「いやー。楽しかったなぁ、ラッキースケベごっこ。また機会があれば、やろうな」
新鮮な空気を吸い込みながら、隣のカッシーに声を掛ければ、うおんとカッシーは後ろ足で立ちながら一回転した。
後ろから抱きついたり、足で挟んだり、アンダ―を脱いで、腰に巻き付けスカートに見立ててパンチラならぬズボンチラしてみたり、拙いながらも考えられる全てのことをやってみた。カッシーも乗りに乗ってくれて、俺の小芝居にも付き合ってくれた。
はしゃぐ俺とカッシーの後ろには、地下通路を爆破した後、沈鬱な面持ちのアスマ兄ちゃんと、不憫なものを見る目でアスマ兄ちゃんを見つめている紅先生がいる。
違う、ちげーんだよ。あのシチュはあんな馬鹿で作為的なものではなくて偶然という名の日常的な枠を打破するある意味カタルシス的な作用を齎すセオリーの中に秘めたる男の夢がつまったなんたらと、足を止めて、ぶつぶつ呟くアスマ兄ちゃんを捨て置き、紅先生は行きましょと、歩き出した。
暗い中庭で一人頭を抱えているアスマ兄ちゃんは変質者以外の何者にも見えない。まぁ、アスマ兄ちゃんの自宅のようなもんだし、巡回する暗部さんに職務質問されるくらいだから、いっか。
紅先生の後につき従い、久しぶりに来た火影邸を見回した。
地下通路を抜けた先は、火影邸の中庭だった。鯉が住んでいる池の脇に立つ灯篭の下が、地下通路と通じる出入り口となっていたようだ。
俺が火影邸から出て、数年経っているが、庭の様子はちっとも変っていない。この調子なら、懐かしい顔ぶれに会えるかもと胸が高鳴る。今は夜も遅いから、お手伝いさんたちは自分たちの住込み部屋に帰っているだろうが、朝日と共に自己紹介代わりに何かを仕掛けるのもいいかもしれない。
早朝に沸き起こる悲鳴を想像し、くくくと笑えば、紅先生が不思議そうな顔でこちらを見つめた。
それに何でもないですよと嘯き、カッシーの泥だらけの足を拭くべく、懐の手拭いを濡らしてくる。
カッシーの手足を簡単に清めた後、庭に面した吹き抜けの渡り廊下から上り込み、紅先生の後ろをついていく。
火影邸は旅館並みに馬鹿でかい屋敷だ。じっちゃんが生活する建物とは別に、お手伝いさんたちが生活する建物もある。他にも客用の建物があったり、暗部の待機所もあるようで、とにかくでかくて広い。
その建物を繋ぐのは吹き抜けの渡り廊下で、建物を囲むように板敷の通路に続いている。
子供の頃は、凄腕忍者ごっこで、じっちゃんの寝所までの道のりを駆け抜けていた。じっちゃんの寝所まで辿りついたのは、百回中一回くらいで、成功率をあげてやると躍起になって挑んだものだ。そのおかげで、火影邸の内部構造は誰よりも熟知している。
ここは、じっちゃんの生活する建物近くにある、用途不明の建物らしい。外廊下から内廊下へと入り、部屋が密集した場所を抜け、離れの部屋へと向かった。
その間、カッシーは物珍しそうにあちらこちらの匂いを嗅いで、情報収集に余念がない。さすが忍犬だなぁと微笑ましい気持ちでカッシーを見つめていると、紅先生が先にある部屋を指さした。
「あそこが、イルカ先生とカカシの当座の部屋よ。離れを宛がうなんて、VIP待遇じゃない。愛されているわね」
軽やかに笑う紅先生に見惚れたのも束の間、その言葉にふっと小さく笑う。離れの部屋は、お仕置き部屋と呼ばれていたことを、紅先生は知らない。
部屋の四方を鉄格子が囲む仕掛けが施されたそれは、牢と言っても過言ではなく、散々っぱら悪戯をした俺は数週間閉じ込められた。寝起きするには広い場所でも、長い間生活を続けるには狭く、外に出たいと泣いて謝ったのは、俺の中で断トツに輝く黒歴史だ。
「そうですねー。俺と三代目は、なんだかんだで仲いいんですよ〜」
うふふと顔で笑って、ちくしょーと吠える。初っ端から座敷牢に案内するとは、嫌味にも程があるぞ、じっちゃん。
「それじゃ、私はここで失礼するわ。離れに、大抵の物は揃えてあるようだけど、足りなかったら遠慮なく言ってね」
離れに続く渡り廊下の前で、紅先生が足を止めた。
「はい、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
俺の言葉に、紅先生は「ええ」と快く頷いてくれ、踵を返した。紅先生の姿が見えなくなるまでお見送りをした後、カッシーを伴って格子戸を開く。
まず出迎えたのは、家にあたるところの玄関口だ。綺麗に磨かれた床を踏みしめ、部屋を隔てる襖を開ければ、左手に簡単な食事が作れるよう小さな台所があり、右手に洗面所と風呂場に通じる廊下へと続く。正面は、十畳と六畳の畳部屋が横に二つ連なっていた。
あのときと全く変わらない内装に、昔のトラウマが刺激された直後、物々しい音と共に玄関口が封鎖された。
「うぉん?」
訝しげに振り返り、下ろされた鉄格子に、カッシーは首をひねっている。
ちぃ。俺が夜中に抜け出すと見越しての対処か。離れに案内された時点でそうではないかと思っていたが、トラウマがある身としては、かなり心臓に悪い。
畳の部屋に踏み込み、障子戸や襖を開ければ、外の世界と隔てるように、黒黒した鉄の棒が佇んでいる。試しに棒を一本手に持ち、揺さぶってみるが、びくともしない。ポーチにあったヤスリで根元を引いてみるが、数回引いただけでヤスリの刃が毀れた。結構値段の張ったヤスリが、こうも簡単にイカれてしまうとは。
普通の鉄じゃねぇな、これ!
ぎぎぎと歯噛みして、金に糸目をつけず、俺を閉じ込めようとするじっちゃんに怒りを覚えていれば、カッシーが足元にやってきた。
「わん?」
首を傾げて、カッシーは何をしているのか尋ねてくる。
「俺たち、閉じ込められちゃったんだよ。これじゃ、これからお世話になる皆さんに挨拶回りが出来ねぇ」
困ったなぁ、カッシーのことも知ってもらいたかったのにと、ため息交じりに呟けば、カッシーはもう一度首を傾げると、鉄格子から一歩下がった場所に座る。そして、チャクラを体から練り上げ、額へと集め始めた。
ジジジジジッと無数の鳥が囀るような異音が聞こえ、目に見えるほど濃密なチャクラがカッシーの額から迸り始めた。
青い光が空中に飛び散り、熱波を肌で感じる。
これがカカシ先生の必殺技である雷切かと、初めて見るその術の凄まじさに声もなく見入った。だが、俺の脳裏にふとアスマ兄ちゃんの言葉が過ぎる。
アスマ兄ちゃんと飲みに行った時、同僚たちが目を輝かせ、はたけカカシは雷を切ったこともあるらしいと言った真偽を確かめようと話を振った。そのときの俺は、顔を合わす度にことごとく嫌味を言う奴に、一矢報いてやろうと思っていたのだ。
雷切なんて御大層な名前つけちゃって、眉つばだろうと思ったが故の確認だったが、アスマ兄ちゃんはこう言った。
『事実だ。あいつのアレは、要は、究極の突きだ。雷だろうが何だろうが、触れたが最後逃れられねぇだろうな。対人で見たことがあるが、でっけー風穴が空いてたぞ』
でもうるせーわ、光るわで大分目立っていたなと笑っていたので、忍びの癖にヒーローぶりやがってっと、負け惜しみの悪態をついた覚えがある。
とにもかくにも、音がうるさくて、ものすごい光っているから、カッシーが放とうとしているのは、雷切で間違いない。
確かに鉄格子の一本や二本、いや数百本消し飛ばせるくらい目じゃないだろう。だが、しかし、この破壊行動は、隠密にすることこそが肝要なのだ。ひっそりこっそりと抜け出てこその挨拶なのだ。
周到なじっちゃんのことだ。この鉄格子が破られたと知った瞬間、すぐに次の手を打ってくるに違いない。最悪、地下牢行きとなったら、俺とカッシーの生活水準が下がってしまう。
ぐっと姿勢を低くし、今にも鉄格子に突っ込もうとするカッシーに、俺は慌てて横からタックルを仕掛けた。
「カッシー、待ってぇっ」
「わふ?」
俺の渾身の体当たりを、カッシーはひらりと華麗にかわす。それと同時に、濃密に集まっていたチャクラが霧散した。
勢い余って、畳みにもんどり打って倒れた俺に歩み寄り、カッシーははっはっはと舌を出して、何してるの、遊ぶのと期待に目を輝かせている。
それに違うんだと答え、目的は達成したがほんの少し苦い思いを抱きつつ、カッシーに語りかけた。
「カッシー。この牢獄から脱出するべく、力を惜しまず協力してくれることは、本当に嬉しい」
俺の言葉にカッシーは嬉しそうに尾を振り始める。だが。
「しっかーし、俺たちは隠密なんだ。静かに忍びより、人々が気付かぬ内に仕掛けを施し、起きた時は後の祭り。影から人々の慌てふためく様を見てこそ、この屋敷に住む人たちに宛てた自己紹介は美しく完結するっ。分かるだろう、カッシー!!」
握り拳を作り、カッシーに訴えた。カッシーは一、二度、目を瞬かせ、垂れ目な眼をぼんやりと宙に浮かべ何事か考えた後、突然、理解したのか、その場でぴょんと一回転して、喉を曝け出し吠えた。
「うおおおんっっ」
ババっと、機敏に左右に身体を振り、嬉しくて仕方ないとカッシーは尻尾を振りまくる。っし、カッシーは分かってくれると、俺、信じていたよっ。
「そうなんだよ、そうなんだよ、カッシー! 俺たちは忍びなんだよ。忍びが悪戯に全力使って、何が悪いって言うんだよッ。悪戯こそ、忍びの本質だと俺は思うんだよッッ」
「うおおおん!!」
カッシーの太い首に抱き付き、はしゃぐ。けれど、カッシーはしばらくして、ぴたりと身動きを止めると、鉄格子を見詰めてくぅぅんと情けない声をあげた。
カッシーの気持ちを察し、俺は大丈夫と笑って肩を叩く。
「カッシー。雷切りの小さい版出せるか。これくらいでいいんだ」
ポーチから歯が欠けたヤスリを取り出し掲げて見せれば、カッシーは少し考えた後、「わん」と吠えた。やってみるということらしい。
始めから無理と言わずに、まずはやってみる姿勢を見せるカッシーに、好感は上りまくる一方だ。
その場に座り、カッシーは静かに集中を高めていく。体中のチャクラが活性化し、立ち上る陽炎のようにカッシーの体に青白い光が浮かび出る。邪魔しないように気を配りながら、カッシーのチャクラが額へと集まっていく様を見ていた。
額に集まったチャクラが明確な形を取り始めた頃、チチチとガスが点火する間際のような音が立ち始める。先ほどとは違って、音量の小さくなったそれに、カッシーの心意気を感じて胸が熱くなった。
カッシーの額に角のように飛び出た高濃度のチャクラ刀の完成具合に感涙しつつ、俺はカッシーへと声をかけた。
「カッシー。今からお前の体を持って、その雷切具現化バージョンで鉄格子を切るからな。お前は頑張って、そのままでいてくれよ」
カッシーの首が小さく頷く。慣れないせいか、カッシーの顔は苦悶に歪んでいる。
頑張れと声を掛けながら、カッシーを背後から抱え、ゆっくりと鉄格子に雷切を押し当てる。触れた瞬間、チンと小さな音を立て、鉄格子はあっけなく切れた。
窓枠ぎりぎりを狙って、塞いでいる鉄格子を全て切ると同時に、カッシーのチャクラが霧散し、体が弛緩した。
「カッシー、よく頑張ったな。よく頑張ってくれた」
畳みにカッシーを横たえ、労いを込めて頭を撫でる。嬉しそうに尻尾は振っているが、疲労具合が半端ないようだ。
幸いチャクラ切れになってはいないが、これ以上無理をかけたくはない。
「カッシー。時間ないから、俺は今から仕掛けてくるけど、お前はここで休んどくか?」
俺の問いに、カッシーは身体を横たえたまま、悲痛な鳴き声をあげてきた。俺の袖を噛み、しきりに行きたいと訴えてくる。
カッシーの反応に俺は笑う。くだらないけど、俺が大事にしているところに賛同してくれて、協力を惜しまず、自らも楽しんでくれる相手。
そんな相手をどう呼ぶかを俺は知っている。
「そうこなくっちゃな、相棒!」
もちろん連れて行くよと、頭に手を置けば、カッシーは感極まったように長い声をあげた。
激しく揺れる尻尾を笑い、疲れているカッシーを背中に担ぐ。ポーチに入っていた包帯でしっかりと俺とカッシーを固定した。
「苦しくないか?」
「うおん」
大丈夫とすぐさま返事を返すカッシーに、よし行くぞと声を掛け、俺とカッシーは夜の闇の中へと身を投じた。
相棒発言きた、コレ!