっと囲いを抜ければ、今度は馴染みの同僚たちに捕まった。
「……イルカ先生、やってしまいましたね」
「その忍びにあり得ない人懐っこさはいつか致命的なものになるとは思っていましたが……。今回は本当にやらしましたね」
「骨は拾ってあげますから、気は落とさずに」
実に悲し気な目をしてぽんぽん肩を叩いてくるから、俺は己の仕出かした事がどうやら自分で思うよりも数倍ヤバいということに今更ながらに気付いた。
キーキー女の戦いを繰り広げる一角から目を反らし、同僚たちから話を聞けば、どうも元生徒たちの上忍師になったはたけカカシ上忍は、生ける伝説並みの超弩級の有名人だった。
三忍を凌ぐとも謳われた白い牙ことはたけサクモ上忍の一粒種。
幼少期から忍びの才は飛びぬけており、六歳で中忍となるばかりか、四代目火影波風ミナトの愛弟子でもある。
うちは家しか使いこなせないはずの写輪眼をその身に宿し、自由自在に扱う木の葉の業師。
他国で出回るビンゴブックには常連として名が載り、その経歴は木の葉の忍びならば誰もが知るような有名どころの逸話話に度々登場しているばかりか立役者並みに活躍している事実を知り、俺は卒倒寸前だった。
三代目! 俺、昼飯奢るから、ナルトたちの上忍師になる人を詳しく教えてくださいって言いましたよね!? そんなすごい人だって全く言わなかったじゃないですかぁぁぁぁ!!!
全ての責任を三代目に押し付ける俺に、同僚たちは呆れた顔をした。
「逆に、なんで知らないんです?」
「そこら中ではたけ上忍の噂は流れてたんですけどね」
「特に女性陣が目の色変えて、この季節になると殺気立っていたでしょう?」
え、なにそれ、知りませんと動揺する俺に、同僚たちは語ってくれた。
どうやら三代目から度々木の葉の後継を育てるために里に戻って来いと要請を受けていたらしい。
そのため、アカデミーの子供たちが卒業&下忍試験が行われる春先のこの時期は、未だ特定の恋人がいる噂を聞かないはたけ上忍を狙った女性陣が手ぐすね引いて戦闘態勢に入っていたようだ。
「てっきり子供たちの卒業と下忍試験で千々に心が乱れていたんだと……」
鬼気迫る女性陣を生徒を思う心の表れだとして、共感と共に微笑ましく見ていた俺の気持ちを返してもらいたい。
愕然とする俺に、同僚は切ない顔で付け加えた。
「ちなみにはたけ上忍には、シンパがいるから気を付けてください」
「過激な連中らしいですし」
「中に上忍もいるらしいので」
ぱんぱんと再び肩を叩いてきた同僚たちの言葉に、試験の疲労で痛めた胃が再びしくしく痛み始めたのだった。
その日は何をしても視線が途切れず心底疲れた。
幸い口や手を出す輩はいなかったが、様子見としては執拗な視線に、今後の俺の行動次第で何かが起きることは察せられた。
ついでに昨日調子に乗って散財しまくったせいで今日は水しか飲めない。
教師という立場上、同僚間でも金のやり取りは禁止されているので、もうひたすらに水を飲むしかなかった。
「……腹減ったなぁ」
本日の業務は教室の戸締りを確認して終わりだ。
最後の教室に入り、鍵の施錠を確認する。
静まり返った教室で、赤く染まる運動場とその奥にある木の葉の里の景色をぼんやりと眺める。
ぽつぽつと生徒たちが背を向けて、家に帰る姿の中に、無意識にあの子がいないか視線が探っていた。そこで自嘲気味に気付く。
もうあの子はここに、教室に通うことはないのだと。
じくじくと痛むような膿んだような、どうにも遣る瀬無い感情をぐるぐると胸の内で回す。
合格を言い渡してから、なんとも言えない感情が胸の奥底から離れない。
気晴らしに叫んでも、暴れても、きっとこの感情は晴れることがないと分かっているからこそ、扱いに困ってしまう。
一歩、踏み込もうか。でも、拒絶されたらどうする?
ただでさえこんなに膨らんでいるのに、下手に突いて弾けたら自分は一体どうなるのだろう。
俺にとって特別な子供だった。でも、それは俺だけではなく里にとっても特別な子供だった。
どうして俺だけの特別ではなかったのだろうと思ってしまう。
俺だけが抱えていたものならば、こうも迷うこともなかっただろうに。
あの子に取り巻く柵が分厚過ぎて、もう俺が関わる余地はないのだと断たれた気分に陥る。
しかも、あの子の一番近くにいることになる人は、あのはたけ上忍だ。
昨日だけでもはたけ上忍の人となりは十分理解できた。
信頼できる人だ。子供たちを間違いなく託せる人だ。でも――。
胸を締めている感情がぐっと深まり、広がった。
奥歯を噛んで、押さえ込もうとしたその時、軽いノック音と同時に穏やかな声が聞こえた。
「どーも、昨日ぶりです」
そこまで思い返して、俺は枕に顔をつけたままじたばたと足をばたつかせる。
くっそ、くっそ、今思い返してもかっこいい。
夕日の赤い色がカカシ先生の銀髪を染めて、きらりと光りを弾いて。
生来の白い肌と髪質のせいか、薄暗さを誇張する夕日の日の中では浮き上がって見えて。
唯一露出している右目を柔らかく笑ませて、俺を見つめていた。
あのとき一瞬息をするのも忘れて見惚れてしまった。
同じ正規の忍び服を着ている、大部分の顔を隠した成人男性だというのに、滲み出る上忍としての実力と、一転して身にまとう穏やかな気配の対比がちぐはぐな分、それが魅力となって目が離せなかった。
思えば、俺はもうここでカカシ先生にやられてしまっていたのだろう。
気さくな上忍から、里も認める有名上忍、そして、身にまとう気配が魅力的な人へと、たった一日で色々と認識が変わったカカシ先生を、俺は最後に恋しい人として認識してしまっていた。
「……うぅぅー。ずるい、ずっりいよなぁ。あぁ、もうなんで好きになっちまったんだか」
何度も自分に問いかけた言葉をもう一度問う。
そして、その答えは大抵同じだ。
「……一目ぼれみたいなもんだろ。まったくもって分不相応な」
枕を抱いたまま、体を反転して仰向けになる。
明かりのついていない電灯は暗がりに没している。風もないのに、小さく動いた電灯の紐を目で追いながら、胸の中にある枕を抱きしめた。
「それなのに、あんなこと言っちまうから。ますます執着しちまうのも仕方ねぇだろ?」
誰に言うでもなくただぼやく。
あの後、小料理屋に連れて行ってもらい、そこであの子の思いをぶちまけた。
なんでああまで素直に言えたのか、本当のところよく分かっていない。
無意識の恋心故か、それともただ単に俺を知って欲しいと思ったせいか。
どちらにしても、初対面二日目にして話す内容ではないだろう。
案の定、話すうちに俺は取り繕うこともできずにボロボロと泣いた。嗚咽した。馬鹿みたいに感情的になった。
カカシ先生はよく引かなかったと今でも思う。そればかりか真摯に聞いてくれて、あまつさえ受け入れてくれた。
『イルカ先生の協力が、オレとしても必要です』
今でもあの声はずっと俺の胸の奥に残っている。
笑ってこともなげに言ってくれたカカシ先生に、俺は確かに救われた。
俺の中にあったあの思いは空気に溶けるように軽くなり、温かい思いへと変わった。
「ナルトのことは決着ついたんだけど。でもなぁ、こればっかりはなー」
ため息と共に吐き出す。
ナルトとは今まで通りに関わっていこうと開き直った。あいつが嫌がっても構い倒してやると決めたのは良かったが、今度は俺自身の問題が浮上してきた。
自分のナルトに対する思いをぶちまけてから、俺はほんの少しずつカカシ先生に対する感情が変わっていくことを自覚していた。
偶然、カカシ先生に会えればすごく嬉しくなり、声を聞いただけでも一日中ご機嫌となり、全く会えない日があれば気分まで落ち込み、一緒に食べに行く日は朝から絶好調となる。
俺自身、おかしいな、おかしいなぁとは思っていたが、俺の落差激しい感情を指摘したのはアカデミーの同僚だった。
「……えー、何といいましょうか、もう駄々洩れすぎていてここで言うのが親切なのか、それとも黙っておくほうがいいのか迷うところなんですけど」
「はい?」
「そうですねぇ。きっと気付いていないんでしょうけども、ここいにいる面々、いや周囲の者、もしかしたらアカデミーのおませな子たちもきっと知っていると思うんですよ」
「え?」
「はたけ上忍のシンパたちも当然の如く知っているんですよ。それで考えました。みんなで頭を寄せて相談しました。そして出た結論は言うってことだったんです。イルカ先生の身の安全を確保する意味としても」
「……意味が分からないんですけど」
要領を得ない俺に、同僚たちは俺を囲んで円陣を組むときっぱりと告げた。
『イルカ先生、はたけ上忍に恋してます』と。
あの後、俺は前後不覚になった。
はぁぁぁぁっぁぁと叫び、何でですかと質問を投げかけ、自問自答すること半日。
そっか、俺、カカシ先生のことそういう意味で好きだったのかぁと納得した。
どうりでカカシ先生を前にすると浮足立つのか、腑に落ちた瞬間だった。
そして次に訪れたのは、この思いをどうするかという自問自答だった。
明らかに高嶺の花。
冷静に見てもどうあがいても釣り合わない人だ。
だけど、だからといって諦めきれるか?
そこで深呼吸して出した答えはノーだった。
だって、まだカカシ先生の言葉が胸に残っている。あの人が笑うと俺まで嬉しくなってしまう。一目見るだけでも幸せになる。共に過ごす時間が大事で、簡単に手放せるものではなくなっている。
だったら。だったら、カカシ先生がまだ俺と飲みに行ってもいいなと思っているこの時期にめいいっぱいアプローチして、やれるだけのことはやってみようじゃないか!!
分不相応なんて上等だ! 砕け散るなら正面切って見事に粉砕してみせる! 万が一の可能性にかけて努力しても絶対無駄にはならないはずだ!!
そう決心した俺の行動は我ながら迅速だった。
出会った頃は子供たちの話が大部分を占めていたのに、隙あらば俺の長所をねじ込んでみた。
アカデミー教師である分、やっぱり子供たちの話になってしまったが、だがきっと大丈夫。
子供に熱心なところは家庭的な面だと、容赦なくげんこつふるまう愛の鞭は公平さを、そして仕事一辺倒な様からは真面目さを十二分に伝えることができたと思う。
ただ、カカシ先生が珍しく俺に愚痴を吐いてきた時は、ここぞ俺の頼もしさをアピールできる時と意気込みすぎてしまい、箍が外れて大暴走してしまったのはいたく反省している。
……寝る準備をしていた三代目を始め、ホムラさまとコハルさまには多大なる迷惑をかけた。
三人ともに呆れた顔をされたが、どこか生ぬるい目で俺の話を聞いてくださり、自分が知っている情報を全て出してくれた。
しかもこの迷惑料は私的な用事に付き合うだけで手打ちとなったのだから、申し訳なさが天辺越えした。
今度お金が貯まったら一席設ける。ただ俺の稼ぎは心もとないので、できるだけ長生きしてもらいたい。
そう言ったら、何故か笑われてしまった。
俺の薄給具合がおかしかったのだろうか。
そうして得た情報で、見事にカカシ先生を悩ます依頼人と和解できたのだが、俺はその後にくる大問題に内心震えていた。
やっている時は何も思わなかったが、解決した直後、これは明らかにやりすぎだと気付いたのだ。
受付員として関わるにしては、里の長と上層部のもとに行き(しかも深夜に)情報をくださいと言う一介の忍びがいるだろうか?
お三人とも、幼少時からじぃちゃん、ばぁちゃんと懐いていた名残のせいか、俺の根幹でお三人とも親しい身内として見てしまっている。だが、傍から見ればとんでもない暴挙だ。やらかした、とんでもなく俺はやらしてしまっていた。
どんだけお前必死なんだよ、その熱量逆に引くわと言われても仕方ない大暴走である。というより、上下関係が大前提の忍びとしてお前大丈夫かと頭を疑われる所業である。
こんなことをカカシ先生に知られたら、今まで築き上げてきた俺という存在が台無しとなる。大暴落である。
だから、俺は必死にない頭を絞って胡麻化した。どうにか話を逸らせないかと頑張ったが、元暗部で凄腕上忍の追及を逃れることはできなかった。
自分の任務はきっちりと把握する、基本も出来る忍びのカカシ先生はとことん追求してきた。
俺は自分としてもやらかした所業と、目の前にいる恋しい人に失望される危機感とに板挟みされ、普通ではありえないほど不審人物となってしまった。
もう後はカカシ先生の本格的な尋問を開始される前に、俺は事の次第を言うほかなかった。だって、上忍の尋問なんてされてみろ。俺のこの隠している思いまで暴かれたら、今後のアピールに多大なる影響を与えちまうだろう!
見込みがあるかは全くわからないけど、今だ一緒に飲みに行けるんだから友達くらいには思ってくれているに違いないんだ。だから、後もう一歩、後何かしらの要素があれば関係は深まるに違いないのだ!!
ぶっちゃけ、その日の夜のことは記憶にない。
全てをぶちまけて、引かれる、嫌われる、失望される、顔も見たくないって言われると、恐慌に陥って、気付けば翌日の朝に場面が飛んでいた。
朝の身支度をし、恐る恐る登校し、何事もなく夕方を迎えれば、笑顔で俺を夕飯に誘うカカシ先生の姿があった。
あの一件は夢だったと思い込みたかったが、そこまで夢見がちな頭になりきれず、かといってその一件を持ち出して墓穴を掘りたくなく、俺はそっと目をそらすことにした。そして、深く胸の奥に封印した。なかったことにした。
その矢先に、今日の一件である。
「うぅぅぅぅうっぅぅぅ、泣きそう……」
フライング的に出始める鼻を啜りながら、今晩の小料理屋のことを思い出す。
俺がカカシ先生に恋をした場所と言っても過言ではない、思い出の小料理屋。
元上忍のおやっさんが作る家庭料理はどれも絶品で、おまけに高い安いに限らず、料理に合う酒を用意している質、値段と共に実にお客のことをよく考えてくれている素晴らしき店だ。
この寡黙なおやっさんもいい味を出していて、俺はここに来る度にどこか懐かしい気持ちになる、とても寛げる店だった。
そんな場所で俺はしくじってしまった。
おやっさんの魚の煮付けが美味しくて、それに合う酒も本当に絶品で、ついつい俺はおやっさんと二人で話に盛り上がってしまったのだ。
気付いた時にはすでに遅く、隣のカカシ先生はどこか夢見るような顔で何かに思いを耽っていて、俺は失態を思い知った。
おやっさんとカカシ先生、何故三人で話そうとしなかったのか。これでは俺がカカシ先生を除け者にした最低人間ではないか。カカシ先生はいつだって話に混ざりやすように気を遣ってくれているというのに、馬鹿野郎、このとんだ恩知らず者め!!
そう己を罵り、俺はない頭をこれ以上になく回転させた。カカシ先生が話に乗って、かつ、おやっさんも乗れる内容を。
そこで思い出したのが、幼少時の記憶。
まだ両親は健在で、俺も鼻を垂らして野山を駆けずり回っていた、幸せな頃の記憶。
あるとき、両親は俺を正座させると、厳しい顔でこう言ったのだ。
「イルカよ。これより一年間、お前を特定場所に秘匿させる」
「イルカ、一年間だけだから。だから、絶対、お外に出ちゃ駄目よ。……あぁ、なんだってあんなものにイルカの名が」
悲しみに泣く母ちゃんの肩を抱き、父ちゃんはなおも厳しい顔を崩さず告げた。
「イルカ。お前はビンゴブックに名が載ったのだ。力のないお前はそれに対処する術はない。向こうには一人で行くことになるが、私たちはお前のことを、いつも、思って、いるから、な」
おっかない顔をしているのに、父ちゃんの目からはぽろぽろと涙がこぼれ出て、俺はそのとき、自分はとんでもない何かをしてしまったのだと思った。
それから、確かに俺は一年間、どことも知れない場所で暮らした。
だが不思議なことに、そのどことも知れない場所で過ごした時のことは一向に思い出せないでいる。
あの頃は変なので済ませてしまっていたが、今だから思うことがある。
秘匿された場所は木の葉の里でも特に秘匿性の高い場所ではないのだろうか、と。
そのため、俺は一年間をそこで過ごした後、その記憶を消された、もしくは封印されたのではないかと。
それこそ里が抱える機密事項だろうと、さすがの俺も三代目に尋ねようとは思わなかったが、ビンゴブックのことならば話は別だ。
元上忍のおやっさんと、現役上忍のカカシ先生。
実力のある忍びである二人ならば、ビンゴブックはもはや日々読み親しむ資料的な位置づけに違いない。
その瞬間、勝ったと思った。
これで今犯した失態は挽回できると、意気揚々と話し始めた。
まずは話の導入に、自分の幼少時の馬鹿をした出来事をさらさらと、そして本題と内心ノリノリで言った直後。
「はぁぁぁ」
隣から呆れたような、心の奥底からどうにかならないものかと苦痛めいた、特大のため息が聞こえてきた。
瞬間、血の気が引いた。
まず間違いなく、カカシ先生は俺の話に呆れかえている。そればかりか、こんな与太話にどう反応していいのと、こちらに苦情を申し付けている。
外した。俺は今、とことん外してしまった。
その後の記憶はあやふやだ。
動揺するがままに言い訳がましいことを口にして、ともかく代金を机に置いて脱兎のごとく逃げた。そう、逃げてしまった。
恥の上塗りである。
いい大人が、話を外したくらいで全て放って逃げだすか、普通。
「……あーぁ、おやっさんにも悪いことしたよな」
魚の煮付けは完食したが、その後に頼んでいた揚げ出し豆腐、焼きおにぎり、貝汁、野菜の煮びたしなど、一口も口にしていない。
何て性根の悪い客だろう。もしかしたら、置いていった代金は足らないかもしれない。
ちらっと視線を斜めに飛ばして、畳の上に置いてある目覚まし時計に目を向ければ、時計の針は0時40分を指していた。
おやっさんの小料理屋は閉まっている時間である。
明日の夜にでもお邪魔して、足りないお金と一緒に頭を下げてこよう。そのとき、意外と甘いもの好きなおやっさんに和菓子を持っていこうか。
あの、カカシ先生を困らせていた依頼主も好きな和菓子屋さんで。
「……カカシ先生」
連鎖的にカカシ先生の顔が思い浮かんで、名を呼んでみた。
一度呼べば、二度も三度も口をついて出てしまう。
男一人だけの暗い部屋で、馬鹿みたいに名を呼ぶ俺は、傍から見たら滑稽なばかりかうすら寒い存在かもしれない。
それでも、ついて出るのは。
「カカシ先生、好きです。好きなんですよ、俺自身参っちまうくらいに」
苦笑交じりに告げる。
時計の秒針が刻むだけの部屋に、俺の行き場のない声は反響することもなく消える――はずだった。
「うそ。今の、本当?」
自嘲気味に鼻で笑って、このまま寝ようと目を閉じた刹那、ここにいないはずの声が聞こえた。
反射的に起き上がって、身構える。
頭は混乱していて、手に持っているクナイが動揺を示すように小刻みに震えている。
起き上がった真正面。
寝室の隣の居間に、カカシ先生が手に口を当て、俺を見つめていた。
「カ、カカカカカカカカカカ」
先ほどはすんなり出ていた名前が今は出ない。
滑稽なカラスみたいに鳴く俺に、カカシ先生は足音もなく滑るようにして近づいてきた。
「えっと。カカシです。……あの、無断で入っちゃったのは悪いと思うし、イルカ先生が意外にいい動きするから驚いたし、でもそれ以上に、ね」
恐慌状態に陥り、両手でクナイをガタガタ震わせる俺の手を取って、カカシ先生は口布を下げた。
「オレも、イルカ先生のこと好き。何度もね、あなたの名前を一人で呼んじゃう以上に大好き」
一体どこから見ていたのかと悲鳴を上げそうになった声は、少しかさついているけど柔らかい感触を受けて止まる。
続いて入り込んできた熱に眩暈がした。
目の前にあるのは、嬉しそうに目尻を垂れさせた灰青色の瞳で、時折鼻筋に触れる硬質的なものは木の葉の額宛で、口を占領するのは情熱的に動く熱の固まりで。
いつの間にか背中に回され抱きしめられた腕の感触は強固で、逃がさないと言わんばかりの力強さだった。
息が上がって、溺れそうになっていると、唇を離したカカシ先生が笑う。
「がっついてごめん。でも、嬉しくて。ねぇ、これって夢じゃないよーね?」
右目の笑い皺がきゅっと寄る様を見て、俺は無性に嬉しくなったんだけど。
「……いい、夢だなぁ」
こんなうまい話がある訳ないと、意識を飛ばした。
翌朝、起きてみれば、隣にはカカシ先生がむっつりとした顔のまま俺を見下ろしていて、あやうく二度寝を敢行しそうになった。
けれど二度目はないとばかりにカカシ先生に叩き起こされて、昨日の夜の出来事を事細かに説明された。
それは俺が一人でカカシ先生の名を呼んでいた場面も入っていて、恥ずかしさで汗が噴き出た。
「ま、とにかく、オレとイルカ先生は両想いってことだーよね」
カカシ先生は昨日は一睡もしていないせいか、若干目が赤かったけど、実に晴れやかな顔で言ってくれた。
ぼた餅過ぎて、俺は生涯の運を今この時に使い切ってしまったと言えるほどの奇跡だが、俺とて恋しい人からの求愛をむざむざ逃すほど朴念仁ではないつもりだ。
「カカシ先生!」
すっと背を伸ばして、姿勢は正座でカカシ先生と対する。
「あなたに会ったその日から、きっと俺は恋をしていました。好きです! 生涯の伴侶を前提に、お付き合いしてください、お願いします!!」
手を差し出して、頭を下げる。
ぎゅっと目を閉じて、審判の時を待った。
口から飛び出た生涯の伴侶前提にいささか調子に乗りすぎたかと後悔したが、ふわっと包むように両手で握られた温もりに頭を上げた。
「それはこちらの台詞。もちろん、喜んで。言っとくけど、絶対逃がしはしなーいよ」
ちゅっと軽い口づけを唇に受け、かーっと顔に熱が溜まる。
こちらからカカシ先生の手を握り返して、俺は意気込んだ。
「はい、これからよろしくお願いします!!」
こうして、私的にぼた餅的な展開で俺はカカシ先生の伴侶の座を勝ち取った。
その日のうちに、職員室でも受付所でも付き合う旨を皆に告げたが、何故か「ふーん、そう」という淡白な返しを受けた。
カカシ先生を狙っていた女性陣も、過激なシンパがいるカカシ先生に懸想をして心配していた同僚も、何故か一様に遠い目をしている。
そういえば、結局同僚が心配していたカカシ先生のシンパについぞ遭遇することはなかったが、俺はよほど運がよかったということだろうか。
カカシ先生と付き合える時点でもう狸に化かされたとか、流星が俺の頭に落ちてきたくらいの感覚なので、そういう些末事はまぁどうでもいいか。
「イルカさーん!」
任務がない日は必ず迎えに来てくれるカカシ先生を笑顔で迎えて、俺は一緒に帰路につく。
実は驚くことに、俺とカカシ先生は同棲することになった。
思いが通じ合っての二日後には、カカシ先生が家を手配していて、呆気にとられているうちに引っ越しを済まし、以来一緒に住んでいる。
時には喧嘩もするし、お互い不満をぶつけ合うこともあるけど、その日の夜には仲直りして一緒に寝ている。
こういう日がずっと続くように、これからも努力は惜しまないつもりだ。
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9へ
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え? 18禁? いやだぁ、あっはっはっはっは(逃げた管理人)
ちなみにイルカ先生のアピールはアピールしきれていません。カカシ先生に露とも伝わっていないのにアピールしたと思うイルカ先生が好きっ。
そして、イルカ先生が周囲に絡まれなかった理由は、ビンゴブック4にちらっと載ってます。
まだ恋心に自覚していないのに周囲を威嚇すカカシ先生が好き。