一番星が輝き始める夕暮れ時、すきっ腹を抱えて俺は家路へ急いでいた。
今日はうまいもん食うぞっ!
ひゃっほーいと印を切って、自宅にどろんとしけこみたい衝動を抑え、左手にずしりとくる、お口に幸せを運ぶ心憎い奴らへ思いを馳せる。
マグロにひらめに、鯛とくりゃ、辛口冷酒できゅっと一杯……。うぅん、たまんねぇ。
ここ数日、立て続けに起きていたトラブルが、今日でようやくひと段落ついた。この労を己でねぎらってこそ、自立ある大人ってやつだよなぁ。別にねぎらってくれる、イイ人がいないから仕方なく、なんてことじゃねーよ? うん、本当だとも、俺は一人のいい大人としてだな。独りでしっぽりと――。
ふと足が止まる。二本先の横道から出てきた顔に見覚えがあった。さては一杯引っ掛けに、町へでも出てきたかと見当付け、独り身同士仲良く一杯やるってのも乙だと、俺のご相伴につき合わせてやることにする。
「おぉーい、ハルッ」
大きく手を振って、駆け寄ろうとした直前、最後の一音を言うことなく、俺は声を失った。
受付のモテない双璧と呼ばれた俺とハルカ、略してルカ×2ともあろう片割れが、何の間違いか、隣に女性を連れて歩いていたのだ。
モテないモテないと常に嘆く様から、独身男の墓守とまで言われていたハルカが…!! 女性を!!
思わず後ろによろめき、背中に何かをぶつけた。
そんな忍び失格な俺の目の前で、ハルカは滅多に笑うことのなかった顔に笑みを浮かべ、その女性を見つめていた。
背中まである長い茶色の髪に隠れ、顔はよく見えなかったが、背も低く華奢な作りをしている体は、一般女性と見受けられた。いつの間に、そんな方とお知り合いになる機会があったんだ、お前。
くっと胸に沸き起こるのは、一人だけ幸せになった嫉妬か、抜け駆けされた怒りか。
けれど、頬をそよぐ風に春らしい色を感じ、張った肩に力が抜ける。
は、ははは……、そうか。そうかぁ、名がつく通り、ようやくあいつにも人生の春がやってきたのかぁ……。
ふぅと唇から思わず零れ出たため息に、俺は遠い目でお空を眺める。遠くの空を染める夕焼けに、たなびく雲。
あぁ、今日は一段と空が広いなぁ。まるで永遠と限りなく続いているみたいに広い。あぁ、ちっぽけな俺の存在がやけに身に染み入る。
………潔く認めよう、俺。
凹んだ。とてつもなく凹んだ。
俺だけ、俺だけどうして!? どうして、かわいい女の子とお知り合いになれないんだぁぁぁぁ!
内なる声が漏れ出てしまったのか、買い物帰りのおばちゃんたちの視線がこちらへ一斉に向いた。
…っ! あいつにだけは、あいつにだけは、見つかりたくないっ。
うおぉぉんと、泣き叫びたいのを堪え、俺は猛ダッシュをかけて、あいつとは逆方向、俺の家とは反対方向へと駆けた。
人生って、なんでこんなに苦いんだ!
ルカルカコンビ、今宵、解散ッ。
そんな文字が脳裏で踊る中、駆けて駆けて、気づけば、川の土手で俺は一人しゃがみ込んでいた。おまけに、明るかった空は、藍の色に変わっている。
左手首に引っかかっている買い物袋には、俺の幸せを運ぶ青い鳥が、見るも無残な姿に成り果てている。景気づけに買った、ちょっとお高い冷酒がそれに拍車をかけていた。
「刺身じゃなくて、叩きになっちまったか……」
ふっとニヒルに笑い、俺はいっそのこと、ここで酒盛りすることにする。
シートもない草の上で、買い物袋を下に、刺身と酒を置き、手で食らい、直飲みした。
周りには花すらなく、茶色の枯れた草ばかりで、申し訳程度に緑の新芽が覗いている。
人っ子一人通らない道の脇。
川の流れを見ながら、一人酒盛りする俺。
おうおう、夜空に月がぽっかりと浮かぶだけの、まさに独身男が一人で酒を啜るにゃ、ぴったりお誂え向きだねぇ。
ちぃ、こんなことなら、イカさきでも買ってくりゃよかった。刺身なんかじゃ、このやさぐれた気持ちは治まらないっつぅの。
荒れる酒には、イカさき。俺のちょっとしたこだわりだ。
足を放り出し、ちびちびとやりながら、ぬるくなった魚を咀嚼する。
虫の声も聞こえない、月だけが白く輝く夜。
月の淡い光に反射して、川の水面がきらめく様は、予想外にきれいで、俺の心の凹み具合に拍車がかかる。
ここにかわいい彼女とかいたら桃源郷だったろうによぉ。一人にゃ、もったいなさすぎる。
「……あぁ〜ぁ、俺も彼女欲しいなぁ」
一つ呟いて、冷静な頭がそりゃ無理だときっぱりと切り捨てた。
教職についてから女性とお付き合いできるような暇なんて一切なかった。
ただでさえ、今年卒業していった生徒たちが気がかりで、空いている暇を見つけては、こっそり様子を窺ってしまうくらいだ。これから持つ新しい生徒も増えれば、気がかりは倍以上。
それだというのに、始めは手伝い程度だった受付任務がいつの間にか組み込まれ、本任務として常に付きまとっている。そうしたら彼女に割く時間なんて……。
俺って、もしかしなくても仕事人間なのか? ひょっとして仕事一筋人間?
己の知られざる一面に動揺した。
そういえば、同僚のくのいちの先生からやたらと「仕事好きですね」とか言われる。え、えぇ、うそ、俺。
このまんま独身街道突っ走っていっちゃう!?
ダ――ンと衝撃音が脳裏に落ちる。
膝を引き寄せて、その上に力なく顔を乗せてみたりする。
仕事人間だと分かってしまったけども、それを直そうとか思わないあたり、俺は芯から、今の仕事が大好きで、性に合っているのだと自覚してしまう。そう、それこそ、生涯独身でいたっていいくらい。
だって、子どもが好きなのだ。
我がままで負けん気が強くて、底知れない力を秘めていて、いつだって自分を見て欲しいと瞳で訴えてくる子どもたちが可愛くて仕方ない。
自分の子どもの時がそれこそ子どもらしく生きられなかったせいか、今、目の前にいる子どもたちが子どもらしくいてくれるのが何よりも嬉しい。
「甘すぎる」と今年のとある上忍師には釘を刺されまくってしまっているが、子どもの時でしか経験できないことがいっぱいあると俺は思う。
だから、俺は任務や授業以外のときは思う存分、子ども扱いしてやるのだ。
時に甘やかして、時に叱り付けて、無条件で愛情を注がれる存在として接する。うざがられるぐらい構ってやる。
どうせ、みんな、俺の手を自ら離して、さっさと前に行ってしまうのだ。俺の生徒たちは芯から強いから、すぐに俺の存在なんて必要なくなる日がくる。
だから、その日が来るまで、俺はめいっぱい構ってやりたい。
『あなたのその態度があいつらを弱くさせるんです。死にますよ、あいつら』
先日言われたきつい言葉を思い出し、瓶を煽った。
口内に広がる、上等な酒の香りでさえ、あの一言の前では苦いものに変わる。
はたけカカシ。
写輪眼のカカシ。
他国のビンゴブックに常に載る、里屈指の忍び。
六歳で中忍、十三歳で上忍になった、天才忍者。うちはの家系ではない、唯一の写輪眼保持者。元、暗部。千の技をコピーした男。木の葉の業師、里きっての誉れ、エリート上忍、抱かれたい男No一、粋な遊び人、くのいち千人切りなどなど。
称える言葉なら腐るほど出てくる、忍びの中の忍び。
……まぁ、最後の方は忍びと何ら関係ないけど。
普段は左目を隠すように額当てをつけ、鼻まで覆う口宛と、イチャパラなる卑猥小説を堂々と片手に、猫背で往来を行く不審人物だが、忍びとしての奴は噂そのものだった。
キンと耳鳴りさえする緊迫した空気の中、生来の深い青色の眼差しに貫かれ、抑揚のない声で心臓へと差しこまれた。
相対した奴は、普段となんら変わらぬ様相の癖に、俺に向けるプレッシャーときたら、息もできぬほどのもので、あれ以上、面と向かっていれば、情けない話だが俺は失神してしまっていただろう。
天と地よりもさらに遥か遠く及ばない実力差。
本能でひれ伏したくなるほど、圧倒的な存在感を感じた。
その上忍さまに、態度と言わず殺気じみたものを送りつけられて言われた言葉は、今も俺の胸を燻らせている。
…って、当たり前か。あんな上忍のプレッシャーに当てられれば、心に一つ二つくらい傷が出来るだろう。
「あぁ〜、ヤになるなぁ。はぁ、癒されてぇ」
ごろんと背後に寝転がり、行儀悪く、そのままの姿勢で酒を飲む。
教育者としてどうよと思わなくもないが、先生だって人間です。むしゃくしゃする事もあるってんだ。
それにしても、ハルカの恋人発見から、どうして俺の天敵、はたけカカシの胸糞悪い言動を思い出さねばならないのだろうか。あぁ、やだやだ。この凍えた心をじんわりと癒してもらいたい。
「恋人は無理か。なら、せめて……」
空に浮かぶ、真ん丸い黄色じみた銀色を眺め、思ったことを口に乗せる。
「俺の帰りを待ってくれる……犬が欲しいなぁ」
猫は家につくというし、気まぐれだ。そこが可愛いとは思うけど、今は全身で俺を待ってくれる存在がいい。
うん、そうだ。だとしたら、やっぱり犬だよな。子犬はさすがに手がかかりすぎるから、成犬がいいな。
大きくて、がっしりした奴。俺が抱いてもびくともしないくらいでっかいの。ふさふさの毛で、大人しくって利口な奴がいい。でも、遊び好きで、休日には一緒に河原へ行って、ボール投げとかして遊ぶんだ。
緑の芝生で大きな犬と戯れる様を想像して、思わず顔がにやける。
あぁ、癒される。すんげー癒される。絶対、癒されるに違いない。
ちょっとした思い付きが楽しくなって、もっと具体的な特徴をあげてみる。
目はくりくりしていて、子どもみたいな瞳がいいな。ちょっととぼけた顔だったら更にいい。でも、かっこいいのがいいよな。全身引き締まっていて、さすが忍びが飼っている犬だねって奴。尻尾はふさふさした感じで、耳は立っていた方がいい。んで、色は……。
空に浮かぶ、きらきらとした光を放つ月を見て、これだと拳を握った。
「――白い犬がいいッ」
「こんなか?」
不意に翳った視界に、ふわりと白っぽい何かが光り、「あぁ、こんなの」と思ったのと同時に、横に転がって身を起こした。
「ア、アスマ兄ちゃん!?」
煙草を燻らせて、暢気にこちらに手をあげる黒髭の大男を認め、つい幼少の頃、呼んでいた名がぽーんと口から飛び出た。
「アスマ兄ちゃん?」
背後から艶やかな声が聞こえ、さらに驚く。
背後を取られても気づかない俺って、忍びとしてどうよ。
ぴょんと酒を飛び越え、対峙すれば、そこには黒髪の美貌のくのいち、俺の元教え子の上忍師である夕日 紅先生がお腹を抱えて笑っていた。
「く、紅先生……」
密かに憧れている人に格好悪いところを見せてしまった。
それもこれも、いきなり声を掛けてきたアスマにいちゃ…アスマ先生のせいだ。
きっと睨み付けてやれば、アスマ先生は大きい唇をにんまりと上に引き上げる。
「何だ、イルカ。昔みてーに、兄ちゃんって呼んでくれて構わねーんだぞ? 遠慮するな。幼少からの腐れ縁だろ?」
茶化す物言いが気に食わなくて、「結構です」と撥ね付けた。
けど、幼少からの腐れ縁だとはいえ、今は上忍、中忍の関係だ。きちんと挨拶しなくちゃな。それに……。
「こんばんは、アスマ先生、紅先生。……それと、カカシ先生」
最後の方が、自然と声が低くなるのは勘弁してもらいたい。
何たって、顔を合わせる度に、奴は俺のことを嫌みったらしくあげつらうのだ。
くそぅ。確かにナルトたち会いたさに、身辺をうろちょろしたのは目障りかもしれないけど、週一くらいは許してくれたっていいだろう!?
『ずいぶんとアカデミー教師は暇なんですねぇ』と嫌味たっぷりに言われたばかりか、受付所で一切ナルトたちを連れてきてくれない底意地の悪い男に、敵対心は深まるばかりだ。
今日は一体、どういう言葉でくるのか。この前、奴に内緒で七班と一楽に食べに行ったことがバレたのか? それとも、ナルトとサスケと銭湯に行ったことでも言われるのか!?
身構える俺に、奴は気のない、いつものたれ目をこちらに向け一言言った。
「わんっ」
……………………………………椀か? 湾? それとも、腕??
突然の一言に混乱した。
アスマ先生を窺えば、「やっぱりか。めんどくせぇなぁ」と言い出すし、紅先生も「あれだけ七面倒な条件あげた癖に」と嫌な顔を見せた。
上忍同士のみ伝わる、何かの暗号だろうか。
「……あの、俺、もう帰りますね。どうぞごゆっくりして下さい」
暗号を使うくらいだから、何かの任務の最中だろう。
長居をしては邪魔になると、食い残しの刺身と酒を取ろうとして、手を掴まれた。
えー、アスマ兄ちゃん、上忍の癖にたかり? 普段から俺よりよっぽどいい酒飲んでいるのに。
まぁ、いいよ。あげるよと、当て付けに小さくため息をつき、酒をアスマ先生に差し出す。
貧乏中忍、特有の悲哀な笑みを浮かべてやれば、アスマ先生は途端に苦虫を噛みしめたような顔をした。
「ちげーよ。貧乏中忍から安酒せしめたっていいことねーだろうが。オメーだよ、オメー。オレたちはオメーに用があるんだ」
WEB再録する小説となります。
ギャグ仕様。アップはゆっくりとなります。