「……イルカを、のぅ」
執務室に赴き、俺とカッシーの件を報告すれば、三代目は非常に嫌な顔を見せた。
何だよその目はと、抗議が出そうになった声を押し止め、俺はアスマ兄ちゃんと紅先生の後ろで、カッシーを隣に置いて大人しく控える。
「はい。カカシ自身が望んでいることですし、うみの中忍を世話役として配置した方がいいかと思われます。報告では、今までカカシは一切寝食をしなかったと。しかし、私たちの目の前で、うみの中忍が飲食していた物を自ら食し、気を許した行動を多数見せております」
膝をついて報告する紅先生は、子供たちと接している時とは趣が違って、上忍くの一、キレ者ですといった感じでかっこいい。
出来るお姉さんは好きですか。そんな言葉が過ぎる一瞬だ。
「うぅ」
こっそりと紅先生に熱い視線を向けていたことに妬けたのか、カッシーが唸る。ふ、バカだな、カッシー。俺とお前の仲だろう。
焼きもちを妬く必要なんてないさと、三代目の死角を狙って、こちょこちょと首回りを摩ってやれば、カッシーは嬉しそうに尻尾をぶんぶん振り回し始める。こう、好き好きって感情向けられると、可愛さも増すよなぁ。
笑みを噛み殺しつつも、三代目へと意識を向ければ、三代目は俺とカッシーの様子をじっと見ていた。
やべ。話はちゃんと聞けって、また三代目に叱られる。
さっと顔を俯け、カッシーから手を退け、大人しく聞いていますよと取り繕うが、カッシーは撫でてくれないことを不満に思ったのか、俺に体を擦り寄せ、撫でて撫でてと期待に満ちた目でこちらを見上げてくる。
うっ、可愛い。
三代目の説教とカッシーのお願い事の狭間で揺れていれば、三代目ははーっと大きくため息を吐き、大きい判子を書類へと打ち下ろした。
「よかろう。イルカをカカシの世話役とし、火影邸への入居を許す」
三代目の正式な許しを得て、俺はおっしゃーと心の中でガッツポーズを取る。けれど、三代目は「じゃが」と非常に険しい顔をして、俺に向かって視線を飛ばせた。
「昔のような、悪行三昧は絶対禁止じゃぞ!! 池の鯉を釣って食ったり、盆栽を全て刈り取ったり、勝手に屋敷へトラップを張ることは固く禁ずるからな。勿論、屋敷内にいる者たち、そしてわしに対しての悪戯も禁止じゃ! よぉ、心に留めておけっ」
顔を真っ赤に染め、火影らしからぬ憤りを見せる三代目に、俺はふっと息を吐く。
俺と三代目は、実は結構仲が良い。
両親が亡くなって、親類縁者が誰もいない俺を三代目が引き取って、一時期一緒に暮らしていたことがある。そのときの俺は、まぁ、所謂悪戯小僧で、三代目や屋敷の人たちに悪戯をしては喜ぶという生活を送っていた。
廊下の板を踏み抜けるようにしたり、塩と砂糖に偽装を施し見た目では全く分からないように変えてみたり、屋敷で飼っていたチャボの毛を刈って羽飾りの帽子を作ってみたり、三代目秘蔵のエロ本を素敵にコラージュしてみたり、三代目の編み傘にこっそり接着剤をつけてみたり、三代目が寝入っている時を見計らい、髪の毛を十本失敬してみたり、布団に蛭を仕込んでみたり……。って、いかんいかん! あの時の興奮とスリルを再び求めてしまいそうだ。
思い出すのは止め止めと首を振っていると、未だにこちらを睨む三代目の視線とぶつかった。
三代目ってば、まだあのときのこと根に持ってんの? ほんの少し頭頂部の寂しい面積が広がって、ほんのちょっと血圧と血糖値が上がって、ごちゃごちゃした物が紛失して、お手伝いさんが何人か辞めたくらいだってのに、目くじら立てちゃって。それとも、俺がまだそんなことしたがると思ってんの? やれやれ、俺はもう大人ですよ。いつまでもあのときのようなガキじゃないってのに。
安心してよと大人な笑みを浮かべる俺を、三代目は険しい顔でまだ見据えている。そんなに信用ないの俺と、少しばかり胸が疼いた。
しつこいほどの眼差しをくれる三代目に、憮然とした感情が浮かんだのも束の間、俺はある可能性に気付き、手で口を覆った。やだ。もしかして、それって。
振り?
カランコローンとどこかで祝福の鐘が鳴る音を聞いた気がした。
思い返せば、俺が三代目の屋敷を出てから、俺ほど三代目を構う者はいなくなった。あの頃の俺たちは、三代目が屋敷にいる時間の全て、お互いの牽制と監視と、仕掛け合いで、それはそれは血潮滾る日々だった。
もしかしなくても、寂しかったのかな。俺が大人になって、子供たちにかまけていて、実は拗ねていたの? そうか、そうか。そういうことなら……。
あの日の再現を果たそうではないかッ。
決意を胸に、瞳を輝かせる。三代目は何かを感じ取ったのか、ひくりと眉根を潜ませ、俺に熱い視線を送ってきた。
「ぜ、絶対、悪戯するんじゃないぞ! いいか、絶対じゃぞ」
立ち上がり、指差して再度念押しする三代目に、俺は分かっていますと笑顔で了解した。じっちゃんの真意、確かに受け取ったよ。
三代目がまだ何か言おうと口を開いたけど、昔から長話が大嫌いなアスマ兄ちゃんが横から口を挟んできた。
「それでは、オレたちはこれで。イルカ、来い。お前とカカシの当座の部屋に案内してやる」
三代目に一礼して、アスマ兄ちゃんが立つ。俺もじっとしているのは性に合わないから都合がいい。「はい」と返事をして立てば、カッシーも後に続いた。
「ええか! 絶対悪さするでないぞっ。カカシにも変なことを教えるんじゃないぞ、ええなっっ」
紅先生も後に続き、ぞろぞろと執務室を出る俺たちの背に向けて、三代目はしつこく声を放ってきた。
なるほど。この度はカッシーもいることだし、ワンランク上のことができるな。
俺の悪戯がそこまで恋しかったんだなぁと、今まで構ってあげられなかったことを悔やむと同時に、昔よりもグレードアップしたものを仕掛けようと心に誓う。
カッシー、お前には存分に協力してもらうからなと、俺の足に寄り添うように歩くカッシーに目を向ければ、カッシーはハッハと口で呼吸をしながら、嬉しそうに尻尾を振っていた。
さすが、忍犬カッシー。俺が何をしたいか何となく分かっている模様だ。楽しい共同生活になりそうだと悦に入る俺に、先を歩いていたアスマ兄ちゃんが口を開いた。
「お前の任務について、一応説明しておくぞ。カカシが元に戻るまで、カカシの世話をしろ。ただし、アカデミーと受付を優先。カカシは基本、外出禁止、火影邸の敷地内のみで生活だ。交代で、オレと紅、それと暗部連中が護衛につく。以上。何か質問はあるか?」
アスマ兄ちゃんの言葉の中に、肝心の名前が入ってないことに気付き、俺は眉根を寄せる。
「アスマに…、アスマ先生。護衛役で誰か肝心な方のお名前をお忘れの様ですが」
控えめに進言すれば、アスマ兄ちゃんは唇に火のついていない煙草をくわえ、鼻で笑ってきた。
「ガイか。オメーのガイ信奉には呆れるな。今回は抜きだ。ガイがいるとカカシが逃げんだよ。それじゃ護衛役にもなんねぇ」
むしろ足を引っ張ると笑うアスマ兄ちゃんの言葉にがっかりする。
ガイ先生は、人生の師匠であり、憧れの男性であり、尊敬すべき教師だ。
ガイ先生の弟子であるリーと二人、ガイ先生ファンクラブなるものを作り、日夜、ガイ先生のファンを増やそうと励んでいるのだが、なかなか増えてくれない。俺たちのアプローチの仕方が悪いせいだと、リーと二人であの手この手で勧誘を続けている最中だ。いずれ、この木の葉の里の人口全てをガイ先生ファンで埋め尽くすのが、俺たちの夢だ。
街角に貼られる巨大なガイ先生ポスターを思い描いていれば、膝あたりに何かがぶつかった。視線を落とせば、カッシーが再び俺の足に体当たりしてくる。
体がかゆいのかと、体当たりしてくる箇所を掻いてやれば、微妙な顔をされた。うーん、外したか。
アスマ兄ちゃんは、執務室の二つ向こうの部屋に入ると、扉を閉めろと言ってきた。きっちりと扉を閉めれば、それを認めた後、部屋に飾ってあった絵をずらし、何かを引いた。
すると、どうだろう。窓に接した壁が横へと移動し、そこから階段が現れた。
忍者屋敷のような仕掛けに、おぉと思わず声が出る。もしかしなくても、ここから火影邸に行けるようになっているのだろうか。
割と新しく作られた感のある階段と、壁の仕掛けを眺めていると、アスマ兄ちゃんはつれないことを言った。
「オレたちが使った後は、塞ぐからな。抜け道に使おうなんて考えんじゃねぇぞ」
明日からは三十分寝坊できると喜んでいたのに、とんだぬか喜びだ。ちっと内心で舌打ちをつきながら、先に行けと顎でしゃくられ、俺が先頭を行く。その後にカッシー、紅先生、アスマ兄ちゃんの並びで進んだ。
地下通路は、湿っていて、暗くて、いい具合にホラーな感じだ。この不穏な状況下に、惚れた女の側近くにいるなんて、アスマ兄ちゃんったら抜け目ないなぁ。
ちらちらと俺が後ろを気にしていることに気付いたのか、カッシーがふぅんと小さく鼻を鳴らして、尋ねてきた。俺は口元に手を置き、小声でカッシーに説明してやる。
「カッシー、いいか? お前も好きな子が出来たら、こういう暗がりでは、その子の近くにいることが肝心なんだぞ。そうすれば、何か不測の事態に陥った時、抱き着いてもらえるとか、豊満な胸に顔を挟んでもらえるとか、引っくり返った拍子にスカートの中にダイブするとか、アスマ兄ちゃんが虎視眈々と狙っているような、ラッキースケベ状態に陥るんだ」
アスマ兄ちゃんが好んで読むものの中に、そんなシチュエーションがあったから間違いないと補足すれば、後ろから罵声が飛んだ。
「ふざけんな、オメー!! 口から出まかせ言うんじゃねぇッ」
しまった、聞こえたか。
冗談だよと中忍的世渡り術で、すぐさまフォローに回ったが、暗がりの中、顔を真っ赤にするアスマ兄ちゃんの斜め前にいた紅先生が、すっと一歩前に踏み出し、距離を置いた。それを認め、アスマ兄ちゃんはそんなこと考えてねェと必死に弁解する。
「オメーも分かってるだろ!? オレは、ここを封鎖するために火薬をだな」
「……いいから。もういいから、何も言わないで」
こちらからでは紅先生がどんな表情で言ったのか分からないが、アスマ兄ちゃんは紅先生の言葉を聞いて黙り込んでしまった。
ぎっとこちらを強く睨みつけたアスマ兄ちゃんの視線に気付かない振りをして、歩く速度を速める。するとカッシーが俺の歩調に合わせ、かつ、隣をキープしてきた。
二人で並ぶと、若干歩きにくい。急にどうしたんだと見下ろせば、カッシーは尻尾を嬉しそうに振り回しながら、瞳を輝かせて前を見つめ、どこからでも来いとばかりに胸を張っている。そして、こちらを時折ちらちらと見上げながら、何かを待ち望んでいた。
その姿に、胸がきゅーんと鳴る。もしかして、カッシーてばラッキースケベ狙ってんの? しかもそのお相手って、俺?
豊満な胸も、柔らかい肢体もないが、好きな子として俺を見てくれたカッシーに嬉しさがこみ上げる。よしよしよし、俺も男だ。ここまで期待してくれるなら、乗らない手はない。
小さな音と気配を前方にとらえ、これはいいチャンスだとタイミングを計る。目の前にその姿が現れると同時に、俺は黄色い声をあげた。
「きゃあぁぁっっ」
びっくりした拍子に躓いた態を取り、横へと倒れる。その直前に、ベストのチャックを開け放ち、アンダーも上に押し上げた。そして今か今かと待っているカッシーの顔目がけて飛び込んだ。
ぎゅぅぅと胸を押し付けるように抱き着けば、カッシーの耳は立ち、尻尾は最速で左右に振り回される。
何の面白味もない硬い胸板を押し付けているだけなのだが、カッシーはご満悦のようで安心する。
はっはっはと息があがってきたカッシーを心配して身を離せば、カッシーの尻尾は少し下がったが、俺を後ろ背に庇うなり、現れたものに対して勇敢に吠え掛かった。
「わんわんわんわんわん!」
カッシーの本気とも取れる声に恐れをなして、チチッと小さな声を上げて、ネズミは逃げ去る。
達成感という文字を張り付け、威風堂々と見送るカッシーに、俺の鼓動は甘酸っぱい音を打ち鳴らす。そして、カッシーはやおら振り返ると、俺を見つめ、一言吠えた。
「うおん」
もう大丈夫だと、ニヒルな笑みを浮かべたカッシーに、膝が崩れ落ちそうになった。
か、かっわいいー! しかも、おっとこまえー!!
「カッシー、ありがとう! 俺を守ってくれて、ありがとうっ」
わしわしと首筋を撫でれば、カッシーは俺の肩に手を置き、頬を舐めてくる。くすぐったくて笑っていると、前方で再びチュチュっと小さな声が聞こえ、カッシーは耳を立てるなり駆け出した。
駆け出す直前、カッシーが期待した顔で振り返った。それに、オッケーと胸の中で親指を立て、俺はカッシーにラッキースケベを味合わせるべく、その後を追いかけた。
書いていて、非常に楽しかった箇所です。