薄く青い空に上がる太陽をぼんやりと見上げる。
春の日差しにはほど遠い陽気。
それでも、窓の外から遠くに見える木々には、淡い色が色づいてきているのだから、もうすぐ本格的に暖かくなり始めるのだろう。
――だから、アレなわけね。
窓の向かい側にある、アカデミーの一室にあるモノに視線を向け、笑いがこぼれ出た。
そのとき、一際強く吹く風に煽られ、髪が舞い上がる。部屋の奥では、突然の風に、髪が乱れたなどと甲高い声が姦しく響いた。
「ちょっと、カカシ! 春先とはいえ、まだ寒いのよっ。あんたは何だって、窓全開に開けっ放しにしてんのッ」
出た。お節介焼き婆。
怪しい人相の、けど名だけはよく売れている、二つ名を持つ忍びに話しかける奴は数が限られる。
媚びたい奴らか、変わり者だけ。
艶やかな黒い髪を掻き揚げた後、腕を組み、こちらを睨みつける美女に首を竦める。
数少ない後者の奴だが、いかんせん口うるさい。
大方後ろで固まっているクノイチに頼まれたんだろう。
ぐちぐちと何事か喋っている言葉を聞き流し、窓を閉めるために腰を上げれば、
「カカシ、あんた聞いてんの?」
不機嫌な声を上げ、女は怒気をはらませた。
「聞いてーるよ」
「嘘おっしゃい。今、私が何言ったか、言ってみなさいよ」
はいはいと適当にあしらい、窓に手をかける。
閉める間際にもう一度目に納め、微かに笑う。
誰があんなことしてんだか。しかも、上忍だらけのこの部屋で、気づいているのは俺一人っていうのは、何だかねぇ。
里の上忍は大丈夫なのかと、一瞬考えるが、アレに気を止めて毎回観察する奴の方がおかしいかと一人笑う。
「俺だけの秘密、ねぇ」
窓を滑らせる音に混じらせて呟いた言葉に、黒髪の女ー紅が眉根を上げる。それに何でもないと嘯き、ソファから完全に腰を上げた。
子供じみた言葉に心が浮き立つ。こんな子供だましの言葉を口にしたのは、いつ以来だろうか。
「ちょっと、カカシ! あんた、私の話を本当に聞いてないわねッ。今晩、空いてるのかって聞いー」
「わるーいね、姐さん。今から任務なの。一日そこらじゃ帰れないんじゃないの?」
後ろ手に手を振ってやれば、ある一角からこれ見よがしのため息と、地団太踏む音が聞こえた。
「あんた、いっつもそう言ってばっかりじゃない! たまには、私の苦労を推し量って、黙って顔貸しなさいよッ。あぁ、なんで、あんたみたいな奴がモテんだかッッ」
キィィと絶叫するヒステリーな声を聞きながら、ご愁傷様と上忍待機室を出た。
口布の下で大きく欠伸をして、頭を掻く。一つ息を吐き、廊下を踏み出した。
目指す先は火影室。
予定より少し早いが、ああいった手合いに絡まれるよりはマシというものだ。
そういえば、俺に近づく奴はそれ以外にもいたなと思い出す。
――女。
しかも、お色気たっぷりのやたら露出度が激しいのやら、自分の容貌にある程度の自負がある気の強い女たち。
自分の好みは、嘘がつくのが苦手ですぐ顔が赤くなるような初な人で。
温かくて、俺がいないと泣いちゃうような寂しがり屋な、笑顔の可愛い、癒し系だ。
だというのに…。
里に帰ってから、やたらと主張の激しいケバい女たちに絡まれたことを思い出し、気持ちが沈んだ。
近寄る女すべてが、好みと真逆のタイプとはどういうことだ。
『おめぇ、自分の顔見て言ってんのか?』
ヤニ臭い男が、嘆く俺に向けた言葉が蘇る。
曰く、軽薄そう。整いすぎて情が薄そう。遊んでそう。すぐ捨てそう。飽きっぽい、鬼畜っぽい。まともな女が好きになるようなタイプじゃないと、好き勝手なことを言っていた。
俺の上忍師だった人がそっち関係では口うるさい方で、その影響を受けて、身は綺麗にしてたし、もっぱら世話になるのは玄人女性だというのに、里の噂は髭と同じようなことばかり流れてくる。
これでは、自分の理想とやらと素敵な恋ができるのは、夢のまた夢だ。
これも里の看板背負ってる弊害かねぇ。
やれやれと背中を丸めて廊下を歩けば、周囲から視線が向かってくる。
あからさまに向けてくる好奇じみた視線に慣れたとはいえ、鬱陶しいと思うことには変わりない。
極力、気配を押さえ、歩みを進める。
今日は上忍師の仕事ではなく、火影自ら手渡されるAランク以上の任務。
昼は子供たち、夜は上忍の仕事と本当に里長殿はこき使ってくれる。
そういえば、まともに休んだのはいつだっけと思いだして、足を止めた。
思い出した事実に顔が歪む。かれこれ一ヶ月は無休じゃないの?
止めた。バカ正直に早く行っても、あの狸爺のことだ。これ幸いに、「お主ならこれくらい朝飯前だろう」とBランク任務を放り投げてくるに違いない。
昼寝するには時間がないし、さりとてイチャパラを読む気分ではない。
どうしようかと考えたのは一瞬で、止めた足を再び動かす。
若干、足が浮き足立ってしまうのは、待機所で呟いたあの陳腐な言葉のせいだろうか。
今度は気配を微弱にし、誰にも気にとめられないよう静かに足を運ばせる。
向かう先は、警戒心の強い教師がいるアカデミーなのだから。
上忍待機所を中庭と挟んで向かい側にある、アカデミー教室。
滅多に使われないその教室の一角に、自分が座る席から振り返った先で、見えるものがある。
古ぼけた教卓に置かれた、古い花瓶とそれに生けられる花。
何となく決まった定位置で、開け放った窓から何気なく外を見ていたときに偶然目に入った。
景色と同化しているそれを、認識したのはいつ頃だっただろうか。
一度気付けば、何故あれに気付かなかったのか、変だと思うほどの存在感。
そのくせ、気付かなければ、一生スルーしてしまう、希薄なそれ。
人が滅多に立ち入ることのない教室に生けられた、無意味な花。そして、俺が座る席の窓を、全開にしなければ見ることができないそれ。
何かの意図があるのではないかと勘ぐってしまう場所に置いてあるそれに、始めの頃は、何かの暗号かと気を張って見ていたものだが、瓶に飾る物が日毎変わるにつれ、その可能性は霧散していった。
鑑賞用の花に始まって、野の花と、ここまでは普通の花だったが、ある時を境に、何をとち狂ったのか、にらの花に始まり、かぼちゃ、なす、にんじん、トマト、ゴーヤ、タマネギ、薬草と、突然節操がなくなった。
見る限り、週2〜3回で花を代えていたのだが、生ける花のストックがなくなり、苦し紛れに野菜などの花に手をだしたようだ。
この花を生ける謎の人物には、一応ポリシーらしきものがあるようで、一度使った花は使わない。そして、必ず季節のものを使っていた。
去年の冬頃になると、さすがに生ける花がなくなったようで、週1というスローペースに加え、棒きれを生けるようになったのを見たときは笑った。
枯れ木でも一度生けた木の枝は使わない徹底ぶりで、何がそこまで、謎の人物を駆り立てるのか、笑いがこみ上げてきて大変だった。
意識して見るようになったのは、去年の夏。
そして今、季節は巡り春になろうとしている。見初めてから、もうすぐ1年経つ。
始めは気まぐれ程度に見ていたそれも、今では俺の数少ない楽しみになっていた。
静まり返った廊下を歩く。
騒がしくも微笑ましい気配をまき散らしている教室を横目で見ながら、目的地へとゆったり向かう。
見間違いでなければ、あのとき見たのは確か――。
誰もいない教室を確認し、戸を開けると同時に、身を滑り込まらせる。
埃が積もった黒板の左斜め前。
窓際にくっつけるように置かれた、今では使われていない教卓の上に置いてある、渋い緑色の花瓶と、それに生けられた花。
「あ〜、やっぱり」
見間違いではなかったと、教卓に近寄った。
無骨な花瓶にささっているのは、紙で作られた桜の一枝だった。
里内であちらこちらで見られる、見慣れた感のある桜だが、その実、桜の木は外傷に弱い。
戯れに一枝折るだけでも木自体が枯れてしまう。
花を生けた者はそれを惜しんだのだろうか。
枝に付く花に手を伸ばし、歪んだ花弁を撫でる。
火影の膝元である、アカデミーに頻繁に出入りできる者は、自里の忍び以外あり得ない。だが、その忍びが手作りでお花作りとは…。
「…変なの」
暇なもんだと蔑むよりも、どこか微笑ましく感じるのはどうしてだろう。
蕾、咲く間近の花、開花した花と、花のバリエーションと、枝につく花の配置や、咲き誇ろうとする桜の一枝の風情はあるのに、作りがひどすぎた。
直線の枝に、何度も張り合わせたせいで、糊に汚れがつき、せっかくの淡い桜色はまだら模様で汚れている。
仮にも忍びの手のものだとは思えない拙さに、呆れるより先に笑いがこぼれる。こういうのは何だかいい。
不器用なりに必死に、意味もない桜を作ろうとする頑迷に似たまでの愚直さが好ましい。
花を生けいる人物に興味がないと言えば嘘になる。
目についた時から、どんな人物がこれを生けていたのだろうと何度か考えたこともある。
下手くそな桜を前に、腕を組む。
この任務が終わったら、その人物を探してみようか。
鼓動が弾む。
ふと思いついた考えは、思いの外、高揚させてくれる。
もし、女性で自分好みの人だったら、これを機会におつき合いということだってあり得る。
まだ見ぬ、生け花の相手を思い、一人悦に入っていれば、窓を叩く音がした。
視線を向ければ、火影さまの式が恨めしげに羽ばたいている。
もうそんな時間かと、いつまでここにいたのだろうと内心驚いた。
「あー、はいはい。せっつかなくても、今、行くから」
窓を叩く音が激しくなるのを見やり、瞬身の印を組む。
景色が変わる寸前、汚い桜の一枝をもう一度見、微かに笑い宣言した。
「待ってなさいよ。会いに行くから」
懲りずに新しいものをアップです。今度は猫カカシですっ。