何でこんなことに…
疲れはてた四肢を踏ん張り、とぼとぼと前を歩く。
意識は朦朧とし、腹はじくじくと痛んだ。
傷を負っているというのに、折しも空からは大粒の雨が降り、我が身を容赦なく打ちつけてくる。
ぼんやりと目の前が霞んで見えるのは、熱が上がったせいだ。
真っ黒い空を見上げ、俺は惨めたらしい姿にふさわしく、小さく鳴いた。
「にゃー」
俺は今、猫になっていた。
事の起こりは簡単だ。
いつものように、一筋縄ではいかない単独任務を任され、首尾よく成果を納めたものの、その帰り道にビンゴブックに載る俺の首を狙った抜け忍どもが襲ってきた。
いつもならば、早々にあしらってやるのだが、今回は、抜け忍の中にもビンゴブックに載る輩がいた。
忍犬たちの奮闘もあり、何とかそれを乗り切り、ほうほうのていで里に帰ったが、着くなり速攻病院送り。
チャクラ不足と、どうしても庇いきれなかった腹の傷に、一週間は絶対安静とベッドの住人として余儀なくされた。
動くのが億劫なほど疲弊した俺についた担当看護師は、気が利くと評判の、若い美人な女性で、やたらと親身になって世話を見てくれた。
ここまでは、いい看護師に当たって良かった。これで入院生活は不自由にはならないな、で終わっていたのだが、ここからが悪かった。
入院一日目の夜、俺はその看護師に夜這いをかけられた。
こっちが力が入らないのをいいことに、べたべたと肌に触れ、「ずっと好きだったんです」「お願い、一度だけでいいの」「思い出にちょうだい」と、体にまたがってきた女に、危うく殺気が漏れ出そうになった。
謙虚な物言いを吐く癖に、自分から股を広げる女が言う言葉は、得てして嘘が多い。
一度だけ、思い出にと情に訴えて、絆されたら大変だ。
一度手を出したら最後、恋人気取り、女房気取りで、厚かましい態度を見せるばかりか、子供が出来たらここぞとばかりに、即結婚と相なる。
その子供が出来たのも、実は計画的犯行の代物で、避妊具をつけるからといって、その実、穴が空いていた物を使ったりしているのだから、驚きを通り越して、その執念に薄ら寒さまで感じる。
あれは手痛い経験だったと、しみじみ言って聞かせてくれた先輩暗部が忘れられない。
海千山千の現役暗部を騙す女。
げにおそろしきは、女の執念か。
本来ならば、容赦なく腕や足の一、二本はへし折ってやるところだが、『カカシくん、女性には絶対手をあげちゃダメだよ』と、笑った顔で般若のような恐ろしい気配を滲ませた先生の教えを破れず、俺は逃げの一手を打った。
なけなしのチャクラで組んだのは、変化の術。
ぼわんと間抜けな音を上げて、突然小さくなった俺に、自ら半裸になった看護師は、口と目を大きく見開いていた。
3階の病室の窓から逃げ出した俺の背に、口汚い罵り声が投げつけられたのは、まだ記憶に新しい。
今は、安住の地である自宅へ帰るため、疲れた体にムチ打っている。
せめての慰めは、体を癒すために一週間の完全休暇を得たことか。
変化を解くことすら面倒で、猫の姿のまま水たまりだらけの道を行く。
雨に濡れた毛が、重く足にまとわりつき、非常に歩きにくい。
打ちつける雨に、体温を奪われているのを感じながら、これは少々やばいかと思った途端に、視界が反転した。
ばしゃりとまとまった水しぶきを受け、水たまりに倒れたのだと理解する。
視界に映る黒い水が激しく波打ち、容赦なく目と口に注ぎ込む。
もがくように顔を上げようとするが、全く体に力が入らなかった。
煙る水に混じって、臭ってきた真新しい血の香りに、傷口が開いたのだと知る。
誰か助けてくれる者はいないかと、一縷の希望を抱いても、深夜を回る時間帯な上、土砂降りの雨のせいで、周りには人の気配すらしなかった。
顔の真下へ溜まる水に、失われていく熱と血。
朦朧としている頭で自嘲気味な笑いがこぼれでる。
写輪眼だ、里の業師だともてはやされていても、所詮この程度か。
女から逃げた先で、溺死だなんて、情けなさすぎる最期だ。
自分の最期はもっと陰惨なものを想像していた。
敵の血を浴びるように被り、臓腑がまき散る死体の中で、己も臓物をはみ出させ、汚濁の中死んでいくのだと。
出来ればそのときは、先生のように里の仲間を守って死にたいと思っていたのーにね。
息苦しい中、薄れいく意識のまま、ふと熱い何かに体が包まれる感触に、驚きと同時に笑いがこみ上げた。
どうやら、それが自分の本当の望みらしい。
大きくて広くて強い、それでも優しい誰かの甘い腕に、全てを委ねて、死にたいだなんて。
いまわの際が見せる、幻か。
大きな腕は決して自分を離そうとはせずに、ずっと巻き付いてくれていた。
次回、イルカ先生登場ですっ!