「シロって、どうだ?」
頭の毛並みを梳いてくれる手が気持ちよくて、うとうととしていると、先生が言った。
一瞬何を言っているか分からず、先生の顔を見上げる。
俺が理解していないことを知っているように先生は笑うと、もう一度言った。
「名前。お前の名前だよ。いつまでもにゃんこじゃ、調子でないだろう」



家族なんだからと言外に伝えてきた言葉が無性にこそばゆい。
照れ隠しのつもりで尻尾を振り回していれば、先生は違う意味にとらえたらしい。
「気に入らないか? うーん、そうだな。お前の毛並みって白っていうより銀色だもんな。んじゃ、銀にするか?」
捻りも何もない名前に眉根が寄る。贅沢を言うつもりはないが、もう少しどうにかならないのだろうか。




「ダメか?」
何も反応しない俺に、先生は眉根を寄せて腕を組んだ。時折、俺を見詰め、ぶつぶつと名前の候補をあげては、何か違うと首を傾げる。
違う名前を考えてくれているようだ。
そのことホッとしながら、上げていた首をタオルケットに埋め、考えている先生の顔を眺める。
しばらく見ない間に、もっと汚くなちゃって。でも、前みたいに苛立たないのは、どうしてだろう。




取りとめもないことを考えながら、何日寝ていたのだろうと体に尋ねる。体の衰え具合からいって、3日かそこらか。
傷の治癒も兼ねた休養は例によって1週間だから、あと4日残っている。
治り具合は良好。チャクラに至っては十二分だ。
この調子なら後二日あれば動けるようになる。
それに加え、怪我した俺の体から香る薬は犬塚のものだ。
犬塚の娘には、俺の忍犬たちの怪我を診てもらったこともある。その腕と薬の効き目は確かだ。
ただ………。




いまだうんうん唸っている先生の顔を窺う。この部屋で目を覚ましてから、ずっと同じ態度を取り続ける先生を見て、内心、首を傾げた。
変化は解けていないものの、獣の治療を専門に扱うあそこの目は誤魔化せない。といより、俺が変化していることをすでに看破されている。
俺の体に塗られている薬は、俺が忍犬の為に特別に調合してもらったものだ。調合レシピをもらった俺以外に知っているのは、調合した本人だけ。




あそこにはナルトと同年代の下忍がいた。紅の班に所属する、確か名前はキバと言ったか。
ナルトと同年代なら担任は、イルカ先生となる。ならば、犬塚の娘とイルカ先生は顔見知りの可能性は十分高い。
犬塚の口から先生に俺の正体をバラされてもおかしくはないが、先生の様子からして未だ知らぬことらしい。




俺にだけ分かるようなサインを残す、犬塚の考えが分からない。




自分の考えに没頭しかけて、まぁいいかと打ち切る。
俺が意識を失っている時に言えばよかったものを。これから先、その機会はないと思ってもらわないとーね。




くつりと浮かんだほの暗い感情に気づき、苦笑がこぼれ出た。
どうやら、俺は一度入ったこの居場所をよっぽど失いたくないらしい。
犬塚とは忍犬を使役する忍にとって切れない家だというのに、それと敵対してまでこの居場所を守る気でいる。
この場所には来ないと何度も呟いていたのは、気持ちの裏返しだったのかと、天の邪鬼過ぎる自分を笑った。




「カ、カシ」
不意に名を呼ばれ、顔を上げた。
上げた先で驚いた顔をした先生の瞳とぶつかる。
その瞬間、しまったと呻いた。まるきり油断していた。傷を負っているとはいえ、抜けすぎだろう。いや、その逆か。傷を負っているからこそ、構えなければならないのに、この腑抜け具合はどうだ。




己のあり得ない失態に戸惑う。
この居場所から離れるつもりはないが、このままずっとここに居続けることも恐ろしいと、初めて思った。




「…も、もしかして、カカシ先生の忍猫なのか?!」
小さな不安を覚える俺に構わず、先生は突然素っ頓狂な声をあげた。
「違うと言ってくれ! あの人がご主人様じゃないよな? な?!」
身動きできない俺に迫り、先生は肩を掴む勢いで尋ねてきた。
険しい表情の中に、哀願するような瞳の揺れを見つけ、俺は訳も分からずムッとする。
違うと小さく横に振れば、先生はあからさまに安堵の息を吐くと、力を抜いて、俺の隣に寝転がった。
先生の重みで布団が傾く。
「はー。良かったぁ……」
呟く先生の顔には、うっすら笑みすら浮かんでいた。
その様子を見ていると苛立ちが募った。傷口が引きつれて痛むのに、尻尾が勝手に上下に動く。





「あー。驚かせちまったか? 悪い悪い。俺さ、カカシ先生と知り合いなんだよ。その人から、優秀なお前を盗むような真似しちまったら、顔向けできないと思ってさ」
小さく笑いながら、先生は鼻傷を掻いた。悪意の見えないその口振りに、尻尾の動きが止まる。
「……『カカシ』って名前に反応するぐらいだから、お前も知ってるんだろう? はたけカカシ。写輪眼のカカシ。千の技を持つ、コピー忍者」
どうなんだと視線で尋ねられ、小さく頷く。すると先生はため息を吐いた。
「忍猫にまで名前覚えられてるなんて、すごい人だな。もしかして、お前もカカシ先生に助けられた口か?」
こしょこしょと喉を掻く指に思わず喉が鳴る。
かなり気持ちがいいのだが、先生の言葉が引っかかった。「お前も」って、そうしたら、俺は先生を助けたことがあるの?




見た目は実に平凡だが、忍とは到底思えないお日さまな空気を持つ先生は、かなり目立つ存在だと思う。
人に第一印象をあまり持たない俺が、先生と初めて顔を合わせた瞬間、苦手だと痛感したくらいだ。
あれだけの衝撃を与えた先生を、俺が見落とすことがあるだろうか。




喉をかかれる気持ちよさに囚われながらも、過去の任務を思い出そうとした。
だが、考える時間はなかったようだ。
先生は小さく微笑むと、遠い眼差しを俺に向け、喋り始めた。
「向こうはきっと覚えていないけど…。俺が中忍になって初めて戦場に駆り出された任務でな。仲が悪い隣国同士の戦争でさ。長期間、自国の兵で戦わせてたんだけど、長すぎる戦で国が疲弊して、代わりに忍が投入された戦だったな…」
どこの国でも戦争が長引けば、勝負を決そうと、戦闘に特化した忍を投入する戦いに移行する。
相手国が同じく忍を入れようと、一般人ほど戦いは長引かせない。
集団戦だろうが、単体戦だろうが、忍の戦いは一撃必殺、迅速を特徴とし、またそれを売っている。
稀に忍同士の力が拮抗して長期間化することもあるが、長すぎる戦いは、国にとっても、忍の里双方にとっても不利益しか生まない。
戦は短期間、少数精鋭が忍にとって負担は少なく、里に利潤と信頼、新たな顧客の開拓を、国にとってあらゆる被害が最小限に抑えられる。
長期化させて喜ぶのは、一部の武器商人やそれに関わる他国なのだから。
そういう背景もあり、ある程度の期間を経れば、裏で忍の里が動くことが、暗黙の了解だった。





「ひどい戦だったよ。敵味方入り交えての白兵戦。命令系統なんてないにも等しくて、組んでいたチームもバラバラ。お互いの額当だけを見て、切り結んで、わずかな時間眠って、時々配られる兵糧丸を食いながら、泥水すすって、飢えを凌ぐような…。『考えるな。殺せ、死にたくなかったら殺せ』って、挫けそうになる度に中忍の先輩に怒鳴られてたっけ」
先生の瞳からは何の感情も見えてこない。
先生が語るような戦は珍しい部類に入る。
先も言ったように、泥沼の長期戦は勝敗如何によらず、忍の里同士が裏から手を回すのが普通だ。
ならば、考えられることは、一つ。




里と国同士の密約。




俺の考えていたことが分かったのか、先生は眉根を下げて小さく笑う。
「お前は賢いな。たぶんお前の思っている通りだよ。木の葉の一部の上層部と、敵対していた国についていた忍の里。そして、両国同士が手を結んで、わざと戦いを長引かせていたんだ。目的は鉄鋼石の値上がり。その両国の資源は鉄鋼石で、もともとの戦争の原因も、その資源をより多く得んが為のことだったんだ」
先生の言葉でだんだん記憶が呼び起こされてきた。あれは木の葉の汚点とまでいわしめた戦だ。




成り立ての下忍や新人中忍を軸に集められ、戦場に送られていた。一進一退を繰り返し、勝負がつきそうでつかない微妙な間合いで長引いていた戦だった。
首謀者であった上層部の一部と、その戦の指揮権を任されていた上忍は、厳しい拷問の後、例外なく処刑された。
後から聞くところによると、疲弊した里に利益をもたらせたかったと語っていたが、自里の忍を犠牲にするやり方は許されるものではない。




九尾で壊滅させられた里の復興もまだ半ばだった頃の話だ。
不穏な空気の中、それでも励まし合い里を盛り立てようとした最中だっただけに、自国の忍を売った戦の話は公にできず、箝口令が敷かれ、人々の記憶から忘れ去られた。
その戦に参加していた大多数の命は失われ、生き残った忍たちの精神を病んでいたことも、それに拍車をかけた。




未経験者ばかりが寄せ集められ、自分の隊長は戦を長引かせるための首謀者、殺到する敵に、次々と倒れていく仲間たち。
歴戦の忍たちでさえ、長期間の前線任務は荷が重いのに、ろくに戦闘経験のない者たちには厳しすぎる。
それにも増して、いつ終わるともしれぬ戦は、精神を蝕むには十分すぎた。



成り立ての下忍、そしてまだ経験を積んでいない中忍が選ばれた理由は、ここにも起因していた。
例え生き残ったとしても、忍はおろか人としての機能も果たさぬ成れ果てを作れば、後の処理が楽だということ。




多くの人々から忘れられ、一部の者たちだけは忘れられぬ戦。
その戦の中に、先生はいたのか。




意外な過去に内心驚いた。
先生があの戦の生き残りならば、何故、日だまりのような気配を発し続けられる。
どうして、あの陰惨な戦を経て、穏やかに笑っていられるのだ。



見上げた視線が、先生の視線とぶつかった。
先生は顔をくしゃりと歪ませ、俺に笑いかけた。
「お前、本当に物知りだな。どんだけすごいんだ? 俺は大丈夫だよ。だから、そんな顔すんな。こうしてぴんぴんして生きてんだから」
上向いた鼻を触られ、くすぐったくてクシャミが出た。その拍子に動いた体に激痛が走る。
声のない悲鳴をあげれば、先生は血相を変えて俺を見下ろした。
「わ、悪い! 大丈夫か? 痛いか?! ご、ごめん。本当、ごめんな」
大げさなまでに慌てて頭を下げる先生に、大丈夫と口を開いた。
「にゃう」
声に引かれて顔を上げたところで、首を傾げて話の続きをねだる。先生の過去が知ることができたが、肝心の俺の話を聞いていない。
話して話してとぐるぐると喉を慣らせて催促していれば、先生は難しい顔をして首を振った。
「いや、もうお前寝た方がいい。目が覚めたもんだから、つい調子に乗って喋り過ぎちまった。悪かったな」
は?! 何それ。触りだけ聞かせておいて、後はお預けってどんだけじらすつもり?!
「うー」
牙を見せつけるように、低く唸れば、先生は途端に正座になるなり、教師の顔つきで俺を見下ろした。
「ダメだ。お前に必要なのは1、2に安静。3に安静。4に食事だ! ハナさんからは目が覚めて、もう一眠りしたら食事再開オッケーのお許しが出ているからな。もう少し我慢しろよ」




うんうんと満足げに頷く先生に、俺の尻尾は不機嫌に暴れまくる。
この際、食事なんかどうでもいいのよ。話の続きは気になるし、それに、あんた。いつの間に犬塚の娘を下の名前で呼んじゃってんの?! 元生徒の姉に手を出すって、それって教育者としてどうなのさ!




「ほらほら、動かし過ぎたら傷に障るぞ。俺は風呂に入って、さっぱりしてくるよ。お前は寝とけ」
立ち上がったついでに、軽く叩くように二、三度頭を撫でられた。
ガキ扱いされたようで、相当おもしろくない。
「うぅーーー」
抗議を示すように唸れば、先生は「はいはい、おやすみ」と背中を向け笑った。
もー何、それ!! 完全、子供扱いッ。俺がはたけカカシだってこと知ったら、あんた腰抜かすよ?!




万が一にも起きては欲しくないことを思いつつも、体はまだまだ眠りを欲しているらしい。
先生の気配が遠ざかると同時に、眠気が襲ってきた。
仕方ない。次に目を覚ましたときに聞くとして、今は大人しく寝てやるか。
寝返りが打てないのは、正直辛いが、目を瞑れば気にならなくなるだろう。
先生の遠ざかる足音を聞きながら、忍び寄る眠気に身を任せようとしていると。




「あ、そうだ」
襖をあけた先生が、思い出したように振り返った。せっかく寝かけたのに何だと、しょぼつく目を瞬かせていれば、先生は満面の笑みで俺に言った。




「お前は今日からビジンだ」
びしっと俺に向かって指を向ける先生。
は? 今、この人、何て言った?
置いてけぼりを食らう俺に、先生は満足げに鼻から息を吐くと、「実に的確な名だ。名は体を表すってな」と己のセンスをべた褒めした後。
「ちゃんと寝とけよ、ビジン」
呆気にとられる俺に構わず、手を振り襖を閉めた。
急に静かになった室内の中、俺は先生が出ていった襖をじっと見つめ、そして。




なによ、その名前ぇっぇっぇえぇぇぇぇっっぇ!!!!
思わず顔を覆い、恥ずかしさで呻いた。
体がまともに動いていたら、ごろごろとそこら中を転がっていたかもしれない。
どこの国に、自分の飼い猫(俺は家族だけど)に、美人だからビジンって名前付ける人がいるのーーー?!
ああいうのを飼い主バカ、いや親バカ? 家族バカ?とでも言うのだろうか。




覆面を取れば、容姿を誉められることは常で、今更人の批評などに左右されることもないのに、何故か、俺の体は熱くて、湯気が出そうにまで顔が火照っていた。
あぁ、もう。これで熱出たら、イルカ先生のせいだからね!
小さく胸の内で悪態をつきながら、眠るために目を閉じる。あれだけ眠たかったというのに、いつの間にか消え失せているのが、忌々しい。




眠りが訪れるまで、壁の向こうで変な歌を歌う先生の声と、自分の早い鼓動を俺は仕方なしに聞いていた。




でも、それは俺にとって、思っているほど嫌なことじゃなかった。










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捏造だらけです! 戦争にまつわる経済の動きの勉強してません…orz いつか、任務ものを書いてみたいなぁ。(夢)
そして、イルカ先生はネーミングセンスがないと信じていますっ。






君がいる世界 8