「うーんとワガママな子に、側にいてもらいなさい」



唐突に先生が言った。
「……何を言っているんですか?」
時々訳の分からないことを言い放つ、実力だけは確かなお気楽な先生に尋ねれば、先生は泣いているリンと目を真っ赤にしたオビトの頭を撫でてやりながら、少し困ったように笑った。
「カカシ君は真面目すぎるから、時々、自分の感情まで殺しちゃうんだよね。先生は、そんなカカシ君が心配な訳です」
うんうんと深く頷きながら、先生は俺の傍らに座り込むと、忍犬の亡骸に手を合わせた。それに倣って、リンとオビトも手を合わせる。




横向きに倒れ、ぴくりとも動かない忍犬。
全身真っ黒だったその毛には白い毛が混じっている。もう引退してもおかしくない年だった。
これが最後の任務だと、頑なに任務へ同行しようとしたあいつを説得した途端にコレだ。
「――迷惑だ」
もう動かない忍犬に向かって吐いた言葉に、オビトが反応した。
「カカシッ、てめー、そんな言い方ないだろう?! こいつはお前を庇って死んじまったんだぞッ」
分かりきったことを言うオビトに笑いが出た。
あの攻撃だって余裕で避けれたのに、あいつは判断を狂わせ、俺を庇って死んだ。無駄死にもいいところだ。
「だから迷惑だと言ってる」
「カカシ、てめぇ!!」
そっけなく言い放てば、オビトは気に食わなかったのか、掴みかかってくる。
それを軽くあしらい、反対にこかしてやった。
「オビト、大丈夫?!」
尻餅をついたオビトに、すかさずリンが駆け寄る。恥をかかされたと思ったのか、オビトはリンの手を跳ねのけ、顔を真っ赤に染めた。
「カカシッッ!!!」
立ち上がるオビトを見下ろし、やるのかと睨みつける。一瞬怯んだものの、力強く睨み返してきたあいつと対したところで、大きな体が割って入ってきた。
「こらこら、一応、任務は終わったとはいえ、まだ里の外なんだよ。仲間内でいがみ合ってどうするの。それに、この子のお墓をちゃんと立ててあげなきゃ」
先生の言葉に、オビトの気配が安堵に包まれる。悔しそうな態度を取るだけで、あいつの感情などバレバレだ。




「カカシ、覚えとけよ」と捨て台詞を吐き、クナイを手に穴を掘ろうとするオビト。リンもそれに手伝おうと傍らに座った。だが。
「必要ありません」
一言告げ、火遁の印を組む。
息を飲む声を流し、もう二度と立ち上がらないあいつの体に火をつけた。
せめて短くと。
一瞬で燃え尽きるようチャクラを練り上げる。




思ったとおり、あいつの体は一瞬で燃え上がる。
悲鳴をあげたリンとオビトの声。
詰る声があがり、それを宥める声も聞こえた。




騒がしい中、俺はずっと地面を見ていた。
あいつが横たわっていた場所。
地面に黒い跡を残すだけになった、あいつがいた場所。
ずっと見つめ続けていた。



















がんがんと脳を揺さぶるような声が聞こえた。
せっぱ詰まった複数の声が反響する。
冷たい液体と熱い液体を交互にかけられ、指先まで痺れた。
先生と、声にならない音を呟く。
あいつを死なせてしまった時、先生はオビトとリンを宥めつつ、困ったように笑って俺の肩を叩いた。
『カカシ君。頼むから、君のことを考えてくれるわがままな子と一緒になりなさいね。じゃないと――』
先生はあの後、何と言ったのだろうか。
『じゃないと』どうなるのだろう。




思いだそうと手を伸ばすのだけど、掠りもせずに、白い靄に阻まれ消えた。
重要な情報は覚えるのではなく、刻み込むよう訓練されてきた。だから、届かなかったそれは、さほど重要なものではないはずだ。


確かにあったものは、今はもう何も見えない。
諦めるのは慣れていた。
興味ないと嘯き、己を騙すことも簡単だったのに。
その場から立ち去れない自分がいることが、滑稽だった。
























白い光が瞼を焼いた。
微睡んでいた意識が一気に覚醒する。
無遠慮な光を忌々しく思っていれば、傍らの気配が動き、光が和らいだ。
そのことにほっとしながら、開いた眼でぼんやりと見回せば、既視感を覚えた。
六畳の狭い畳の部屋。
押し入れと小さな本棚。
俺の体は何枚ものバスタオルに敷かれた上に寝ている。
見覚えのある風景に心なし張っていた緊張が解けた。




ここは、イルカ先生の家だ……。




「…起きたか?」
むっつりとした声が降ってくる。
首を巡らそうとして、肩から腹にかけて突っ張るような痛みを覚え、身を竦ませた。
にゃうとこぼれ出た自分の声を聞き、思い出す。
雨の中、俺はここまでやって来たんだっけ。





「動くな。お前、本当に死にかけたんだぞ?!」
俺の側に駆け寄り、小声ながらも強い口調で詰ってくる声に笑えた。
まさか、あの状況下で見つけてもらえるとは思わなかった。
どうして見つけることができたのと視線を向ければ、イルカ先生は真っ赤にした目をこちらに向け、唇を噛みしめている。
尋ねようとして止めた。先生は一つ息を吸って、まじめな顔をして俺を睨んでいる。
「ふざけんなよ…。ふざけるのも、大概にしろよ、お前」
言葉は強い癖に、声が震えているものだから、ちっとも恐くない。
くたびれたアンダーとスウェットを身につけ、髪の毛はぼさぼさで、頬や顎には無精髭が生えている。肌は荒れに荒れ、目の下には隈もあり、ここ何日か寝ずの看病をしたことが伺えた。
じっと見つめていれば、先生は難しい顔をしてしゃくりあげた。






「何なんだよ、お前。どうして元気なときにやって来ないんだよ。俺、待ってるって言ったのに。お前のこと待ってるからって、あれだけ言っただろ」
だって、先生。俺、猫だし。猫は人についちゃいけないんでしょ?
「お前が喜ぶと思って、魚だっていっぱい買って待ってたのに。お前が来ないせいで、ほとんど腐っちまったじゃねーかっ」
猫はおねだり上手なんでしょ。食べさせてくれる場所はいっぱいあるってどうして思わないの?
「いつ来るかって。行き違いになるのが恐くて、俺、仕事持ち帰ってたんだぞ。お前が来たらって、お前が来たら絶対言ってやることがあるんだって、待ってたんだッ」
わめき散らす先生の言葉に息を飲む。
その言葉の先が聞きたかった。




あのとき路地裏で聞いた言葉。
胸に迫る感情は何を示すのか。




「なのにッ、なのに、来たお前はまた死にかけてるし……! もう勘弁してくれよっ。お前…っ」
先生の大きな手が頬を包む。
「辛いなら辛いって言え。苦しいなら苦しいって言えよ! お前の主人がそれを許さないなら、俺は許すから。お前がそれを許さなくても、俺は許してやるから」
震える声で俺に語りかける。
声と同様に手も震わせながら、先生は熱い息をこぼした。




「寂しいなら、俺がお前の側にいるから。俺がお前の家族になるから。一人で勝手に納得して、勝手にいなくなろうとするなッ。かっこよく諦めてんじゃねーよッ」
ぱらぱらと熱い滴が目に降り懸かる。
瞼を閉じるけどその滴は止まなくて、俺の顔を濡らし、顎へと伝う。




「ゃ」
滴が気管に入ったのか、声がひっくり返る。
頬を包んでいた手が降りかかる滴を拭う。目を開けば、ぼやけた視界の中、先生が笑っていた。
「お前に主人がいようが、もう関係ねぇ。お前の家はここだ。お前は俺のたった一人の家族になったんだからな。勝手にいなくなったりしたら、里中探すぞ。火影さまに泣きついてでも探してもらうからな、覚悟しとけよ」
さっきまであれほど泣いていたのに、先生は表情を一転させ笑っている。
悪戯好きの部下みたいな顔で屈託なく笑って、決定事項だと言うから、俺は黙って目を細めた。




使役されている忍獣を家族にしようと考えるなんて、忍の風上にも置けないーね。
契約如何によっては、忍獣の命さえ危ぶまれるのに。
火影さまに泣きついて探すなんて、脅迫もいいところじゃない。あの水晶玉にかかれば、俺の居所なんてすぐバレる。そして、俺の正体だって。
それに、何より―。




先生は卑怯だ。
許すって、簡単に言っちゃって。
たった一人の家族だって、お前の家はここなんだって、照れもせずに言い切っちゃって。
戸惑いもせずに、無理やり懐に入れちゃうなんて。




家のない野良猫にそんな口説き文句使われたら、ひとたまりもないじゃない。
温かくて居心地のいいものを無条件に出されたら、断りきれないじゃない。




なにも言えず見上げる俺に、先生は鼻をすすって、にっこりと笑った。
「お前の名前、決めなきゃな。にゃんこ」
そう言って優しく喉をかくから、ごろごろと勝手に喉が鳴る。




だから、断る機会を逸したんだと、自分に向けて呟いた。







戻る/










う…(色々葛藤中)



君がいる世界 7